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8・


 春先のこの時期、朝晩はまだ寒さが残る。なのに、今日は何だかぽかぽかと温かい。セリーヌは、微睡みながら不思議に思っていると、不意にカタリと何かを動かす音が聞こえた。驚いて、思わず目を開ける。


「あ、お目覚めですか? 番様。おはようございます。」


 セリーヌは、がばっと身を起こした。

 専属の侍女が付けられたという事実を、すっかり忘れていた。

 目をぱちぱちと瞬かせていると、侍女――ピトの、歌うように無邪気で明るい声が部屋中に響いた。


「お疲れは癒えましたか? 朝食はどのようなものがお好みでしょう。ピトはこう見えても、お料理が得意なんですよ~」


 その口ぶりから察するに、侯爵邸の料理長はセリーヌの分の朝食を用意してくれなかったのだろう。目覚めの時間がほんの少しでもズレると、食事にはありつけない。日の光の角度から察するに、少し寝坊してしまったようだ。ピトは、その事実をさりげなく伏せてくれた。


 改めて部屋の中を見回すと、心地よい朝の空気が満ちているのに気がついた。

 暗いはずの部屋なのに、窓から差し込む僅かな日の光さえ煌めいて見える――ひとりではない目覚めの安心感が、じんわりと心に広がった。

 

「……おはよう、ピト。ふふ、今日はなんだか、いつもよりすっきりしてるみたい。きっと、ピトがそばにいてくれたから、安心して眠れたのね」


 頬がほころぶ。

 ピトはセリーヌの言葉にほんのり頬を赤らめ、嬉しそうに目を輝かせた。そして、浮き浮きと楽しげに身支度を始める。


「番様、もし良ければ、今日はお買い物に参りませんか?」

「お買い物? でも……外出にはお義母様の許可が必要なの」


 セリーヌはピトに促されるままドレッサーの前に移動し、「許してくださるかしら?」と首を傾げた。すると、ピトは驚いたように大きく目を見開き、勢いよくセリーヌの肩を掴んだ。真剣な表情で口を開く。


「いいですか、番様。番様は、この地上で最強と謳われるお方の妻になられるのです。一介の侯爵夫人の言葉など、聞く必要はございません!」


 セリーヌは一瞬驚いたものの、ピトの言葉にはしっかりとした決意が込められており、どこか心強さを感じた。それでも、長年培った習慣のせいか、不安はまだ消えない。


「でも……まだ婚姻は済んでいないし……」


 小声で反論すると、ピトは即座に首を振り、揺るぎない声で続けた。


「良いのです。何かあれば、ロガン様のお名前を挙げてください」

 

 ロガンの名を聞き、セリーヌの鼓動がドキリと跳ねる。

 部屋の片隅には、ロガンに借りたマントが掛かっている。然程大きくはない部屋の中で、ひときわ存在感を放っていた。


 やっぱり――よくよく考えると、あのマントは恥ずかしいドレス姿から守ってくれたように思える。

 入場の時、ほんの一瞬だったけれど、きっと酷く怒らせてしまった。見るに堪えないとまで言わせてしまったのだ。バル・グラードの王にとっても、あの日は晴れの場だったはずだ。それを思うと、怒られても仕方がない。


 それにも関わらず、婚約式後の話し合いでは、ロガンがその怒りを引き摺っている様子はなかった。むしろ、セリーヌの意見を尋ねてくれた。


(……きっと、ロガン国王陛下は懐の広い方なのね。誠心誠意謝れば、許してもらえるかしら?)


 昨日見た精悍な横顔を思い出すと、頬が熱くなる。しかし、不安も同時に押し寄せてきて、セリーヌの心は大きく揺れ動いた。

 複雑な表情を浮かべていると、ピトが心配そうに声を掛けてきた。


「番様は、獣人の国へいらっしゃるのは、ご不安ですか?」

「え……」

「大丈夫です。正直に打ち明けてください」


 ピトは明るく微笑みながら、励ますように頷く。セリーヌは一瞬戸惑ったが、その笑顔に背中を押され、素直に話してみることにした。


「怖くない……と言えば、嘘になるわ。私が育ってきた場所とは全く異なる文化だし……。でも昨日、実際に国王陛下や使節の方々にお会いして、それにピトともこうしてお話することができて、ずっと耳にしていた噂とは違うのかもって思い始めたの」


 慌てて「失礼なことを言ってごめんなさい!」と付け加えると、ピトは笑って首を横に振った。その明るさに支えられ、セリーヌは心の中を整理しながら慎重に言葉を紡いでいく。


「私は……自分に自信が無いの。ルメローザでは、平民の血が入っていると言うだけで、貴族から敬遠されるのは知っているかしら? 先祖代々受け継いできた魔力が、弱まってしまうからよ。それに……私は不義の子。誰かを傷つけて、生まれてきた命なの」


 幼い頃から繰り返し言われた言葉は、いつの間にか心の奥深くまで染み込み、自分の『常識』となっていた。私は、存在そのものが恥ずかしい子。だから、身の程を知らなければいけない――と。けれど、ピトは悲しそうに顔を歪め、首を横に振った。

 

「それは……番様のせいではありません! 生まれた子に罪はありませんもの。それに、わたくし共は、貴族だ平民だなどと言うことは気にしません! バルではもともと、血縁による地位の継承は行っていませんから」

「うん、そうね。でも……それなら、私に出来ることは何かしら? 魔力が無いのならば、剣を使える? いいえ、使えないわ。なら、賢い頭脳を持っている? 全然なの。容姿が美しい? ――それは違う。美しさとは、内面からにじみ出るものでしょう? 私はどこまでも卑屈で、ドロドロと醜くて……美しさなんて程遠いわ」


 話し合いの席で、満足そうに笑ったジュリアンの顔が忘れられない。

 まるで、『お前に出来ることは何もない』と語っているようだった。

 悔しいけれど、それは事実だ。

 出生から能力に至るまで、誇れるものが何一つない。

 

「私は……何を持って、バル・グラードに向かえば良いのかわからないの。陛下の妻と言うことは、国母になると言うことでしょう? 侯爵令嬢という肩書さえも手に余ってしまっているのに……どうしたら良いのか、わからないの」

「番様……」

 

 両国の友好のため、それなりの身分を持ちながら、ルメローザが内心快くは思っていない獣人の国に難なく嫁に向かわせられる者――それが自分だということは、セリーヌにもよくわかっている。けれど、堂々と威厳にあふれるロガンを見て、どんな顔をしてその隣に立てば良いのか、余計にわからなくなってしまディナー

 セリーヌが膝の上で指先をもじもじと動かしていると、ピトは少し頭を捻り考えた後、元気よくその手を両手で握り締めた。


「よし、やっぱりお買い物に参りましょう!」

「え……?」

「わからないのなら、答えを知る者に尋ねれば良いのです。精一杯おめかしをして、婚約の件に関する仕立て人に直接疑問を呈しに参りましょう!」

「仕立て人?」


 誰のことを言っているのだろうと首を傾げると、ピトはニコリと歯を見せて笑った。


「ええ。仕立て人――バル・グラードの国王、ロガン・ドライゼン様です。今日の|ディナーは、ご婚約者様とのお食事デートと参りましょう」

「え……えええええ~!」


 セリーヌは、目を白黒させている内に朝餉から身支度から、ピトに全ての準備を整えられ、邸を後にした。


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

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