農地の視察
侯爵令嬢シリアのたっての希望により、禁則地周辺の農地に行くこととなった。もう、領地の端だよ、そこ。
「馬に乗ったほうがいいですよ」
「歩くわよ!!」
「馬車は無理ですよ」
「歩くわよ!!」
「ほら、騎士が乗ってきた馬に乗せてもらえ」
「出来るわよ!!」
伯爵令嬢フローラも一緒に説得したのだけど、シリアは歩くと言い張った。遠いのにー。
最初は意気揚々と歩いていたシリア。だけど、すぐに遅れていく。
「誰か、シリアを運んで」
「あ、歩く、から」
「やめたほうがいい。辺境を支えられるほどの領地なんだよ。領地の端といったら、かなりの距離だから。普段は、視察を兼ねて、歩いて行ってるだけなんだ」
この徒歩の移動、農業体験した伯爵令嬢フローラも相当な苦行だった。地図できちんと説明しても、体験したことがないことなので、フローラも失敗したのだ。
「ここで力尽きるなんて、シリア、もっと運動したほうがいいぞ」
「あんたたちがおかしいのよ!!」
「否定できないな」
普通の貴族令嬢は、シリアが標準なんだ。私とフローラは異常だ。
結局、シリア、動けなくなったので、馬で移動していた騎士の一人に運んでもらった。
「思ったよりも遠いな」
想像よりも遠いから、ヘリオスの兄ハリスは、ちょっと疲れていた。しっかり休まなかったな、こいつ。
「ゆっくり移動しましょう。今回は、人手も多いから、楽ですよ。妖精の悪戯が起こらなければいいですけどねー」
「その、妖精の悪戯って、何が起こるの?」
「単純に、一番、多いのは落とし穴」
「わたくしも、最初にされた」
皆、一度は落とし穴に落とされるのだ。気をつけて歩いていても、巧妙に偽装されているから、踏んだら穴だった、ということは、普通にある。
伯爵令嬢フローラは、毎日、ひっかかっていたなー。フローラは思い出したのか、お尻を撫でていた。
「そんな、汚れちゃうじゃない」
「そうだね」
「だから、汚れてもいい服なんだよ」
「………」
無言になるシリア。ちなみに、シリア、そういう服がなかったので、私のお古を着ている。
私のお古なんだが、シリアが着ると、胸が出るな。あれ、私が着ると、胸がスカスカだったんだけどなー。
私はつい、馬上にいるシリアを見上げてしまう。シリアもいい感じの胸だよな。羨ましい。
私は今もスカスカの胸元に触れる。よし、これなら、半裸で作業しても、全然、大丈夫!!
「アーサー、きちんと服を着て作業するように」
「どうして!?」
「まさか、昔みたいに半裸でやるつもりだったのか!!」
「だって、昨年まで、普通にやってたから!!」
「今は女なんだから、やっちゃダメだろう!!!」
「えー」
無茶苦茶、伯爵令嬢フローラに叱られた。男と偽っていた時は、普通にやってても、誰も気づかなかったのに!!
「アーサー、あんなにやるなって、言ったのに、やってたのか!!」
そして、元婚約者ヘリオスまで叱ってくる。
「いくら男と偽っていたって、お前は女なんだぞ!! あんなに注意したってのに、俺が見てないとこでやってたなんて」
「誰も気づかなかったんだから、いいじゃないか!!」
「いけません」
気づいたら、禁則地周辺の農地に到着していた。私とヘリオスが口論していたから、領主代行がやってきて、ヘリオスに味方した。
「絶対にやってはいけませんからね。もう、女性なんですから」
「気づかなかったじゃないか!!」
「知らなかったんですよ!!」
「男がこんなにいっぱいいて、誰も気づかなかったのに!!!」
「よし、全員で止めよう」
伯爵令嬢フローラが力づくを言い出す。だいたい、話しても解決しない時は、力づくである。くっそー、まさか、ここまで反対されるとは。
「もっと、貴族の女だと自覚しなさいよ。物心つく頃には、例え、親しい男の前でも、大事な部分の肌を晒したりしないものよ。だいたい、そういう子どもが好きな変態だっているんだから、危ないでしょう」
「アーサー、もうやるんじゃないぞ」
侯爵令嬢シリアのもっともな話に、とうとう、妖精憑きキロンまで、敵となった。お前、昨年までは、笑って見てたくせにー。だいたい、私が女だと知っていながら、止めなったお前はどうなんだ!!
「今日はお客様もいますから、アーサー様は案内です。作業してはいけませんよ」
しかも、私の気晴らしが奪われた。私、汚れてもいい恰好なのに!!
「そんなぁ!!」
「子爵代理なんですから、おもてなししてください」
「我々は田舎の平民です。出来ません」
こうして、私はしばらく、農作業から隔離されることとなった。どっちが領主かわからないよ。今回の領主代行、強気だな。
領主代行、強気なだけではない。容赦もないのだ。なんと、義母リサを強制的に農作業に参加させたのだ。
「ちょっと、あの人」
「鎖なんかつけて」
「人用かな」
「!?」
私の何気ない呟きに、驚く侯爵令嬢シリアと伯爵令嬢フローラ。
我が領地は、妖精憑きを忌避する風習がある。昔、妖精憑きキロンが強力な妖精除けの小屋に閉じ込められていた時、キロンの両手両足には、妖精封じの枷がつけられた上、逃げられないように鎖で小屋に拘束されていたのだ。
ありし日のキロンを思い出した。見たのはわずかではあるが、あれはあれで、強い印象を持った。枷と鎖を見ると、そんな連想までしてしまうほどだ。
リサは抵抗するも、無理矢理、引きずられて、農作物の上で倒れて、と酷いものだ。
「アタシを誰だと思ってるんだい!! アタシはね、子爵夫人なんだよ!!!」
「うるさい。お前は犯罪奴隷だ。子爵からも籍を外されたから、ただの平民だ」
「それでも、アタシは子爵様の子を二人も産んだんだよ!! この、離せぇ!!!」
もう、呪文だな。誰に大しても、そう偉ぶる義母リサ。子爵家から籍を外しても、子は子爵の子だと、その権威を振りかざす。
「あれが、リブロとエリザの母親? 似てないわね」
そう、リブロとエリザ、義母リサに全く似ていないのだ。
「本当だな。誰に似たんだ? リブロの、あのだらしない体格は、父親に似てるけどな。エリザはどちらにも似てないな」
伯爵令嬢フローラは、私をじっと見る。
「私は父方の祖母に似たそうです」
「そうなのか!?」
「えー、母親似じゃなくって!!」
「そう言ってもらってます。本当かどうか、わかりませんけど。ほら、父方の祖母はもう、おばあちゃんですからね。王都でも、かなりの美人で有名だったと聞いています。美人になるかなー?」
「男装していた時は、美少年だったぞ」
「勿体ないわよね。しっかりと肌の手入れをして、日焼けに気をつければ、かなりの美少女なのに」
「えへへへへ」
誉められた!! そうかー、私は綺麗なのかー。
しかし、気をつけなければいけない。身近には、綺麗な人はいっぱいだ。一番、身近な人だと、妖精憑きキロンである。他には、辺境の教皇フーリード様とか、女帝レオナ様、賢者ラシフ様、筆頭魔法使いティーレット………て、連想するのが、ほとんど男だよ!! しかも、妖精憑きばっかり。
仕方がない。妖精憑きって、力が強ければ強くなるほど、その見た目も綺麗になるのだ。あんなのの隣りにずっと立っているから、私が見た目を低く見てしまうのは仕方ない。
そういう雑談をしながら、侯爵令嬢シリアの案内である。シリア、ここに来て、さすがに馬から下りて歩いた。
「ねえ、神の恵みはどこ?」
「あれは、簡単には見られませんよ。妖精の気まぐれですから」
「そうなの!? 今日、見られると思ったのに」
もともと、それがリシアの目的だもんね。
実は、領地民たち、期待しているのだ。あんなに物々しい騎士団に、侯爵令嬢シリアが来たのだ。きっと、妖精の試練である神の恵みが、今いる場所のどこかに実るだろう、なんて思っている。悪戯好きな妖精は、お客様がくると、その人たちの心根を試すのだ。
だから、今日は実らないだろうなー。ああいうことは、忘れた頃に実るものだ。伯爵令嬢フローラの時もそうだった。今回はないなー、と諦めて、粛々と農作業するようになってから、神の恵みが実ったのである。
一応、端から端まで歩いた。もう、侯爵令嬢シリア、疲れて、また、立ち止まりそうになっていた。結局、シリアはまた、馬に乗ることになる。
「気をつけてくださいね。妖精は馬に悪戯しますから。キロン、注意するように」
「はーい」
「そんなぁ」
シリア、馬上で顔を引きつらせた。
「悪戯といったって、ちょっと痛いだけですよ。実は、妖精の悪戯で、怪我をした人って、いないんです。痛いだけです」
本当にそうなのだ。伯爵令嬢フローラなんか、お尻が痛い、と毎日言っていたなー。
「あれは痛かったな。ここに来ただけで、痛くなる」
たった一か月、一か月も、農業体験していた伯爵令嬢フローラは、まだ、トラウマのように、お尻をさすった。
「離せぇ!!」
和やかに過ごしているというのに、義母リサが台無しにする。リサ、周囲が止めるのもかまわず、私たちのもとにやってきたのだ。もちろん、騎士がリサを地面におさえこんで止める。屈強な騎士二人相手では、さすがのリサも勝てない。
「あ、あんた、リブロを婿にするんだってねぇ。アタシは、リブロの母親だよ。助けておくれよ」
媚びるように見上げていうリサ。誰に向かって言っているのか、私、伯爵令嬢フローラ、侯爵令嬢シリアはよくわかっている。フローラは気持ち悪い、みたいにリサを無言で見下ろした。
「離せ!! 未来の伯爵の夫の母親だよ!!!」
「こいつ、犯罪者の焼き鏝が押されているぞ!!!」
「お嬢様に話しかけるなんて、なんて無礼だ!!!」
「アタシは悪くない!!! 全て、アーサーが悪いんだ!!!! アーサー、お前が何も悪いことやってないアタシを犯罪者にしたんだ」
血走った目で私を見上げる義母リサ。そんなリサの頭を踏みつける領主代行。
「我が家の恥部が失礼を。お前はさっさと草取りをするんだ」
「アタシを誰だと思ってんだい!! そこら辺の女とは違うんだよ。父ちゃんといえども、アタシにこんなことして、許されないんだから。今に見てろ。リブロが伯爵の夫となった時、お前たち皆、おしまいだからね!!!」
無様な姿で叫ぶリサに、騎士たちが嘲笑う。
「ちょっと、どうして、昨日のこと、あの女が知ってるのよ」
「昨日のことは知らないでしょう。ただ、定期的に、親子で監視つきで面談はさせているので、そこで、そういう話となったのでしょう。次からは、報告書を作らせよう」
私は父、義母、義兄、義妹を定期的に面談させていた。内容までは聞いていない。どうせ、決まり切った内容だと思っていたのだ。
ここまで、妄想が酷い方向へ広がっているなんて。義兄リブロの妄想の広がりは、リブロだけが原因とは思えない。
義母リサが入れ知恵したのかもしれない。発想が、リサに似通っている。それは、親子ばかりではないのだ。
リサは鎖を引っ張られ、引きずるように離される。無様に全身を泥まみれになるリサ。なにか悲鳴をあげていた。
「虫がいたんだな。あれはあれで、美味しいのに」
「え?」
「………」
侯爵令嬢シリアは驚いたように見返し、伯爵令嬢フローラは無言になった。
人数ってすごいね。馬もいるから、色々と、作業がはかどって、午前中で、その日の作業は終了である。
「もっとやればいいじゃない!!」
「一日の仕事量は決まっています。そうしないと、終わってしまって、妖精たちがつまらないと、領地内に悪戯に出てきてしまいます」
「そうなの!?」
「そうなんです」
本当に、この禁則地周辺の農地は、扱いが難しいのだ。
他の農地は、やれるだけやればいいのだ。そうやって、休む時間を確保する。だけど、禁則地周辺の農地だけは、毎日、やらなければならない。さすがに、雨の日はお休みだけど、これも大事なのだ。雨の日に作業をしないと、慌てて、妖精が天気にするのだ。だから、長雨にならない。
「もう、あの見苦しい女、外に出さなければいいのに」
最初から最後まで無様だった義母リサのことを言っているのだ。何事かあると、叫んで、暴れて、と酷かった。抜いた草を誰彼かまわず、投げつけたり、見ていて、癇癪をおこした子どもみたいだった。
「あんなののどこが良かったんだ? 子爵も物好きだな」
「若い頃は、目を瞠るほどの美人だったと聞いています。視察に来る貴族が一目惚れするほどだったとか」
「見えない!!」
過去のリサの話をすると、驚く伯爵令嬢フローラと侯爵令嬢シリア。
「父と再婚した頃の義母上には、その片鱗がありました。エリザは、残念ながら、義母上には似ませんでしたね。似ていたら、今頃、貴族の学校では求婚の嵐だったでしょう」
「信じられない」
「あんなのに」
「見た目はすごかったんだそうです。領地にいる男たちも、若い頃の義母上の我儘に、笑顔で振り回されたとか。本当に、誰に似たのやら」
私は領主代行と、その家族を見た。ここで作業している人たちの半分は、義母リサの親族である。もともと、ここは、領主代行一族の持ち場なのだ。
誰もかれも、平凡な顔立ちである。その子どもたちだって、平凡だ。なのに、義母リサだけ、飛びぬけて美人だったという。
今では、狂人で、おかしくなっちゃったけど。
「こんな田舎で、飛びぬけた美人だった義母上のこと、良くも悪くも、将来は貴族の妻か愛人になるだろう、なんて皆、言ったそうです。いい方向に伸ばしていけば、女帝のようになったというのに、悪い方向に伸ばしてしまって、あんなんです」
ただの我儘な女になってしまった。その見た目を利用して、もっと男を手玉にとれるようになれば、義母リサは、領地から出て、どこかの貴族の妻か愛人になっていただろう。
義母リサが、領地内に留まってしまったのは、世間知らずだった、ということもある。領地から出たことがないので、領地内が全てだった。領地内で一番の権力者は子爵である。だから、子爵の妻になることこそ一番だとリサは考えたのだ。
領地内の平民の中では、領主代行の娘ともてはやされた。平民の間でも、立場は高かったのだ。そういうものをずっと受けていたから、リサはすっかり、驕りの塊となったのである。
そういう醜聞は程々に、無駄にしてはならない、準備されたお昼ご飯を広げた。
いつもは地べたに、適当に固めた何かを食べるのだけど、さすがに伯爵令嬢フローラと侯爵令嬢シリアがいるので、机と椅子を並べて、その上には、私がよく学校で食べているお弁当が並ぶ。護衛でついてきた騎士たちは、領地民たちと同じものを食べて、表情を歪めていた。それがいつもの私のお昼ご飯だなー。
「良かった、まともので」
覚悟していた伯爵令嬢フローラは、とても喜んだ。あの一か月の昼食は、フローラにとっては苦行だったんだな。
私たちの場所だけ、異質な空間となっているが、誰も何も言わない。ほら、貴族様だから。そうか、私も貴族なんだよなー。
だけど、ただ一人、義母リサだけは黙っていない。無様に這いずって、目を盗んで、私たちの元にやってきた。妖精憑きキロンは気づいていたが、呆れて、見逃していたのだ。
「おい、アタシにも寄越せ!! アタシは、貴族の子を産んだんだぞ!!!」
その叫び、慌てて動き出す護衛の騎士たち。栄養補給中心のまずい昼食に、意識がどこかに飛んでしまったんだな。
「ワシの孫に近づくな!!」
そこに、たまたま、様子見にやってきた私の母方の祖父ウラーノが、持っていた杖を振り回して、義母リサの体を殴った。
「ぎゃっ!!」
とんでもない声をあげて悶絶する。これまでは、拘束のみで、暴力を受けていなかったリサは、ウラーノの容赦のない一撃に、動けなくなる。
「領地を呪わせた血族のくせに、平民の分際で、マイアの持ち物を盗みおって」
「煩い!! たかが男爵の分際で!!! アタシは、子爵の子を産んだんだよ!!!!」
「マイアも子爵の子を産んだ。身分は男爵とはいえ貴族だ。お前は平民だ」
「あの女は、子ども一人だけ産んで、死んだ。アタシは、子ども二人も産んで、今だって、まだ、産めるんだよ!!!」
「父は去勢しましたから、これから出来る子は、誰の子だか」
「っ!?」
私は座ったまま、義母リサを嘲笑った。こうやって、リサの言い分を一つ一つ、私は奪っているのだ。
「リサ、大人しくしていれば、黙っていてあげます」
「何をっ!!」
「色々とです。私が何も知らないと思っているようですね。私は、知っていて、黙ってあげているのですよ!!」
「ふん、言ってみろ!!!」
「いいのですか? それを言ったら、あなたの立場は、最低最悪です」
「これ以上の最低最悪はないよ!!」
何もわかっていない義母リサ。わかっているのだろうか。
まだ、悪あがきするリサに、祖父ウラーノがまた、杖で叩いた。




