真面目でいい子なアーサー
いつまでも続くかと思っていた、狭い小屋での生活が、アーサーによって壊された。俺は、何も期待していなかった。どうせ、また、いつものように、嘘をつかれて、俺の上を男か女が乗るんだ。
だけど、アーサーは約束を守ってくれた。明日来る、と言って、本当に来たんだ。しかも、俺を小屋から出してくれた。
親兄弟から捨てられ、友達からは裏切れ、領地民全てから、俺は蔑まされ、俺の自由を奪う小屋に閉じ込められ、散々なことをされた。暴力を受け、よくわからないことをされて、痛かったり、気持ち良かったりして、その間に、家族にしてくれる、友達になってくれる、という約束を破られて、怒りに任せて、禁則地を呪った。
そういう日々が、アーサーによって壊された。アーサー本人は、何もわかっていない。俺もよくわからないが、アーサーが俺を自由にしてくれた。
だから、俺はアーサーの側から離れたくなかった。もう、家族も、友達もいらない。アーサーだけが欲しい。
幸い、俺は強い妖精憑きだという。よくわからないけど、俺みたいに力の強い妖精憑きが望むなら、アーサーの側に居続けることが出来るという話だ。
ただし、色々と勉強しないといけない。俺はガキの頃からずっと、小屋に閉じ込められ、何も教えられなかった。それに、アーサーは貴族だ。貴族の側にいるのなら、それなりにマナーを身につけないといけない、と辺境の教皇フーリードに言われた。
「わかった、その、マナーとか、そういうのは身に着ける!!」
「それと、アーサーは将来、爵位を引き継ぐ。そうなると、アーサーの側には、それなりの人が四六時中、つくこととなる。我慢するように」
「イヤだ!!」
「アーサー一人でこなせるのは、限られてるんだ。最低限、家令や執事、使用人頭は必要だ」
「わかった、それも俺がやる」
「まあ、教えるが、出来ない時は、諦めるんだぞ」
フーリードは溜息をつきつつも、俺に教えてくれた。
たぶん、理不尽なこともいっぱい、教えられたんだろう。だけど、俺にとっては、全て、初めてのことだ。知らないことだから、理屈とか、そういうのは、どうだっていい。フーリードが必要だ、そういうものだ、やれ、と言えば、そのまま俺は受け入れた。
だからだろう。フーリードからいっぱい、合格を貰った。合格の紙を持って帰ると、アーサーが驚いた。
「すごい!! キロンはもう、天才だね!!! こんな短期間で、こんなに出来るなんて。私もさぼってちゃいけないね。頑張らなかきゃ」
「アーサー、すぐに出来るようになるからなー。そうしたら、神殿に行かなくていいから、ずっとアーサーと一緒だ」
「………いっそのこと、魔法使いになろうよ」
「ならない」
アーサーは、どうしても、俺を側から離そうとした。俺のために言ってくれることだ。だけど、俺は絶対にイヤだから、アーサーにべったりとくっついた。
「ほら、アーサーに他の妖精憑きのものが混ざってる。神殿にはもう行くな」
「そういうわけにはいかないよ。信徒なんだから、お祈りしないと」
「………」
アーサーは、神と妖精、聖域の教えをきちんと従う、いい子だ。誰もが、アーサーのことをそう見ている。
だけど、実際は、アーサーが生きるために、神殿にいる妖精憑きである神官たちシスターたちから寿命を捧げさせるためだ。
アーサーは、生まれた時から妖精殺しという体質を持っている。妖精の魔法が一切、届かないのだ。それは、良い魔法、悪い魔法、関係ない。全ての魔法がアーサーには届かない。しかし、その体質を生まれ持っているため、体がとても弱いのだ。その弱さを補うのが、妖精憑きに好かれる体質だ。妖精殺しは、とても妖精憑きに好かれる。そのため、妖精憑きは、無意識に妖精殺しであるアーサーに寿命を捧げるのだ。
アーサーは、生まれた頃からずっと、母マイアに神殿に連れられ、妖精憑きである神官たちシスターたちに寿命を捧げさせて、生き延びていた。そのお陰で、健康に過ごしているという。
アーサーが生きるためには、必要なことなのはわかる。だけど、アーサーの中に、他の妖精憑きの寿命が混ざっている感じが許せない。だから、俺は、神殿に行くアーサーを俺の寿命で満たして、これ以上、他の妖精憑きの寿命が混ざらないようにしていた。
だけど、俺はまだ、未熟だから、完璧ではない。どうしても、足りなくて、アーサーが神殿にいくと、他の妖精憑きの寿命が混ざっていた。
それが、最近、同じ妖精憑きなんだ。
捧げられた寿命だ。それを抜き出すことは不可能だ。ただ、消費されるのを待つしかない。
「また、あの男か」
「キロン、神殿の人たちを嫌わないの!! 皆さん、とても親切で、いい人ですよ」
「アーサーの前だけだ!! 俺には、アーサーを独り占めにするなって、影で言ってるんだぞ。俺のアーサーなのに!!!」
「い、いえ、私はキロンのものじゃないけど」
「っ!?」
戸惑っているアーサーが、否定的なことを言ってきた。それには、俺は泣きそうになった。
「アーサーは俺を裏切った奴らみたいに、俺を捨てるつもりか!?」
「いつかは、そうなるでしょう。お互い、家族を持つこととなるんだから。私はいつか、結婚して、子を持って、となります。そこにキロンがいたら、破滅しちゃうでしょう」
「俺はアーサーの子どもを可愛がるぞ!!」
「ヘラとは喧嘩ばっかりなのに」
「気に食わないんだから、仕方がないだろう!!」
アーサーの婚約者ヘラと俺は仲が悪い。仕方がない、あわないんだ。
「いつかは、私とヘラは結婚するんです。でも、キロンはヘラと喧嘩するし」
「他の奴にしろよ!! そうだ、フローラにしろよ。あいつならいいぞ!!!」
少し前、農業体験で一か月だけ屋敷に滞在した伯爵令嬢フローラは、気にならなかった。
アーサーは、何故か、自らの胸に触れて見下ろす。
「やはり、胸かー」
「なにが?」
「フローラは、あの年頃にしては、胸、膨らんでいましたね」
「アーサーは、胸がある奴がいいのか?」
「………欲しい、かな」
「俺は男だから、無理だな」
「そうじゃなくって、私は、その、隠しているけど、女、だから」
アーサーは見た目は男だが、実際は女だ。今は子どもだから、男装していても、男に見える。
確かに、胸はぺったんこだな。ちょっと触ってみても、胸板だ。
「大きくなれば、成長するもんだ。それよりも、その膨らんだ胸を隠すほうが大変だぞ。どうするんだ?」
女の胸は過去にいっぱい、見た。あれを隠すのは、大変だ。だいたいの女は、それなりに立派な胸を持っている。
「その時は、さらしを巻いたりするそうです。今、練習してるんです」
「そうか。じゃあ、俺も手伝ってやるよ」
「あと二年で、膨らむかなー」
男装するためには、胸板なのは、とてもいいことなんだ。だが、アーサーは、女にしかない膨らみに憧れを持っていた。
不思議なことに、女物の服には、アーサーはこれっぽっちも興味を示さなかった。男装しているからといって、女が好きというわけではない。かといって、好きな男もいない。そこは、アーサーはあっさりしていたのだ。
ただ、女としての胸の膨らみにだけ、アーサーは強い興味を示した。
俺は、アーサーの体質というものをよくわかっていなかった。きっと、魔法使いでも、アーサーの体質はわからなかっただろう。
アーサーの母マイアが亡くなってから、アーサーは一度、死にかけた。俺とアーサーを引き離そうとして、アーサーが大怪我をしたのだ。
アーサーは頭を棒で殴られ、そのまま倒れ、動かなくなった。まずいところを殴られたのだ。俺は、もちろん、普通に魔法でアーサーを治そうとした。離れていても、それは出来ると思っていたのだ。
ところが、アーサーは治らない。俺は、神殿で魔法の訓練をしていた時は、普通に出来たのだ。なのに、アーサーの大怪我が治らない。
そうしている間に、アーサーを人質にとられ、俺はアーサーの父ネロの命令に従って、俺が昔から閉じ込められていた小屋に戻ることとなった。
俺は、魔法が使えなくなったかと思った。試しに、アーサーに酷い事をするネロたちを呪ってやった。目の前にいないが、呪いが発動した感触はあった。使える。
アーサーのことを俺は真に理解していない。アーサーの妖精殺しという体質を、ただ、妖精憑きの寿命によって生きている、と見ていたのだ。肝心な部分を俺は理解していなかった。
俺はついでに、領地を呪い、待った。ネロたちは妖精の呪いを受けて、酷いこととなっている。このまま、アーサーから引き離されるのなら、ネロたちの呪いはそのままにするつもりだ。どんどんと醜い姿になっていくネロたち。誰が見ても妖精の復讐を受けている姿に、いつかは、神殿に報告がいくだろう。そこで、やっと、ネロたちの悪行が発覚する。それまで、俺は待った。
ところが、その日の内に、ネロたちが俺をアーサーの元へ戻れと言ったのだ。妖精の復讐を受けた姿を隠して、俺が百年近く過ごした小屋にやってきて言ったのだ。
「今すぐ、アーサーの元に戻れ!! そして、俺たちの姿を元に戻せ!!!」
「それで、神殿に駆けこめばいいだろう。俺が悪いことしたって」
「煩い!!」
俺は知らなかったが、妖精に復讐されるということは、悪行をした証だという。いくら、俺がやったとしても、妖精の復讐が発動するということは、受けた側に問題があるとされるのだ。
そういうことを知らないのは、俺が魔法使いではないし、野良の妖精憑きだからだ。妖精憑きとしての生き方を教えられているだけで、肝心の、魔法使いとして、また、帝国民としての常識を俺はわかっていなかった。辺境の教皇フーリードも、そこが抜けたんだ。
だから、俺は、アーサーを救うのを失敗したのだ。
俺は色々と抜けていた。それに気づかず、アーサーの側にいたいばかりに、屋敷の外にある小さな小屋に駆けこんだ。
そして、手当もされず、放置されているアーサーを見ることとなった。
「あ、アーサー?」
アーサーは何も答えない。抱き上げてみて、色々と確かめた。胸の鼓動はかろうじて、聞こえた。だけど、どんどんと遅く、止まろうとしている。
俺はどうにかしようと、アーサーの頭の傷に魔法をかける。だけど、魔法は何かに弾かれた。
そういえば、アーサーは言っていた。良い悪い関係なく、魔法が届かない体質だと。
実際に、アーサーに魔法を施すことなんてなかった。表面的に綺麗にすることは出来たから、出来るんだ、と思った。
違う、表面は、アーサー自身ではない。ただ、表面を綺麗にしているから、アーサーの体質には関係ないんだ。
アーサーが受けた頭の傷は、アーサー自身だ。本当の意味で、魔法は届かないのだから、それは、ただの人と同じように治療するしかないのだ。
俺はせめて、と寿命を捧げた。とんでもない勢いで、俺の寿命がアーサーに消費された。だけど、傷が治るわけではない。俺は、まだ、間違った方法をとっている。
そして、辺境の教皇フーリードが何気ない話を思い出す。
『妖精は万能だが、それでも、限りがある。例えば、妖精の呪いの刑は、妖精憑きであれば、誰だって出来るが、命を代償にして行うこととなる。そういう、理を曲げるようなことを行うには、代償を支払うことで可能となることがある。力の強い妖精憑きは、百年は軽く生きる。その長い寿命を捧げれば、不可能を可能に出来ると言われている』
この時、何が出来るのか、と質問したが、フーリードは教えてくれなかった。かなりまずいことなんだろう。
もし、寿命を捧げれば、アーサーの傷を治せるかもしれない。
やり方はなんとなくわかる。アーサーに寿命を捧げるのと変わらない。その要領で、アーサーの傷を癒すように魔法を行使した。
「ぐぅっ」
想像していたよりも、多くの寿命が必要だった。一気に、力が抜けた。寿命の操作は、やり過ぎると、俺が倒れることもあった。それでも、アーサーの頭の傷はふさがり、顔色もよくなった。
そして、俺はそのまま、意識を失った。
目を覚ました時、俺はアーサーの膝を枕にして、横になっていた。アーサーは俺が目を覚ますと、笑顔を見せた。
「キロン、心配したんだよ!!」
「アーサー、良かった、生きてる」
「………ねえ、キロンは、私に、何をした?」
すぐに、アーサーは笑顔を消した。無表情に見下ろすアーサー。
「俺は、アーサーを助けるために、魔法を使っただけだ」
「私には、いい魔法も、悪い魔法も届かない。私の傷は、魔法では治せない」
「そうだ。だから、寿命を捧げた」
「っ!?」
アーサーはボロボロと泣き出した。俺は慌てて起き上がって、アーサーを抱きしめた。
「アーサー、いつも、俺がやってることだろう」
「そうじゃない!! 私なんかのために、キロンは寿命を無駄遣いしたんだ!!! あのまま、私は死ねば良かったんだ」
「そんなことしたら、俺はまた、一人になっちゃうじゃないか!!!」
「もう、一人じゃない。キロンには、フーリード様がいる。私が死んでも、キロンは生きて、今度こそ、魔法使いになればいいんだ!!!」
「いやだ!! アーサーだけがいればいい。他のことなんていらない!!!」
「だってぇ、私、父上に、捨てられたぁ」
いつもは大人びた落ち着いたアーサーが、子どものように泣いた。忘れがちだが、アーサーは母親を亡くしたばかりの、大人の保護が必要な子どもだ。
わんわんと俺の胸で泣くアーサー。俺が側にいるというのに、アーサーは家族に捨てられて、絶望していた。
「俺は、最後まで、アーサーの味方だ!! アーサーからは、絶対に離れないからな!!!」
「ふふ、あはははは、そんなわけないだろう!! お前だって、血のつながった家族が迎えに来たら、私のことを捨てるんだ!!!」
「そんなのいない!! 俺にはアーサーだけだ。俺の親兄弟は、俺を捨てたんだ。だから、大丈夫だ」
俺は嘘をついた。血のつながりのある奴は存在する。俺が小屋に閉じ込められている間、俺は言われるままに従っていた。家族になってくれる、友達になってくれる、と言われれば、すぐ、俺は言いなりになった。そして、捨てられた。
その中には、俺の子を産んだ女もいたんだ。実際に、俺は小屋から出てから、俺の子や孫だという奴らに会った。
この事実は、アーサーには隠されていることとなっていた。だけど、俺の子や孫だと名乗る奴らは、俺がいない所で、アーサーに会いに行っていた。そして、アーサーは俺には子や孫がいると知っていながら、その事実を知らないふりを続けたのだ。
アーサーは、俺に子や孫がいるという事実を知らないふりを続けなければならない。だから、俺の嘘に引きつった顔となった。
「そ、そう、だね」
その嘘に、アーサーは縋りついた。アーサーは、このまま黙っていれば、俺が側にいると考えたのだ。
俺はアーサーを抱きしめた。
「そうだ、俺にはアーサーしかいない。アーサー、ここを出よう」
「私は、お金がかかっているから。そういうわけにはいかない」
アーサーは母方の祖父ウラーノに言われた事を気にしていた。子爵家の爵位を受け継ぐために生まれたアーサー。そのために、ウラーノは子爵家の借金を肩代わりしたのである。
アーサーはまだ、身内がいることを思い出した。
「お祖父様のためにも、ここにいないといけない」
「あのじいさんのトコに逃げればいいだろう」
「そんなことしたら、父上たちが、大変なことになる」
「死にそうになってたってのに、まだ、あいつらのことを心配するのか!?」
「母上が言っていた。いつか、家族になるんだから、仲良くしなさい、と」
「あいつら、アーサーとは仲良くするつもりなんかないぞ!!」
「私が、父上を手助けすれば、きっと、仲良くなれる。お祖父様が肩代わりした借金を返済さえすれば、父上の望み通り、義兄上が爵位を受け継げる。お祖父様だって、過去の肩代わりした借金さえ返せば、子爵家のことも口出ししないよ。私は、別に、子爵になりたいわけではない。子爵となった義兄上のお手伝いをするよ」
無理だ。俺は声を大にして言いたかった。だけど、言えなかった。アーサーは知らないんだ。
父ネロの愛人リサには、息子リブロ、娘エリザがいる。二人の子どもは、ネロの子とリサは言っている。
そうじゃない。リサの子ども二人の父親は、ネロじゃない。辺境の教皇フーリードが親子鑑定をしたところ、父親はネロじゃない、という鑑定結果が出たのだ。その結果をアーサーの母マイアは知っていながら、アーサーにも、ネロにも隠していた。
この真実を知っているのは、俺と、死んだマイア、親子鑑定をしたフーリードの三人だ。愛人リサは、不貞を隠し、ネロの子だと言い張っているが、親子鑑定を拒否したので、もしかしたら、勘付いているのかもしれないが。
アーサーは、いい子だ。そのいい子が、アーサーの首をゆっくりと絞めていた。




