追放
皇帝は死んで、まかさ、シーアが女帝となるとは、計算外である。もう、僕の手が届かない人となってしまったかに見えた。
だが、シーアは、僕の秘密の告白を信じて、呼び寄せてくれた。それが、戦争に勝つためだとしても、僕は喜んで、妖精殺しの貴族と名乗り上げた。
だが、戦場に行けば、僕の想像の斜め上の状況だった。この光景を縮小したものを隠された領地で良く見ている。
戦場は呪われていた。
こうなると、力の強い妖精憑きの命を使って浄化させるしかない。
妖精殺しの貴族は、こういう土地を使って、妖精を狂わせる香を作る。逆にいえば、この呪われた土地の対処法を知っている。
僕は、妖精殺しであるシーアを手に入れるために、シーアの力を表沙汰にした。
シーアは、自らが妖精殺しであることを知って、絶望し、筆頭魔法使いの庇護を拒絶した。
一度は、僕の元にシーアは落ちてきてくれた。僕は、義父に宣言した通り、苦痛のない死をシーアに約束した。そのために、シーアを領地に閉じ込めなければならない。
やっと、シーアを手に入れた。僕は嬉しくて、仕方がない。大事に、苦しませることなく、穏やかな最後を与えよう。
妖精憑きから引き離せば、生まれながらの妖精殺しはすぐ死ぬ。ただ、どれだけ生きるか、個人差がある。一年、半年、一か月、数日で死んでしまうこともある。
僕は、領地で過ごすための準備までして、シーアと一緒に馬車に乗って、時間をかけて進もうとした。
なのに、辺境の貧民街の支配者だという妖精憑きが、シーアを横取りした。
力づくで奪っても良かった。妖精憑きであれば、僕は対処できる。千年の化け物であっても、殺す手段を持っているのだ。
だが、シーアの笑顔を見て、我慢した。どうせ、妖精憑きが先に死ぬ。
シーアも、そこのところを悟っているようで、僕が辺境につけた監視に、わざわざ話しかけ、僕を呼び寄せた。
振られたってのに、僕はバカだから、すぐに、シーアの元に行ってしまう。
「あの妖精憑きの過去を全て、調べてください。絶対に女がいます」
シーアは、妖精憑きの過去を疑った。
辺境の妖精憑きというと、浮気者の妖精憑きの伝説が有名である。シーアは、その伝説を連想したのだろう。
シーア、浮気者は許さない。ともかく、真実の愛とやらにシーアは憧れを抱いていた。過去に女、もしかしたら子までいたら、シーアはあの妖精憑きを切り捨てるだろう。
「ナックル先輩を使って、帝国と敵国のやり取りを調べてください」
「ナックルは、確か、妖精の契約を施されてるだろう。敵国とのやりとりは、口外出来ないぞ」
帝国は、絶対、敵国の情報を漏らさない。関係者には全て、沈黙の契約を施していた。筆談でさえ出来ない徹底ぶりである。
「妖精殺しの貴族なんですから、そういう契約をどうにかする方法、ありませんか?」
「うーん、試したことがないんだがなー」
「やっぱり、あるんだー」
屋敷の地下だ。あそこには、妖精の魔法が届かない。たぶん、妖精の契約をあの地下だけは無効化出来るかもしれない。試したことがないけど。
「敵国のことは、出来なくても文句いうなよ。出来るかどうか、僕もわからない」
「えー、どうにかしてくださいー」
「貴族と仲良しな皇族がちょっと漏らしてくれればいいけどなー」
そういう情報は、信憑性が低かったりする。期待しちゃいけない。
「下僕の仕事ばっかりだな。他には?」
「筆頭魔法使いを無力化出来る方法はありますか?」
「………」
「やっぱり、あるんだー」
「特別製の香がある。筆頭魔法使いといえども、あの香の前では、夢心地にされる。ただ、抵抗力がついたら、終わりだ。とても貴重なものだから、量がない」
「一か月くらいは、無力化出来ますか?」
「それが限界だろうな。あんな化け物、皇帝が無茶な命令を下せば、命令違反の天罰で、無力化するだろう」
「そんなことしたら、皇族を守護する妖精まで無力化してしまいます」
「そうすれば、皇族全てを根絶やしにして、シーア嬢が返り咲ける。我々、下僕全てが、シーア嬢を旗頭に、内乱を起こしてやる」
「そんなこと望んでいませんよ!!」
「だったら、別に、筆頭魔法使いを無力化しなくていいだろう」
「………マッシュにだけ教えます。妖精殺しの貴族だと秘密を教えてくれた、マッシュだけですよ」
とても、嬉しいことを言われた。僕は、ついつい、顔が緩んだ。
「わたくしの片目、妖精の目という魔道具なんです」
「………まさか!!」
妖精殺しの貴族は伊達ではない。妖精の目という魔道具を知っている。
僕は、シーアの頬を両手で挟んで、じっとシーアの目を見つめた。両目の違いは見られない。ただの目だ。
「特別製なんです。ナインが、妖精の目を改造したんです。だから、見た目は、普通の目なんです」
「シーア嬢は、妖精憑きの才能があったということか」
妖精の目という魔道具は、妖精憑きの才能がない者にとっては、危険なものだ。
妖精の目とは、妖精憑きの力を与える魔道具だ。元々は、妖精憑きでありながら、力の足りない妖精憑きに装着させ、力を増幅させる使い方をされた。
一応、ただの人でも、妖精の目は装着出来る。しかし、妖精憑きとしての才能がないと、廃人となってしまうのだ。
シーアが無事だということは、妖精憑きの才能があったということだろう。そう思った。
「才能があると思っていました。ですが、わたくしが妖精殺しだと知ってから、そうではないとわかりました。たぶん、妖精殺しは、妖精の目の力をほとんど発揮出来ないのでしょう。出来ても、本来の百分の一か、もしかしたら、千分の一です」
「そうか」
妖精の魔法が届かない体質が、逆に、妖精の目の力を人並に制御したのだ。
「どうして、妖精の目なんかにしたんだ」
「わたくしが、狂人だったからです」
「噂では聞いていたが、そうじゃない」
「いえ、狂人でした。わたくしが赤ん坊の頃、頭を強く傷つけられたのです。それから、わたくしは狂人となりました。その事実を皇帝に知られたくなかった皇族が、廃人になるとわかっていて、わたくしの片目を抉り、妖精の目を装着したんです」
「そんな、無茶苦茶な。妖精の目をつけたって、狂人は狂人のままだ」
むしろ、悪化するだろう。片目を抉って、妖精の目を装着するということは、とんでもない苦痛を伴うという話だ。
内臓を毒に侵され、緩やかに苦しめられている僕だって、辛い時がある。亡くなった義兄は、全身を抉られるようだと話してくれたことがあった。
逆だ。狂人だったから、シーアは耐えられたんだ。
「わたくしは、何もかも、遅かったと噂が流れたでしょう。事実です。考えても、体はうまく動きませんでした。妖精の目を使って、妖精の力を借りて、少しずつ、わたくし自身に魔法をかけたのです。わたくし一人で出来ることではありません。ナインに導いてもらって、時間をかけて、人並になりました」
それは、想像を絶するほどの努力だ。
「たぶん、わたくしの妖精の目は、ナインと繋がっています。ナインの導きで、今のわたくしがあります。逆にいえば、いつまでも、ナインと繋がったままなので、わたくしがただ動くだけで、ナインの寿命は無駄に消費され続けるでしょう」
「………」
「ナインは、わたくしの初恋です。でも、わたくしは、妖精殺しだから、ナインを惹き付けているだけです」
シーアは泣き笑いをする。
「エンジも、わたくしが妖精殺しだから、好意を抱いているだけです」
可哀想な女だ。妖精憑きに好かれやすい、妖精殺しの体質ゆえに、筆頭魔法使いも、辺境の妖精憑きも、信じられない。
「もう、解放してあげなきゃ。そのためにも、全てのことから、わたくしが離れないといけません。どうか、協力してください」
「僕は生涯、君の下僕だ。出来ること全て、僕が叶えよう」
僕の愛しい妖精殺しのために、僕は道化になった。
敵国へ、僕も一緒に連れて行ってくれると思っていた。最初は、僕を敵国に送り込むようなことを言っていた。そうなったら、シーアを道連れにしよう、と考えていた。
だが、シーアは一人で敵国へと行ってしまった。
僕は帝国に残って、シーアの代わりに、筆頭魔法使いを無力化することとなった。
「あの女、また、男を連れて来やがって」
元はシーアの婚約者であった皇帝メフノフが、忌々しいと僕を睨む。
「シーア嬢からは聞いているよ。何もしてくれない、浮気者の婚約者だと」
「あの女だって、浮気者じゃないか!! 貴族の学校では、男を口説いていたと聞いている」
「全部、振られてたけど、仕方がない。シーア嬢は、告白した男全て、恋していない。ただの保身だ。皇族失格となったら、婚約者から捨てられる、とシーア嬢は言っていたぞ」
「逆だ。僕がシーアに捨てられたんだ!!」
皇帝メフノフは、他の女と浮気して、シーアを陥れたと聞いている。噂話なんて、ほとんどは嘘だ。
だが、目の前でシーアに恨み事を吐き捨てる皇帝メフノフは、シーアに何の感情も抱いていなかったわけではないな。
恨みを抱くということは、逆の恋情のようなものをメフノフはシーアに抱いてはいたのだろう。ただ、男は皆、素直にそれを表に出せないから、女に勘違いされる。
僕がそうだから。もっと、誠実に、シーアに向き合っていたら、違う未来があったかもしれない。もしかしたら、敵国に僕を道連れにしてくれたかも。
結局、僕もシーアに捨てられ、下僕として、後始末に追われた。
シーアが僕に香を任せたのは正解だ。一生涯、この特別製の香の使用はないと思っていた。
「きついな」
臓腑が物凄く痛む。ただの人だって、こんなものを吸引すれば、毒に侵され、しばらくは動けなくなるだろう。
筆頭魔法使いの予備でさえ、特別製の香を間違って吸引してしまって、前後不覚となってしまった。
筆頭魔法使いは、綺麗な顔を晒して、シーアと過ごしたという、特別な部屋で眠っている。一度、シーアに、筆頭魔法使いの姿絵を見せてもらったことがある。男同士が恋愛する大衆小説が、一部の女子の間で流行った時、シーアが皇帝と筆頭魔法使いのことを話したのだ。皇帝の儀式があって、と簡単に話すと、女子どもは、大興奮した。さらに、皇帝と筆頭魔法使いの姿絵を見て、気絶する者まで出た。
姿絵でも、筆頭魔法使いは美しいな、と僕は簡単した。実物は、姿絵では表現出来ない、神々しさがあった。こんなものを見て、正気を保てる者はまれだろう。
僕は、まあ、香で頭までいかれているから、妙な気分にならない。それに、シーアのことを思えば、衝動はすっとなくなる。筆頭魔法使いの素顔は観賞用と割り切れた。
そうして、一か月、筆頭魔法使いを無力化するために、筆頭魔法使いの屋敷を出入りしていれば、とうとう、筆頭魔法使いが目覚めた。
香は四六時中、焚いているわけではない。一日に一回程度だ。それ以上は、必要ない。その一回をする時に、筆頭魔法使いが目を覚ました。
慌てて、香に火を点けたが、無駄だった。筆頭魔法使いの魔法によって、一度は灯された香は煙ごと、消された。
「貴様、なんてことをしてくれたんだ!!」
起きてすぐ、側にいる僕につかみかかる筆頭魔法使い。一か月、眠っていても、動いて、僕を攻撃出来るなんて、やっぱり、化け物のだ。
「シーアとの繋がりが消えた。このままだと、シーアは、また、動けなくなってしまう!!」
シーアの予想通りだった。筆頭魔法使いは、シーアの妖精の目に常に働きかけていたのだ。それが、香により、無力化され、繋がりが切れた。
「妖精殺しは、生かしておいてはいけない。僕にまかせてくれば、苦しみのない死を与えてやれたというのに、あんたたちは、シーア嬢を苦しい死地へと送った」
「………痛みも、苦しみも、シーアは感じない。全て、俺様が与えたものだ」
「………は?」
「そんなもの、シーアは失ったんだ!! 頭を酷く傷つけられ、そういうものを感じることすら、出来ないんだ!!! 敵国に行って、俺様との繋がりが切れれば、シーアは、身体的なものは、何も感じなくなる」
「そ、そんな」
そんなことになるとは、僕は知らなかった。
シーアは知っていた。そりゃそうだ。ずっと、そういう経験をしていたのだから。
「シーアは、苦痛や苦しみという負のものだけでなく、美味しい、楽になる、といった正の感覚もないんだ。全て、俺様が出来るようにしたんだ!!! シーアを側に呼び寄せて、また、繋がらないといけない」
僕はもう、筆頭魔法使いの足止めをする気力すらなかった。ただの人でさえ当然と感じるもの全て、シーアはもう、感じないという。ものすごく、後悔した。知っていれば、僕は、領地にシーアを閉じ込めただろう。
筆頭魔法使いは、僕のことなど目もくれず、屋敷を出ていった。
僕は、無為に日々を過ごしていた。妖精殺しの貴族として、ただのありふれた貴族として、シーアのいない日常を過ごしていた。
貴族の学校を卒業してからしばらくは、薄情なシーアは、僕にさえ、手紙をくれなかった。それどころではなかった、とわかっている。貴族の学校を卒業してしばらくして、皇族の儀式だと話していた。皇族として残るか、皇族失格となって城から追い出されるか、そんな時をシーアは指折り待っていたのだ。外になんか目を向ける余裕はない。
そんな、シーアから連絡が来るかも、なんて期待した日々を僕はまた、送っていた。
辺境の貧民街の支配者が変わったという報告を受けた。
筆頭魔法使いが魔法での偽装をやめて、目隠しで顔を隠すようになった。
皇妃がめでたく懐妊した、と新聞を通して喧伝され、しばらく、帝国中が賑やかとなった。
帝国と敵国とのやり取りがどうなったのか、そこのところはわからない。文官ナックルは、そういう情報から排除されたのだ。
敵国がどうなっていても、帝国は平和だ。戦争が終わり、新しい皇帝となって、同じ毎日を繰り返している。
シーアがいなくなっても、誰も、何も、変わらない。
我が家だって、シーアがいなくたって、同じ日常の繰り返しだ。僕が当主となっても、ちょっと責任が増えただけで、変わらなかった。
でも、シーアがいた日常は、色がついたように楽しかった。僕は、その日常が戻ってくるのを待っていた。
待っているから、僕は城に呼び出された。
「シーア様が戻ってきたのでしょうね」
「戻ってきても、帝国の領地に入れないからなー」
シーアは敵国への追放だ。生きて帝国に戻れない、神と妖精、聖域の契約を施されている。一度、敵国に足を踏み入れたシーアは、帝国に生きて戻ろうものなら、契約によって、死ぬこととなる。
どうせ、敵国との境界線にシーアはいるだろう。敵国の禁則地なんて、シーアにかかれば、一瞬で消滅出来る。実際、戦地に移植された簡易的禁則地は、シーアが触れただけで、一瞬で消滅したのだ。
あんな感じの禁則地なんだろう。僕は、軽く考えていた。敵国の情報は、帝国には入らないようになっている。帝国は徹底している。敵国に捕虜となった帝国民は絶対に帝国に戻さない。そうすることで、敵国の情報を一切、帝国に入らないようにしている。
城に行けば、案内されたのは、筆頭魔法使いの屋敷だった。
ここは、入りたくないな。復活した筆頭魔法使いによって、屋敷は元通りとなっていた。だが、ここは、筆頭魔法使いの領域だ。絶対に危険だ。
「お入りください」
中から、使用人がドアを開けた。僕は仕方なく入るが、僕の側近は入れなかった。くそ、完全に、筆頭魔法使いに包囲された。
頼るは、後天的に作られた妖精殺しの体質だ。だいたいの妖精憑きの魔法なら、僕は防げる。
ただ、百年や千年の才能持ちの魔法は微妙なんだよなー。試したことはないけど、あれらの魔法は、弱体化出来るだけで、防ぐのは不可能だ。
使用人に案内されたのは、あの、特別な部屋である。ここは、筆頭魔法使いの執着が詰まっていると言われている、秘密の部屋だ。
僕がここに閉じ込められることはないだろう。ほら、筆頭魔法使いの執着は、シーアだ。そのシーアを逃がす手伝いをしたのは僕だから、むしろ、恨まれているな。
さすがに、この部屋にシーアがいるとは思えない。せいぜい、あるとすれば、シーアの私物だろう。力の強い妖精憑きは、持ち物一つでも執着する。
入りたくないなー、と僕が躊躇していると、使用人が容赦なく、ドアをあけて、僕の背中を押して、ドアを力いっぱい閉めやがった。
部屋いっぱいに、花の香りが充満しているようだ。実際、色とりどりの花が活けられた花瓶が、部屋のあちことに置かれていた。
人一人が不自由なく過ごせる広い部屋だ。外からでは、そんな広いとは思えないのは、中の空間が魔法で歪んでいるのだろう。邸宅型魔法具では、よくあることだ。
人の気配がないそこを僕は散策する。閉じ込められた者は、部屋を出る必要がないほど、全てが揃っている。唯一足りないのは、食事だろうが、それも、定期的に運ばれているのだろう。ほら、使用人がいるから。
奥にいけば、豪勢なベッドがある。そこに、人が眠っていた。
「シーア嬢」
顔色が悪いシーアが眠っていた。駆け寄って、触れて、そして、僕は知った。
シーアは死んで戻ってきた。




