第6話 領民との対話②
その一言をきっかけに、周囲のささやきが「やってみるか」「どうせこのままじゃ収穫は増えないし」といった前向きな調子へと変わっていく。もちろん完全に疑念が晴れたわけではないが、パルメリアの真剣な様子が伝わったせいか、少なくとも「拒絶」から「検討しよう」という空気に変わり始めた。
「……最初に何をすればいいんだ? 排水路の整備となると、工具とか人手とか必要にならねえか?」
「輪作ってのは、どうやって作物を切り替えるのか。俺たちにできるのか?」
農民たちから具体的な質問が飛び出し始めると、パルメリアは自分なりに用意していた資料を見せたり、一部は「後日改めて詳細を説明するわ」と言って即答を控えたりする。彼女はそれだけでなく、「みなさんがどのようなやり方で畑を管理しているのか、教えてほしい」と逆に問いかける場面もあり、広場には活発なやりとりが生まれていった。
(よかった……。最初は冷ややかな目を向けられたけれど、話をしっかり聞いてくれた。これなら、やりようはあるはず)
パルメリアは胸の奥で小さく安堵の息をつきながら、さらに情熱を込めて語る。
「排水路の整備は村の皆さんと一緒に計画を立てたいと思います。闇雲にお金を出して終わりにしたくありません。長く効果が続くように、地形と天候に合わせた設計を考えましょう。そして輪作は……そうですね、この土地に合いそうな作物を選んで試験的に植えてみるのです。皆さんが苦労してきたことを、少しでも補える仕組みにしたいの」
そう話すパルメリアの表情は、もはや「高慢な貴族令嬢」のイメージとは遠い。むしろ、自分の言葉で必死に説得し、何とかこの村を救いたいという願いを感じさせるものだった。
やがて、先頭に立っていた村長が、初老の男と視線を交わしながら、ゆっくりと唇を動かす。
「…………わかった。試すだけ試してみるか。もちろん、不安もあるが、お嬢様がわざわざここまで来てくださって、本気だとおっしゃるのなら……やってみる価値はあるかもしれん」
最後の言葉に安堵を混ぜ込むように、村長はややぎこちなく微笑む。それが合図になったかのように、周囲の農民たちからもぽつりぽつりと肯定の声が聞こえる。
「本当に、こんな荒れ地が変わるとは思えんが……まあ、文句ばかり言ってても何も始まらんしな」
「少なくとも、今のままじゃどうにもならないし……少しでも良くなる可能性があるなら、賭けてみたい」
そうした言葉があちこちから挙がり、パルメリアは人知れずほっと胸をなで下ろした。彼女は深く一礼し、改めて明るい声で伝える。
「ありがとうございます。具体的な作業の進め方や、必要な道具や資材の手配については改めてお知らせします。私に協力してくださる方を募りますので、ぜひ皆さんの力を貸してください」
村人たちはそれぞれ神妙な面持ちでうなずきながら、「わかった」「じゃあ、後で詳しく聞かせてくれ」などと応じる。完全に疑念が払拭されたわけではなく、「本当に上手くいくのか」という不安は拭えないが、とりあえず次の段階へ進む合意が取れたようだった。
(よかった……初めての対話としては上々かもしれない)
その会話を離れた場所で見守っていたレイナー・ブラントが、一瞬視線を合わせたパルメリアに穏やかな笑みを投げかける。彼女はほんの小さくうなずき返すだけで、すぐに広場を抜け、人だかりから離れる。人々の視線がまだ彼女を追っていたが、彼女は平然とした表情を崩さない。
やや離れた場所まで歩いたところで、パルメリアは小さく息をついた。見守っていた侍女が「お疲れでございましょうか」とささやきかけるが、彼女は笑みさえ見せずに首を横に振る。
「大丈夫。それより、今度はもっと具体的な工程表を作らなきゃ。必要な資材も、ちゃんと確認しておく必要があるわ」
その声には、疲労よりも小さな達成感が混じっていた。自分が動かなければ誰も立ち上がらない――それを強く自覚するパルメリアにとって、今日の対話は改革を実現するための重要な一歩だった。
ほどなくして、彼女はわずかに離れた場所に立っていたレイナーに目を向ける。彼は足早に歩み寄り、かすかに声を潜めて言った。
「お疲れさま。うまく話せていたようだね。皆、少しずつだけど君の熱意を感じ取ってるんじゃないかな」
パルメリアは横顔を向けたまま、小さく肩をすくめる。
「どうかしら。皆、まだ完全に信用してはいないわ。それでも、やってみる価値はあると思ってくれたみたいで……私としては、それだけで十分」
レイナーは「ふっ」と笑みを浮かべ、再びうなずく。
「少なくとも今日の対話で、誰もが『貴族令嬢はただ遊んでいるだけではない』と知ったんじゃないかな。たとえ最初は疑いがあっても、行動を起こすことで状況は変わると思うよ」
パルメリアはその言葉に対し、あえて多くを返さなかった。心の奥底に、まだ何かを抱えながら、「私がやるしかない」と決めている強い意志を揺るがすわけにはいかないのだ。
こうして、パルメリアは村の農民たちへ直接説明を行い、改革案への協力を取り付けることに成功した。もっとも、それはほんの入り口に過ぎず、実際に輪作や排水路整備を始めれば新たな問題が次々と浮上するに違いない。財政面でも、大規模な施策に踏み切るには公爵家や家臣たちの協力を得る必要がある。
しかし、この一歩がなければ何も変わらなかっただろう。パルメリアは馬車に戻る前、改めて集まっている村人たちを見渡し、「次へ向けて準備をしておきます」と声をかける。村長がそれに応え、「ありがとうございます。……我々も話し合ってみます」と一同が短くおじぎをする様子に、彼女は密かな安堵を覚えた。
(ようやく、最初の種をまいたところね。ここから先は、もっと険しい道かもしれない。でも、私が一歩ずつ進めるしかない)
彼女はそう心の中でつぶやき、夕方に近づいた青空を見上げる。広場を抜け出す足取りはどこか軽く、先ほどまで感じていた緊張感が静かにほどけていくようだった。
少し離れた場所でそれを見守っていたレイナーは、かすかに目を細めて彼女の背中を見送る。パルメリアは彼に視線を向けることなく、馬車へ乗り込む合図を使用人に送った。
広場を後にする馬車の中、彼女は窓から流れる景色を眺めながら小さくつぶやく。
「生き抜くためにも、領地を守るためにも――この世界では私が行動しないといけない。それができるのは、他でもない私なのだから」
そうして馬車は緩やかに村の中心から遠ざかっていく。地面の凸凹に車輪が軋み、少々揺れるが、パルメリアの心は先ほどより落ち着いていた。疑念や不安、そして小さな達成感が入り混じっているが、自分が変わらなければ領地も変わらない――その強い自覚が、彼女を前へと進ませる。
こうして、パルメリアの「領民との対話」は始まった。かつてのゲーム上では高慢で冷酷な悪役令嬢と描かれることもあった彼女だが、今は現実の領民たちを目の当たりにし、破滅から逃れるだけでなく本気で彼らを救おうと決意している。
人々がまだ抱えている不信感やわだかまりは大きいが、それを少しずつ溶かし、「やってみよう」と思わせる温もりが、今日の集会では確かに芽生えた。歪な形でもいいから、ほんの少しだけ前へ進み出したのだ。
村の外れまで進んだ馬車は、夕方の光を背に揺られながら、次なる目的地へ向かって緩やかに進んでいく。車内ではパルメリアがメモにいくつか走り書きし、農民たちとのやり取りを振り返っている。細かな会話や村人の表情、それらを忘れないように記しておかなければ――そう思うと、自然に筆が進んだ。
(やってみなければ分からないけど、ここまで来た以上後戻りはできない。私がまいた「改革」の種は、まだ芽を出していない。でも、きっと育てれば花が咲くと信じてる)
そんな思いが胸に暖かく広がり、パルメリアは窓の外に広がる風景へ静かに視線を預けた。村からは既に遠ざかり、薄く土埃の舞う道が続いている。少し前までなら、この埃っぽさが嫌でたまらなかったかもしれないが、今の彼女はそれをすら懐かしく思い始めている。
そして、まだ日は完全に傾いていない。今日の対話でわずかに灯った小さな希望――農民の一部が「やってみるかもしれん」とつぶやいた場面が、瞼の裏に浮かんでくる。あの光景こそが、パルメリアの胸に小さく温もりを宿すのだ。何かがきっと変わる、と。
やがて、彼女は小さく微笑むようにしてメモを閉じた。そして、馬車の揺れとともに「次に何をすべきか」を思考する。あの村長と具体的なスケジュールを詰めること、一部の農具を確保すること、保守的な家臣の説得をどう進めるか……課題は尽きない。それでも、少しずつ前へ進める手応えを感じながら、パルメリアの馬車は夕陽の射す道をしっかりと進んでいく。
こうして、「領民との対話」は大きな一歩を踏み出した。まだ始まったばかりだが、人々が改革の種を受け入れてくれる可能性が見えてきたことは、何よりの収穫だろう。パルメリアは、走り続ける馬車の中で、改めて強い決意を胸に刻む。
――必ず、この領地を再生させる。そして、それはただの「悪役令嬢」という運命を脱するための道でもあるのだ。




