第6話 領民との対話①
パルメリア・コレットは、館での慣れない執務に追われながらも、数日後に再び村を訪れることを決意した。前回の視察で荒廃した様子を目の当たりにし、その後に領地改革の第一歩を家臣たちとの会議で承認にこぎつけた彼女だったが、次の課題は実際に領民へ改革案を説明し、協力を得ることだった。
公爵家の令嬢が自ら足を運び、農民たちに直接語りかけるなど、この世界ではきわめて異例の行動と言える。周囲の使用人や侍女たちも「お嬢様自らお出ましになるとは……」と戸惑いを隠せなかったが、パルメリアは意を曲げず、一行を率いて村の広場へ足を運んだ。
午後の日差しがやや傾きかけたころ、村の中心にある広場には十数人、あるいは数十人の村人が集まっていた。普段は人通りが限られ、まばらに行き交う姿しか見られない村だが、「公爵令嬢が直々に説明をする」という噂を聞きつけた者たちが、「何ごとか」と好奇の目を向けている。
彼らの多くは、生活に疲弊した表情をしており、誰もがあまり豊かではない簡素な服装だ。近づくパルメリアの姿に気づくと、一瞬ざわめきが生じ、視線とひそひそ声が交錯する。公爵令嬢の華やかな衣装を見て、どこか畏敬とも警戒とも取れない空気が広がっていく。
(思ったより大勢が集まってる……。大丈夫、ここで私が動かなければ、何も進まないんだから)
パルメリアは心の中でそう自分を励ましながら、侍女たちを下がらせて広場の真ん中へゆっくりと足を踏み入れた。少し離れた場所にはレイナー・ブラントも控えており、複雑そうな表情で彼女の様子を見守っている。幼馴染として手伝ってやりたい気持ちもあるのだろうが、当のパルメリアは自ら責任を引き受けるつもりで、わざわざ姿を見せに来たのだ。
しばらくすると、村長と思しき壮年の男性と数人の有力者らしき者たちが前に出てきた。明らかに緊張を浮かべた顔つきで、ひとまずパルメリアに一礼する。
「これは……公爵家のご令嬢が、またもやこのような場所までお越しくださるとは。わ、わざわざ恐れ多いことでございますな」
彼らの背後に控える村人たちのなかには、困惑や戸惑いを隠せない者が大勢いる。パルメリアは深く息をついて、視線をぐるりと広場全体に巡らせた。ここに集まった人々を前に、かつては経験のない「演説」をするような形になるのだと思うと、多少心臓が高鳴った。
(多くの人の前で話すのは得意じゃない。でも、あの会議で了承を得た以上、直接伝えなきゃ始まらない)
彼女は思考を巡らせると、まずは静かに一礼して、澄んだ声で話し始める。
「皆さん、こうしてお集まりいただき感謝します。今日は、私が提案する土地改良と農業改革について、直接ご説明したく参りました」
その一言が広場に響くと、最初はざわついていた周囲が次第に静まり返る。公爵令嬢がわざわざ村人たちを呼び集める――これ自体、前代未聞の出来事だ。普段は保守的で慎重な村人たちも、何ごとかと耳を傾け始める。
パルメリアは沈黙の視線を感じながら、呼吸を整えて続けた。
「先日の視察で、収穫がままならず、生活が困難を極めている現状を目の当たりにしました。そこで、皆さんにご協力いただきたいのです。まず、水はけの悪い土地を改善するために排水路の整備を行います。そして、輪作を導入することで土壌の疲弊を防ぎ、安定した収穫を目指したいと考えています。最初は、小さな区画で試験的に始める予定です」
それまで警戒気味に耳を傾けていた農民たちが、あちこちで顔を見合わせた。輪作という聞き慣れない言葉に戸惑いが混じっているのか、ざわめきが広がる。年配の男性が首を振りつつ、仲間と何か言葉を交わし、若い農夫は肩をすくめながらパルメリアを見つめ返している。
(やはり、いきなり難しい話をしても怪訝に思われるかも。でも、ここで引いたら終わりだわ)
パルメリアは毅然とした態度を崩さず、続けて言葉を紡ぐ。
「先日の会議で父や家臣たちの了承を得ましたので、段階的に改革を進めることを決めました。最初から大規模には行わず、成果を見ながら少しずつ広げていく方針です。そうすることで、皆さんへの混乱や負担を抑えられると考えています」
すると、村長が遠慮がちに一歩前に出て、小声で尋ねた。
「お嬢様……本当に、我々農民の声を聞いてくださるので? 今まで貴族様に意見を言う機会なんてなく、ただ命ぜられるままに従ってきたのですが」
パルメリアはその問いかけをきちんと受け止め、静かにうなずいた。
「だからこそ、私自らここに来てお話するのです。もし私が領地の状況を知らないまま、ただ命令するだけなら、皆さんの負担を知らないままになってしまう。それでは何も変わりませんし、いずれ領地全体が破綻する可能性もある。私も父上も、それは望んでいないのです」
この「貴族令嬢」らしからぬ言葉”に、周囲の農民たちがどよめく。普段であれば、貴族が一方的に命令や徴税を押し付けるという構図で終わることが多い。パルメリアのように「実際に足を運んで、意見を聞きたい」と表明するのは、きわめて珍しいケースなのだ。
それでも、長年の不信が一朝一夕に消えるわけではない。一部の農民たちは首をかしげ、冷ややかに観察している雰囲気を崩さない。少し離れたところに立っていた初老の男が、遠慮がちに手を挙げると、皆の視線がそちらに集中した。
「お言葉はありがたいが……お嬢様、私たちには本当に分からないのです。なぜそこまでしてくださるのか。もし領地を立て直せば、貴族様方がもっと潤うだけでは?」
その言葉に、一瞬広場の空気が張り詰める。別の村人たちからも、「それはそうだ」「どうせ貴族だけが得をするのかもしれん」といった低い声が聞こえてくる。パルメリアは予想していたとはいえ、軽い胸の痛みを感じながら、相手の目をしっかりと見つめた。
「……たしかに、領地が豊かになれば公爵家も利益を得ます。けれど、私が放っておけば、いずれここは荒れ果てて誰も得をしない状況になるでしょう。それは公爵家にとっても損失です。つまり、領民を見捨てれば私たちも破綻してしまう、そういう構図なのです」
はっきりした口調に、周囲の人々は意外そうな表情を見せる。一人の青年が「あんた、そこまで言うってことは、ほんとに……」とつぶやきかけ、しかし言葉を飲み込んだ。
パルメリアは一息置いて続ける。
「私が言いたいのは、ここを立て直すことは、皆さんのためであり、私自身のためでもある、ということ。領主と領民は、どちらかが欠けても成り立ちません。そのことをどうか理解してください」
張り詰めた空気のなか、今度は初老の男が思案深げに腕を組み、「……なるほどな」とぽつりと漏らした。周囲でも、ささやくように「確かに、今のままじゃ先行きが暗い」「試す価値はあるのかもしれん」といった声がこぼれ始める。
パルメリアは手元のメモを少し確認してから、もう一度視線を上げる。今まではただ遠巻きに見ていた農民たちも、次第に彼女の言葉へ意識を向けているようだ。彼女は輪作や排水路改善の具体的な利点について、できる限り分かりやすく説明することにした。
「資金だけ投じても解決にはならないと思います。たとえば、土に合わない作物を無理に育てても収穫は増えません。そこで、この村の土壌に適した作物をまず試してみる予定です。また、害虫が発生しやすい時期には予防策を講じるなど、皆さんの知恵もお借りしたいのです。私も教えていただきながら、一緒に最適な形を探りたい」
改めて言葉を重ねるその姿勢には、貴族の高慢さではなく「この土地を何とかしよう」という真剣な思いがにじんでいた。村人たちは最初こそ警戒していたが、次第に「お嬢様が、こんな土埃まみれの場所までわざわざ来て、言葉を尽くしてくれるなんて」という驚きや、好奇心を伴う表情へ変わりつつある。
すると、一人の若い女性が、幼い子どもを抱えたまま出し抜けに言葉を発した。
「……ほんとに、この子たちがちゃんとご飯を食べられるようになるんですか? 私たちは、それだけでいいんです。本当に信じていいのかどうか……」
その問いに、一瞬パルメリアは胸を締めつけられるような感覚を覚えた。農村の苦境を体感的に理解しているといっても、まだ不十分かもしれない。彼女はその女性の視線を真っ直ぐ受け止め、強い意志を込めて答える。
「もちろん、すぐに劇的な成果をお約束できるわけではありません。でも、何もしなければ状況は何ひとつ変わりませんよね。私が力を尽くしますから、どうか試してみることに協力していただきたいんです。少しでもいい方向へ向かうように」
女性は息を飲みながら、その言葉をかみしめるように口を結んだ。周りの人たちからも、低いながら肯定するような声が聞こえ始める。やがて、村長がのどを鳴らすようにして、まとめに入る。
「お嬢様の申し出を、どう受け止めるかは我々次第ですな……。確かに、いまのままでは破綻するだけだ。試す価値がないわけじゃない、かもしれん」




