女帝失格
禁則地が目の前で崩壊して、大混乱となったのは、帝国側だけではない。敵国側も、筆頭魔法使いを封じる禁則地が崩壊したことで、混乱が生じていた。
一度は、敵国側は戦力の上でも有利となった。帝国側は半分の戦力は禁則地に飲み込まれたのだ。それも、禁則地が崩壊すると、飲み込まれた戦力は無傷で帝国側に戻ったのだ。
それからは、人同士の戦いだ。もう、禁則地という得体の知れない力を失った敵国側は、武力でもって戦うしかなかった。
帝国側は、時間稼ぎだ。禁則地が崩壊したことで、どんどんと、筆頭魔法使いナインが回復していった。あんなに真っ黒で、溶けそうだったのに、一日で、黒さが灰色になって、三日で、綺麗な姿に戻っていた。
そして、わたくしが戦地に来て五日目で、とうとう、筆頭魔法使いナインが目を覚ました。
「シーア、どこにいる?」
「………」
わたくしはナインから距離をとった場所にいた。まさか、ナインが開口一番に、わたくしを呼ぶとは思ってもいなかった。わたくしは、情けなくも、辺境の貧民街の支配者エンジの腕の中で沈黙する。妖精憑きであるエンジだって、きっと、無事ではすまないだろうに、エンジは力強く、わたくしを抱きしめてくれた。
「シーア、いるのはわかってるんだ。側に来い」
「い、行けません!! わたくしが側にいたら、ナインは死んでしまいます」
「………まさか、知ったのか」
「ナイン、まさか、知っていたのですか!?」
「妖精殺しのことだろう。皇族アーシャの秘密は、筆頭魔法使いだって知ってることだ。シーアが妖精殺しだと、気づかないはずないだろう。お前のことは、生まれた頃からずっと見てるんだ」
「知っていて、側にいたのですか!? そのせいで、ナインは寿命を削られたというのに」
「シオンの子だ。だから、寿命を捧げた」
筆頭魔法使いナインは、ただ、唯一の人である亡き先帝シオンのために、わたくしが赤ん坊の頃からずっと、寿命を捧げ続けていたのだ。
その事実に、わたくしは泣くしかない。
「シーアの浮気者め。エンジの寿命を捧げさせたな」
「そ、そんなこと、知りませんよ!!」
「俺様が丹念に、シーアの寿命まで、染め上げたというのに、軽い女だな。だから、メフノフに浮気されるんだ」
「ご、ごめんなさいぃ」
「………シーアが泣くから、黙っていたのに、誰だよ、教えたのは」
ナインは上体を起こして、天幕を見回した。
「妖精殺しの貴族がいるのか。口が軽い奴め。だから、女に振られるんだ」
天幕内にはいないけど、妖精憑きであるナインは全てお見通しだ。
「我が家は、神から与えられた役割に従っているだけだ」
ナインが妖精で呼び寄せたのだろう、天幕に伯爵マッシュが入ってきた。いつもの笑顔だが、目が笑っていない。
「筆頭魔法使い殿、妖精殺しを我が家に引き渡してもらおう。寿命を全うするまで、大事に、だけど、子を為させないように囲うと誓おう」
「断る!! シーアは俺様の皇帝だ」
「妖精殺しを甘く見ないほうがいい。我が家の子飼いの妖精憑きを短期間で全滅させたんだ。筆頭魔法使い殿の寿命だって、どれほど残っているのやら」
「貴様よりは長生きだ」
「千年に一人必ず誕生する化け物は、だいたい、五百年の寿命持ちだ。いくら僕よりも長生きといったって、残った寿命はせいぜい、半分だろう。これから、どんどんと妖精殺しに寿命を盗られるぞ」
「シオンと約束した。俺様の全てをかけて、シーアを幸せにすると。シオンとの約束は絶対だ」
「その約束だって、皇帝が死んだ今、拘束力はない。筆頭魔法使いが持つ契約紋は、死んだ者の命令は通じない」
「そんなもの、関係ない。俺様がそうすると決めたんだ」
「ナイン、もう、守らなくていい約束です」
わたくしは、筆頭魔法使いナインの側に行った。ナインは、かすかにうれしそうに笑う。だけど、すぐに、表情を強張られた。
「お前、何をしたんだ!?」
「わたくしは、女帝を辞めたい」
「だからって、失格紋の移し替えを受けるなんて!?」
やはり、筆頭魔法使いであれば、今のわたくしが失格紋を背中に持っていることがわかるのだ。
「こうしないと、ナインはわたくしを女帝と言い張るでしょう。だから、ティッシーの失格紋をわたくしの背中に移し替えました」
「ま、まさか、兄貴が、やったのか!?」
「そうだ」
わたくしは、凶星の申し子であるエンジに頼んで、皇族ティッシーの背中にある失格紋をわたくしの背中に移し替えたのだ。
凶星の申し子だからだろう、帝国が隠し持っている技術をエンジは知っていた。だから、筆頭魔法使いナインが戦場にいる間に、わたくしは、失格紋の移し替えをしたのだ。
まだ、完璧な回復ではないナインは、絶望したように、わたくしを見た。わたくしは距離をとるというのに、ナインは無理矢理、起き上がり、わたくしを抱きしめた。
「ナイン、いけません!!」
「そんなぁ、シーアをここまで、俺様が守ったのにぃ」
「………」
筆頭魔法使いナインが悔しくて泣くので、わたくしは抵抗出来なかった。
ナインの本心はわかる。先帝シオンを言い訳にしているが、そうではない。だって、わたくしが赤ん坊の頃から寿命を捧げることなんて、する必要がない。
最初は、確かに、シオンの子だから、仕方なく、ナインはわたくしを生かすために寿命を捧げたのだ。そうでないと、わたくしはあっという間に死んでしまう。それをわたくしがシオンの子だとシオンに知られるまでずっと、寿命を捧げ続けたのだ。情だって湧く。
「シオンは、わたくしのこの体質、知っていましたか?」
「話すわけがないだろう。シオンは何も知らない。シーア、お前は俺様のものだ。お前はずっと、俺様に生かされてたんだ。だから、ずっと、俺様の側にいるんだ」
「離れなさい」
ナインは熱く訴えてくるが、伯爵マッシュが容赦なく、わたくしを引きはがした。まだ、回復しきっていないナインは、その場に膝をつくこととなる。
「妖精殺しは、その場にいるだけで、妖精憑きを狂わせる。それも、離れれば、時間が解決してくれるだろう」
「俺様のシーアだ!!」
「筆頭魔法使い殿が先に死んだ時、彼女はどうなるかわかっているのか? 妖精憑きに寿命を捧げられないと死んでしまうんだ。力の弱い妖精憑きは、あっという間に死んだ」
「それでも、長生き出来る!!」
「長く生きることが重要なわけではない。我が家に任せてくれればいい。安らかな死を約束しよう」
筆頭魔法使いナインは、よくわからない執着をわたくしに向けて、泣いた。
こんなことになるなんて、思ってもいなかった。ただ、平凡で平穏は日々をわたくしは望んでいただけだ。そのために、失格紋をティシーから移し替え、女帝を辞めようとした。
「シーアの寿命は、俺様が責任を持とう」
そこに、辺境の貧民街の支配者エンジが割り込んだ。わたくしをしっかりと抱きしめ、伯爵マッシュからも離した。
「あっという間に、死ぬぞ」
マッシュは暗い笑顔を浮かべていう。
「は、離してぇ、くださいぃー」
わたくしが泣いて抵抗しても、エンジはしっかりと抱きしめて、離さない。力が違い過ぎる。
「俺様と辺境で暮らそう。そして、俺様と一緒に生きて、死ぬんだ」
見上げれば、エンジも狂気で笑っていた。
「なんて素晴らしいんだ。臓腑から、寿命まで俺様のものに出来る。こんな幸福、他にはない」
妖精憑きでしかわからない幸福論だ。筆頭魔法使いナインを見れば、まだ、体調が戻っていないというのに、這いずって、エンジの足をつかんだ。
「連れて行くな!! 俺様がずっと、守っていたんだ!!!」
妖精憑きの狂気がどんどんと伝染していくようだ。弱っているから、普段のナインとは違った。きっと、弱っているから、本音が出たのだろう。
「だったら、お前も辺境に来い。筆頭魔法使いなんて、辞めさせてやる」
「いけません!!」
エンジにはそれが出来る。だから、わたくしは止めた。筆頭魔法使いナインの契約紋をどこかの魔法使いの背中に移し替えられてしまったら、帝国は大変なこととなる。
「僕は、妖精殺しの血族を根絶やしに出来れば、どうだっていい。子は絶対に作るな」
妖精殺しの貴族として、マッシュは酷いことをいう。
「わたくしの下僕だって言ったくせに!!」
「………確かに、そうだな」
「下僕ならば、これをどうにかしなさい!!」
「仕方がないなー」
マッシュはおもむろに煙草を取り出すと、火をつけた。こんな大変な場で、呑気に喫煙ですか!!
マッシュは、煙をわたくしに向かって吐き出した。
「げほっ、な、何を」
こんな密室で吐き出された煙をよりによってわたくし向かってだなんて、嫌がらせでしかない。
ところが、エンジはばっとわたくしから離れた。弱っていた筆頭魔法使いナインなんか、這いずった姿勢で、意識を失った。
「この煙草は、さすがに力の強い妖精憑きでも、きついか」
「な、なんだ、それは!!」
さらに吐き出した煙をエンジへと吹きかけるマッシュ。エンジは逃げるように、天幕から出ていく。逃げられない筆頭魔法使いナインは、意識がないまま、痙攣まで起こした。
マッシュは煙草の火を消したが、天幕に充満した煙は残ったままだ。天幕の換気のため、少しだけ幕を開けて、マッシュは笑った。
「濃縮した妖精を狂わせる香は、筆頭魔法使いにもきつかったか」
「まさか、その煙草は」
「僕お手製の煙草だ。この煙だけで、野良の妖精憑きは数日、寝込むことがある。こんなものを吸っているから、僕は妖精に嫌われるんだ」
「おかしな話ですね。あなたは妖精や妖精憑きに嫌われて、わたくしは、妖精や妖精憑きに好かれるなんて」
わたくしとマッシュは真逆だ。話を聞いていると、始まりは同じ成り立ちだから、わたくしも妖精や妖精憑きに嫌われるはずだ。
「妖精殺しの御業は、寿命を削る。僕だって、そう長くない。妖精を狂わせる香は妖精憑きにも忌避される。なのに、僕の体液は、妖精憑きにとっては、常用性のない麻薬だ。きっと、君は生まれつき、妖精や妖精憑きにとっての麻薬なんだ」
「そういうものなのですか」
「シーア嬢の下僕となる忠誠は本心だ。シーア嬢が妖精殺しだとは知らなった時だ。騙したわけではない」
「そうですね」
伯爵マッシュがわたくしに下僕となる忠誠を誓った後、長期休暇で、マッシュの家のお手伝いに行った。
「妖精憑きに取り合いされても、体質だから、なんて言われたら、嬉しさも半減します」
やっぱり、わたくしは、色恋には無縁だった。
わたくしが筆頭魔法使いナインから距離をとれば、ナインもすぐに回復した。そして、いつまでも決着がつかない戦場から帝国側の味方を撤退させ、魔法により、戦場に残る敵国の兵士たちを一掃した。
本当に一瞬のことだ。地面が溶けるほどの業火が見渡す一帯に立ち上がり、敵国の兵士たちは、骨すら残らなかった。
そうして、敵国はまた、敗戦国となった。
帝国側がどうにか戦勝国となる目途がついたので、わたくしはさっさと戦場から王都へと戻った。戦後の話し合いとかは、全て、筆頭魔法使いナインと皇族エッセン、皇族メフノフに任せた。
わたくしは、いつもの通り、城で紙の上のお仕事をさばいていた。
「それ以上、国政に関わることは、我々が許さん!!」
そこに、皇族たちがなだれ込むようにやってきた。
わたくしが整理したばかりの書類を乱暴に払われた。あー、せっかく綺麗に仕分けしたのにぃ。
「何するのですか!! ここまで頑張ったのにぃ」
「女帝陛下、すみません、我々はもう、老眼で見づらくて」
「せっかく、こんなに多くの皇族の皆さんがいるから、やってもらいましょう」
「それどころではない!! その女は、女帝でありながら、失格紋を受けている、皇族失格者だ!!!」
「失格紋を受けても、皇族ですからねー」
「そうそう」
「筆頭魔法使いの妖精の加護がなくなっただけではないですか」
「生まれ持った皇帝としての才能は変わりません」
宰相と大臣たちは、声高と叫ぶ皇族に冷たい視線を向ける。そうよね、失格紋があっても、仕事は出来るものね。
「ここは、帝国民の営みに関わる場所です。皇族の都合を持ち込んではいけませんよ」
「だったら、ここから出てもらおう」
「仕事が終わってからです。あなたがたがやるのですか? これをやるということは、あなたがたは皇帝になるということです。ぜひ、やってください」
『………』
全員が無言になる。わたくしのことは気に入らないけど、皇帝になりたくはないという。だったら、口出しなんかしないでほしい。
わたくしは、めちゃくちゃになった書類を整えて、簡単に仕分ける。それを呆然と見ている皇族たち。
「それで、わたくしが失格紋を受けたこと、いつ、聞いたのですか?」
「ティッシーから聞いたんだ」
ティッシーの家族が偉そうに胸を張っていう。わたくしは、ティッシーの家族を嘲笑ってやる。
「ティッシーが泣いて頼んでも、祖父母でさえ失格紋の移し替えを拒否したと聞いています。ティッシーからそれを聞いて、わたくしにいうことはそれですか」
「そ、それは………」
「他にも、頼まれた人たちはいるでしょう。結局、失格紋の移し替えを名乗り出たのは、メフノフの祖父であるエッセンのみ。エッセンは言いましたよ。老い先短いのだから、孫の失格紋をぜひ移し替えしてほしい、と。この中には、失格紋を受けた家族もいるでしょう。わたくしに何かいう前に、やるべきことはあるでしょう」
「それもこれも、貴様のせいだろう!!」
「メフノフの家族は、そんなこと言いませんでしたよ。メフノフが裏切ったから仕方がない、と言っていました。実際、メフノフのご両親は、ティッシーの失格紋の移し替えに名乗り上げましたよ。おかしい話ですね。ティッシーのご両親も祖父母も、失格紋の移し替えを拒否して、血のつながりのないメフノフのご両親がティッシーの失格紋の移し替えに名乗り上げるなんて」
「こ、この、失格紋を受けたくせに、生意気だ!!」
とうとう、ティッシーの父親が剣を抜き放った。うーん、あのへっぴり腰で、斬れるのかしら。
わたくしは作業をそのまま続ける。ちょっと痛い目にあう程度、なんて見ていた。なのに、宰相と大臣たちが、書類を放り投げて、わたくしの前に壁になるように立ちはだかったのだ。
「危ないですよ!!」
さすがに、わたくしは作業の手を止めた。宰相と大臣たちの体を押しのけようとするけど、それなりに立派な体格をしているから、びくともしない。
「我々は、女帝陛下の盾だ!!」
「我々を殺せばいい!!」
「このぉ!!」
とうとう、ティッシーの父親が動き出してしまった。わたくしは仕方なく手を伸ばした。隙間があるのだから、手を伸ばして、素手で剣をつかんで止めた。
「女帝陛下!!」
「ははははははは!!」
「何をやっているのですか!! この人たちが動けなくなったら、帝国の中枢が止まりますよ!!! 責任、とれるのですか!?」
「そ、それは、こいつらが勝手に」
「大切な人材を使い捨てにするような国には、未来はありません」
ざっくりと利き手を斬られて痛いけど、我慢した。血がだらだらと流れるから、宰相と大臣たちが布をあてて、出血を止めようとしてくれた。
「女帝陛下、治療をしないと」
「このままでは、手に障害が出てしまうかもしれません」
「はやく、医者を呼べ!!」
大騒ぎとなった。
わたくしの流血に、押し入ってきた皇族たちは、呆然となった。
「やっと、戦争が終わり、戦後交渉となっている時に、戦争にも出ないお前たちは、何をしているのですか!!」
「貴様だって、代理をたてて、ここにいるじゃないか!!」
「だから、女帝としての仕事をしています」
わたくしが戦場に行ったを知っているのは、軍部と宰相と大臣たちくらいだ。腰抜け皇族は知らないから、言いたい放題だが、わたくしは気にしない。
「最高齢のエッセンが失格紋を受けて戦場に立ち、まだまだ若いお前たちは、ここで、わたくしの足を引っ張って。このことは、女帝代理として出征したエッセンとメフノフに報告しておきます。どうせ、戦争の功績により、メフノフが皇帝になることは、決まっています」
「そ、それじゃあ、俺は、皇帝の義理の父か」
呆れた。ティッシーのことを見捨てたくせに、メフノフが皇帝となると聞くと、ティッシーの父親は手のひらを返した。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた皇族ティッシーは、苦い表情をして、喜ぶ家族を冷たく見つめた。




