男を泣かせる女
ヘリオスの家族を屋敷から追い出してから、私は改めて、女帝レオナ様に頭を下げた。
「助かりました」
「いやー、男を泣かせるなんて、すごいな、お前」
違うとこで感心された。男泣かせ、なんて言われそうだ。私の不名誉が増えたな。
「ラシフ様もありがとうございます、沈黙の契約」
「皇族であることを公表してしまえばいいのに」
「公表するには、まだまだ後始末が必要ですから」
いずれは、私は皇族であることを公表することとなるだろう。だけど、今のままでは、ヘリオスの家族のような有象無象が寄ってきてしまう。そういうものの縁切りを私はしているのだ。
一番最初の縁切りが婚約者である。婚約者ヘリオスは納得していなかったが、その家族や周囲は婚約解消大賛成だから、話は早く進むと考えたのだ。
ちょっと時間がかかったけど、完全な縁切りである。
「ヘリオスの兄のことは、見逃してあげてください。これで、少しは懲りますよ」
「妙なところで甘ぇな」
「ヘリオスに甘いだけです」
ヘリオスの家族はどうだっていい。だけど、ヘリオスにはそれなりに感謝している。
「そんな面倒臭い後始末なんかしなくていいだろう。皇族なんだから、だいたいのことは許してもらえるぞ。俺様が味方してるしな」
「自己満足ですよ。私が気持ちよく、皇族宣言したいだけです。今のままだと、色々と不燃焼ですから」
「それで、嫌がらせか」
ヘリオスの両親と兄の過去の悪行を女帝レオナ様の前でぶちまけたのは、まさしく、そうなのだ。過去に行った悪行は、いつか、返ってくるのだ。
騎士団の件では許されたとしても、私とヘリオスの婚約解消で、ヘリオスの両親と兄は反省するだろう。まさか、すぐ側に金の卵が落ちていたなんて、思ってもいなかったのだ。
嫌がらせに、私の正体をぶちまけてやろう、とヘリオスの家族は考えているだろうが、それも契約により出来なくなったし。かといって、ヘリオスを責めることも出来ない。ヘリオスだけが、この婚約を続けたいといい続けたのだ。その事実は、私の祖父も知っている。今更、私の祖父に再度の婚約を訴えても、聞き入れられないだろう。
「少しでも、反省してくれればいいですよ。ヘリオスにとっては、いい家族なんですから」
「お前に関わると、面白いばかりだな。次は、どんな事になるのやら」
「そんな、ぽんぽんとありませんよ」
「お前と知り合ってから、内乱があって、皇位簒奪があって、まだありそうだな」
「まるで、私が問題を呼び寄せているみたじゃないですか!?」
言い方が酷いな。
「内乱は、いずれは起こるとわかっていたんです。監視をつけていました」
散々、父たちを権利を奪ったのだ。傲慢で我儘で、思い上がりな人たちだから、いつかは爆発して、領地民たちを扇動して、内乱を起こすだろう、と呼んでいた。それがたまたま、女帝レオナ様と出会ってすぐなだけだ。
「皇位簒奪だって、あなたが性別を公表したから、ちょっとした冗談で口ずさんだだけですよ。未来の女帝だなんて、可愛い冗談なのに、レオナ様は皇位簒奪だと言いがかりをつけて」
まさにそうだ。子どもだったら、一度はそういうことをする。誰だって、お姫様、王子様、騎士とかになりたいものだ。あの運のない皇族様は、ただ、女帝を夢見ただけである。
「あの皇族に魔法ぶつけたのは、お前の妖精憑きだけどな」
「そうだ、キロン!! 魔法は無闇やたらと使っちゃダメだって、言ったでしょう!!!」
そうだ、あの皇族様の死の元凶は、私の妖精憑きキロンだ。皇族には魔法が通じないというのに、キロンの魔法が通じてしまったから、大問題となってしまったのだ。
「通じないっていうから」
キロン、反省しない。確かに、あの皇族様は、キロンの魔法は通じないって言ったなー。
そして、ふと、ある疑問が思い浮かんだ。
「そういえば、あの皇族様、結局、皇族だったんですか?」
後で聞いた話だが、皇族様はまだ、皇族の儀式を受けていないので、正確には皇族未満だという話だ。
皇族の儀式を行うのは筆頭魔法使いである。今は筆頭魔法使いを引退して賢者となったラシフ様だが、次代の筆頭魔法使いティーレットが誕生したので、随分と長いこと、皇族の儀式を行っていなかったという。そのため、子どもまでいる大人が皇族かどうかもわからない、という現状だと聞いた。
先日、筆頭魔法使いの儀式の傷から回復したティーレットが、数十年ぶりの皇族の儀式を行ったという。
その前に、件の皇族様は女帝レオナ様によって、首を飛ばされたんだけど。
レオナ様は、賢者ラシフ様を見上げる。
「どうなんだ?」
「どちらでもいいでしょう。死にましたから」
「でも、皇族じゃなかったら、あの人は世迷い事を歌っていただけとなりますよ」
未来の女帝なんて、ただの冗談で、笑い話となっただろう。恥ずかしいのは、そう手紙にも書いてしまった本人だが。
「皇族の儀式を受ける前は、皇族扱いです。だから、間違ってはいません」
「えー、気になるじゃないですかー」
皇族かどうかで結果が変わるのは確かだ。それ以前に、私個人、それが気になっただけである。
「どうだっていいだろう。あいつが皇族だろうと、そうでなかろうと、世の中は変わらん」
「純粋な好奇心です!! こう、気持ち悪い」
どうしても、皇族であるかどうか、気になった。
貴族の学校の入学式前日に、元婚約者ヘリオスの兄がやってきた。きちんと、先ぶれありだ。おっかしいなー、ヘリオスからは先ぶれ貰ったことがないぞー。
「また、すごいことしましたね」
ヘリオスの兄を一目見て、私は驚いた。ヘリオスの兄は、あの黒髪をばっさり切るどころか、丸刈りなのだ。せっかくの美形が台無しである。
丸刈りが馴れないようで、ヘリオスの兄は頭を撫でて、照れた。
「これでも、女性には大人気だ。触りたい、と言われる」
「そういうの、ありますね。触っていいですか?」
「どうぞ」
すっかり、丸くなったヘリオスの兄は、快く、触り心地がいい頭を触らせてくれた。
あまりの変わりように、私はどう話せばいいのか、困った。てっきり、婚約の話をぶり返そうと、来たのかと思っていた。
とても、そうではない。ヘリオスの兄は、すっかり、好青年である。
「ヘリオスから聞いた。我が家は、本当に、酷い事をしてしまった。ここで謝ったとしても、過去の悪行はなくならない。今後は、アーサーのようなことを他の女性にはしないと誓おう」
「私もヘリオスも、子どもだったんですよ。今も、子どもですけどね」
婚約解消をいつまでも納得しないヘリオスを説得するために、私は過去に抱いた本音を笑顔でぶちまけたのだ。その中には、ヘリオスが気づいてもいない事実も吐き出した。だから、ヘリオスは泣いたのだ。
「ヘリオスのようなこと、俺もしていた」
「婚約者がいるのですか?」
「親が騎士同士だ。どうも、騎士というものは、朴念仁ばかりなんだろう。ヘリオスのことを話したら、婚約者に過去の恨み事をぶちまけられた」
それで、ヘリオスの兄は反省したのだ。
「いくら男として育てられていても、手紙の文字が本物かどうかは、わかりますよ」
私は過去を思い出し、途端、表情を消した。とても、笑っていられない過去だ。
「ヘリオスからの手紙、全て、とってあります。ヘリオスは、さすがに捨ててるでしょうね」
「いや、持ってた。俺も見せてもらったが、アーサーは綺麗な字を昔から書くな」
「貴族の学校って、そんなに楽しい場所ですか?」
「実際に通ってみれば、わかる。俺とヘリオスは、楽しかったな」
「そうですか。それは、明日から、楽しみですね」
明日は貴族の学校の入学式だ。だいたいは、通える歳に入学なのに、私は一年遅れである。私はちょっと成長が遅れているから、言わなければ、誰も気づかないだろうけど。
「入学祝いというのも変だが、我が家では、婚約者には、これを贈ることとなってるんだ。ヘリオスが、随分と前に準備していた物だ」
それが、ヘリオスの兄の目的だった。ヘリオスの兄は、綺麗な装飾の短剣を机に置いた。
「騎士を生業とする貴族だ。妻となる女性に贈る習慣がある」
「ありがとうございます!! 嬉しい!!!」
「婚約はなくなったから、入学祝いだ」
「すごく嬉しい。初めてです」
「っ!?」
みんな、意外と抜けているのだ。私は物心ついてからずっと、贈り物なんて受け取ったことがないのだ。
父方の祖父母は、借金を作ったので、幽閉されたのだ。そんな甲斐性、あるわけがない。
母方の祖父母は、商売で頭がいっぱいだ。滅多に会うことがない孫に何か贈ろうなんて考えない。
父は、私のこと、子どもとは思っていなかった。証明しても、やっぱり私のことを嫌って、こんなこと、してくれなかった。
亡くなった母は、領地のことで頭を痛めていた。贅沢は敵、と私に言い聞かせるような人だ。私に贈り物なんてしない。
婚約者であったヘリオスは、残念ながら、そんなこと考えない。まず、文通だって、渋々、始めたのだ。
母に一目惚れした辺境の教皇フーリード様は、神殿の人である。施しはあっても、個人的な贈り物なんてしない。
「嬉しい!! 私だけのものだ!!!」
持っている物全て、誰かのお下がりだ。私のための物なんて、実は何一つない。
鞘から抜けば、きちんと使える短剣だ。綺麗に研がれている。
「貰ってしまったので、今度、何か、お返ししないと」
「していただろう、色々と」
「一方通行でしたから。せっかくなので、お返しをしてみたいです」
「すまない」
ヘリオスの兄も泣かせてしまった。えー、これで、私は男を泣かせる女、という悪名が定着しちゃったなー。
ヘリオスの兄が見送りを固辞したんだけど、泣かせてしまったので、私は無理矢理、見送りに出た。
「あー、ヘリオスー、似合う!!」
外には、気まずそうなヘリオスが馬の世話をしていた。ここまで来たんだー。
ヘリオスは、あんなに伸ばした髪をばっさりと切ってしまっていた。お陰で、すっかり美男子だ。
「婚約解消して、勿体ないことしたなー」
「今、それをいうか!?」
「髪を切ったら、こんなにかっこよくなるんだもん。目の保養だよー。ヘリオスのような美形は私の周りにはいない」
美形はいるんだ。身近な美形は妖精憑きキロンである。最初は綺麗だなー、と感動していたが、毎日、見ていて、見慣れてしまったんだ。最近、知り合った美形は、筆頭魔法使いティーレットだ。キロンとティーレットは儚い美形なんだよな。
ヘリオスは、現実の美形だ。女装して美人なんだから、きちんと男の恰好すれば、美形になるのは当然である。こりゃ、皇族様が愛人に、という気持ち、理解出来るな。
私はヘリオスの顔やら髪やらをぺたぺたと触った。
「勿体ないことしたー。婚約だけしておけば良かったー。きっと、自慢出来る」
「じゃあ、婚約するか?」
「まずは、口説いて。仕切り直しだよ」
これまでは、義務の婚約だった。だから、婚約解消したのだ。
これからは、愛し合って、婚約して、結婚したい。貴族のくせに、夢みたいなことを言ってるけど、私はそれが許される。皇族以前に、私は子爵の爵位の継承者だ。私は男を選ぶ側なんだ。
「ああ、口説く。俺は騎士になって、アーサーだけの騎士になる。だから、アーサー、絶対に俺を側に置けよ」
「それは、騎士になってからだよ!!」
「俺は現役騎士である父上と兄上に鍛えられてるんだぞ。すぐだ、すぐ」
「すごい!! 腕、かったーいー!!!」
ヘリオス、腕細いな、と触ってみれば、硬かった。これまで女装するから、と最低限で鍛えていたみたいだけど、やっぱり、騎士を目指す人って、すごいんだな。
「アーサー、元婚約者様を呼び出したのか! また、泣かせたのか?」
無視すればいいのに、わざわざ嫌味を言いに来る義兄リブロ。剣術の授業の帰りのようで、木剣を片手にやってきた。
「義兄上は、もっと鍛えたほうがいいよ。今のままじゃ、ヘリオスに負ける」
こう、見ただけで、リブロの体はぶよぶよっぽい。
「元婚約者を出して、生意気いうな!!」
リブロは容赦なく、私の肩を力いっぱい、押した。いくらリブロが鍛えていないといっても、あの体躯である。私は簡単に後ろに倒れる。
倒れる前に、ヘリオスが支えてくれた。
「アーサーだって妹だってのに、酷いことをするな」
「可愛くないからな。エリザの可愛さと可憐さを見習え!!」
私はつい、平べったい胸を見下ろした。女らしさは、確かに義妹エリザには負けている。
どの部分を見ているのか、義兄リブロは私を嘲笑った。仕方がない。私の姿は、まだ、女らしさがない。性別が女なだけだ。
私を立たせると、ヘリオスはリブロの前に立った。
「女装はやめたんだな。アーサーよりも女に見えたのにな」
「お前はどこからどう見ても、騎士には見えないな」
「アーサーから聞いたが、お前、騎士を目指してるんだってな。そんな姿じゃ、見習い騎士の試験にも不合格だな」
実は、ヘリオス、リブロよりも背が高いのだ。低いように、雰囲気で作っていたのだ。そんなヘリオスと立派な大人のヘリオスの兄が、リブロを見下ろした。
「騎士を目指すような奴は、例え片親が違っても、か弱い妹を守るものだ」
「アーサーが男と偽っていた頃は仕方がないが、今は女だ。それが出来ない奴は、まず、その時点で、騎士になれない。身辺調査されるから、隠していても、わかるぞ」
「それ以前に、俺が、報告するけどな。あ、その前に、見習い騎士の試験の時点で、俺は報告する。そんな心根の最低な奴を帝国は見習い騎士にしない。騎士を育てるのだって、金がかかるんだ。心根の最悪な奴を騎士にするなんて、無駄なことはしない」
「残念だったな」
顔を真っ赤にして怒るリブロ。だけど、言い返せない。実際、そうなのだ。
リブロは、目の前にいるヘリオスとヘリオスの兄ではなく、私へと恨みの視線を向けた。
「全て、アーサーのせいだ!! 俺たちは、父親が貴族だってのに、平民として育てられたんだぞ。なのに、そいつは貴族として、いい暮らしをしてたじゃないか!!」
「そういうのを何て言うか知っているか? 身の程をわきまえない愚か者、というんだ。片親は平民なんだ。逆だ。貴族として扱ってもらって、運が良かった思うものだ。貴族の学校は、貴族に対しては無償だ。ただ、片親が貴族、というだけで、帝国が金を出して教育してくれるんだ。片親が貴族とわかった平民は、両手を上げて喜ぶもんだ」
「アーサーの母親のせいで、母上は、愛人として、俺と妹を産むこととなったんだぞ!!」
「それが普通だ。だいたい、片親が平民というだけで、その子は肩身の狭い思いをするもんだ。そういう話を貴族の学校でも、聞くことがあるだろう」
「両親ともに貴族なのが偉いのか!?」
「偉いんだよ」
「っ!?」
リブロはそれ以上、言い返せなかった。
生まれ持った身分というものは、どうしようもない。運なんだ。それを恨んでも、仕方がない。少し恩恵を受けられることを喜ぶしかないのだ。
リブロは、悔しそうに顔を歪めて、よりによって、ヘリオスの肩を押した。ヘリオスが見た目、弱そうに見えたから、暴力に訴えたのだ。しかし、ヘリオスは私のように、びくともしない。
それどころか、ヘリオスはリブロの胸倉をつかむなり、高く持ち上げた。
「く、苦しいっ!!」
「いいか、よく聞け。お前だけは、絶対に許さない」
ヘリオスは、リブロへ憎悪の目を向ける。殺気すら漲らせるヘリオスに、リブロは怯え、だけど、苦しいから、ヘリオスの手に爪をたてたりして、抵抗した。だけど、ちょっとしたかすり傷がついても、ヘリオスはリブロを離さない。
「弱いヤツに対しては力づくに出る奴を卑怯者と呼ぶんだ。今のお前がそうだ」
「ぐっ、やめっ」
「俺が見た目だけなら、弱く見えたんだろう。そう見せてただけだ。だが、これからは違う。今の俺をよく見ておけ。俺はもう、強さを隠さない、男を隠さない、全て、さらけ出してやる!!」
ヘリオスは乱暴にリブロを地面に叩き落した。リブロは無様に尻もちをついて、痛みでしばらく、動けないでいた。それを見下ろすヘリオスとヘリオスの兄は嘲笑う。
「あの程度の痛みで動けなくなるとは」
「アーサーには、もっと痛い目にあわせてるのにな」
「弱いヤツには石をぶつけ、強いヤツから逃げる」
「最低だな」
羞恥と、だけど、その程度の痛みで立てもしないリブロは、言われるままである。そして、弱者である私を睨む。こいつ、反省しないな。
ヘリオスとヘリオスの兄は、とんでもなく大きい馬に軽々と乗った。
「アーサー、待ってろ。騎士になって、口説くぞ」
「立派な騎士になってから言いなよ」
「絶対なるから、大丈夫だ」
ヘリオスとヘリオスの兄は、馬を走らせ、あっという間に、見えなくなった。




