第61話 鎮圧された声③
デモ鎮圧の知らせは、瞬く間に首都中に広がった。つい先日まで「恐怖で口をつぐんでいた」市民たちの間にすら、「政府は市民の平和的な声すら認めない」という絶望感が広がり、ますます人々は無関心と沈黙へと押し込められていく。
さらに、一部の噂好きな者たちの間では「今度は誰が逮捕されるか」「あの集会にいた学生はどこに連行されたのか」といった話題がささやかれる。あまりに情報が限られているため、推測に推測を重ねた噂が飛び交い、それが不安を増幅させていた。
「この国は、もう完全に王政時代よりひどい検閲と監視になってるんじゃないか?」
そうつぶやいた若い行商人は、周囲の者から必死に止められた。
(そんなことを口にすれば、自分が次の標的になるかもしれない――)
その沈黙が、より一層恐怖を深めていく。誰かが声を上げれば、たちまち危険に晒される。かといって声を上げなければ、永遠にこの状況が続くのではないかという絶望がある。人々の心は陰鬱なまでに疲弊していた。
デモに参加した数名は、警備隊に連行されたまま行方不明の状態が続いた。とりわけ勉強会を主宰していたジャーナリストの行方がわからないという噂は、多くの市民に衝撃を与える。
それまで彼の記事を熱心に読んでいた者たちは、恐る恐る書店や図書館を訪れるが、いつの間にか彼の著作や新聞記事が削除・破棄されていることに気づく。まるで最初から存在しなかったかのように跡形もなく、ただ彼に関する噂だけが人々の口に残る。
職人ギルドのメンバーが、ひそかにジャーナリストの家を訪れたとき、そこはすでに荒らされ、原稿などが散乱していたという。誰かが半ば泣きそうな声でつぶやいた。
「こんな形で消されてしまうのか……。革命のときは、あんなに勇気づけてくれた言葉を書いてくれた人なのに」
しかし、大声で悲嘆を口にすれば自分も危うい。彼らは後ろ髪を引かれながらその場を立ち去るしかなかった。
一方、逮捕を逃れて辛うじて潜伏している学生や商人たちも、今は動くことができずにいる。デモに加わった仲間がどこへ連れていかれたのか、どうすれば救出できるのか、何一つわからない。
そうした「行方不明者」の増加は、国全体に暗い影を落としていた。王政時代の秘密逮捕に通じる不気味さを感じ取る者も多く、「結局、新政府になっても同じか……」という厭世観を生む結果となる。
デモ鎮圧後のある日、ユリウスとレイナーは議会の一角にある応接室で顔を合わせていた。二人とも疲れ切った表情で、長机に肘をついて沈黙している。
しばらくして、先に口を開いたのはユリウスだった。
「……パルメリアは、本当にこのまま突き進むつもりなんだろうな。俺たちが何を言っても耳を貸さない。王政が戻ることを恐れるあまり、自分から『王』のような振る舞いに近づいている」
レイナーは苦い顔でうなずいた。
「僕も何度も説得を試みてるけど、聞く耳を持たない。『国を守るため』って言われれば、それ以上強く反論しづらい部分もある。実際、旧貴族派や反乱分子が存在するのは事実だから……」
ユリウスは机を見つめ、思案に沈む。かつて彼ら三人は、王政を打ち倒すために肩を並べて戦った仲間だ。お互いの命を預け合い、理想を追いかけたあの頃を思えば、今の対立はあまりにも辛い。
しかし現実には、パルメリアは「強権」に舵を切り、国内での武力行使を躊躇しなくなっている。このままだと、市民の不満や抵抗をさらに生むだけでなく、国際的にも危険な政権として認定されかねない。レイナーが低い声で言う。
「このまま自由を求める声が力で押さえ込まれていったら、本当に王政と変わらなくなる。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。……僕らはどうすればいい?」
ユリウスは答えに窮したまま黙り込む。少しでも強くパルメリアに物申せば、政権内部で「分裂」が起き、さらに混乱を招くだろう。いっそ自分が抵抗運動に回るか――そう頭をよぎるが、そのときの影響の大きさを考えると踏み出せない。
結局、二人とも言葉を失い、応接室の空気は重苦しさを増すばかりだった。
一方、パルメリアは執務室で報告書を整理していた。デモ鎮圧の詳細や逮捕者リストが並ぶその書類には、かつて自分が「革命の同志」として名を知っていた人々の名前すら含まれている。
胸の奥に痛みが走るたび、彼女は深呼吸をして自分を落ち着かせる。
(これ以上、国を混乱させるわけにはいかない。もし大規模な反乱でも起きれば、血で血を洗う戦いになるかもしれない。そうなれば、王政を倒した意味が失われてしまう……)
彼女は自らに言い聞かせるようにペンを握りしめる。次の逮捕者リストへの署名をためらう手が震えているが、歯を食いしばって抑え込んだ。
「仕方がない……。私は国を守るために、この椅子に座った。それを放棄することはできない。たとえそれが誰かを傷つける結果になろうとも、今は引くわけには……」
誰もいない執務室の静寂の中、その声はむなしく反響するだけだ。背後には護衛騎士たちが控えているが、彼らも黙して動かない。彼女に逆らうなどという選択肢は、もはやあり得ない状況なのである。
パルメリアの脳裏に浮かぶのは、きっとあの広場での混乱や、泣き崩れる市民の姿。深い後悔と憤り、そして「しかしここで止まれない」という焦燥感が混じり合い、もはやどちらが正義なのかすらわからなくなりつつあった。
デモの鎮圧によって、人々の心には決定的な傷が残った。革命によって勝ち取ったはずの自由が、いま目の前で力によって容易く踏みつけられた――その事実が、多くの市民を「もう抵抗しても無駄だ」という絶望へと追い込んでいく。
すでに町中の酒場や宿屋でも、政治や政府について語ることはタブーとなっていた。ちょっとした不満を漏らす者がいれば、隣席の客が密告するかもしれない――そんな疑念が常に付きまとい、陽気な笑い声や雑談を奪い去ってしまった。
「この国はもう、王政の時以上に息が詰まるよ」
小声でそう漏らした若者が、周囲から「黙れ」と制止される光景が増えた。こうした抑圧がさらに不満を蓄積させているにもかかわらず、誰もそれを正面からぶつけられない。デモ隊が武力で鎮圧された事実が、「声を上げればこうなる」という警告として深く刻まれたからだ。
だからといって、心の奥底の怒りや悲しみが消えてしまったわけではない。むしろ、表面上の静寂と裏腹に、様々なグループが地下に潜り、密かに再起を図ろうと動き出しているという噂もあった。
王政派の残党だけでなく、純粋に「もう一度自由を取り戻したい」という市民グループまでが、独自に連絡を取り合い始めているらしい。それは、パルメリアが最も恐れる「内乱」の火種かもしれないが、現時点ではまだ霧の中だ。
陽が沈み、夜の帳が下りると、首都の通りはひっそりと静まり返る。人々は早々に家へ戻り、戸を固く閉ざすようになった。今や夜に出歩くことはそれだけで危険とされ、警備隊の巡回も厳しさを増している。
そんな静寂の中、デモ参加者の一部はなお行方知れずのまま。彼らを知る者たちは胸を痛め、しかし何もできない自分に歯噛みし続けていた。
「あの子が逮捕されてから、もう何日も音沙汰がないんです……。どこに問い合わせればいいのかすら、わからなくて……」
嘆きの声を上げる母親を励ます人もおらず、周囲はただ目を伏せるだけ。かつてのように「おかしいことはおかしい」と堂々と言えない社会になってしまった以上、皆が自分を守ることで精一杯なのだ。
そうしてまた一日が終わり、新しい朝を迎えても、誰もが建前だけの平穏を保とうとする。王政を倒し、革命を成功させたパルメリアが築こうとしていたはずの「自由で平和な国」は、いつしか恐怖と沈黙に覆われている。
そして、その沈黙のさらに奥底には、押しつぶされた声や、消しきれない不満が澱のように積もり続けていた。力によって蓋をされているだけのこの不安定な均衡が、いつ、どのような形で破裂するのか――今はまだ誰にもわからない。
ただ一つだけ明らかなのは、「自由を求める声」がこの日のデモを境に、より深い地下へと潜ってしまったということ。公の場で語られる意見は、すっかり政府の方針を肯定するものか、あるいは完全な沈黙だけになりつつある。
かくして、「鎮圧された声」は人々の心に重くのしかかり、「あの王政を倒した後でさえ、結局は再び暴力によって黙らされるのか」という絶望感を増幅していく。パルメリアはそれでも「国を守るため」と自らを奮い立たせるが、理想とかけ離れたこの現実が、やがてさらなる動乱へとつながる予兆に満ちているのは疑いようがなかった。




