7・
ロガンは城の自室に戻り、蝋燭の灯りを手繰り寄せ、ベッドの下に隠していた箱から手紙の束を取り出した。雨露に濡れてしまったものもあり、古い手紙は紙の色が変わり始めている。
(国の体制を整えるのに必死で――俺は、彼女が一番温もりを必要としている時に、そばにいることすらできなかった……)
ベルヴェルデの街に流行病が蔓延し、多くの住民が亡くなったと知ったのは、セリーヌが十四歳になった頃だった。ロガンはいてもたってもいられず、ベルヴェルデの花屋へ向かった。しかし、そこは埃にまみれ、もぬけの殻になっていた。
最悪の事態が頭をよぎる。
――セリーヌも、もしかしたら……。
そんな考えが胸を締めつける中、ふとポストに目をやると、そこに手紙の束が詰まっているのを見つけた。
手紙を取り出して開けてみると、「C」という差出人からの『謎かけ』が書かれていた。それが、セリーヌのものであると、すぐに分かった。
一つ一つ手紙を読み進めるうちに――涙が止めどなく頬を伝った。
『謎かけ』しか書けない、何か事情があるのだろう。
彼女は、一体どんな気持ちでこれを書いてきたのだろう。
どれほど母を恋しがり、どれほど寂しい思いを抱えているのだろう。
彼女の想いが、痛いほど胸に響いてくるようだった。
それでもなお、手紙の内容は昔のまま――彼女の純真さが少しも失われていない。そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「もう少し、あと少しだけ耐えてくれ……」
そんな願いを込めて、ロガンはペンを取り、手紙を送り返した。『謎かけ』の答えは簡単だ。セリーヌの好きなものを思い浮かべれば、すぐに分かる。それでも、国を変えるための熾烈な戦いの中、周囲を見回してその答えを考えることが、ロガンにとっても唯一の癒しとなった。
恐らく、セリーヌはリリーに宛てて「親愛なるLへ」と綴ったのだろう。だが、ロガンの名もまた「L」の字で始まる。
(……『愛してる。君が恋しい』と書けたなら……どれほど良かっただろうか)
ロガンは手紙の束をそっと撫で、その感触を確かめるように目を閉じた。
◇◇◇
婚約式を終えた夜、セリーヌは部屋に戻ると、目を大きく瞬かせた。
「番様、お帰りなさいませ」
珍しいオレンジ色と黒色が美しく交じり合う髪を持つ小柄な女性が一人、メイド服を着て立っていた。セリーヌは、日中にロガンが言っていた言葉を思い出し、「あっ」と短く声を出した。
「セリーヌ・ラヴィ―ニュでございます。この度は、わたくしのような者のために、遠路はるばるお越しいただきまして、本当にありがとうございます。これからご一緒する中で至らぬ点があるかもしれませんが、どうか教えて頂ければ幸いで……」
「お、お待ちください! わたくしに頭を下げる必要はございません!」
セリーヌがカーテシーをすると、慌てた様子で女性が止めに入る。そして、彼女はまるで鳥が羽を広げ舞うように、片方の手でスカートの裾を可憐に摘まみ、膝を折った。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。わたくしは、鳥族のピトと申します。陛下より、番様の専属侍女として勤める誉を賜りました。わたくしの方こそ、どうか番様のお好みなどを教えて頂きたく存じます」
(うわぁ、素敵……)
異国の挨拶に、胸が震える。
七歳の頃から繰り返し、繰り返し学んできたカーテシー。
膝を震わせ、義母から頭にハンカチを投げられながら体得してきた。
それを披露して返ってきた幾つもの挨拶よりも――ピトの挨拶はどこまでも丁寧で、心が籠もっているように感じた。
ほっと息をついた途端、カクンと膝から力が抜けた。
傾いだ身体をピトが慌てて支えてくれる。その手の温もりに触れた瞬間、張り詰めていた緊張が溶け、自然と笑顔がこぼれた。
「――ありがとう、ピト、さん。どうか……よろしく、お願いします」
「ふふ、どうかピトと。気楽にお話しくださいませ」
その夜、セリーヌはピトの手厚いケアを受け、一日の疲れがどっと押し寄せすぐに熟睡した。
眠るセリーヌを見つめていると、ピトは不意に何者かの気配を感じ、暗い廊下に顔を出す。少し先に、月明かりの影に隠れるようにして、一人の男が立っているのを見つけた。
「――どなたか、そこにいらっしゃいますか?」
影に隠れていた男が、何食わぬ顔で姿を現した。
「……ああ、君がバル・グラードの王が言っていたセリーヌの侍女だね。僕は、ジュリアン・ラヴィ―ニュ。次期侯爵だ」
ジュリアンは甘い微笑みを浮かべた。普通の女性ならば、その声に心をときめかせていたかもしれない。しかし、ピトはその微笑みに一切動じることなく、にこやかな笑顔を彼に向けた。
「この先には、番様のお部屋しかないと記憶しております。どういったご用向きでしょうか?」
ジュリアンは、微笑みを僅かに歪ませた。ほんの一瞬だったが、その表情が鋭く冷たく変わり、ピトにはその怒りがはっきりと伝わった。しかし、ジュリアンはすぐに笑顔を取り戻し、言葉を続けた。
「婚約式を終えた妹に、挨拶をしたくてね」
「番様は、すでにお休みになられました。恐れ入りますが、またお時間を改めていただけますか?」
ジュリアンの動きがぴたりと止まり、空気が張り詰めた。微笑みはそのままだったが、その目には抑えきれない怒りが浮かんでいた。彼は無意識に拳を握りしめ、怒りを必死に抑えようとしたが、その動作はピトにすべて伝わっていた。
「……次期侯爵様は、ピトフーイという鳥をご存じですか?」
ジュリアンの目が鋭く光る。「ピトフーイ?」
「ええ、オレンジ色の愛らしい鳥です。毒を好んで食し、羽や皮膚に神経毒を蓄積します」
ジュリアンは一瞬、息を飲み、口元がわずかに引きつった。
その怒りがさらに深まり、声にも冷たさが混じる。
「……何が言いたい?」
ピトは微笑みを浮かべたまま、ジュリアンを見つめた。その目には一切の恐れはない。ジュリアンの怒りを知りながらも、平然と答えた。
「いえ――ただ、お見知りおきいただきたく存じました。鮮やかな色は、警告色なのだと。今後の友好のために」
数秒の沈黙が続いた後、ジュリアンは小さく息をつき、微笑みを作り直す。そしてゆっくりと背を向け、「覚えておこう」と一言告げ、廊下の奥へ歩き出した。
ピトは、じっとその背中を見送った。
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