第64話 国外追放②
その後、追放命令書が直接、ロデリックに手渡されたのは穏やかな昼下がりだった。
地方の屋敷で静かに暮らしていた彼のもとに、政府の使節がやって来て、厳粛な面持ちで封書を差し出す。その場にいた老執事やわずかな使用人たちは顔面蒼白となり、どうすることもできない。
ロデリックは封書を開き、そこに記された「国外追放」の文言をしばし無言で読み込んだ。公式な王家の継承者だった自分が、今や国から追放される立場になった――この事実は、あまりにも皮肉で重い。
政府の使節が低い声で告げる。
「……大統領閣下の決定です。あなたが、この国の安定を損ねる恐れがあるとのことで。近々、国境付近へ移動していただきます。抵抗されれば、我々もやむを得ない措置を取らざるを得ません」
ロデリックは、その言葉を聞いても取り乱すことはなかった。ただ、深い嘆息をつくだけである。
(これが、パルメリアの選択……。やはり、こうなってしまったのか)
かつて王太子であった頃、ロデリックは自身の地位を捨ててでも新時代を築きたいというパルメリアの夢を支援した。その結果、王政は倒れ、革命は成功したが、今や彼女は「国のため」として強権的な道を進み、この国での彼の居場所を奪おうとしている。
使用人たちが悲鳴のような声を上げ、「いまさら追放なんて……どうしてこんな無慈悲なことを」と嘆く。だが、ロデリックは静かに首を横に振った。
「やめておけ。どうにもならないさ……パルメリアがこう決めたのなら。きっと、彼女には彼女なりの覚悟がある」
老執事が震える声で尋ねる。
「ロデリック様……このまま、何も言わずに国を出ていかれるのですか? あなたは元王太子。こんな決定に従う必要は、あるのでしょうか……?」
だがロデリックは微笑んだ。その笑みには、やるせなさとほんの少しの諦観が混じっている。
「もはや『元王太子』という肩書きも、何の意味も持たない。ただの一市民として、彼女の命令に従うしかないよ。――それが、私が背負うべき責任なんだ。ここで抵抗しても、国が乱れるだけだ」
その毅然とした姿に、使用人たちは言葉を失う。ロデリックの瞳には、どこか悲壮な決意が浮かんでいた。きっと、追放されること自体が受け入れがたいはずなのに、彼は覚悟を決めた表情を見せる。
政府の使節も、彼の静かな態度に戸惑いの色を浮かべる。もっと荒れたり、反抗したりすると思っていたのだろう。しかし、ロデリックはすでに何もかもを悟ったように、追放命令書を丁寧に封に戻した。
「わかった。……出発の期限を教えてくれ。その日までに身辺を整理する」
使節は、わずかにうなずきながら低い声を出す。
「明後日には、軍の護衛隊がこちらへ参ります。あなたを国境まで護送する予定です。……申し訳ありませんが、それまで自由に外へ出ることはご遠慮いただきたい。これは大統領閣下の――」
「構わないよ。わかっている」
ロデリックが毅然と受け答えするのを確認すると、使節たちは深い安堵と緊張が入り混じった面持ちで退席していった。残されたのは、呆然とする老執事や使用人、そしてロデリックが差し出がましくないように微笑む光景だけだ。
扉が閉まった後、老執事は声を震わせて言う。
「ロデリック様……どうか、私に何か手伝えることがあればおっしゃってください。荷物の整理や、連絡を取りたい方への使い……何でも構いません」
ロデリックは感謝の眼差しを向け、ゆっくりと首を縦に振った。
「ありがとう。そうだな……この数日で必要なものをまとめておこう。もともと、そう多くを持っているわけではないんだが……うん、頼むよ。落ち着き次第、身の回りの整理をお願いしたい」
こうして、元王太子に対する無情な追放が現実のものとなり、屋敷内は深い悲しみに包まれた。
約束の日、ロデリックの屋敷には軍の護衛隊が派遣され、馬車が用意された。
朝早くから小雨が降りしきり、空は灰色の雲に覆われている。いかにも何かが終わることを暗示するかのような、沈鬱な空模様だ。
屋敷の廊下を歩むロデリックの足音が、いつもより重く響く。使用人たちは皆涙をこらえながら見送りの準備をしているが、声はかけられない。なまじ声をかければ、自分も「反逆者」扱いされるのではと恐れる気持ちがあるのだ。
(仕方がない。……これは、私が選んだ道でもある。王太子として何もできず、結果的にパルメリアに国を任せることになった。それを誰にも責めることはできないだろう)
ロデリックはそう自分に言い聞かせながら、鞄一つを手にして玄関へと進む。気が遠くなるような喪失感がこみ上げるが、それを表に出すわけにはいかない。
屋敷の扉が開け放たれ、外の景色が視界に入る。小雨に濡れる中、軍服を着た護衛隊の兵士たちが無言で整列していた。馬車が一台、軒先で待機している。
ロデリックが屋外に出ると、彼を見送ろうと集まってきたわずかな人々が、かすかな声を上げる。
「ロデリック様……本当に行ってしまわれるのですか」
「どうか、どうかお元気で……」
その声もすぐに消え入りそうになる。兵士たちの鋭い視線が、誰もが口を閉ざすよう圧迫するからだ。
ロデリックは振り返り、集まった人々に穏やかな笑みを向ける。まるで「ありがとう。大丈夫だよ」と伝えたいかのような、優しい微笑み。
そして、馬車へと歩み寄ると、最後に空を見上げた。灰色の雲と小さな雨粒が視界をにじませる。
(パルメリア……君は、今どこで何を思っているんだろう。私が去って、これで君の思い描く国は守られるのか? それならそれで、構わないんだ。……ただ、君がこの先、後悔に苛まれないことを祈るよ)
彼は無言で馬車のステップを上がる。扉が閉じられ、衛兵の合図とともに車輪がゆっくり回り始める。
屋敷の前に集まった人々は、誰も声を上げることができない。中には泣き崩れそうになる者もいたが、周囲の抑制的な空気に押され、押し黙るしかなかった。
やがて馬車は屋敷から離れた大きな街道へ合流していく。ロデリックはその窓から、遠ざかるかつての住まいをぼんやりと見つめた。そこには確かに、自分が選ばなかった未来があった気がする。王太子として国を導く、そんな未来もあり得たかもしれない。
「……さようなら」
彼の口からこぼれたその言葉は、誰の耳にも届かない。雨音にかき消され、街道を進む馬車の振動とともに薄れていった。
同じ頃、首都の政庁にある執務室で、パルメリアは机に山積みの書類と向き合っていた。
けれど、その細い指がめくる書類の文字は、まるで頭に入ってこない。目を通そうとするたびに、胸の奥からこみ上げる苦痛が阻む。
ノックの音がして、レイナーが部屋を訪れた。彼は少し迷いながらも、中に入ると静かに言う。
「……報告が入った。ロデリックは、今朝早くに護衛隊とともに出発したそうだ。おそらく、予定通り国境へ向かうだろう」
パルメリアはペンを握ったまま、こくりとうなずく。少しうわずった声で応じた。
「……そう。ありがとう。……無事に行ってくれればいいんだけど」
レイナーは思わず言葉を詰まらせる。彼女がどれほどの葛藤を抱えているのか、痛いほど分かるのだ。しかし、今は何も言えない。
しばしの沈黙を経て、レイナーは意を決したように尋ねた。
「本当に……これでよかったと思ってるのか? 彼が追放されたという事実、君はどう受け止めている?」
パルメリアは小さく肩を震わせ、机に視線を落とす。しばらくして、掠れた声が紡がれた。
「……苦しいわ。正直、泣き叫びたいくらい。でも、私が弱音を吐けば、この国はどうなるの? ロデリックを生かしておけば、旧貴族派がいつ反旗を翻すか分からない。もっと大勢の血が流れるかもしれない……。そう考えれば、私が耐えれば済むなら、いくらでも耐えるしかないじゃない」
その瞳には涙は浮かんでいない。むしろ、泣くことさえ許されないかのような、乾いた静寂が広がっている。レイナーは言い返す言葉を見つけられず、ただ彼女の姿を見守るしかなかった。
ドアの外では、ユリウスが立ち聞きしていたが、結局何も言わず廊下を去る。やるせなさと怒りが入り混じり、彼もまたどうすることもできない自分に苛立っていた。




