母の兄
翌朝になれば、侯爵令嬢シリアだけでなく、伯爵令嬢フローラも、家に帰ることとなった。今回の話を一度持ち帰って、話し合わなければならないからだ。
「あの罪人のことは、お任せします」
「どうして欲しい?」
伯爵令嬢フローラに、笑顔で聞き返されちゃった。
色々と考える。過去、私がされた酷いことがどんどんと脳裏を横切った。酷いことも言われたな。もう、辺境では、私の悪評は広められているだろう。辺境の三大貴族が目を光らせても、言ってしまう人はいる。私の嘘か本当かわからない悪評は、きっと残る。
皇族になって、城に行くから、関係ないけど。
結局は、私は辺境から出るのだ。縁も切れる。だから、私の悪評、どうだっていい。
「私は、あの人たちに絶望を与えられました。十分です。生きていたって、彼らは苦しいだけでしょう。彼らは、死ぬなんて考えません。いつか、見返してやる、いつか、偉くなる、いつか、そればっかりです。逃げることも出来ず、苦しい余生を送ることとなります」
私が何もしなくても、あの人たちは、勝手に苦しい目にあっていく。死にたい、なんて考えることすらしないのだ。相手を痛めつけ、それでどうにかしよう、と考えるだけだ。
「わかったわ。そうね、彼らは、どうせ、落ちるところまで落ちていくわね。でも、貧民にして、放り出すことだけはしない」
「自由にさせると、また、やるでしょうからね。あんなになっても、変わらないなんて」
逃げられないように、即席で作られた箱に入れられる父たち。父たちのやらかしで、老い先短い父方の祖父母も同じ扱いをされた。拘束され、閉じ込められている間、父、平民リサ親子、父方の祖父母の六人で、散々なことをしあったのだ。一番弱い父方の祖父母は、もう、動けなくなるほどの暴力を受けて倒れていた。それでも、最低限の治療をされて、同じ箱に放り込まれた。実の子を虐待する父を育てたのだ。先代子爵である祖父母の罪は重い。
「たった一年、一年もされたことでしたが、彼らにとっては、どれほどの重みなんでしょうね」
「長い短いではないわ。たった一人の子どもに、大人も子どもも、よってたかってしたのよ。重罪よ」
「そうですか」
私はまだ、過去に折り合いがつけられない。
たった一年、と言えばいいのか、一年も、と言えばいいのか。長いのか短いのか、それも判断に苦しむ。一生涯にとって、たった一年。だけど、一年も、あの虐待が続いた。
伯爵令嬢フローラは、別れる前に、私を抱きしめてくれた。
「もう、何も心配しないで。この領地のことも、全て、辺境で解決するから。もう、アーサー一人で抱えなくていいのよ」
「もっと、しっかり、後始末したかったのですが」
「立派な大人がいるの!! お父様にやらせればいいのよ。あの時、あんなに止めたんだから、この結果の責任をお父様がとるべきよ」
「フローラは悪くありませんよ。私は、あなたの手紙に救われました。ありがとう、フローラ」
「愛しているわ!!」
「………私は、大好き」
私とフローラの熱量は違う。私は、友達として、フローラはきっと、恋愛としてだ。
そして、伯爵令嬢フローラと侯爵令嬢シリアは、騎士団を連れて、帰って行った。
残るのは、男爵所有の騎士団と、帝国所有の騎士団である。私設騎士団はいいのだが、帝国の騎士団は物々しい空気を放ってくれる。
その中に隠れるように、妖精憑きキロンがいた。キロン、私から距離をとるも、いざとなったら駆け寄れるように、と私を見守っていた。
私は溜息をつきつつ、妖精憑きキロンの元に行く。
「キロン、子や孫が名乗り上げた時は、どうしますか?」
「そんなの、関係ない!! だって、俺を見捨てたのはあいつらだ。俺は待っていた。待って、待って、俺を迎えに来たのは、後にも先にも………アーシャだけだ」
「私を裏切ったら、絶対に許しませんから。ティーレットを使って、復讐してやる」
「裏切らない!! 俺はアーシャのために動くだけだ」
「そう言って、欲望のために、裏切るくせに。入学試験の願書、父に渡したこと、恨んでいますよ」
「だって、アーシャと離れたくなかったから。学校でもずっといられるって知ってたら、そんなことしなかったよ!!!」
「ずっと、一緒だよ。離れちゃダメだからね」
「ああ、ずっと一緒だ」
とりあえず、今は許した。ちょっと情緒不安定だから、また、キロンを責め立てると思うけど、女の月の物とは、そういうものなんだから、仕方がない。
私とキロンの立ち位置は、元通りだ。キロンは私の側にべったりである。嬉しいから、後ろから、私に抱きしめる。
「その妖精憑きから離れなさい!!」
それを見た、母方の祖父ウラーノが激怒しする。
「あんた、そんなこというから、アーシャに嫌われるんだ」
「何も知らない、孫娘に不埒なことをするお前をこれ以上、側に置いておくわけにはいかん!! アーシャ、こちらに来なさい」
「私から言い出したことです。キロンは悪くない」
「っ!?」
衝撃的なんだろう。祖父ウラーノは真っ青になる。
「何を今更、祖父ぶってるんですか。こうなったのも、あなたのせいです。母を亡くして、私の側から男爵家の使用人を離したから、父が暴走したんです。あなたは、もっと人を見る目を持つべきでした。父方の祖父母のこともです。しおらしくしているから大丈夫、なんて安心して、実は、屋敷の隠し通路を黙っていたなんてことをされるのです。本当は、あの屋敷を調べるべきでした。それをせず、どうでもいい玩具を手放すように、母に全て押し付けたのです。お祖父様が悪い」
「す、すまなかった!! ワシが全部悪かった」
「そんなに素直に謝られると、気持ち悪いのですが」
「もう、この領地の後継はワシが適当に見繕っておく。しばらくは、我が家が監視するから、もう、アーシャが心配することはない。忘れてしまえ」
調子が狂うなー。どうしても、私の記憶にある祖父ウラーノと、目の前にいる祖父ウラーノは別人だ。だから、気持ち悪くて、妖精憑きキロンの後ろに逃げてしまう。
「アーシャ、その男はダメだ!! おい、お前も、アーシャから離れろ!!!」
「離れない。俺はずっとアーシャの側にいる。じいさん、心配しなくったっていいぞ。俺がアーシャの全てを守るからな」
「お前が一番、危険な男だ!!」
「お祖父様、まず、昨夜の続きです。お金はどうしましたか?」
昨夜は、私が泣き出して、大騒ぎとなったので、祖父ウラーノとの話し合いがついていなかった。
私は、私自身を自由になるために、子爵家の借金全てを返したのだ。
私は、ある意味、子爵家の借金分の価値だ。それがなければ、まず、誕生することがなかったのだ。だから、子爵家の借金分の金を祖父ウラーノに返すことで、やっと、私は私である。
私は、私自身を男爵家から買い戻したのだ。
こうすることで、私は子爵家から離れるつもりだった。祖父ウラーノを捨て、爵位を捨て、領地を捨て、全てを捨てて、私は妖精憑きキロンと旅に出るつもりだった。こうして、祖父ウラーノが企んだ子爵家の乗っ取りをなくしてやろうとしたのだ。
企んだわけじゃないけどね。家門の長である伯爵様に、子爵家の借金をどうにかしろ、と命じられたからだよね。その延長で、祖父ウラーノは子爵家の乗っ取りをしたわけである。
祖父ウラーノは、どうにか私とキロンを離したいが、その前に、昨夜の問題を解決しなければならないので、話し合いのテーブルを作った。
昨夜、キロンに命じて出した金貨の入った袋がまた、机の上に並べられた。
「これは、お祖父様のものです。片づけてください」
「こんなはした金は、アーシャ、お前にやろう。これで、好きなことをしなさい」
「はした金じゃないでしょう。無駄金だって、言ってたじゃないですか。私が女として生まれた事で、あんなに金をかけたのに、と言ってたでしょう」
「アーシャの価値に比べれば、こんなもの、はした金だ」
「今更、どうしたのですか。あなたは、母の前でも、冷徹な商人でしたよ。どういうつもりですか」
「ワシが全て、悪かった。もし、お前が望むなら、死のう。お前の手を汚さなくていい。ワシが勝手に死ぬ」
「アーシャ、じいさんは、変わったんだよ。俺から見ても、最初は、じいさん、酷いもんだったけどな」
「私のこと、道具扱いですからね」
「そうじゃないんだ。あのじいさんな、ただ、自分がされたことを子や孫にしてるだけだ。あのじいさんだって、ガキの頃は、こうじゃなかったんだ。そういう育てられ方しただけだよ」
「………」
キロンの言いたいことはわかる。
人格の形勢は、環境だ。平民リサが育てたリブロとエリザは、リサにそっくりだ。親を見て子は育つのだ。親に似るのは当然だ。
私は母マイアに育てられ、教育を受けた。だから、祖父のようにはならなかった。母だって、祖父に似ていない。祖母に育てられ、教育を受けたのだろう。
祖父を形成したのは、両親だ。そういう教育を受けて、育ったのだ。価値観だって、両親から押し付けられたものだ。それはわかる。
「アーシャとじいさんだけで話し合うからダメなんだよ。もっと、別の人を間に立てないと」
「レオナ様はダメだよ」
「女帝はダメだ」
そこは、私と祖父ウラーノの意見は一致する。あの人は、悪い人ではないんだが、ひっかきまわすんだよな。妙な横槍をいれるから、こじれちゃうんだよ。
「そういうと思ったから、女帝に頼んでおいた。アーシャには、まだ、身内がいるだろう」
「?」
「マイアの兄弟姉妹だよ」
「あー」
そういうが、思い出せない。記憶の片隅にも、母の兄弟姉妹がいないのだ。母の葬儀にいたようないなかったような。
「アーシャが保護された時、側にいたんだぞ。ずっと、アーシャのことを心配して、じいさんのこと叱ってた。じいさん、子どもの扱い、というか、人の扱いわかってないから、酷かったんだよ。何が酷いって、泣いて暴れるアーシャのこと、ひっ叩いたんだぞ」
「………覚えてない」
「そりゃ、アーシャがおかしくなってた時だからな。それやって、マイアの兄がじいさんのこと叱ってたんだぞ。あの時は、頑固じじいだったなー」
「黙れ!! アーシャが覚えてないことを言って、ワシの印象を悪くするとは、性格の悪い妖精憑きめ!! お前と孫の仲は、絶対に認めんからな!!!」
「そんなこという資格、お祖父様にはないでしょう」
「っ!?」
私が冷たく言い放ってやれば、祖父ウラーノはしゅんと落ち込んで、大人しくなった。調子狂うな!!
「おい、ティーレットが見つけて、誘拐してきたぞ!!」
「何やってんの、あんた!!!」
相手が女帝といえども、そう言ってしまう。連れて来たんじゃなくって、誘拐って。
何がなんだかわらっていないおじさんが、ティーレットの側に立っていた。母に、というより、祖父に似ているな。
「ち、父上!! 一体、何をやらかしたんですか!!! いきなり、筆頭魔法使いに連れて行かれて、まさか、帝国の敵になるようなこと、やったんじゃないですよね」
「やっとらん!! ただ、アーシャと話しておるが、うまくいかないんじゃ」
「本当に、あなたは、どうしようもない人だな。母上がいなかったら、あなたは一生、独り身でしたね」
「煩い!!」
「はいはい、座ってください。俺も忙しいんです。さっさと済ませましょう」
そして、母の兄は、祖父ウラーノを適当にあしらって、話し合いの席についた。すごいな。
「アーサーと呼ぶべきか、アーシャと呼ぶべきか」
「私の本名、どうして知っているのですか?」
なんとなく、亡くなった母が教えたんじゃないか、と予想はしていたが、念のため、聞いてみた。
「父が、アーシャとマイアのやり取りを盗み見た時に知ったんだよ」
「いつだろう」
母が私をアーシャと呼ぶことは、そうそうないことだ。だって、私はアーサーとして育てられた。女とバレてはいけないのだ。だから、男爵家の使用人の前でも、母は私をアーシャとは呼ばなかった。
「定期的に、子爵家のことは、使用人を通して報告されてたんだ。マイアの気が触れたという報告があって、父が内緒で見に行ったんだ」
「あの頃? でも、お祖父様が来たなんて」
「使用人の口を塞いだんだ」
「なるほど」
男爵家の使用人たちが対応したのだ。祖父ウラーノが黙っていろ、と言えば、男爵家の使用人たちは黙っているだろう。
あの頃に、私の本名がアーシャだと初めて知ったのだ。
母マイアは、死期が近くなった頃、気が触れてしまった。だけど、それを表沙汰にすると、父が口出ししてきてしまうので、隠して、私が家のことを采配していた。その時、母マイアは、私を見ては、アーシャと呼んだのだ。
「父は本当に酷い人だ。マイアの気が触れてしまったというのに、甘えているだけだ、と吐き捨てた。俺は離婚させて、さっさとマイアとアーシャを引き取ろうとしたんだが、実権を父が握っていたから、出来なかった。あの時は、本当に悪かった」
「知りませんでした」
そういう事が私の知らない所で動いていたのは驚きだ。
「俺はね、マイアが死んだ時も、アーシャを引き取ろうとしたんだ。なのに、金がかかっている、失敗すると男爵家の使用人のせいにするから引き上げる、と無茶苦茶なことをしたんだ。アーシャの様子を見に行こうとしても、余計なことをするな、と俺に監視までつけた。俺だけじゃない。兄弟姉妹、全てにだ。だから、誰もアーシャの様子見が出来なかった。そして、一年後、気が触れたアーシャを保護することとなった。これにはもう、俺も我慢の限界でね。兄弟姉妹を扇動して、父上から権利全てを剥奪したんだ。使用人たち、家臣たちも、アーシャを見て、さすがに父上の味方はしなかった。こうして、父上を強制的に引退させたんだ」
母の兄は、とてもまともな人だ。話していると、普通だ。だから、私は口を挟むことなく、話を聞いていられた。
祖父ウラーノを見れば、過去のことを暴露されて、子どものように不貞腐れている。悪いことだと、わかっているようだ。反省もしている。ただ、わざわざ、この場で言われたから、機嫌悪くなっているのだろう。
それも、私が見ていると気づくと、祖父ウラーノは真面目な顔を作った。変な人だな。
「無理矢理、仕事からも干された父は、よりによって、アーシャの元に行ったんだ。諸悪の元凶なんだから近づくな、と皆で言ったのに、暇なんだから、なんて言って、アーシャの元に行っては、大泣きされ、物を投げつけられ、と散々な目にあってたんだ。手がつけられないアーシャをこの人がひっ叩いた時は、俺が父上を殴ったよ。本当に、どうしようもない人だった」
私も酷かったんだな。思い出さないようにしよう。恥ずかしくて、顔をあげられなくなる。
祖父ウラーノは心配そうに私の様子を伺った。いや、怒ったりしないよ。私の記憶にない話だから。
「それでも、キロンが根気よく、父上を注意して、教えてくれたんだ。キロンは、アーシャの世話をするために、忙しくしていた。アーシャは、食べるもの、飲む物、衣服から全て、キロンの手でしか出来なかった。キロンは、アーシャのためだけに食事を作り、身の回りのことも全て、キロンが行っていた。だから、キロンが離れることもあるんだ。その隙に、父上はアーシャの側に行っては、アーシャを泣かせて、怖がらせて、まるで、子どもの悪戯みたいなことをしていた。その度に、キロンが後始末だ。キロンはいい子だよ。勝手なことをした父上のこと、怒ったりしない。ただ、注意するだけなんだらね」
「アーシャのじいさんだからな」
ただ、それだけで、キロンは苦労しても、祖父ウラーノの迷惑な行動を許したのだ。
「じいさんはじいさんなりに、頑張ってたんだ。じいさん、他の孫にはまあ、怖いじいさんなんだ。だけど、アーシャのことは、どうしても可愛がりたかったんだろうな。どうにかならないか、と必死だった。けど、アーシャのは、そう簡単に解決出来るものじゃなかったんだ。じいさんが保護する前から、アーシャはおかしくなってたんだ。皆、半月だって思ってるだろう。違う、もっと前から、アーシャはおかしかったんだ」
問題の根本が違った。
問題に直面してからだと、皆、思うのだ。だけど、問題の前から側にいるキロンから言わせれば、半年以上前から、私はおかしくなった。
「アーシャ、父は本当に酷い人だ。だけど、アーシャのために、変わろうとしたんだ。アーシャのことを失敗作、なんて言ったこともあるだろう。そうじゃないんだ。失敗したのは、父だ。父が失敗したから、アーシャが壊れた。全部、父のせいだ。だけど、そんな父を止められなかった俺たちも悪い。本当にすまない。許さなくていい。出来ることは、一族総出でやろう。アーシャ、やりたいことはないか?」
優しい伯父だ。この人は、泣きそうな私の前に腰を下ろして、私より低い目線で、優しく見つめてくれた。
祖父ウラーノは、いつも上から見てくるばかりだった。子どもって、上から見下ろされると怖いんだ。
だけど、気づいたら、祖父ウラーノは、私よりも低い目線をとるように、辛いだろうに、腰をかがめ、しゃがんで、としてくれた。年寄には、それは、とても大変なんだ。足腰が痛いと聞いたことがある。
記憶の片隅で、ベッドに座っている私を見下ろしている祖父ウラーノがいた。それを見て、私は怖くて、大泣きしていた。ウラーノは、どうにか泣き止ませようと、お菓子を出したり、花を見せたり、玩具を見せたり、と必死だった。そこに、キロンがやってきた。
『じいさん、上から見るなよ!! それが怖いんだよ!!!』
『ワシは年寄だぞ!! 腰をかがめたり、しゃがんだりするのは、痛いんじゃ!!!』
『アーサーは病気なんだ!! あんたがアーサーに合わせるんだ!!!』
『………こ、こうすればいいのか』
祖父ウラーノは仕方なく、私より低い目線になるようにしゃがんだ。




