第71話 沈黙の街②
一方、軍司令官のガブリエル・ローウェルは、騎士としての誇りと、粛清に協力せざるを得ない現実との間で苦しんでいた。
彼のもとには、各地での取り締まり要請や、旧貴族残党を討伐するための追加派兵計画などが次々と届く。中には、実際に反乱の芽があるものもあるが、明らかに罪のない市民が巻き込まれているケースも多い。
兵たちからは不満の声が増えている。
「これでは王政時代と何も変わらない」「市民を守るための剣が、市民を脅かす剣になっている」――口には出せずとも、そう感じる将兵は少なくない。だが、現状では軍人として命令に背くことは、死を意味する可能性すらある。パルメリアの権威を支える存在として、軍の離脱や反乱は許されるはずもない。
「司令官、そろそろ部下たちのケアをしないと、軍の内情は危機的です」
「わかっている。……だが、パルメリア様の命令には従わねばならない。彼女が崩れれば、国が乱れる」
ガブリエルは深い溜息をつく。現時点では彼自身もどうにもならないのだ。
誇りを重んじる兵士たちが求める「正義」と、パルメリアが掲げる「秩序のための強権」の間で、ギリギリの調整をし続ける日々。それでも、無茶な処刑命令が出れば止めたいと思う。ところが、先日の大規模処刑をはじめ、彼が実際に口をはさめる余地は限りなく小さい。
同時に、外務担当のレイナーにも重圧がかかっていた。
周辺諸国からは「粛清が横行する危険な政権」として扱われ始めており、正式な抗議こそ届いていないものの、冷たい態度で距離を置かれ始めている。貿易協定や物資支援の協議も、どこかぎこちなく、わざと遅延されているように思えた。
「ここまでやるか……と、各国は呆れている様子だ。彼らは王政も嫌っていたが、粛清に頼る新政府も信用していない。――僕がいくら弁明しても『血の上に成り立った政権はすぐに崩壊する』という見方が拭えないんだ」
レイナーは、国外の担当者と交わした書簡を読み返す。そこには遠回しな言い方で「貴国の現状は厳しく、信用に足る状況ではない」と書かれている。
今のままでは、いずれ外国からの支援は途絶え、下手をすれば軍事的圧力すらかかるかもしれない。王政時代に圧迫を受けた隣国との関係も微妙だ。もし大規模な内乱が起これば、口実を得た隣国が介入してくる可能性だって否定できない。
「もっとも……そんなことをパルメリアに伝えたところで、彼女の選択肢はもう限られている。粛清をやめれば、国内の反発が爆発し、さらなる戦乱を招く。かといって粛清を続ければ、国際的に孤立する。まさに袋小路だ」
彼は苛立たしげに机を叩き、深いため息を吐く。
かつてはパルメリアの外交政策を補佐しながら、新時代を切り開くという希望を抱いていた。それが今は「どうせもう彼女は止まれない」という絶望に近い認識へと変わっている自分を自覚し、やるせなさを感じる。
街の中でも、不気味な沈黙が深化している。保安局の目を恐れて、ギルドの集会や労働者の集まりも激減した。大学や学術研究機関も同様で、研究や議論の自由は影を潜め、あらゆる場で自己検閲が行われるようになった。
ちょっとした言葉尻が「政府批判」と受け取られれば、一巻の終わり――そんな空気のなかで、まともな討論や改善案の提案は期待できない。国の未来を建設的に考えるはずの場が、いつの間にか「政府に目を付けられないようにするための場」へと変質している。
大学の一室では、数名の学生と教授がひそひそ声で話していた。
「実は……こないだ、友人が『革命を批判するような発言』をして、その日のうちに保安局に連行されたらしい」
「それ、本当に友人が言ったの? まさか、誰かの密告じゃないの?」
「わからない。とにかく怖いよ。もう、何も言えない。こんなのが続いたら、勉強や研究なんてできやしない」
その会話を聞きつけた他の学生がぎょっとして、慌てて話題を変える。すると、今度は教授が怯えたような目で周囲を確かめ、静かにドアを閉めた。
こうした小さな動きがあちこちで繰り返され、いつしか大学は「声のない学び舎」と化している。以前は活発だった討論や論文発表は激減し、かろうじて続くのは政府寄りの安全な研究テーマばかりだ。中には、革命直後に盛り上がったはずの政治・社会に関する講義が「事実上の休講」に追い込まれているケースもある。
そんな中、パルメリア自身はどうしているのか――。
大統領府の執務室で、彼女は相変わらず山積みの書類に埋もれたまま日々を過ごしている。反乱の可能性がある地域の報告や、保安局からの逮捕要請、さらには海外情勢の悪化を示す外交文書――。夜になっても明かりを消せず、いつしか彼女は休息という言葉を忘れかけていた。
(私がこれほど苦しんでいるのに、どうしてみんなはわかってくれないの……? ――いや、そんなの当たり前よ。私が血を流させているんだから。だけど、もし手を緩めれば、国中が大混乱に陥る。もっと大勢が死ぬことになる……)
こめかみを押さえ、かすかに頭痛を感じる。
現代社会から転生した彼女にとって、これほど多くの処刑命令を自ら下し、人々の声を抑圧するのは、本来、想像すらできなかったはずだ。慣れるどころか、そのたびに心が砕けそうになる感覚を味わっている。
(こんな形で国を治めるなんて、絶対にしたくなかった。……でも、やめられない。私が止めれば、すべてが崩壊する。私は最後まで責任を負うって決めたんだから……)
机の上には、ユリウスが最後に残したメモが置かれている。そこには「民のための政治を」「革命の理念を捨てるな」といった言葉が走り書きされていたが、それを読み返すたびに胸が痛む。しかし、その痛みこそが、かえって彼女を意固地にさせているのかもしれない。
「――そうよ。あなたが去ったなら、私がさらに強くなるしかない。私の弱さを突かれて、国が滅びるわけにはいかないの」
唇を噛みしめ、そう自分に言い聞かせる。
血塗られた秩序こそが、今の国を一枚岩に保つ最後の手段だという信念――いや、狂信に近いそれだけが、パルメリアを動かしていた。
一方、レイナーは相変わらず外交折衝に忙殺され、ガブリエルは軍全体をなだめすかしながら、粛清に対して何とか歯止めをかけられないかと苦慮している。
二人とも「パルメリアのいる新政権」を見捨てることはしなかった。それは、それぞれに抱える理由があるからだ。
「もし僕までいなくなれば、国際社会とのパイプが完全に断ち切られる。そうなったら、侵略のリスクは格段に上がる。僕は、まだ戦争になるのを防ぎたい……」
レイナーは自らに言い聞かせる。パルメリアに直接反論するわけではないが、彼女がさらに暴走しないよう、外交面から圧力をかける可能性は残っていると考えている。せめて「外国からの非難が強まる」と警告すれば、多少は自重してくれるかもしれない――そのかすかな望みに賭けていた。
ガブリエルはガブリエルで、軍内部でのしこりを少しでも減らすために動いていた。
処刑への協力を拒絶して脱走しようとする兵士がいれば、必死に説得して引き留める。将校たちが陰で「新政府のやり方」に疑問を呈すれば、「司令官としての責務」と「騎士としての誓い」のはざまで苦しみながらも、あくまで兵士の安全と、国家の崩壊を防ぐことを最優先に語りかける。
彼らもまた、決してパルメリアの粛清を歓迎しているわけではない。むしろ、内心では心を痛めている。
だが、この国がさらなる内戦や他国からの侵略に巻き込まれるくらいなら、――粛清を黙認するしかない。血の匂いに吐き気を覚えながらも、自分の位置を捨てるわけにはいかないのだ。




