城を離れる
終戦後の交渉は一か月もかかった。その間、何かとわたくしのことを蔑む皇族たちを適当にあしらって、無事、出征から戻ってきた皇族たちと帝国民たちを迎えることとなった。
「メフノフ!!」
ティッシーは馬上にいるメフノフを見つけて、駆け寄った。メフノフは馬から下りて、ティッシーを抱擁する。うーん、羨ましい。
わたくしは、すっかり元気になった筆頭魔法使いナインの元へ行った。ナインも馬で移動したんだ。てっきり、聖域を使って移動すると思っていた。
「もう、頭が冷えましたか?」
「お前は、もっと、自己評価を高く持つべきだ」
「きゃっ!!」
ナインは、馬から下りるなり、抱擁してくる。
「体調はどうだ? 寿命が削れてるぞ。兄貴は何をしてたんだ」
「エンジは辺境に帰ってもらいました。お互い、距離をとって、冷静に考える必要がありましたから」
「そんなことしていると、死ぬぞ!!」
「一か月、妖精憑きから距離をとっていましたが、無事ですよ。心配しすぎです」
「ずっと、心配で、死んでいたら、と思うと………この手はどうした?」
わたくしの体を触れて、無事を確認していたナインは、わたくしの利き手の傷に気づいた。
「ちょっと、皇族同士で、ごたごたしました。何があったかは、後日、報告します」
「誰にやられた」
「今は、無事、戻ってきたのですから、ゆっくり休んでください」
「俺様の皇帝に、傷をつけるとは」
「ナイン!!」
わたくしはナインの頬を叩いてやる。少し、冷静さをなくしていたナインは、頬の痛みで、我に返った。
「すっかり、元に戻って、良かった。わたくしが最後に見たナインは、まだ、弱っていましたから、ずっと、心配でした」
「俺様の気持ち、少しは理解したか?」
「ナインのそれは、わたくしが生まれ持つ体質に引きずられているだけですよ。離れれば、わたくしのことなんて、どうでも良くなります」
「そんなことない!! シーアをここまで生かしたのは、俺様だ。シーアは、俺様のものだ!!!」
「………これが、皇族アーシャの気持ちですね」
妖精殺しの体質について知らなかったら、筆頭魔法使いナインの言葉に喜んだだろう。
だけど、妖精殺しの体質を知った今、妖精憑きであるナインに好意を熱く語られても、疑ってしまう。妖精憑きだから、その気持ちは、妖精殺しの体質に引きずられているだけなんだろう、と。
「ほら、離れてください」
「まだ、寿命が………」
「離れてください」
わたくしは力いっぱい、ナインを押し離した。ナインは、わたくしに寿命をいっぱい捧げようとするから、危ない危ない。
「若いのぉー」
「エッセン、お元気そうですね」
さらに抱きつこうとするナインを避けて、わたくしはニヤニヤと笑って傍観者を決め込んでいる皇族エッセンの元に行く。
皇族エッセンは、メフノフの失格紋を移し替えられたが、戦場には出なかったので、無傷だ。エッセンは、前線に出るよりも、後ろから指示する戦術家だ。戦争が始まったばかりの頃は、戦力を半分も減らしながらも、どうにか持ちこたえたのは、エッセンの指示のお陰だ。
「この傷は、まさか、皇位簒奪をされたようじゃな」
「いえいえ、ちょっと間違いがあっただけですよ」
「誰がやったか、言いなさい」
「どうせ、失格紋を移し替えられたわたくしは、女帝ではいられません。メフノフも無事、戻ってきましたし、わたくしはお役御免です」
「………本来は、メフノフの妻は、シーアであったのに」
「わたくしは、燃えるような恋をして、結婚したいです。メフノフとの婚約は、メフノフとティッシーの愛を燃え上がらせる素材でしたね」
「………」
「はやく、メフノフを皇帝にしましょう。わたくしは、城の外に出て、色々と調べなければならないことがあります」
女帝を辞めても、わたくしにはやらなければならないことがある。わたくしは、城の外の遠い空を見た。
皇帝位移譲は、簡単にはいかなかった。まず、わたくしが失格紋をティッシーから移し替えたことを異議申し立てされたのだ。
「失格紋を受けたということは、シーアは皇位簒奪されたと言っていいだろう」
「違うわ!! シーアは、わたくしのために、失格紋を移し替えてくれたのよ!!!」
ごちゃごちゃと煩い外野に対して、皇族ティッシーがはっきりと言った。
「だいたい、お父様とお母様は仕方がないにしても、お祖父様とお祖母様は、わたくしの失格紋の移し替えを拒否しただけでなく、わたくしのことを恥、子孫ではない、縁を切る、とまで言いました」
「それは、お前の失格紋をシーアに移し替えさせるため、仕方なく」
「そうよ。そう言ったから、シーアがお前の失格紋の移し替えを受けたのよ」
「終わった後に、何を言ったって無駄です。あなたがたが、わたくしを拒否したことは事実です。そんなわたくしを優しく支えてくれたのは、メフノフの家族です」
「お前を立派に育てたのは、我々だぞ!!」
「そうよ!! そのお陰で、メフノフの妻になれたのよ!!!」
「そのことは感謝します。だから、失格紋を受けたわたくしを拒絶したことは、許します」
「だったら」
「シーアに、言うべきことがあるでしょう」
皇族ティッシーは訴えるが、ティッシーの両親も祖父母も、不思議そうに顔を見合わせた。
「ティッシー、もういいですよ。わたくしが勝手にやったことですから」
「でも、シーアが失格紋の移し替えを受けてくれたから」
「元々は、わたくしが失格紋の儀式を命じたんです。ティッシーは感謝する必要はありません」
「自業自得のことをしたのよ」
「これからは、メフノフは皇帝です。ティッシーは皇妃として、メフノフを支えるのですから、大変ですよ。頑張ってくださいね」
「シーアは、どうするの?」
「とりあえず、こいつをどうにかします」
油断すると、筆頭魔法使いナインがわたくしに抱きつこうとしてくる。こいつ、しつこいな。
「お前、もう少し匂い付けを」
「その行為は、見る人によっては、変態行為なんですよ!!」
「最近、私室にも入れてくれないし」
「年頃なんですから、もう入れません!! 離れろ」
もう、女帝辞めるので、筆頭魔法使いのご機嫌取りはやめた。
「急に、冷たいじゃないか!!」
「これまでは、我慢してあげたんです。もう、触らないでください」
「ナイン、年頃の娘にそういうことをするのはやめなさい」
皇族エッセンがわたくしの味方をして、ナインを止めてくれた。ついでに、他の皇族たちも、ナインをわたくしから離してくれる。
ちょっと賑やかになったところで、皇族エッセンが咳払いをした。それには、皇族エッセンに従う皇族たちが静かになる。それに釣られて、集まる皇族たちがしーんと静かになった。
「この度、ワシの孫メフノフが皇帝を就任することとなった。じゃが、その前に、女帝在任中の皇位簒奪失敗の問題を解決せねば、シーアからメフノフへの皇帝位譲位が成立しない可能性が出てくる」
「何を言ってるんだ」
「シーアは、失格紋を受けた時点で、女帝としての資格は失ったようなものだ」
「失格紋を受けたからといっても、次の皇帝が決まっておらんのだから、皇帝位を空位には出来ん。次の皇帝が決まるまでは、臨時の皇帝を立てなければ、城の防衛に穴が出ることとなる。誰か、臨時の皇帝をしたのか?」
「………」
「宰相から聞いた話じゃが、皇帝の仕事はシーアが行っていたとか。城は皇帝をシーアとして認識しておる。皇帝位譲位の手続きがなされてない間は、シーアが女帝じゃ」
しーんと静かになった。現在、皇族最強の血筋であるエッセンの発言力は強い。
「エッセン、ちょっと、わたくしが怪我しただけですよ」
「聞きましたよ。宰相たちを守るために、素手で剣を受け止めたと。年頃の娘が、手に傷を残すようなことをして」
「どうせ、結婚する予定はありませんから」
妖精殺しの体質を後世に残さないために、わたくしは、結婚を諦めていた。それに、わたくしに近づくのは、妖精殺しの体質に寄ってくる妖精憑きたちだ。妖精憑きは除外だな。
「わたくしが生きていると、次の皇帝の障害になると思ったのでしょう。許してあげてください。わたくしは、城を出て、息を潜めて生きていきます」
「城を出ることは、俺様が許さん!!」
「しつこい」
こんな場でも、筆頭魔法使いナインだけは相変わらずだ。距離をとったら落ち着くと思ったけど、逆に、どんどんと酷くなっていっているような気がする。
ナインがあまりにも執着するので、皇族エッセンを主導に、ナインをわたくしに近づけないようにしてくれた。お陰で、わたくしはしばらく、孤独に過ごして、寂しかったけど。私室でも、ナインと一緒だったから、それがなくなるのは、わたくしにとっても辛い。
だけど、わたくしのために、ナインの寿命を削らせるわけにはいかない。わたくしの代わりはいるが、筆頭魔法使いナインの代わりはいない。
わたくしは、筆頭魔法使いナインが隠していた皇帝印を見つけだし、さっさと皇帝位譲位の手続きをしてしまった。皇帝位で出来るから、簡単だ。
「これで、やっと、わたくしも一皇族になりました。わたくしの私室は必要ありません。城を出ます」
「シーア、行くんじゃない!!」
「迎えが来ていますから。これまで、お世話になりました。皆さん、お元気で」
わたくしは、筆頭魔法使いナインの叫びを無視して、さっさと部屋を出ていった。
「シーア、待って!!」
「シーア、行くんじゃない!!」
なのに、よりよって、皇帝となったメフノフと皇妃となったティッシーが追いかけてきた。
「シーア、しばらくは、僕たちと一緒に過ごそう。僕一人では、皇帝の仕事は難しい」
「生き字引のエッセンがいます。むしろ、エッセンを保護してください。失格紋があるので、エッセンだって危ないです」
「シーアだって、失格紋を受けたから、危ないのよ!!」
「意外と、わたくしのことは、誰も、気にしていません」
わたくしは自嘲気味に笑った。声が大きい人が言っているから、わたくしの存在を忌まわしく見えたが、それはほんの一部だ。
わたくしを毛嫌いしている皇族たちは皆、わたくしが女帝として処刑してしまった。残るのは、その声に踊らされていた皇族たちだ。それもほんの一部だ。
「わたくし一人は、大した存在ではありません。これから重要なのは、ナインです。皇帝のお仕事は、筆頭魔法使いのご機嫌取りです。このままでは、ナインは、わたくしを追いかけてきてしまいます。メフノフは、皇族としての血の濃さを使って、ナインをわたくしに近づかせないようにしてください」
「………君は、立派だな。女帝ではなくなったが、君は女帝の物の考え方をする」
「シオンに色々と、騙されましたから。皇族失格になる時、役立つから、と色々と教えてくれました。まさか、皇帝となるための教育を受けているとは、気づかなかったわたくしは、バカなんです」
「………」
呆れる皇帝メフノフ。
「わたくしは、騙されてばかりです。シオンに騙され、貴族の学校でも騙され、皇族は世間知らずだと、思い知らされました」
「そういうことなら、わたくしたちだって、世間知らずよ。騙された経験もないから、きっと、大変なことになる」
「だから、エッセンを頼ってください。宰相も大臣たちも、話せばわかってくれる、優秀な方たちです。全てを一人でやろうとしないで、人を使ってください。わたくしは優秀なわけではありません。人を使うことが、上手なだけですよ。騙されてばかりでしたが、それは、大事な交流なんです。抜けているほうが、人に受け入れやすいのですよ」
「………」
「メフノフとティッシー、二人で頑張ってください。ちょっと失敗したって、帝国は滅んだりしませんよ。とりあえず、戦争はしばらくありませんし。良かったですね」
「メフノフから聞いたわ。シーアのお陰で、戦況を持ち返したのよね。戦争の本当の功労者は、シーアよ」
「まだ、わたくし、結婚を諦めたわけではありませんから。戦争の功労者として名が上がったら、出会いが遠のきます」
女が前に出ることを男は嫌います。せっかく女帝を辞めたのだから、細やかな女の夢を叶えたい。子さえ為さなければいいのよ。
もう、わたくしを止められないと悟ったメフノフとティッシーは、わたくしを離してくれた。
わたくしは、さっさと皇族の居住区を抜け出して、城を出ようとしたのだけど、今度は、宰相と大臣たちが待ち構えていた。隠し通路使って逃げれば良かったー。
「シーア様、どちらに行きますか?」
「ちょっと、城を出て、社会勉強をしに行きます」
「だったら、我々の屋敷にご案内しましょう」
「いい若者がいます」
「母君が叶えられなかった結婚をぜひ、シーア様が叶えてください」
「………」
亡き産みの母の無念を持ち出す宰相と大臣たち。ただ、城を出るだけで、こんなに障害があるなんて、思ってもいなかった。
「でも、母は、一夜とはいえ、シオンと過ごしたことは、いい思い出となったと聞いています。過ぎたる欲望は、身を滅ぼします」
「シーア様、それは、細やかな願望です。誰だって、細やかな幸福を得たいと思うものです。シーア様の母君が望んだのは、人並なことです」
「皇帝との結婚は、過ぎた願望ですよ」
「そんなこと、望んでいませんでした。ただ、人並な過程を築きたい、それだけです。相談してもらえれば、我々の身内を紹介したのに」
これは、宰相と大臣たちの後悔だ。わたくしの産みの母のことを個人的に可愛がっていたのだろう。送別会で酒を酌み交わすほどだから、娘のように見ていたかもしれない。
だから、宰相と大臣たちは、わたくしをしっかりした身分の者と一緒にさせ、側で見守りたいのだ。
きっと、それは、最高の幸福だろう。大衆小説に書かれるような、幸福な終わり方だ。一生懸命、わたくしに甘言を弄する彼らに、わたくしは誘惑に負けそうになる。
「シーア嬢、こちらにいましたか」
「皆、待ってますよ」
そこに、文官ナックルと伯爵マッシュがやってきた。周囲を貴族では最高権力者たちに囲まれているから、文官であるナックルは、マッシュの後ろに隠れた。
「お前たち、シーア様に何用じゃ」
「我々の用向けよりも重要か?」
「シーア嬢のお迎えにあがりました。城の外では、貴族の学校時代の、シーア嬢の先輩、同級生、後輩が待っています」
色々と物言いたげな宰相と大臣たち。このまま、わたくしを言いくるめて、屋敷に閉じ込めてしまおう、なんて計画をたてていたのだろう。
だけど、わたくしの知り合いがいっぱい、城の外で待っていると言われて、権力で物言うわけにはいかなくなった。ほら、宰相と大臣たちは、将来有望かもしれない若者を見守る年齢だ。邪魔をするわけにはいかない。
「お待たせしてしまいましたね。では、皆さん、ごきげんよう」
「シーア様!!」
どうにか隙間を這うようにして抜け出したというのに、宰相がわたくしの腕をつかんだ。
「約束の時間から、随分と過ぎてしまいました。行かないと」
「落ち着きましたら、我々に顔を見せてください」
「これでお別れだけ、どうか」
「約束はしません」
「そんな!?」
「わたくしの産みの母は、約束、守りましたか?」
「………」
きっと、わたくしの産みの母は、また来ます、と約束したのだろう。だけど、皇族ネフティの嫉妬で、わたくしの産みの母は死んで、宰相と大臣たちの約束を守れなかった。
「未来はわかりません。わたくしは、世間知らずな皇族です。きっと、城の外で、食い物にされるでしょう」
「でしたら!!」
「我々がお守りします!!」
「あなたがたにお世話になると、ナインに捕まってしまいます。ナインは、大事な筆頭魔法使いです。わたくしへの執着で、ナインを失うわけにはいきません。わたくしの代わりはいますが、ナインの代わりはいません」
「うううう、ここまでご立派に育って」
「生きていれば、きっと、喜んでいたでしょう」
「どうか、末永く、帝国のどこかで、幸せになってください」
「大丈夫ですよ、わたくしには、貴族の学校時代に忠誠を誓ってくれた下僕たちがいっぱいいますから。では、さようなら」
やっと、宰相はわたくしの腕を離してくれた。




