第69話 血塗られた秩序①
燃えるような夕焼けが街を赤く染め上げるころ、首都中央の広場には巨大な処刑台がせり出すように設えられていた。ここはかつて、革命直後には祝祭や演説で民衆が集まり、自由と変革の熱を分かち合った場所だ。だが今やその面影は消え失せ、ひどく殺伐とした空気が漂っている。
多くの兵士、そして「国家保安局」の隊員たちが警戒態勢を敷き、長槍や銃剣を携えて周囲を固めていた。その様子は、まるで戦地の最前線のように緊張感に満ちている。さらに、いつもなら夕暮れ時に帰路につく人々も――好奇心からか、あるいは見せしめを目撃せずにはおれない不安からか、静かに集まってきていた。その足元は重く、どこか息苦しいほどの恐怖が広場を支配している。
処刑台の下では、首を垂れた人々がずらりと並んでいた。鎖でつながれた彼らは、旧貴族の残党とその協力者、さらには最近の暴動に加担したとされる農民たち、そして「反乱分子」と烙印を押された市民までも含まれている。
表向きの罪状は「王政復活を目論んだ反逆」「国家転覆を図ったテロ行為」など多岐にわたるが、実際には巻き込まれただけの者も少なくない。だが、この場でそんな事情を聞いてくれる者は誰もいない。
呆然と立ち尽くす人、泣き崩れる人、怒りと絶望の表情を浮かべる人。彼らは一括して「反逆者」として断罪される運命を、今まさに迎えようとしていた。
「……これが本当に公正な裁きなのか? 俺はただ、家族を守りたかっただけだ……!」
涙声の訴えが空しく響く。周囲の兵士たちや保安局員は目もくれず、無言で槍を向ける。広場を囲んだ野次馬たちも、その声に耳を傾けようとはしない。誰もが、少しでもこの場にかかわってしまえば自分の身も危ないと悟っていた。今では言葉を発することすら危険なのだ。
かつては王政を倒した際に「新しい自由」を歌い上げたこの国が、いまや公然と大規模な処刑を行う――その光景は、多くの人々の心に凍りつくような恐怖をもたらしていた。
「転生者」としてこの世界に降り立ったパルメリアも、その渦中にいる。ある者は彼女を「革命の英雄」と崇め、ある者は「冷徹な独裁者」として憎む。それでも、彼女こそがこの国を動かす大統領であり、処刑を命じた張本人である事実は変わらない。
パルメリアは処刑台の脇に立っていた。少し離れた場所には、軍の高官や保安局幹部が控え、彼女が下す次の指示を待っている。
夕陽を背負った彼女の姿は、いっそ神々しさすら感じさせるが、その瞳はひどく曇っていた。まるで薄氷の上に立つかのような心許なさを感じながらも、表情だけは決して崩さない――そう努めているように見える。
(こんなこと、前の世界の私なら絶対に耐えられなかった……今だって、本当はもう頭がおかしくなりそう。血の匂いが漂うなんて想像すらしていなかったのに。けれど、引き返せない。ここまで来てしまった以上、やらなければならないの……)
彼女の胸には幾重もの思いが交錯している。
そもそも「転生」という形でこの世界に降り立ったとき、社会の仕組みや政治体制を変えられるだけの知識を持っていると思っていた。王政の腐敗を正し、民衆を救うために革命を起こし、成功したあの日まで――すべてが理想に満ちていたはずだった。
しかし、革命後の混乱は想像以上に深刻だった。旧貴族派の逆襲、農民の飢えや不満、地方の疲弊、そして周辺諸国の干渉や内乱の恐れ……。様々な火種がくすぶるなかで、パルメリアは次第に「強権」を頼りにするしかなくなった。
今では「国家保安局」が動き、反対勢力を根こそぎ摘発し、秘密裏に粛清するほどの状況になっている。そこには、もはや革命初期の仲間たちが語り合った「自由」「平等」「民衆の声」といった美しい言葉は、空虚な響きしか残していない。
(でも、こうしなければ国は崩壊する。私が決断しなければ、再び大量の血が流れる。……いや、今も血が流れているけれど、それ以上の混乱になるよりはマシだと、そう信じるしかない……)
パルメリアは、一瞬だけ手を胸元に触れる。そこには鼓動の震えがはっきりと伝わってきた。自身の呼吸が乱れそうになるのを必死で堪えながら、ゆっくりと視線を処刑台へ戻す。
「これより――反逆罪を犯した者たちへの処刑を執行する!」
執行役の官吏が声を張り上げた。その宣言に呼応するかのように、兵士たちが逮捕者を一人、処刑台の上へと引き立てる。
その姿を見た群衆のあちこちから、恐怖に震える小さな叫び声が上がる。中には涙を流しながら天を仰ぐ者もいれば、両手で耳を塞いで見ぬふりをする者もいた。保安局員たちが睨みを利かせているため、大々的な騒ぎにはならないが、周囲の空気は悲鳴と苦悶に満ちている。
兵士に押し倒され、刃の前に立たされた最初の男は、血走った目でパルメリアを見つめた。
その視線を、パルメリアは正面から受け止める。彼が何かを叫ぼうと口を開いた瞬間、鋭い刃が振り下ろされた。
風を切る音と、鈍い衝撃音。首筋から迸る赤い液体が、処刑台を真っ赤に染め上げる。広場全体が一斉に息を呑むように静まり返った。
その瞬間、パルメリアの心の奥で、何かが切れるような音が聞こえたような気がした。
――血の臭い。生々しい赤が視界に広がり、鼻腔を突き刺す。前の世界ではテレビや映画の作り物でしか見たことのなかった「死」が、今、目の前で無惨に繰り返されようとしている。
(やっぱり……耐えられない……っ。でも、私はここで顔を背けちゃいけない。私はこの国を背負う大統領なのだから……!)
歯を食いしばる口元から、血の気が失われそうになる。視界がちらつき、両足が震えるのを感じるが、パルメリアは必死で自分を奮い立たせた。
まるで身体が氷のように冷たくなる一方で、頭の芯では激しい熱が燃え上がっている。この矛盾した感覚が、彼女の精神を苛んでいた。
「ひっ……助けて、助けてぇ……!」
次の犠牲者となった若い女性の悲痛な叫びが、広場を裂く。見るに堪えないと顔を背ける市民が出るが、保安局員がすぐに「静粛に!」と怒鳴りつける。
彼女は必死にもがくが、兵士に押さえつけられ、刀が振り下ろされる。先ほどとは違う血の飛沫が辺りに広がり、また一つ命が失われた。
その様子を見届けるパルメリアの喉から、ひきつった小さな吐息が漏れる。顔に血の雫こそ飛んではいないものの、濃厚な血臭が風に乗って鼻を突き、思考をぐらつかせる。
ふと、彼女の中で遠い記憶がフラッシュバックする。前世の平凡な生活――友人とコーヒーを飲みながらニュースを見て、時に社会問題に眉をひそめる程度だった日常。あの頃は「死刑」や「独裁」なんて、映画や海外のどこか遠い世界の話だった。
(どうして、私がこんな場面を……こんな結末を見届ける羽目になったの?)
心の奥底で叫ぶ声が、パルメリアの心を狂わせていく。けれども、今さら引き返す道はない。ここで逃げ出せば、一体どれだけ多くの命が次に危険にさらされるだろう――そんな想像が、現実の恐怖をさらに増幅させる。
結局、彼女は強制的に「必要な犠牲」として、この惨劇を主導し続けるしかないのだ。
処刑台の周囲には、軍や保安局の幹部たちが整列している。その中には、パルメリアの古くからの仲間であるガブリエル・ローウェルの姿もあった。
彼は軍の司令官として、国防と秩序維持を担う立場だが、ここで行われているのは軍人の誇りとは程遠い「粛清」であることを痛感している。それでも、パルメリアを見捨てることはできない――革命時に交わした誓い、そして騎士としての忠誠が、彼をここに縛りつけているのだ。
「……司令官、あれほどの処刑を一度に行うなんて、俺たちは本当に正しいことをしているんでしょうか?」
近くの若い将校が、声を潜めてガブリエルに問いかける。
ガブリエルは苦悶の表情を浮かべながらも、低い声で答えた。
「国を守るために、必要な措置だ。――大統領閣下が下した判断だ。私たちは、それに従うしかない……」
その言葉には説得力がないと自覚している。何度も自問しながら、それでも行動を変えないのは、パルメリアを救いたいと思う気持ちがどこかに残っているからだ。彼女が今にも壊れてしまいそうな姿を知りながら、ガブリエルはどうにか彼女を支えたいと願っている。
しかし、実際には彼女の決断に追随するしかない。それこそが「軍人の務め」でもあり、自分を含めた仲間たちが背負った責任でもあるのだ。
「でも司令官、いつか……いつかこんなやり方が国を滅ぼすかもしれないって、思いませんか?」
若い将校のさらに低い声が、悲痛な問いを投げかける。
ガブリエルは答えられなかった。ただ、拳をぎゅっと握りしめ、処刑台のほうへと視線をやった。その先に立つパルメリアの背中は、どこか脆い光を帯びているように見えた。
処刑は止むことなく続く。失神している者を無理やり立たせ、刃を振り下ろす兵士たち。彼らも決して楽しんでいるわけではない。ただ、命令に従い、無感情に作業を進めるようになっている。
次々と血が飛び散り、広場を真紅に染める。悲鳴も次第に途切れ、絶望に支配された沈黙が広がる。その沈黙の中こそ、最も重苦しい恐怖が潜んでいた。
(これで、国は安定する……? 本当に、これだけの血を流して、ようやく国がまとまるの?)
パルメリアの頭の中で疑問が雪崩のように湧き起こる。しかし、同時に「ここで自分が立ち止まれば、さらに大きな内乱になる」という強迫観念のようなものが、彼女の理性を保たせていた。
(誰か、私を止めて……でも、私が止まったら、もっと混乱が広がる……!)
幾度となく自問自答を繰り返す。もう言葉では説明できないほどの混乱が心をかき乱し、呼吸が浅くなっていく。血の臭いが鼻を突き、吐き気を催しながらも、彼女は必死で踏みとどまるしかない。
つい先日まで「民を守るため」と言い聞かせながら強権を振るっていたが、いま目の前で繰り返されているのは、むしろ「民を殺す」行為にほかならない。その矛盾と苦しみが、パルメリアの精神を壊さんばかりの勢いで圧し潰そうとしていた。
――カッ、と視界が白んだような感覚に襲われる。次の瞬間、体がぐらりと揺れそうになるが、彼女は何とか踏ん張る。周囲の兵士や保安局員の視線が一瞬注がれたが、彼女は気づかれぬようにわずかに顔を伏せ、呼吸を整える。
(大丈夫、まだ私は倒れちゃいけない。ここで崩れたら、もっと多くの血が……そう、信じるしかない……!)




