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皇族姫  作者: 春香秋灯
教皇長の皇族姫-失格紋の皇族-
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皇位簒奪された元皇帝

 今日も、世界が平和でありますように、とわたくしは教会で祈りを捧げている。祈っているだけで、世界は平和になるわけではないけど、祈ることは大事だ。祈って、そして、心がければいい。そういう人が多くなればなるほど、聖域の穢れは取り払われ、自然の恵みが溢れるという。

「ううう、頭が、頭が割れるように痛い!!」

「もう、飲みすぎですよ、カイサル様」

「今日で最後、とついつい飲み過ぎた。今日から、禁酒だ!!」

「それでは、治癒はこれが最後ですよ」

「愛してるぞハズス!!」

「私もです」

 神聖な教会に、なんとも卑猥な会話が響き渡る。わたくしは祈りをやめて、ばっと振り返る。

 高貴なる教皇長の衣服を身にまとった、かなりいい年齢の男が、目隠しをした若者に支えられながら、教会のど真ん中を歩いてきた。

「リオネット、ただいまー」

「何が、ただいま、ですか!? 聖職者の中でも最高峰と呼ばれる教皇長が酒を飲んでの朝帰りだなんて!!」

「今日からは飲まないから、大丈夫だ」

「それ、何度目ですか!? 三日と経たずに、また、飲酒してますよね!! また、王都の教皇ズーム様に叱られますよ!!!」

「わかってる。だから、内緒だ。黙っててくれ、リオネット」

「バレバレですよ!!」

 そこに、王都の教皇ズーム様が登場です。

「なんでいるんだ!?」

「昨夜、お約束しましたよね。来週の教皇が集まる集会の議題を一緒に決めましょう、と」

「き、聞いてない」

「言いましたよ!! お迎えにも行きましたからね!!!」

 わたくしは、しっかりと、無罪を主張する。わたくしは、しっかりとズーム様の言葉を教皇長カイサル様に伝えました。絶対です。

 教会の中で一番偉い人といったら、教皇長カイサル様だ。だけど、一番、怖い人は、王都の教皇ズーム様である。どっちを怒らせてはいけないか、と聞かれたら、迷わずズーム様、とわたくしは答える。

 それは、カイサル様も同じだ。カイサル様は、目隠しした若者の後ろに逃げる。

「ズーム、カイサル様を責めるな。カイサル様にも、息抜きが必要だ」

「貴様が甘やかすから、こんなダメ教皇長になるんだろうが!!」

「いいではないか、ダメで。頼ってもらえる」

 ズーム様は目隠しした若者を注意しているというのに、この若者はカイサル様がダメなのを喜んでいる。

 ズーム様は怒りで全身を真っ赤にして、震える。わたくしはそれを見て、両手で両耳を塞いだ。

 こう、言葉ではない叫びをあげるズーム様。ごめんなさい、何を言っているのかわからないわ。わかることといったら、激しく怒っている、ということだわ。

 そして、ズーム様はどこか切れたように、バタンと倒れた。

「ズーム様!?」

「お、おいおいおいおい!!!」

 わたくしだけでなく、カイサル様もズーム様に駆け寄った。

 口から泡を吐き出して意識を失うズーム様。

「息、してる?」

「しています。部屋に運びましょう。ハズス様、手伝ってください」

 わたくしでは運ぶのは無理そうなので、わたくしは目隠しした若者ハスズ様に頼む。

「え、いやだ」

 なのに、ハズス様が拒否する。

「どうして!?」

「服が汚れそうだから」

「人命救助ですよ!!」

「そういうのには、興味がない」

 頭を何かで殴られたような衝撃である。目の前に人が倒れているというのに、ハスズ様、慈悲の心を示してくれない。教皇長カイサル様がべろんべろんになっていると、喜んで肩かしたり、お金貢いだり、と色々やるのに!?

「ほら、こっちは俺が持とう」

 諸悪の根源であるカイサル様がズーム様の片側を持ってくれた。まあ、この人が原因だから、やるのは当然です。

「カイサル様、穢れます」

「ちょっと、酷い言い方ですね!? 穢れるって、ズーム様の存在を聖域の穢れみたいに言わないでください!!」

「カイサル様を除く全ての人類は穢れのようなものだ」

「筆頭魔法使いがそういうこと言わないでください!!」

 この若者は、妖精憑きや魔法使いの最高峰である筆頭魔法使いハズス様だ。この人がいうと、そうなのかもね、なんて信じられちゃうから、注意しないといけない。

 そうして、教会で大騒ぎをしていると、神官やシスターがやってきて、ズーム様を運ぶのを手伝ってくれた。


 王都の教皇ズーム様はしばらく安静となった。



 わたくしは、ズーム様の様子を伺いながら、教皇長の執務室に行く。そこには、教皇長カイサル様と筆頭魔法使いハズス様がいた。ハズス様は甘えるように、椅子に座るカイサル様の背中から抱きついている。

「もう、ハズス様は、さっさと城にお戻りください。あなたは筆頭魔法使いなのですから、城でお仕事でしょう」

 わたくしは今日の仕事である書類の束を教皇長カイサル様の前に叩きつけていう。

「私の皇帝はカイサル様ただ一人」

「皇位簒奪されちゃったんですから、カイサル様はもう、皇帝ではありません」

「だが、今の皇帝も、皇族どもも、カイサル様を殺すことすら出来ない。私も、帝国中の妖精憑き全て、それを許さないからな」

 怪しい笑みを浮かべていうハズス様。

 筆頭魔法使いハズス様は千年に一度生まれるという最強の妖精憑きだ。才能の化け物である最強の妖精憑きは、人を狂わせる美貌の持ち主である。そのため、常に顔の半分、両目を目隠しして、美貌を隠している。才能がありすぎる妖精憑きは、長寿である。見た目は若いが、これでも、百年は軽く生きているという。

 筆頭魔法使いは、儀式により、背中に皇族に絶対服従の契約紋を焼き鏝で焼き付けられてしまう。だから、ハズス様は皇族、皇帝には絶対服従である。

 教皇長は基本、皇族が行うこととなっている。教皇長は皇族にとっての閑職である。カイサル様は皇族でありながら、城の外に追い出されたのだ。そのような方を慕って、ハズス様はカイサル様の傍に来くるのだ。

 ハズス様は、カイサル様の手をとる。その手は、よくよく見ると、作り物だ。

「さあ、カイサル様、お仕事の時間ですよ」

 ハズス様はカイサル様の作り物の手に口付けする。途端、その手は作り物でなくなる。

「いつもすまないな、ハズス」

「愛するカイサル様のためならば、この義体の両腕に力を注ぐことなど、些事ですよ」

「お陰で、酒が飲める」

「仕事!!」

 わたくしは先にやるべきことを告げる。お酒のために、その義体の両腕があるわけではないですよ!!

 そうして、やっと、カイサル様は仕事を始めるのだ。

 元皇帝であるカイサル様、筆頭魔法使いハズス様が皇帝に選ぶだけあって、仕事は出来る。義体の両腕は、本当は必要がない。承認もサインも指示して、やらせればいいのだ。そのために、わたくしが教皇長の側仕えとなったのだ。

 それなのに、元皇帝カイサル様は、魔法で動く義体の両腕を使って、承認もサインもする。わたくし、本当はいらない。

 数度、そのことは王都の教皇ズーム様にも訴えた。だけど、重要案件ではない、と後回しにされ続けている。

 わたくしは、教皇長カイサル様の仕事ぶりを見る。相当、出来る人なのだ。書類を軽くめくるように見て、それだけで、全ての書類を把握してしまえるのだ。そして、数分で書類の処理は終了だ。

「確認してくれ」

「はい」

 そして、ここからがわたくしの苦行である。教皇長カイサル様の処理が問題あるかないかをわたくしが確認するのだ。その時間は、ものすごく長い。

「カイサル様、お茶です」

「ハズス、城はいいのか? 皇帝が煩いだろう」

「勝手に騒いでいればいいですよ。契約紋通りの仕事はしています」

「皇帝の儀式、進んだか?」

「あの程度の血筋で、私をひれ伏せるわけがありません。カイサル様との皇帝の儀式が懐かしい。今夜、どうですか?」

「もう、年寄りだから、勘弁してくれ」

「若返らせてあげますよ」

「よし、それで、今日も酒を飲もう!!」

 集中が、集中が!!

 ちょっと見てみれば、筆頭魔法使いハズス様がカイサル様にべったりくっついて甘えている。仕事している間は距離をとっていたけど、終われば、すぐにこれよ!! もう、ここは風紀が乱れまくりです。

 そうしていると、外から物々しい足音が近づいてくる。また、厄介事が!!

「ハズス、貴様、またここにいるのか!?」

 わたくしは慌てて跪く。相手は皇帝シズム様だ。ただのシスターであるわたくしは頭を上げていていい相手ではない。

 それは、教皇長カイサル様だってそうなのだが、椅子に座ったままである。

「私はしっかり、仕事をしているぞ、シズム」

「様をつけろ! 様を!!」

「私が敬称をつけるのは、カイサル様のみだ。あのような卑怯な手段で皇位簒奪を成功させた貴様など、皇帝とは認めない」

「どのような方法であろうとも、成功し、この通り、その男は両腕を斬り落とした。皇位簒奪成功者は次の皇帝であることは、鉄則だ」

 皇帝シズム様は叫ぶ。

 そう、カイサル様の両腕が義体なのは、皇位簒奪されたからだ。皇位簒奪された場合、ほとんどは殺されて終わりだ。だけど、カイサル様はどうしても殺せなかった。

「私の皇帝の両腕を斬り落とした貴様を許さない」

 筆頭魔法使いハズス様がそれを許さなかったからだ。両腕を斬り落としたことすら許していないハズス様は、いまだに、シズム様のことを皇帝とは認めていない。

「ハズス、カイサルの魔法を解け」

「っ!?」

 シズム様の命令に、ハズス様はギリギリと歯ぎしりをする。シズム様の命令には、筆頭魔法使いは逆らえない。

 途端、カイサル様の両腕の義体が動かなくなる。机の上で、ただ置かれるままの義体の両腕。

 それを見て、シズム様は嘲笑う。

「無様だな、カイサル」

「ほら、ハズス、手伝ってやれ。シズムは皇帝の仕事が難しくて出来ないんだって」

「言ってない!?」

「あんな卑怯な方法で皇位簒奪しておいて、無能だとはな」

「出来るぞ!! バカにするな!?」

「もう、俺の仕事は確認作業だ。ハズス、手伝ってやれ」

「仕方ありませんね。カイサル様のご命令は絶対です」

「俺は出来る男だ!?」

 ハズス様は、叫ぶシズム様の背中を押して、仲良く教皇長の執務室から出ていった。

 わたくしはしばらくは跪いたままで、耳をすます。騒がしい足音はどんどんと離れていくのを確認してから、姿勢を崩した。

「もう、辞めたい!!!」

「がんばれー」

 辞めさせてもらえない。




 今から十年前、皇帝カイサル様は皇位簒奪された。その方法は、稀に見る卑怯さだったという。

 皇帝カイサル様は筆頭魔法使いハズス様に育てられた皇族。生まれた頃から、皇帝となることをハズス様に予言された。カイサル様は皇族教育、体術、剣術、全てを受けた、完璧な皇帝だった。完璧な皇帝は、完璧な政治をし、完璧な治世だったという。

 そんな完璧な治世が続いたのは、悪名高き妖精憑きハルトの生死が不明であったからだ。妖精憑きハルトが筆頭魔法使いであった頃、敵国はハルトの蹂躙を受け、敗戦国となった。帝国側は、領地はいらないし、戦争なんてしたくないので、敗戦国である敵国相手に、停戦協定を結んだ。その期間は妖精憑きハルトの存命中、とされた。

 敵国は、妖精憑きハルトが当時百五十才であることを告げられても信じなかった。見た目は、恐ろしく美しく、若い男だったという。その見た目に敵国は、とりあえず、百年経てばいいだろう、と考えた。そして、停戦協定から百年後、戦争の開戦宣言である。もちろん、帝国側は、ハルトは存命中だと訴えた。ハルト自身も表に出したのだ。しかし、人は百年なんて生きない。敵国には、ハルトの容姿を確認できる者はいない。唯一残っていたのは、ハルトの肖像画だという。それを持ってすらも、敵国は認めなかったのだ。きっと、ハルトの子孫か何かだろう、と思ったのだ。そうして、敵国は開戦してみれば、即、撤退となった。

 停戦協定は、神の契約を元にされたものだ。契約違反には、天罰が下る。この天罰、敗戦国であった敵国のみが受ける契約となっていた。

 開戦したとたん、敵国側の兵士や騎士たちが原因不明の高熱にみまわれ、バタバタと倒れたのだ。敵国側の領土でも、同じような事が起きた。開戦して一か月で、敵国側は、国民の半数を原因不明の病気で死んだという。とても、戦争どころではなくなった。

 敵国で起こってしまった天罰に、筆頭魔法使いハルトはいう。

「力のある妖精憑きは、百年なんて軽く生きる。私はこう見えても、二百年以上生きている。まだまだ生きるぞ」

 人を狂わす美貌は、敵国にとっては、恐ろしいものに映ったのだろう。結果、敵国は静観するしかなかった。国民の半数を失い、さらに、実りも得られなくなってしまい、と散々だったという。

 こうして、戦争のない日々が続いたのだが、それは、帝国側を堕落させてしまう。戦争は、人にとって、良い息抜きだったのだろう。戦争がなくなれば、今度は内乱である。政治が乱れ、内乱が起こった。それもまた、妖精憑きハルトが起こしたようなものだ。あの美貌で人を狂わせたのだ。

 妖精憑きハルトのせいで、政治が乱れ、貴重な本も焚書され、と大変なこととなった。それも、皇族マリィによっておさめられたが、後の祭りだ。残ったのは、使い方もわからなくなってしまった魔法具や魔道具、乱れた政治、乱れた教育だ。唯一乱れなかったのは、皮肉にも、筆頭魔法使いだけである。

 妖精憑きハルトは元は筆頭魔法使いだ。彼は、立派な筆頭魔法使いを育てあげ、ただの妖精憑きとなった。世を乱した妖精憑きでありながら、ハルトは筆頭魔法使いには立派な教育をしたのだ。そのお陰で、政治も教育も健全化されたのだ。

 だけど、妖精憑きハルトの存命はいまだにはっきりしないので、戦争は起こらない。なぜなら、妖精憑きハルトは、皇族マリィが血の粛清をしてすぐ、帝国からいなくなってしまったからだ。世を乱した妖精憑きハルトを処刑しよう、と人々は動いた。一目見ると人を狂わせる美貌のハルトを隠すのは不可能である。それでも、いまだに見つかっていない。懸賞金もかけられているが、妖精憑きハルトは、消息不明である。

 戦争は、帝国にとっては、ある意味、息抜きだ。いつまでも戦争が起こらないと、また、帝国内で何か起こるものだ。

 それが、皇位簒奪だ。

 皇帝カイサル様は良い皇帝であった。だけど、もっと良い治世が出来るだろう、なんて考える者は出てくる。そうして、皇帝カイサル様は、皇位簒奪されたのだ。

 そのやり方は、卑怯極まりなかった。

 皇帝カイサル様には子がいた。その中の一人、リサ様を人質に、皇族シズム様はカイサル様を脅したのだ。皇位を譲れと。

 結果、カイサル様は皇位をシズム様に譲った。

 ここで、皇族貴族の間で言い争いが起こった。これは、皇位の譲渡であって、皇位簒奪ではない、と。

 皇位簒奪は、過去の歴史から見れば、血で血を洗う戦いである。皇族同士で戦い、勝ち残った者こそが皇帝だ。帝国は弱肉強食である。勝者こそ正義なのだ。

 しかし、皇族シズム様はカイサル様の娘リサ様を人質に、皇位の譲渡を要求しただけである。戦っていない。こうなると、皇位簒奪にはならないのだ。

 皇位簒奪ではなく、譲位ということに、筆頭魔法使いハズス様がシズム様を皇帝とは認めなかった。それはそうだ。ハズス様は生まれたばかりのカイサル様を皇帝とするために、わざわざ育てたのだ。それを卑怯な手段で奪った皇帝位を名乗られ、帝国最強の妖精憑きであるハズス様が納得するはずがない。

 皇族シズム様は、考えた。カイサル様が生きていることこそ間違いだ、と。そして、カイサル様を処刑しようとした。

 今度は、筆頭魔法使いだけではなく、帝国全土にいる妖精憑きが反乱を起こした。皇族カイサル様を処刑するのなら、帝国を滅ぼす、と。

 筆頭魔法使いだけならば、契約紋で抑え込むことが出来る。しかし、契約紋は筆頭魔法使いにだけされるもの。それをのぞく妖精憑きは、何もされていないので、皇族では抑えられないのだ。皇族シズム様は、筆頭魔法使いに命じることは出来るのだが、その力は弱かった。筆頭魔法使いに帝国中にいる妖精憑きの支配までは命じれなかった。だから、カイサル様を処刑出来なかった。

 どうしても、筆頭魔法使いハズス様を納得させなければならない。その解決策を誰に相談したのかは不明だが、皇族シズム様は、皇族カイサル様の両腕を斬り落とすことで、皇位簒奪をしたことにしたのだ。

 皇族カイサル様は、ただ、両腕を斬りおとされたが、それでも、筆頭魔法使いハズス様はカイサル様を慕った。両腕を失ったカイサル様に、失われた技術で義体の両腕を与えた。本来ならば、義体の両腕は、カイサル様の意思で動くはずだった。しかし、そうするための知識も、本も失われてしまった。出来ることは、魔法使いが定期的にカイサル様の腕に魔法をかけて、動かせるようにすることだった。

 そうして、カイサル様は妖精憑きによって生きながらえられたのだが、そのまま城に置いておくわけにもいかず、閑職である教皇長に追いやられたのだ。





 わたくしは、シスター見習いの頃から、カイサル様の側仕えとされ、毎日、休みなくお仕えさせられている。

 筆頭魔法使いハズス様がいれば、わたくしなんていらない。しかし、今みたいに、ハズス様が皇族の命令で、カイサル様の魔法を解かれてしまうと、誰かが世話をしないといけないのだ。

「カイサル様、教えていただきたいのですが」

 ハズス様がいなくなれば、確認作業にも集中できます。わからない所があるので、わたくしはカイサル様に質問する。

 両腕が使えないことは、なかなか不便そうです。体だけを動かして、わたくしが見せる書類にカイサル様は目をむけます。

「ああ、それか。皇族の仕事だな。これはだな」

 カイサル様は、皇位簒奪された上、本来ならば、皇族ですらないのに、皇族の仕事が回されていた。本来であれば、わたくしのような、ただのシスターが見てよいものではないのだけど、カイサル様は、それも勉強になるだろう、と見せてくれる。

 真面目にしていれば、カイサル様は本当に優秀な方だ。教会でのミサだって、カイサル様が行うとわかると、教会中が人にあふれかえってしまうほど、人気だ。不真面目な姿を帝国民の前にさらしているというのに、話すと、不思議と人を惹きつけるのだ。

 こうやって、カイサル様が話しているのを聞いているだけで、わたくしだって聞きほれてしまう。声がいいのよね、声が。

 シスター見習いだった頃は、本当に、この確認作業は、カイサル様に質問ばかりだったけど、今では、よほどのことがない限り、質問も出ない。それどころか、短時間で仕事をさばいてしまうカイサル様に、わたくしは必要ないのではないか、なんて後ろ向きなことを考えてしまう。

 もうすぐ、カイサル様の側仕えとなって十年になる。わたくしも、もう、良いお年頃です。聖職者といえども、結婚だってする。

 カイサル様は、孫までいる年頃の方とはいえ、子作りが出来る人だ。万が一、ということはないけど、疑われてしまうのだ。

 わたくしは、終わった書類を抱えて、部屋を出ようとすると、ドアをノックされた。教皇長の執務室に来るのは、筆頭魔法使いか、王都の教皇ズーム様くらいです。

 何の疑問もなく、わたくしは側仕えとしてドアを開ける。外には、豪奢な服を着た女性が立っていた。

「お久しぶりです、お父様。お元気でしょうか」

 嫣然と微笑む彼女は、カイサル様の娘リズ様。カイサル様が皇帝位を退くきっかけとなった皇族です。

 リズ様は、わたくしをいぶかし気に見る。普段から、城の奥深くで過ごす皇族にとって、わたくしなど、不審な何かだ。

「あら、お父様ったら、新しい女性ですか。相変わらず、お盛んですのね」

 そっちの方面で見られちゃいました!! リズ様は、わたくしをカイサル様の愛妾か何かと見ているようだ。それなりに会っているけど、覚えられていないのか、わざとか。

「こらこら、俺にも選ぶ権利はある」

 わたくしにだってあります!! 叫んで言ってやりたいけど、我慢した。カイサル様ったら、笑顔で言ってくださって、後で足で踏んずけてやろう。

 相手は皇族。ただのシスターであるわたくしは口だって開けない。黙って、笑顔で聞き流すことがマナーだと、王都の教皇ズーム様から教わりました。頑張ります。

 リズ様は誰の許可もなく、ソファに座る。すかさず、わたくしは給仕である。お茶とじみーなお菓子です。リズ様、見るからに安いでしょ、というそれに手もつけない。教会は、過去、やらかしているから、お金がないの!!

 カイサル様は、両腕の魔法が解かれているので、わたくしの介助で、リズ様の向かいに座った。

「無様ですわね、お父様」

「お前も、見る目がないな。あんなのと結婚するなんてな」

「お陰様で、皇妃です。帝国で一番、偉い女ですよ」

「評判は最悪だがな」

「かまいません。シズムの妻であることが、重要なのです」

 皇位簒奪を成功させるために、皇族リズ様は、皇族シズム様の人質となった。しかし、それは、嘘だった。

 リズ様は、愛するシズム様の皇位簒奪を成功させるために、人質のふりをしたのだ。泣いて助けを求めた、という話だから、相当な演技力だったのだろう。

 実の娘の裏切りで、皇位簒奪されたあげく、両腕を斬りおとされた父親は、どう思っているのやら。目の前に裏切者の娘がいるというのに、カイサル様は平然としている。

「何の用だ? ハズスのことなら、無駄だぞ。俺のいうことなんて聞きゃしない」

「それでいいのです。あの男がシズムの側にくっついているなんて、怒りしかありませんから。むしろ、これからも、ハズスをよくわからないお父様の魅力で縛り付けてください」

「そんな、ハズスのことを嫌うな」

「お父様がハズスにとられて、お母様は狂ったのですよ。あの男は、害悪です。殺せるものなら、殺してやりたい」

「優秀な魔法使いだ。皇族も皇帝も、ハズスの言いなりだ。間違えてはいけない。ああいう千年に一人生まれる化け物は、上手に操作することこそ、皇帝、皇族の役目だ」

「そうして、やらなくてもいい皇帝の儀式をハズスにせがまれるままにしていたのですよね。汚らわしい」

「こらこら、シスターの前で、そんな世俗の話をするな」

 本当に。カイサル様の側仕えとなってから、随分と、皇族の裏事情に詳しくなってしまった。

 皇帝の儀式とは、皇帝が筆頭魔法使いに閨事を強要する儀式だ。筆頭魔法使い、というか、魔法使いは男しかなれない。昔は女もなっていたのだが、女の筆頭魔法使いは、この閨事の強要で気が狂ってしまい、皇帝を殺して自殺する、なんて凶事を起こしてから、魔法使いは男のみの職業となった。男だから閨事の強要が大丈夫なわけではないが、男同士なので、子供も出来ないし、いろいろと割り切れるという。だけど、皇帝が筆頭魔法使いに閨事を強要出来るか出来ないかで、皇帝の立場は変わってくるとか。

 カイサル様、皇帝であった頃、ハズス様とかなりの回数の皇帝の儀式をこなしたという。しかも、強要ではなく、ハズス様にねだられてだ。やだ、わたくしも、随分と世俗にけがれてしまいましたわ。

 お陰で、鉄壁の笑顔を身に着けました。もう、笑うしかない。どこまでも笑っていればいいのよ。それで、私室に戻って、叫んでやる。

「それで、今日は何の用だ? こう見えても、大変なんだよ。王都の教皇がまた、倒れたから」

「聞きましたよ。また、約束をすっぽかしたそうですね。お父様のせいです」

 そうです、この男のせいで、王都の教皇ズーム様は倒れました。

「孫までいる年寄なんだぞ。忘れる」

「………」

 リズ様は黙り込む。カイサル様は、遠まわしに嫌味を言ったのだ。

 リズ様、いまだに子がいないのだ。十年前の皇位簒奪劇からすぐ、シズム様と結婚したにもかかわらず、いまだに子がいない。

 カイサル様には他に子がいる。リズ様を除くカイサル様の子は全て、立派な孫をカイサル様に見せに来ている。だけど、リズ様だけは、子が出来ない。

 リズ様にとって、最大の汚点である。兄弟姉妹に子がいなければ、何とでも言える。しかし、リズ様だけである。

 皇帝は子を作ることも役目である。シズム様には側室だっている。だけど、側室からも子が出来ないのだ。

 だから、影で言われるのだ。あのような卑怯な皇位簒奪をしたから、皇族の大事なお勤めが出来ないのだ、と。

 綺麗な顔を怒りでゆがませるリズ様。だけど、子が出来ないことを叫ぶことはない。リズ様は、実は、ものすごく賢い方だ。カイサル様の挑発には乗らない。

「もうすぐ、十年に一度の舞踏会です。その場で、お父様がしっかりと皇族でなくなった事実を公表することとなりました」

「とうとうか。貴族の前で、俺を晒しものにするのか。実の父親にそこまでやるとはな」

「皇族に、皇帝に、親も子もありません。そう、教えたのは、お父様ではありませんか」

「だが、その教えを俺が破ったお陰で、お前は生きてる」

「シズムがわたくしを殺すはずがありません」

「あの時、俺が見捨てていれば、結果は違っていただろうな」

「シズムはわたくしを愛しています。わたくしを見捨てません」

 自信満々に言い切るリズ様。シズム様のことを信頼しているのだ。

 対して、カイサル様は、シズム様のことを疑っている様子だ。皇位簒奪劇で、カイサル様は娘のために皇帝位を譲った。そこは、人として納得できる。

 だけど、リズ様のことを否定は出来ない。わたくしは、リズ様が育った環境を知らない。話の端々で、リズ様は父であるカイサル様のことを随分と嫌っている。かといって、カイサル様は子や孫を愛しているかというと、そうは見えない。

 それ以前に、幼い頃から教会に身を寄せるようにして育ったわたくしには、家族というものがわからなかった。

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