第57話 非常事態宣言③
翌朝、まだ薄暗い空が広場を覆う中、非常事態宣言を読み上げる兵士たちの声が首都を包んでいた。「首都防衛」「武器の検問」「不審な動きの通報義務」――まるで戦時体制のようだという市民の声があちこちで聞こえる。
市場は半分ほど閑散としており、商人の荷車は検問で止められ、苛立ちと不安が交錯している。先日までなんとか息を吹き返しつつあった経済の芽も、これでまた後退するのではとささやかれていた。
「ここまでしなければ守れないのかしら……」
すれ違う婦人が、壁に張られた「非常事態宣言」の布告を読み、そうつぶやくと、周囲にいた数人が顔をこわばらせて沈黙する。誰も反論できない。それだけ空気が重い。
革命の熱狂が醒めきった今、人々は自分たちの暮らしがどれほど変わったかを冷静に判断し始めている。王政を打倒したはずが、強権が再び頭をもたげたようにも見える。
「やっぱり同じなのか……」
誰かがそんな小さなつぶやきを残して去っていくが、誰もそれを否定することはできない。
こうして非常事態宣言が発令された首都には、目に見えない緊張が漂い始めた。かつての革命仲間たちも、この動きを複雑な心境で見守っている。
レイナーは「他国の目」を考えて頭を抱え、ユリウスは「革命の理念から離れすぎだ」と苦々しさを隠せない。だが二人とも、「今ここで首都が混乱すれば国が滅びる」という危機感を共有しているため、正面からパルメリアを強く糾弾することは躊躇していた。
夜になり、パルメリアは執務室の明かりを消さずに残業を続ける。少し前の会議でも「強権を行使する前に、もっと穏やかな方策はないのか」という声があったが、ほとんどが具体案に欠けたもの。
そんな頭痛の種を抱えつつ、彼女は机に両肘をつき、瞳を閉じる。
「……嫌われても仕方ない。――でも、何もしなかったらもっと多くの命が失われるかもしれない。私は、この国を救うためにここにいるのだから」
その声は、震えるように小さい。だが、それを聞く者は誰もいない。
パルメリアはわずかにまぶたを伏せ、深く息を吸う。自分が一歩踏み違えれば、「ただの暴君」に堕ちてしまうかもしれないという不安がいつも頭をもたげる。
それでも、後戻りはできない。そもそも王政を倒すという途方もない行為を成し遂げたときから、彼女は「犠牲」や「苦渋の決断」と無縁ではいられない運命を背負ったのだ。
(前世の私がここにいたら、何て言うかしら? ……わからない。でも、もう迷う暇はないの)
執務室の窓には、雨粒が残ってかすかに反射している。夜の帳が街を包むなか、非常事態宣言により警備体制が強化された首都は静かに息を潜めているだろう。
けれど、その静寂は平和ではなく、ただ恐怖と制圧によってもたらされた一時のものかもしれない。
「もしこれで間違っていると言われても……私は今、国を滅ぼすわけにはいかないの。――そう、信じるしかないわ」
パルメリアは自分を励ますようにつぶやき、最後の書類に目を通す。朝が来れば、新たな検問の報告や警備隊の配置状況が上がってくるだろう。そして、そこには必ず「民衆の反発」が付いて回る。
だが、彼女が引き返すことはない。脳裏にはユリウスやレイナーの苦悩した顔がよぎるが、彼女は歯を食いしばって振り切る。
(私はこの世界に転生して、革命を勝ち取った。だからこそ、最後まで責任を負わなければいけない……!)
そうして机上の資料を閉じると、彼女は椅子に深く腰を下ろし、薄いランプの灯を見つめる。雨雲の下、非常事態が敷かれた首都で、これから何が起こるのか――。
胸を締めつける不安を必死に押さえ込みながら、彼女は「私はやるべきことをやるだけ」と自らに言い聞かせるのだ。
こうして「非常事態宣言」は発令された。王政を倒したばかりの国が、再び「強権」という名の力に頼る形になったと、民衆は疑念を抱き、仲間たちは困惑を隠せない。
しかし、パルメリアはあえて迷わない道を選んだ。国の崩壊を避けるためには、多少の批判を浴びても、まず首都を守る必要がある――それが彼女の揺るがぬ結論だったからだ。
その翌朝、検問所が立ち並ぶ首都の大通りでは、兵士たちが荷車や旅人を厳しく検査している。通りには苛立ちと怯えが混じり、人々は互いに視線を避けるように足早に通り過ぎていく。いつしか聞こえるのは、雨滴の落ちる音と、兵士が投げかける短い呼び声だけ。
ある若い母親が小さな子どもを抱きながら、検問を通るために長く並んでいる。子どもは寒さと恐怖で泣きそうな顔をしているが、母親は「静かに」と耳打ちし、周囲をうかがう――そうしなければならないほど、空気は張り詰めているのだ。
最初のうちは「秩序が保たれるなら……」と受け入れる市民もいる。しかし、自由を奪われる苦しみが長く続けば、いつ爆発してもおかしくない不満がふつふつと煮えたぎる。
レイナーとユリウスもそれを感じつつ、パルメリアへの言葉を失っている。もしここで抵抗すれば、内紛が起こり、国が四分五裂になるリスクが高いからだ。
この緊迫した「非常事態宣言」が、果たして国を守るための正しい選択なのか、それともさらなる混沌を呼ぶのか――誰にもわからない。
ただ、パルメリアは一歩も引かずに前進する。大統領府の執務室で、日夜問わず指揮を執り続ける彼女の姿は、悲壮感と使命感に満ちている。
「嫌われても構わない。――これしか道がないのなら、私は進むわ」
夜の闇が再び街を覆うころ、パルメリアは執務室の机で一人、そうつぶやいてペンを握り直す。
たとえ大勢からの批判や失望を浴びても、国が崩壊するよりはマシだと自らを説得しながら――非常事態宣言に続く具体的な対策命令にサインをしていく。
この行為が、「王政を倒した英雄」が「新たな圧政者」と見なされる第一歩になるのか、それとも真に国を護る一手となるのかは、まだ定かでない。
革命の光と希望が残るうちに、彼女はどう歩むのか――。
非常事態宣言によって強権の道へ踏み出したパルメリアの姿は、今や国民の疑念を背負い、周辺諸国の警戒を引き受ける覚悟を示している。
そして、重苦しい雨雲の下、彼女は「信じられるのは自分の決意だけだ」と固く心を定めるのだ。たとえ、その先に何が待ち受けていようと――。




