新しい男爵
わたくしは今日も、試されている。
一見すると、無害な男に見えるハイムントだけど、実は、男女を問わず狂わす美貌の持ち主だと知ってしまった。
子爵家はなくなり、新しい領主となった男爵家が邸宅の持ち主となった。本来ならば、わたくしは出ていかなければならないのだけど、まだ皇族の水はあわないだろう、という賢者ハガルの判断により、様々な思い出がある元子爵邸で皇族教育を受けることとなった。
ハイムントがただの平民であった頃は、ベッドがある私室で普通に皇族教育を受けてはいたのだけど、ハイムントが貴族となると、さすがにわたくしも警戒心を持った。
現在、皇族教育は、元は子爵の執務室で受けている。ついでに、新しい領主となったハイムントの領主としての仕事をわたくしが教えることとなっている。
が、この男、皇帝ライオネルが認めるほどの優秀さだ。わたくしが一日がかりでさばく仕事をものの数分で終わらせてしまう。
「過去の資料を確認しなくて良いのですか?」
「頭に入っている」
執務室には、これまで、集められた過去の資料が本棚に並べられている。代々の子爵は真面目だった。お陰で、普通の領地経営が出来る程度の資料が残っていた。それのお陰で、わたくしは時間がかけて行ったのだ。
それなのに、ハイムントは長年かけて作られた資料はすでに読破し、確認作業も必要がないという。
「僕が領主である間は、もう少し、税率を下げれるな。金食い虫もいなくなって、僕は無駄使いをする趣味はない。皇族教育は無償だが、その分、皇帝陛下からはいらない優遇措置もいただいている」
「使用人はどうするのですか? いつまでも、一人作業というわけにはいかないでしょう」
ハイムントの立場は微妙だ。一応、皇族教育の教師役なので、帝国が雇った体をとる元子爵家の使用人を使うことは出来る。それでも、いつまでも、というわけにはいかない。
わたくしがハイムントの仕事の出来を確認している側に、ハイムントは近づいてくる。これまでは、近いと思ったことはない。
でも、今は近い!!
わたくしは反射的にハイムントの顔を押す。
「近い!!」
「いつもの距離ではありませんか。僕にも、選ぶ権利があります」
「わたくしにも、選ぶ権利はあります!!」
叫んで言ってやる。いつまでも、選ばれる側だと思わないでちょうだい!!
ハイムントは、もう、わたくしの前では、素顔を隠すような魔法を使わなくなった。
「せっかくなので、僕の素顔を見慣れてください。そうすれば、変な男に誘惑されることはないでしょう」
である。
確かに、わたくしは男性に対する免疫がない。まず、お付き合いどころか、まともに話したことがあるのは、使用人たちかハイムント、あと、平民落ちした元子爵ぐらいだ。
早くに両親を失い、屋敷に閉じ込められていたので、貴族としてのお付き合いすらしていなかった。
それなのに、皇族とわかった途端、助けてもくれなかった、両親の自称友達や自称知り合いがこぞって手紙を送ってくる。わたくしが元子爵なので、伯爵や侯爵なんか、連絡もなく、屋敷の前に来ることだってある。
後見人は脱落し、今は教育係りである男爵が面倒をみているというので、隙があると思われたのだろう。
その対処を全て、わたくしに丸投げするハイムント。側でただ、ニコニコと笑っているこの男は、いつまでも、わたくしを試している。
そうしていると、縁談なんか持ち込まれたりするのだから、たまったものではない。ぜひ、皇族を発現させた血筋を今のうちに我が家に取り入れよう、なんて狙うのだ。皇族、そんなに良いものではないのにね!!
そういう、男を使った罠まで登場してきたので、ハイムントはわたくしの前では、素顔を隠す魔法をとくようになった。
油断すると、この男の素顔によろめきそうだ。ハイムントの素顔は、これまで見た中で、ずば抜けている。
「ハイムント、離れてちょうだい。あなたの素顔は、離れていても、十分、見えます」
いつまでも距離が近いので、言葉を代えて、拒絶する。
ハイムントは、悲し気な顔を見せて、わたくしに言われた通り、距離をとった。
「命令なら、仕方がありません。僕は皇族には絶対服従ですから」
「あなた、筆頭魔法使いではないでしょ。それなのに、絶対服従なんて、おかしな話です」
「ほら、僕は影皇帝として、皇族には手を出さない契約をしていますから」
「それって、どういう意味で手を出さないの?」
「犯罪行為ですね」
「………」
わたくしはさらにハイムントから距離をとる。犯罪行為という微妙な制約は、身の危険を感じる。犯罪って、その人その人によって、認識が違うのだ。
ハイムントの正体を知らなかったら、わたくしだって、信用はしていた。しかし、海の貧民街の支配者である影皇帝だと知った今、微妙だ。
ハイムントは、わたくしの頭からつま先まで見て、残念なものでも見るような目で見てくる。
「ラスティ様は、もう少し、太ったほうがいいですよ。せっかく、骨格はよいものをお持ちです。そうだ、今からでも体を鍛えましょう。無駄な脂肪はないほうがいいですよ」
「倒れるわよ!?」
「僕にまかせてくだされば、僕好みになれますよ。そうしたら、ラスティ様を選びます」
「わたくしは選ばない!!」
「あなたに選ばれる自信はあります」
確かに、その素顔ならば、女も男もハイムントを喜んで選ぶだろう。
実際、その場に立った時、わたくしはハイムントを拒絶する自信はない。見た目だけではない。頭もよく、元平民だというのに礼儀作法も完璧だ。最近は、ダンスの手ほどきの相手になってもらっている。
ハイムントの欠点は何か、と言われたら、身分くらいだ。少し前までは、平民だった。それも、皇帝ライオネルの采配から、男爵位となった。それでも、貴族としては末端だ。
だけど、裏の世界では、この男は貧民の皇帝だ。貧民の世界はわからないが、この男に従う大勢の貧民をこの目で見た。その数は、元子爵領の領民よりも多い。見ただけで物凄い貧民を従えているのだ。目に見えない数は、相当なものだろう。
欠点を全て欠点でなくしてしまう最高の男は、また、距離をつめてくる。
「あなたの仕事は完璧です! もう、わたくしが教えることはありません!!」
引継ぎは終了だ。わたくしは椅子から立ち上がって、ドアまで逃げた。
ハイムントは先ほどまでわたくしが座っていた椅子に座る。その様は、優雅だ。
「当然です。僕は父上から、最高の教育を受けていますから。この程度、片手間です」
「お父様、大好きなのね」
「僕の願い事は全て叶えてくれる、最高の父です。僕が妖精憑きとして生まれなかったことを嘆いていたら、妖精憑きの能力をくれました。これのせいで、母が別れを切り出しましたけどね」
片目だけ人ではありえない色に変色させるハイムント。普段は普通の目だが、妖精の力を使う時、その色が変わる。
「もしかして、別れてしまったのですか?」
ハイムントの母親はもう亡くなっていると聞いた。過去の出来事ではあるが、夫婦が別れるのは、悲しいことだと、わたくしは感じる。
「いえ、父上が泣き落とししました。父上は母上にべた惚れです。母上だけですよ。父上をあそこまで支配出来るのは。母上自身は、かけらほども支配しているなんて、思っていませんでしたけどね。父上の逆鱗に触れることをそれはもう、たくさん、母上はしましたが、全て、許されました。偉大な母です」
「………そうですか」
なんとも、想像がつかない夫婦だ。父親が泣き落としする、ということ自体、わたくしは想像出来ない。何故って、わたくしの父は、母に泣き落としするような情けない男ではなかったからだ。
父親とは、もっと、こう、強くて包容力があるような感じがある。だけど、ハイムントの父親は、尊敬出来る人らしいが、どこか、男らしくない所を感じる。
きっと、見た目は母親から受け継いだだろうハイムントを見ていると、まあ、仕方がないな、と納得する。こんな美しい顔立ちの女性に別れを切り出されたら、男だったら、なりふり構ってられないだろう。
領主の仕事は終わったので、次は皇族教育となる。皇族教育はもう、わたくしの私室では行わない。この、執務室で行うこととなっている。
「ラスティ様、こちらに座ってください」
三人掛けのソファをすすめられる。わたくしは大人しく座ると、ハイムントはわたくしの隣りに座る。
「向かいに座ってください!!」
「間違いなんて、起きませんよ。僕は、起こしません。ですが、女性側から起こされたことはありますけどね」
わたくしはすぐ、ハイムントから距離をとる。間違い、絶対に起こしてなるものか。
ハイムントはわたくしの反応を笑うだけだ。自意識過剰、と嘲笑われても仕方がない。そこは、羞恥に身もだえすればいいが、ハイムントはそういうことを言わない。
わたくしの前に、皇帝の印がある手紙を広げる。
「また、城に行く段階ではありませんが、皇族同士の顔見せをする案内がきました。年に一度ですが、皇族だけの食事会です。本来ならば、ラスティ様お一人で城に行くことなのですが、あなたは家族がいませんので、僕の同行が許されました。ついでに、使用人数人と護衛もつけていいそうですよ」
「護衛って、必要なの?」
「現在の皇帝ライオネル様は、表向きは円満に皇帝となった体をとっていますが、実際は皇位簒奪をした方です。皇位簒奪が表沙汰とされるのは、前皇帝があまりの暴君であった時ぐらいですよ。ライオネル様の前の皇帝は、皇族間では家族殺しをした狂皇帝、と呼ばれましたが、政治の上では優秀でした。だから、皇位簒奪は隠されました」
「何故、皇位簒奪をしたのですか?」
暴君ではなかった皇帝を殺す理由がわからない。
「皇族狂いを起こしたから、と皇族間では言われていますね」
「皇族狂いって、何ですか?」
「美貌の筆頭魔法使いを皇族間で取り合うことを皇族狂いと言います。賢者ハガルを取り合ったんですよ」
「………は?」
わたくしは思い出す。賢者ハガルは、優しそうなおじいちゃんだ。美貌、大昔にはあっただろうけど、今はない。
ただの皇族ライオネルが皇帝となったのは、今から二十年程昔だという。賢者ハガルの二十年若くしても、やっぱり年寄りだ。
「想像がつかない!!」
「力のある妖精憑きは、その姿も偽装出来るのですよ。この僕のようにね」
途端、ハイムントの姿がよくわからなくなる。見ているようで、見えていないのだけど、そのことに違和感を感じさせないのだ。
「僕の力では、この程度ですが、ハガル様は姿形、触った感触まで、完璧に偽装出来るほどの方です。今、見ているハガル様の姿が偽物であることを知る皇族はまだ生きています。普段は皇族の犬、皇帝の番犬と呼ばれるハガル様ですが、実は、怒らせると皇帝よりも恐ろしい方です。本気になれば、皇族間で殺し合いだって起こせますよ。そうすれば、筆頭魔法使いの契約紋の制約に触れませんからね。
ですが、知らない皇族も多い。ラスティ様だけは、気を付けてくださいね。ハガル様、ラスティ様のことをとても気に入っているのですよ」
そう言って、ハイムントは、ハガルお手製の菓子をテーブルに置いた。
わたくしが城に行くことが強制的となると、ハイムントは男爵家として人員を増やすことにした。
「せっかく、僕は貧民から平民、そして貴族となったことは公となっていますから、貧民から採用しましょう」
「そうなのですか!?」
てっきり、貧民は隠されているものと思っていたので、驚いた。
「僕は別に、貧民であることを隠す必要性は感じていません。ライオネル様は隠したがっていましたが、僕は貧民であることを誇りに思っています。皇帝では、色々と制約があって出来ないことも、貧民は出来ますからね」
「そ、そうね」
主に、犯罪行為だけど。
きっと、ハイムントは、元貧民だから、という理由づけで、色々とやっているのだろう。元貧民という立場は、とても悪いように思えるが、ハイムントにとっては、良い武器となっている。
そうして、ハイムントは、わたくしが見たことがある二人の男を屋敷に招き入れた。
「お久しぶりです、ラスティ様」
「若のお手付きにされましたか?」
「されていません!!」
影皇帝と出会った時に、ハイムントの側にいた二人の男だ。どうも、この二人もハイムントと同じく、一筋縄ではいかない雰囲気がある。
「紹介がまだでしたね。サラムとガラムです。普段は僕の秘書兼護衛ですね。城に行くこととなりましたので、どちらか一人をラスティ様の護衛としてつけましょう」
「え、若がいいです!」
「僕も若の側がいいです!!」
サラムとガラム、両方にわたくしの護衛は拒否される。
「お前たち、ラスティ様になんて失礼な態度だ。いくら、見た目は残念で、皇族よりも貧乏貴族の心根がまだ残っているからといっても、僕が育てている皇族だぞ」
お前も言い方酷過ぎだな。ハイムントは、さらに酷いことを言ってくる。全然、わたくしの援護になってない!!!
サラムとガラムは、お互いの肩を押して、役目を押し付け合っている。そんなに、イヤがられるわたくしって、そんなに酷い人なのかしら。
「どうして、わたくしの護衛をイヤがるのですか。わたくし、そんな無理難題をいう人ではありません」
「ほら、若だったら、楽ですから」
「若、強いですから、護衛の役割しなくていいじゃないですか」
そっちか! ただ単に、楽をしたかっただけである。
わたくしは、ハイムントの実力を知らない。一度だけ、叔父だったアブサムに暴力をふるわれた時は、一瞬で、アブサムの首に短剣を突き付けていた。無駄のない動きだったと思う。体術も剣術も知らないから、わからないけど。
じーとハイムントを見てみる。笑顔だけど、ちょっと、怒っているっぽい。
「だったら、二人ともラスティ様の護衛につけ。いいか、相手が皇族でも、守り抜け」
「酷いっ! 消し炭にされますよ!!」
「ハガル様の妖精に復讐されますよ!!」
「そ、そんな命がけなことになるのですか!?」
たかが護衛が、実はとんでもないことに、わたくしは驚いた。皇族教育、まだ終わりきっていないからか、理解が追いついていないのだろう。
「当然でしょう。皇族相手に攻撃出来るのは皇族のみです。そこら辺の人が攻撃すれば、皇族に付けられたハガル様の妖精が消し炭にします。だから、上手に防御で対処しないといけないのですよ。これが、ラスティ様に護衛をつけない理由です」
「でも、アブサムの暴力や、誘拐では、何も起きなかったわ」
「そこは、度合ですね。ちょっと突き倒した程度で消し炭にしてしまうと、行く先々が焼野原です。誘拐の時は、僕の契約で終わっていましたからね」
「………」
わたくしを誘拐した実行犯は、影皇帝との契約により、肉体をバラバラにされていた。ハガルの妖精が動く前に終わっていたけど、それをわたくしは見ていない。だって、ずた袋に閉じ込められて、眠っていたから。きっと、わたくしが眠っている間に、事は終わっていたのだろう。
わたくしを誘拐した実行犯の成れの果てを思い出してしまう。
「ラスティ様、大丈夫ですよ。いざとなったら、私が愚かな皇族どもを殺してあげますから」
物凄い人を魅了する声で耳元に囁かれ、わたくしは慌ててハイムントから距離をとる。ちょっと油断すると、すぐ、距離とつめてくる。
近くなると、ハイムントは影皇帝の嫣然とした笑顔をわたくしに向けてくる。
「何を言っているのですか!? あなたは、皇族には絶対服従なんでしょう!!」
「皇族どもは勘違いをしている。皇族が選ぶんじゃない。筆頭魔法使いが皇族を選ぶんですよ。選ばれなかった皇族の末路は凄惨です。人を介した契約など、簡単に隙を突くことは出来ます。私はすでに、気に入らない皇族を殺せる方法を持っています。だから、安心して、城で頭空っぽな皇族かどうかわからない若造どもと交流してください」
「皇族が嫌いなのですか!?」
「ラスティ様のことは、大変、気に入っています。ライオネル様のことは尊敬しています」
「………」
怖い怖い怖い!! こんなに怖いと感じた笑顔は初めてだ。ハイムントの言葉裏をとれば、わたくしと皇帝ライオネルを除く皇族は気に入らない、ということだ。
「城に行くのが楽しみですね。ラスティ様、色々と準備が必要ですから、男爵家の使用人を増やしますね。ラスティ様に隙一つ、作らせませんから」
そう言って、ハイムントはわたくしの傍らに跪くと、わたくしの足に口付けした。
そうして、男爵邸はあっという間に賑やかになった。どこか訳ありの者から、普通っぽい者まで、貧民で揃えられる。ついでに、領地をさらに拡大するためか、貧民を受け入れ、どんどんと活気に満ちてきた。
わたくしは、ハイムントが操る馬に乗せられ、領地を回ることとなった。皇族となって、何も出来ない、と嘆いていた頃とは違う光景だ。
見た目もあるので、貧民たちを領民たちは、どうしても距離をとってしまう。それを貧民たちはこれっぽっちも気にしていない。
そして、ハイムントがやってくると、統率がとれた軍隊のように、跪く。
「そういうのはいい。楽にしろ」
影皇帝の顔で命じれば、貧民たちは立ち上がるも、ハイムントの指示を待っているようだ。
ハイムントはわたくしを馬から降ろしてから、自らも下りて、貧民の一人に話しかける。それを遠くから見る領民たち。不安そうだ。わたくしは、領民たちの元に行く。
「どうですか? 何か、困ったことはありますか?」
領民と貧民の間で軋轢があるのではないか、気になった。貧民たちは、ハイムントには忠実ではあるが、領民たちにはそうではないだろう。
「い、いえ、むしろ、作業を手伝ってくれます。優しいのです。でも、見返りを求められないのが、怖くて」
領民が困っていると、貧民たちが助けてくれるという。ただの好意とは思えないので、金銭の要求などがあるだろう、と思い込んでいれば、貧民たちは何も求めなかったという。後で、大きなものを要求されるかもしれない、と不安なのだ。
わたくしは、その話をそのまま、ハイムントに伝えた。ハイムントは、首を傾げる。
「困っているのなら、助けるのは当然だろう。領民同士でも、困っていて、助け合わないのか?」
「ですが、無償なのは」
「金を貸せと言われたわけではない。たかが体を動かした程度だ。貧民街は過酷だ。組織として、手を取り合わなければ、生き残ることすら困難だ。領民も、同じだろう。そこに、平民も貧民もない。ここは貧民街ではないから、安心しなさい」
「貧民街だと、違うのですか?」
「無法地帯だからな。ここは、僕が支配する領地だ。悪さなんかしない。もし、悪さをする者がいたら、言いなさい。双方の話を聞いてから、考える」
「………双方の、話を、ですか?」
「片方の言い分だけを信じることは危険だ。そういうことをしていたら、言った者勝ちだ。だから、双方の言い分を聞くこととしている。あとは、妖精の目を使えば、嘘か本当かははっきりする」
途端、ハイムントの片目の色が変わる。この男には、最終手段がある。妖精を使って、嘘を見破れるのだ。
領民を見る。何か期待をこめてわたくしを見ている。でも、これを説明するのは難しい。困っていると、ハイムントが先ほどまで話していた貧民を連れて、遠まきで見ている領民の元に行く。わたくしは遅れてついていった。
「色々と不安にさせているようですね」
「い、いえ、とんでもない! その、貧民と聞いて」
「僕も元は貧民です。皇帝ライオネル様に随分と気に入られて、平民となり、今では貴族です。ライオネル様を名で呼ぶ許可もいただいています。皇帝の名を呼べるほどの僕は信用できませんか?」
「………」
「十年二十年、見守ってください。貧民も、好きで貧民になったわけではありません。皆、貧民として生きていくしかなかっただけです。僕は、そんな彼らに機会を与えてあげたい。あそこにいる者たちは皆、死ぬまで貧民です。ですが、彼らの子や孫は、ライオネル様の治世の元、平民になれます。その頃には、あなたがたと同じだ。そういう、長い目で見守ってあげてください」
「………」
返事はない。領民としては、貧民は受け入れがたいのだ。それはそうだ。遠い未来は平民といっても、先祖は貧民なのだ。
ハイムントは苦笑して、領民たちから離れた。
残されたのは、わたくしと、ハイムントと話していた貧民だ。若い貧民は、不思議そうに領民たちを見回す。
「よくわからねぇけど、ここの決まり事、教えてくれよ。ほら、守らなきゃいけないことって、あるんだろう。ボスに言われた。貧民街とは違うんだって。悪いことしないようにって言われたけど、何が良くて悪いのか、わかんねぇんだよな。
とりあえず、ボスに言われたのは、喧嘩はするな、盗みはするな、人を騙すな、殺しはするな、の四つだ。他にある?」
「………」
注意事項が犯罪ばっかりだ。これは大変なことになった。きちんと教えないと、後々、大変なことになる。
同じことを領民たちも思ったようだ。縋るようにわたくしを見てくる。でも、困る。わたくしや領民たちの常識と、貧民の常識がわからない。
助けてー、とハイムントを見てみれば、ハイムントはただ笑っているだけだ。こいつ、ここでもわたくしが腐っているかどうか、確かめるつもりか!!
わたくしは若い貧民と向き合う。若いからか、それとも、善悪がないからか、本当に読めない男だ。
「助けてくれて、ありがとうございます。これからも、助けてもらえるのは有難いのですが、お返しが出来ません」
「俺たちが困ったら、助けてくれればいいよ。例えば、腹減って倒れてる時とか、怪我して動けない時とか、そういう時」
わたくしは泣いてしまった。笑顔で当然のことをいう若い貧民の言葉は、胸に刺さった。それは、領民たちもだ。
貧民たちは、お互い、本当に困窮した時は、そうやって、助け合ったのだろう。それは、領民たちも当然のことだ。
でも、当然じゃない。だって、わたくしは皇族だと発覚する前、わたくしは誰も助けてくれなかった。見るからにやせ細って、着るものもボロボロとなっても、領民でさえ、見て見ぬふりをしたのだ。
「何か、泣くほど困ったことでもあったのか? 俺たちで良ければ、手伝ってやるぜ。あ、けど、犯罪なことはダメだって言われてるからな。あと、金はないから、貸せない」
若い貧民は笑顔で、わたくしを心配してくれた。