帰国
シーアを捕縛するために、辺境の禁則地へ向ける兵を準備している間に、シーアから、城に戻ってきた。
とんでもない話だ。城の文官が、皇族用の馬車を盗み出し、それで、シーアを辺境の禁則地から城まで運んだのだ。しかも、シーアが戻ってきた理由は、夫婦喧嘩だという。
「本当のことを言え」
僕は、シーアの理由を信じていない。どうせ、それには裏があるんだ。
「わたくしの下僕から、わたくしを敵国に追放する話を聞きました。しーかーもー、敵国は呪われた禁則地を制御出来なくて、わたくしを使って破壊するために、帝国に助けを求めたとか。帝国としては、血筋で増える妖精殺しをどうにかしたいしー、敵国としては制御出来ない呪われた禁則地を破壊したいしー」
「それ以上、いうな!!」
耳が痛くなるほど、情報がシーアに漏れすぎだ。辺境の禁則地にいたくせに、知り過ぎだ!!
僕が無能だ、と言われているような気がする。
「それで、ナインは元気ですか?」
「筆頭魔法使いの屋敷に籠城している」
「そんなぁ。ナインに会えるのが、楽しみだったのにー。ナインの素顔を見てから、敵国に追放されたかったです」
「追放されるって、行くつもりか!!」
「敵国の禁則地を破壊しないと、また、ナインが苦しめられるではないですか。破壊してほしい、と敵国が言ってくれたんです。破壊しちゃいましょう」
「生きて戻って来れないぞ」
「破壊は一瞬ですから、うまくすれば、生きて戻れますね」
そういう話だという。僕は見ていないから、知らないけど。
「妖精殺しの貴族とは繋がっていると聞いてる。そいつを敵国に行ってもらうように、交渉は出来ないのか?」
「わたくしを追放するほうが、皇帝としては正しいですよ」
「………ナインが許さない」
僕はもう、ナインの言いなりだ。ナインが望むのなら、シーアの身柄を引き渡してやろうと決めていた。
だが、シーアは、思い通りには動かない。
「もう、ナインったら、まだ、妖精殺しの体質に惑わされているのですね。千年の化け物のくせに、情けない」
「………シーアは、ナインの素顔を見たことがあるんだよな」
「昔は、毎日ように見ていましたよ」
そうか、シーアは、ナインの素顔に耐性を持っているのだ。
ナインは、シーアが物心つくころから、何かと人前で気にしていた。幼い頃から、シーアがナインの素顔を見ていたのなら、シーアには、ナインの素顔は通じない。
だから、平然とナインを情けない、なんて言ってしまえるのだ。それが、シーアの美的感覚を狂わせたのだろう。誰を見ても、シーアは、普通を見えるのだ。逆に言えば、シーアが美男子と言えば、相当、すごい美形だろう。
僕も、それなりに見える顔だと言われている。だが、シーアの目には、平凡に見えたのだろう。
少し、僕は落ち込んだ。シーアの目に、僕は入っていないのは、仕方がなかった。
僕が黙り込んでも、シーアは気にしない。少し、考えこんでいた。
「まずは、ナインをどうにかしないといけませんね」
「どうにかって、無理だろう。すでに、命令違反で、ナインは天罰一歩手前まで、背中を流血させた」
「妖精憑きは思い込みが激しいから」
「シーアでも、無理だろう」
「いえ、どうにか出来ます。一か月は、ナインを無力化することとなりますが、契約紋の違反にはなりませんから、皇族を守護する妖精に見捨てられることはないでしょう」
「わかった、教えてくれ」
「わたくしがやります。まずは、筆頭魔法使いの屋敷に行きます」
方法は教えてもらえなかったが、僕は、シーアに従うしかなかった。
僕は、今回も祖父である皇族エッセンに相談しなかった。どうせ、エッセンといえども、ナインの説得は出来ないのだ。
何より、今、僕でさえ、筆頭魔法使いの屋敷に入れなかった。
シーアは地下牢から出れば、隠し通路を迷いなく進んだ。筆頭魔法使いの屋敷へと続く先には、エッセンの命令を受けている皇族が待ち構えていて、出てきた僕に驚いた。
「シーアを逃がすのか!!」
「ナインの説得に行くだけです」
「そう言って、逃げるのだろう!!」
人手を呼ぼうとする皇族を僕は止めた。
「シーアは追放されると知っていて、城に戻ってきたんだ。信じよう」
「皇帝なんだから、ナインをうまく言い聞かせろ!!」
「無理だから」
僕はもう、ナインの言いなりだ。僕は遠い目で言い切った。
「まあ、失敗したら、助けてくださいね」
「出来るって、言い切ったじゃないか!!」
「試したことないからー」
やはり、シーアの全てを信じてはいけない。この女、僕を振り回しやがって。
「ナイン対策で、色々と持ち込みましたから。エッセンもわかっていて、あえて、わたくしの手荷物を取り上げなかったのでしょうね」
地下牢に閉じ込めたというのに、シーアは色々と持っていた。危険な武器の類だけは取り上げたのだが、そうでないものは、地下牢に閉じ込めたシーアに返したのだ。
「わかったわかった。どうせ、このままでは、ナインに裏切られるんだ。だったら、シーアのとんでもない思いつきで、ナインを制御してもらうしかない」
「さすが、エッセンの味方をする方ですね。話の理解が早くて助かります」
「戦争では、助けられたからな」
エッセンの味方をするような皇族だ。戦争にも行くような、皇族としての心構えをしっかりした者だ。シーアのことも、それなりに認めていた。
「妖精殺しでなければ、見逃してやれたのにな」
「わたくし、ただ、平凡な願いを持つだけなのですけど、そう簡単にはいかないですね。ただ、結婚して、人並の家庭を築きたかったのにぃ」
「もっと大きな野望を持て」
「平凡な家庭って、実は、簡単に叶えられるものではないですよ」
僕たちは、首を傾げるしかない。ただ、結婚して、家庭を築くのなんて、普通のことだ。
だが、家族に恵まれなかったシーアにとって、それは、普通ではない。そのことに気づくのは、随分と先の話だ。
どうにか、見逃してもらって、シーアは、筆頭魔法使いの屋敷に入って行った。
心配で、僕は筆頭魔法使いの屋敷の側で待った。僕は中に入れないので、どんなことが起こっているのか、わからないし、見えない。
「また、シーアの口車に乗ったのか」
そして、祖父である皇族エッセンに見つかった。
「僕では、ナインの言いなりだから」
筆頭魔法使いナインを目の前にしたら、僕はシーアをそのまま、ナインに渡してしまうだろう。
「千年に一人、必ず誕生する化け物は、その見た目で、男も女も狂わせるという」
「………」
「ナインがまだ、保護されたばかりの頃は、その素顔に、随分と皇族は惑わされたものじゃよ。本来であれば、筆頭魔法使いは目隠しして過ごすのだが、ナインは、それを嫌い、見た目を偽装することで、どうにか、場を収めたんじゃ」
「お祖父様も、見たことがあるんだ」
「皇帝シオンだけは、平然としておったな」
つまり、皇族エッセンでさえ、ナインの素顔に惑わされたのだ。
それじゃあ、僕がナインの素顔に惑わされても、仕方がないな。僕の気分は、少し、軽くなった。
僕が用心して、筆頭魔法使いの屋敷を見張っていると、明け方には、シーアは出てきた。
「筆頭魔法使い予備のラッセルに、筆頭魔法使いの屋敷の支配をさせてください」
「ナインは説得出来たのか?」
「気狂いまで起こしたナインに説得なんて不可能ですよ。言いなりになったふりをして、ナインを妖精を狂わせる香で前後不覚にしただけです。ナインには、まだ、香の抵抗力がついていないようなので、香を焚き続ければ、ナインは眠ったままになるでしょう」
「………大丈夫か?」
シーアの足取りがおかしい。一晩、寝ていないのだろう」
シーアは片目をおさえて、呼吸を整えようと、立ち止まった。すぐに動かすには、シーアは辛そうだ。
「少し、疲れました」
「きちんと休んだらどうだ。もう、地下牢に行く必要はない」
「わたくしが地下牢にいるのは、皆さんの安心のためです」
頑なに、シーアは地下牢に拘るのは、僕たちのためだ。
シーアはまた、隠し通路を使って、地下牢に戻っていった。
シーアは、僕から、祖父である皇族エッセンを奪った。
いきなり、頼りにしていたエッセンを失って、僕は呆然となった。僕はまだ、エッセンに頼り切っていた。
だから、エッセンを抜きとなった僕は、皇帝としての采配が出来なかった。情けない姿を見せることになったが、エッセンの味方をしていた皇族たちは、長い目で僕を見守ってくれた。僕が出来なくても、どうにか手助けしてくれた。
そして、筆頭魔法使いナインの問題は残った。僕は、ナインを前にすると、冷静ではなくなる。どうにか、ナインの言いなりにはならないようにしたが、制御出来ない感情に振り回されることとなった。
皇妃となって僕を支えようとするティッシーは、僕がナインの言いなりとなっても、黙って見守ってくれた。ナインから離れれば、僕はまともだからだろう。
それに、ナインの制御をシーアから指示されていたからだ。
シーアの予想通り、ナインを眠らせるのは、たった一か月だけだった。妖精を狂わせる香に耐性がついたのだ。目を覚ましたナインは、すぐに、僕に縋りつき、シーアを取り戻そうとした。
「ナイン宛に、手紙を書きます。それで誤魔化してください」
「そんなことで、ナインが大人しくなるわけがないだろう!!」
「妖精憑きなんです。力が強ければ強くなるほど、ちっぽけなものでも強く執着します。たかが手紙とバカにしてはいけません。なるべく早く、戻るようにします」
「追放なんだから、戻って来れないだろう!!」
「帝国の領地に入らなければ、大丈夫ですよ」
シーアは、生きて戻って来るつもりだった。
最初に戻ってきたのは、死んだ皇族エッセンだった。
まさか、死んで戻るなんて、思ってもいなかった。シーアがエッセンを殺したようなものだ。
「いつ死んでもおかしくなかったからなー」
「最後まで、面倒をかけたくない、と言っていた」
「少しは、面倒をみたかった」
だが、僕の親族は皆、エッセンの死を受け入れていた。エッセンが死んで戻っても仕方ない、と納得していた。
僕だけが、シーアを恨んだ。それだけ、僕はエッセンに孫として可愛がられたので、シーアに祖父を奪われた気がした。
「僕のお祖父様なのに!!」
簡単に、割り切れなかった。もう、この頃から、僕はナインに引きずられるようにおかしくなっていた。
そして、皇族エッセンの葬儀が終わってしばらくして、シーアが戻ってくるという書状が届いた。
僕は喜ぶナインに、出迎えを許可した。僕は政務を理由に、行かなかった。シーアを見たら、とても、冷静でいられないからだ。絶対に、殺したくなる。
そうして、僕はナインが喜んで戻ってくるのを城で待った。
まさか、死んで戻ってくるなんて、僕は思ってもいなかった。
シーアは生きて戻ってくる、と言っていた。なのに、戻ってきたのは、首だけとなったシーアだ。
死んで戻ってきたので、首だけになったシーアは帝国の領地に入っても、無事だった。
「シーア、やっと僕の元に戻ってきた。もう、逃がさない」
首だけとなったシーアを抱きしめる筆頭魔法使いナインはもう、狂っていた。
おかしなことに、シーアの首は腐っていない。ただ、縮んでいるように見えた。
狂人シーアが戻ってきたような気がした。
筆頭魔法使いの屋敷に行けば、僕は普通に入れてもらえた。
「ナインはどこだ?」
「秘密の部屋です」
使用人は、無表情に答えてくれた。筆頭魔法使いの屋敷で働く使用人は、全て、皇帝に絶対服従だ。筆頭魔法使いに何かあった時、真っ先に皇帝に報告するよう、契約を施されている。そうしないと、筆頭魔法使いの言いなりになってしまうからだ。
筆頭魔法使いの屋敷には、筆頭魔法使いが強く執着する者を閉じ込めるための部屋がある。そこに閉じ込められた者は、筆頭魔法使いの言いなりだという。
一度は、シーアは、その部屋に閉じ込められたとナインは言っていた。しかし、妖精殺しの体質には、妖精の魔法は通じない。シーアは、ナインの言いなりのふりをしていただけだ。
そして、今度は、死んで、首だけとなって、シーアは、部屋に閉じ込められた。首だけとなっても、ナインは満足した。何度も逃げられて、逃げる手足をなくしたシーアに、狂ったナインは喜んだ。
さすがに、この部屋には、簡単には入れない。筆頭魔法使いは簡単に許可しない。だから、部屋の前で待つしかなかった。
外が薄暗くなった頃、ナインは部屋から出てきた。
「何か用か、皇帝陛下」
もう、ナインは僕のことを名で呼ばない。シーアを敵国へ追放して、死なせたことをナインは許さない。
「生きて帰ってくる、とシーアは言ってたんだ。だから」
「エンジに盗られた」
シーアが夫と選んだ男の名だ。敵国で、シーアの計算外のことが起こったのだろう。
「首だけでも、戻ってきてくれたから、満足しよう。心配するな。シーアが望んだ通り、死ぬまで、筆頭魔法使いとして、帝国を支えてやる」
「も、もう、僕とは」
「好きにすればいい。僕の心は、シーアのものだ」
ドアの向こうに大事に隠されたシーアのことを思ってか、ナインは恍惚に笑う。
「もう、これで、シーアが苦しんで生きることはなくなった。シーアにとっては、これで良かっただろう」
「ごめん、ごめんなさい、僕は、結局、無力だ」
「シーアは、婚約中、どんな話をしていた?」
突然、話題を変えるナイン。僕は、少し、呆然となったが、ナインが素顔を見せるから、一生懸命、思い出した。
「特には。世間話をするくらいだ。貴族の学校に通うようになってからは、城の外の話をよくしてくれた」
「それだけ?」
「僕からは、話をふられたら、返すくらいだ」
「お前は、本当に最低な男だな。だから、シーアの婚約者でありながら、表面の付き合いにしかならなかったわけだ」
「シオンが一方的に命じた婚約だぞ!! 上辺だけで何が悪い!!!」
「シーアは、お前に憧れていた。何の努力もしなくても、人並以上のことが出来て羨ましい、と」
「成績でも、盤上遊戯でも、僕はシーアに負けた。おまけに、皇帝としても、僕はシーアに負けた」
「中に入れ」
何故か、ナインは、シーアの首を閉じ込める、大事な部屋に、僕を招き入れた。
この部屋から物を持ち出さなければ、大したことにはならない。シーアの首を持ち出すような真似、僕はしない。だいたい、見るからに、気味の悪い首だ。
「腐りもしないなんて、何か処理でもされたのか?」
つい、机の上に置かれたシーアの首を見てしまう。祖父である皇族エッセンの亡骸は、それなりに腐って、ウジ虫まで湧いていた。
「妖精殺しの体は、生まれつき、毒に侵されているんだ。だから、生まれてすぐ、死んでしまう」
「つい最近まで、生きてたじゃないか」
「だから、常に、妖精憑きの寿命を奪って、妖精殺しは生き続けるんだ。妖精憑きがいなければ、妖精殺しは自らの毒で死ぬ。毒で死んだ者は、こうやって、腐らないことがあるんだ。虫も毒を嫌って、近づきもしないという」
だから、シーアの首は、腐ることも、ウジ虫が湧くこともなく、ナインの元に戻ってきたのだ。
突然、ナインは、シーアの片目をえぐり取った。
「何を!!」
「これは、妖精の目と呼ばれる魔道具だ」
シーアから離れたそれは、丸い何かになった。とても、シーアの目には見えなかった。
「シーアは、ネフティの暴力のせいで、僕のいい加減な治療で、狂人になったんだ。そして、いつまでも回復しないシーアに止めを刺すために、ネフティは、シーアの片目を抉って、妖精の目を装着したんだ」
「その、妖精の目って、何だ?」
「後天的に、妖精憑きの才能を与える魔道具だ」
「じゃあ、シーアは、妖精憑きになったのか」
「才能がなければ、廃人になる、とても危険な魔道具だ。ネフティは、それを知っていて、シーアに妖精の目を装着したんだ。シーアは才能がないと、ネフティは思ったんだ」
「でも、シーアは無事じゃないか」
「シーアは、才能があったかどうか、わからない。だが、妖精殺しのシーアには、この魔道具を発動させるのは、不可能なんだ」
シーアの短い一生は、僕の想像を絶するほど、困難なものだった。




