皇族姫の子孫
わたくしが五歳の頃、世界は一変した。
それまでは、村中、仲良く、争いのない、世界だった。
わたくしは、両親を亡くした平民でありながら、男爵家で行儀見習いという肩書で、使用人たち、男爵に可愛がられていたと思う。
五歳年上の兄は、男爵の子の側仕えをしつつ、わたくしのことを厳しく躾てくれていた。
「ナターシャ、こら、僕の靴を隠してはいけないよ」
「兄さまと一緒にいるの!!」
大好きな兄ネイドといつもいたかっただけだ。だから、その日、わたくしは、わざと兄の靴を隠した。
なのに、兄は全てを見通しているように、わたくしが隠した兄の靴を庭の片隅で見つけたのだ。
「旦那様からいただいた大切な靴をこんなにして」
「だって、兄さま、いつも、側にいてくれないんだもん!!」
「親のいない僕たちが、こうやって、何の苦もなく暮らせるのは男爵様と、村の皆のお陰なんだ。忘れてはいけないよ。僕たちがこうやって過ごせるのは、僕たちの遠い先祖が、この村を救った恩のお陰だ。僕たちは、何もしていない。だから、僕たちは、村に恩返しをしないといけない」
「う、うん」
幼いわたくしは、よくわかっていなかった。ただ、村の者たちなら誰もが知っている、昔々の言い伝えを村人たち、男爵家は信じていた。
村を救った帝国のお姫様の話。
わたくしたちは、そんな嘘か本当かわからない昔話に出てくる帝国のお姫様の子孫だという。
本当かどうか、わからない。ただ、 村を救った帝国のお姫様の話のことは嘘だ、なんて言おうものなら、物凄く叱られるという。
村の子どもたちと遊んでいると、 村を救った帝国のお姫様の話を嘘だ、とわれることだってある。その子孫だというわたくしのことは、同じ平民なのにずるい、と言われることがある。
何故か、わたくしだけ、特別扱いされる。平民なのに、行儀見習いを教えられ、今は、文字の読み書きも教えられているのだ。
だから、わたくしは、少し、我儘な娘になっていた。
大好きな兄を男爵に盗られたと思ったのだ。
わたくしの我儘は、大人にとっては可愛らしい。何より、大好きな兄が言えば、わたくしはすぐに我慢するし、反省する。
だけど、今日の悪戯は、さすがに兄ネイドは怒った。
「今日は、若君の側仕えとして、舞踏会に参加することとなっていたというのに」
「だ、だってぇ、夜、一人は怖いー」
一人寝が出来なくて、わたくしは、ネイドをどうにか屋敷にとどめたくて、靴を隠した。
わたくしの悪戯に、男爵家は笑って許した。ネイドは、わたくしと一緒に留守番となったのだ。
泣いているわたくしをネイドは溜息をつきながら、抱き上げた。
「嘘泣きはやめなさい」
「う、嘘じゃ」
「ほら、泣いてない」
「………」
涙が出ていないことがバレてしまった。兄ネイドに嘘は通じない。
「お前は、特別だと甘やかされてばかりだ」
「だって、みんな、わたくしのことは特別だって」
「僕たちは世話になっているんだ。何も生み出していない。感謝しなければならないんだ」
「でも、わたくしは特別だというから」
「初めて誕生した女の子だからと、皆、はしゃぎすぎだ」
ネイドはまた、深く溜息をついた。
これまで、女の子が誕生しても、すぐ死んでしまったという。
健康に生き残ったのは、わたくしだけだ。だから、村の人たち、男爵家は、わたくしを特別に見ていた。
きっと、帝国のお姫様の生まれ変わりだ、と。
「皆、わたくしのこと、お姫様というよ」
「確かに、お前は、僕のたった一人の姫だね」
「兄さまは王子様?」
「僕は、姫を守る騎士になりたいな。ずっと、ナターシャのことを守るよ」
「うん、兄さまとずっと一緒にいる!!」
綺麗で、優しくて、賢くて、素敵な兄のことが大好きだった。
兄ネイドも、わたくしのことが大好きだ。いつも、可愛いナターシャ、と抱きしめてくれる。
わたくしの悪戯で、その日、男爵家に迷惑をかけてしまったが、誰もわたくしを叱ったりしない。妹の可愛い悪戯だ、なんて笑っていた。
無事、わたくしが隠した兄の靴を持って、わたくしたちは屋敷に戻ろうとした。
屋敷のほうだけではない。村中から、とんでもない悲鳴があがった。
「なんてことを」
兄ネイドは、わたくしを強く抱きしめ、屋敷とは逆のほうへと進んでいく。
「兄さま?」
「ナターシャ、静かにしているんだ!!」
珍しく、兄ネイドが怖い顔をした。
悲鳴が消えない。わたくしは怖くて、ネイドの胸に顔を埋め、両手で口を塞いで、どうにか声をおさえた。
「こっちも塞がれている。一体、どうして」
「おい、ここにいたぞ!!」
とうとう、見つかったわたくしたちは、ガラの悪い男たちに捕まった。
「うわーーーーんーーーーー」
わたくしは泣くしかない。兄から引き離され、泣いて、暴れた。
「煩えガキだな!」
容赦なく、わたくしは顔を殴られた。
「ナターシャに痛いことをしないで!!」
他の男に捕まっている兄ネイドが懇願した。
「これは、また、綺麗なガキだな」
「おいおい、何をするんだ?」
「こんな綺麗なガキ、見たことがない」
どんどんと、周囲に集まる男たちが、兄ネイドを中心に、おかしくなってきた。
「こいつは、俺が見つけたんだ!! 俺のものだ!!!」
「僕の妹を助けて」
「わかった」
それから、わたくしの目の前で、男たちが互いを殴りあったのだ。
わたくしはすぐに放り出された。わたくしは、何が起こったのかわからず、呆然と座り込んでいると、兄ネイドが駆け寄ってきた。
「僕の良心、なんてことだ、顔に、こんな傷が」
「に、兄さまぁ」
わたくしは兄の胸に泣きついた。
顔が痛い。
放り出された時に打ったお尻がいたい。
でも、こんな暴力を受けて、目の前で争う光景が怖かった。
互いを殴り合う男たちの所に、今度は、立派な身なりの騎士たちがやってきた。
「お前たち、やめないか!!」
一喝するも、男たちは止まらない。
騎士たちは、しばらく静観していたが、男たちが殴り合いを止めないため、とうとう、剣を抜き放った。
そして、素手で戦う男たちは、あっという間に騎士たちに斬り殺された。
あまりの光景に、わたくしは声もなく、兄の胸で震えた。声を出したら、きっと、悲鳴しかあがらない。
争う男たちが死んで静かになった所で、兄ネイドは、わたくしを抱き上げ、騎士たちの元へと歩み寄った。
「どうか、助けてください!!」
「無事な者がいたのか。親はどうした?」
「両親はいません。妹と二人、この村に世話になっています。一体、何が起こっているのですか?」
「この村を盗賊が襲っている所をたまたま、我々は通りかかっただけだ。お前たち、盗賊の、というわけではないな」
わたくしたちの身なりを見て、騎士たちは剣を退いた。
騎士たちに保護されたわたくしたちは、騎士たちの主の元に連れて行かれた。
わたくしは、晴れた顔が痛かったし、疲れていた。泣いて、兄に抱き上げられ、村の被害を見ることとなった。
村は焼き尽くされていた。無造作に、村人たちの遺体が地面に並べられていた。その中に、見知った村の子どもたちもいた。
村というだけで、住人はそこまで多くない。一方的な蹂躙を受けて、生きている者が見られなかった。
男爵の屋敷が臨時の救護場所となっていた。
「この屋敷の者たちも、生き残っている者はいなかった」
「男爵様は、舞踏会でいないので、生きているはずです」
「盗賊は、貴族の馬車も襲ったんだよ」
「そんな………」
案内された先に、男爵一家の遺体が横たわっていた。
わたくしは、兄の腕から離れると、屋敷を駆け巡った。もう、危険がなくなったので、誰も止めなかった。
この屋敷で育ったようなものだ。知らない場所がないくらいだ。わたくしは、子どもしか入れない場所まで探した。
わたくしが知る、生きている人はいなかった。
わたくしは、泣いて、兄ネイドの元に行った。
「ナターシャ!!」
ネイドは、わたくしを抱きしめて、迎えてくれた。
そこは、男爵一家の遺体が転がっているのに、兄ネイドは笑顔でわたくしを抱き上げる。
「これから、この人が僕たちの面倒をみてくれるんだ」
「なんだ、似ていないな」
でっぷりと太った男が、わたくしを見ていう。
「妹には、これまでと同じ生活を約束してください」
「わかったわかった」
気持ち悪い笑みを浮かべて、男は兄ネイドの肩を抱き寄せた。
「早速、これからだ」
「………少し、ナターシャと話させてください」
「静かにさせるんだぞ」
「はい」
男は忌々しい、とわたくしに目を向けて、去っていった。
わたくしは、兄ネイドの手を引かれて、いつもの寝室に連れて行かれた。
「兄さま、一緒に寝ようぅ」
一晩経てば、きっと、全ては元通りになっている。そう思った。だから、わたくしは、兄ネイドをベッドに引っ張っていく。
だけど、ネイドはわたくしをベッドにいれて、ベッドの傍らに膝をついた。
「顔が腫れてしまったね。ほら、おまじないだ」
わたくしが怪我をすると、兄ネイドは、そこに口づけをする。すると、すっと傷はなくなるのだ。
その日も、触れるような兄ネイドの口づけで、頬の痛みはすっと消えた。
「明日から、大変になる。今日だけは、ゆっくりと眠りなさい」
「兄さまも一緒にぃ」
「子爵様との約束があるから、行かないと」
「わたくしも一緒に行きます!!」
「僕の唯一の良心、どうか、眠っておくれ」
泣いて縋るわたくしに、兄ネイドは深く口づけする。舌まで挿入されて、わたくしは、息苦しさで、苦しんだ。
離れれば、いつもの兄ではなかった。どこか、蠱惑的なものを感じた。だけど、それがどういうものなのか、幼いわたくしにはわからなかった。
「さあ、目を閉じて」
「う、うん」
怖くなって、わたくしは大人しく従った。
言われた通り目を閉じたら、ふっと意識は遠のいた。
伝説が残るその村は、盗賊の襲撃にあい、一晩で廃村となった。
元々、その村は忌み地であった。伝説では、その忌み地を救ったのは、和平のため、帝国から輿入れにやってきた皇族姫だという。
忌み地が、どんどんと広がり、あらゆるものを飲み込み、人々が困っていた。このままでは、生活出来る土地がなくなってしまう。
通りかかった皇族姫は、そんな人々のために、帝国で培った知識を使って、忌み地を浄化したのだ。
しかし、皇族姫は酷い怪我を負ってしまい、忌み地から動けなくなった。
忌み地から生き残った村人たちは、皇族姫を手厚く保護した。そして、皇族姫は村の男と恋に落ちたという。
そして、皇族姫は村の男の間に一人の子を為した。
だが、皇族姫は忌み地によって受けた傷は深く、子を産んで、死んでしまった。
皇族姫の忘れ形見となった子は、生き残った村人たちが手厚く保護した。
そして、忌み地であったそこに、皇族姫を弔い、ここに村を作って、生き残った村人たちは、皇族姫の子孫を守ることにしたのだ。
しかし、忌み地の跡地は、村の子孫以外にとっては、毛嫌いられる土地だった。
一晩で、皇族姫の子孫を守る村人たちを失った村の跡地に、誰も住みつくことはなかった。
それは、数百年前の話だという。伝説としては、新しいのか、古いのか、わからない。ただ、この話は、伝説として脚色されているという。時の為政者によって、都合のいいように捻じ曲げられているだろう、なんて教師は話していた。
「レゾナンス様、このままでは、平民に負けてしまいますよ」
教師は、アタシのことを蔑むように見下ろしていう。
アタシの向かいには、子爵の子レゾナンスが、忌々しい、とアタシを睨んでいた。
「こいつ、卑怯な手で、試験を解いたんだろう!!」
短気なレゾナンスは、手あたり次第に、アタシに物をなげつけてきた。
「兄さんに教えてもらったんだもん」
アタシは席から離れ、投げられる物を避けた。
「貴族の子だったら、読み書き計算が出来て当然だって、兄さんは言ってたんだから!!」
「平民の分際で、生意気だ!! おい、こいつを捕まえろ!!!」
レゾナンスに命じられた使用人たちが、アタシを捕まえる。
「やめろ、旦那様に叱られるぞ」
「俺が言えば、許してくれるさ」
教師が止めるが、レゾナンスがそう言えば、使用人たちはレゾナンスに従う。実際、そうなんだ。
「この、平民のくせに、貴族に恥をかかせやがって!!」
容赦なく、アタシを殴るレゾナンス。
「何をしている!!」
そこに、レゾナンスの父である子爵がやってきた。
「父上、こいつが、俺のことをバカにしたんだ!!」
すぐに、レゾナンスは子爵に泣きついた。
「子爵様、約束を守ってください」
子爵の側には、アタシの兄ネイドが冷たい顔でレゾナンスを見下ろした。
「また、傷をつけおって。これでは、手を出せないじゃないか」
子爵は気持ち悪い顔でアタシを見た。
「妹には手を出さないでください。まさか、僕の奉仕が足りませんか?」
「そ、そんなことは、ない」
「奥様にも相談しないといけませんね」
「それはっ」
「約束を守ってください」
嫣然と微笑む兄ネイドに、子爵はとんでもない汗を流して黙り込む。
レゾナンスは、憎悪をこめて、兄ネイドを睨んだ。ネイドに父親だけでなく、母親まで奪われたのだ。
兄ネイドは、十歳という幼さでありながら、その身を使って、子爵に取り入った。
最初は、子爵だけの関係だった。それも、子爵の邸宅に入れば、子爵夫人とも、兄ネイドはその身を差し出したのだ。
こうして、子爵夫婦によって、ネイドはその身を差し出した。
それもこれも、アタシのためだ。村で唯一生き残ったのはアタシと兄ネイドだけだ。兄は、ただ一人の家族であるアタシのために、その身を使って、子爵夫妻を篭絡し、男爵家で受けていた生活をアタシに与えるように願ったのだ。
だから、アタシは、男爵家にいた頃のように、行儀見習いとなり、貴族の教育を受けている。
だけど、子爵は、アタシが手をつけた兄の年頃となると、アタシにまで手を出そうと企んでいた。
兄ネイドは、使用人たちの拘束がなくなるも、痛みで蹲っているアタシの元にやってきた。
「僕の良心ナターシャ、また、顔に傷を作って。これでは、一人寝は出来ないね。子爵様、今日はナターシャと過ごします」
「レゾナンス、お前は、また、やってくれたな!!」
子爵は、息子なのに、レゾナンスを殴った。




