第61話 鎮圧された声①
国を覆う不穏な空気は、いつしか街角の誰もが感じ取れるほど濃くなっていた。王政が倒れ、新政府が樹立された当初こそ、人々は自由と希望に胸を膨らませていた。しかし、幾度となく大統領令が乱発され、「反乱分子」の排除が進むにつれ、街の通りには重苦しい影が落ち、かつての活気と笑顔は見る影もなくなりつつある。
そんな中、首都の一角では、まだ一握りの市民たちが「自分たちの声を届けよう」と密かに集い始めていた。その小さな動きが、やがて大きなうねりへと変わっていく――誰もが苦々しく感じながらも、どこかで期待している「デモ」という形をとって。
今回の動きの発端となったのは、あるジャーナリストの呼びかけだった。王政が崩壊した直後、彼は「民衆の自由な意見を新聞に載せよう」と意気込み、新政府の誕生を祝う記事をいくつも書いてきた人物である。しかし、この数か月の間に目の当たりにしたのは、国が新たな方向へと進むどころか、むしろ息苦しい強権支配へと向かっている現状だった。
「王政を倒すために私たちが流した血と汗は、いったい何のためだったのか」
その言葉が、彼の仲間たちの胸をかき乱した。旧貴族への厳しい取り締まりに始まり、次々に成立する大統領令は、その名の下で市民の言論さえ封じかねないところまで来ている。誰かが一度「今のやり方はおかしいのでは?」と口にすると、すぐに「反乱分子」として扱われる事例が増えた。
それでも、表立った抵抗が見られなかったのは、恐怖だけが理由ではない。多くの人々が「今、政府に逆らって大きな混乱を生むよりは、多少の不自由を受け入れたほうがまだマシだろう」と半ば諦めていたという事実も大きい。
だが、そうした中でも「このままでは本当に自由が奪われてしまう」と強い危機感を抱いた者たちが少数ながら存在した。彼らはもともと、職人ギルドのメンバーや、革命に協力した学生、市場で生計を立てる商人など、立場はバラバラである。しかし、ジャーナリストが開いた勉強会の場に集まり、夜な夜な熱のこもった議論を交わすうちに、「意見を表明することすら許されない現状はおかしい」という点で意見が一致したのだ。
「実際に声を上げなければ、誰にも届かない。今こそ、平和的な手段で政府に意見を伝えよう」
そう強く訴えたのは、壮年の商人だった。革命以前は王宮への納入を請け負い、重税に苦しんだ経験から王政打倒を支持してきたが、今は「新政府による物資の徴発や監視」に疑問を持つようになった。一部の行き過ぎた取り締まりによって、自分の取引相手が「反乱分子」の疑いをかけられ、一瞬にして商売が成り立たなくなったのを目の当たりにしたからだ。
彼の話に共感した職人ギルドのメンバー、そして学生のグループが次々と賛同する。彼らは武力を使うつもりはなく、むしろ「暴力ではない方法」で訴えることで、かつての革命で示したはずの「民衆の力」を再確認したいと考えていた。
「私たちの声が届くならば、まだ国は変われる。きっと大統領だって耳を傾けてくれるはずさ」
誰かがそう言ったとき、集まっていた人々の胸にはわずかに希望の灯がともった。王政崩壊から間もないころの熱気と興奮を思い出すように、彼らは「平和的デモを行おう」という行動計画を練り始める。
デモを計画するにあたり、参加者たちは夜のうちに密かに連絡を取り合った。以前ならば、広場で集まって堂々とミーティングを開くことも難しくなかったが、いまは「当局の目」があるため危険を伴う。
ジャーナリストが所有する小さな書斎で、彼らは夜遅くに集まり、ひそひそ声で最終的な打ち合わせを進めた。重い空気を散らすかのように、ランプの灯が揺れている。
「明日の昼、中心街を静かに行進し、可能ならば中央広場で意見表明の場を設けたい。乱暴な行為は一切しないし、プラカードを掲げる程度で十分だろう。『自由を守りたい』というメッセージを中心にして……」
中年の商人が地図を指し示しながら言うと、学生グループの代表らしき青年が神妙な顔でうなずいた。
「でも、もし警備隊が出てきたら? 下手に抵抗したら、それこそ『反乱分子』とみなされかねないし……」
その問いかけに、一瞬部屋の空気が張り詰める。実際、最近はわずかな抗議でも暴力で鎮圧される事態が起きているのを誰もが知っていた。
しかし、黙っていては何も変わらない。職人ギルドの初老の男が、厳しい表情で言葉を継ぐ。
「たしかに恐ろしいが、ここで声を上げなければ、今後はますます何も言えなくなるだろう。かつては王政に苦しめられた。それを倒した革命が、今ではまた新たな抑圧になっているなんて……こんな理不尽を受け入れてはいられないさ」
彼の言葉に、部屋にいた全員が静かにうなずいた。自分たちが望んだのは、人々が自由に意見を交わし合える国であるはず――その理想をあきらめるには、まだ早いと信じているのだ。
こうして彼らは翌日のデモ決行を確定し、解散の準備を進め始める。熱のこもった議論が終わったあと、部屋の外に出た青年の胸には、高揚感と同時に大きな不安が渦巻いていた。
(もしも本当に力づくで潰されたら……それでも俺たちは声を上げるんだ。いや、上げなきゃ何も変わらない!)
そう自分に言い聞かせ、夜道を駆けるようにして家へ帰る。手は冷えきって震えていたが、その奥にある決意は揺らがなかった。
翌日は珍しく晴天に恵まれ、街全体を暖かな陽光が包んでいた。朝早くから市場には人が集まり始め、いつも以上に警備隊の姿が目に付く。
この日は市の定例市であり、行商人たちが各地から首都へと品物を運んでくる日でもあった。そのにぎわいに紛れるようにして、デモの参加者たちは約束の時間に合わせ、徐々に中心街へと足を運ぶ。
最初はわずか十数名ほどが、控えめなプラカードを胸に抱えて行進を始めた。そこには「自由を守ろう」「私たちの声を聞いて」「暴力をやめて」といった手書きのスローガンが書かれている。デザインも派手ではなく、あくまで目立たない形で歩を進める程度だった。
しかし、その姿を遠巻きに見ていた通行人の中から、ある若い母親が恐る恐る近づいてきて、声をかける。
「あなたたち……政府に意見を言うんですか? こんな危険な時期に……」
デモの先頭を歩いていた壮年の商人が、微笑を浮かべてうなずいた。
「怖いけれど、黙っていたら何も変わらないと思うんです。平和的に訴えたいだけなんだ。良かったら、あなたも一緒にどうですか?」
母親は目を伏せ、しばらく悩むような表情を浮かべた末、小さく息をついてこう答えた。
「……わかりません。でも、私たちが声を上げないと、このまま子どもたちまで言いたいことを言えない世の中になってしまいそうで……」
そう言葉を濁しながらも、母親は列の最後尾に加わる。すると、それを見ていた近くの行商人や職人らしき者たちも、一人また一人と列に加わっていき、デモの規模は数十名からやがて百名近くまで膨らんだ。
「こんなにも集まってくれるとは……」
誰かが感嘆の声を上げる。プラカードこそ手にしていないものの、同じ思いを抱える市民が自然と足並みを揃え始めていたのだ。彼らの中には革命時にパルメリアを応援していた者も多い。「あのときの理想をもう一度取り戻すために」という思いが静かに行進を支えていた。
やがてデモの隊列は、首都の大通りを進んで要所となる広場へと向かった。そこは政治集会などがよく行われる場所だったが、非常事態宣言下の今、どのような反応が返ってくるかは不透明だった。
彼らが小旗やプラカードを掲げながら行進していると、道端に配置された警備隊がすぐに目を光らせる。中には隊列の前方をじっと睨みつけながら、交信機のようなものを手に何事かを報告している兵士も見受けられた。
「こちら警備隊第三中隊。対象は約五十名以上、さらに増加の可能性あり。鎮圧命令の確認を……どうぞ」
その声が、奇妙な静寂の中でかすかに響く。デモ参加者の中にはそのやりとりを耳にしてしまい、顔をこわばらせる者もいた。
ジャーナリストは冷や汗をかきながら、それでも足を止めず、周囲の人々に声をかける。
「大丈夫です、私たちはあくまで平和的に……。絶対に乱暴な行為はしない。警備隊だって、いきなり暴力を振るうことはない……きっとないはず……」
彼の声には自分にも言い聞かせるような不安がにじんでいた。しかし後戻りはできない。人々は互いに励まし合いながら、中心へと進む。




