呪われた領地
私が生まれ育った領地は、最果ての辺境だ。最果ての辺境は、不毛の地である。鉱山があるくらいで、大した実りはない。そんな不毛の地にありながら、我が領地だけは、実りがある、唯一の辺境の食糧庫と呼ばれている。これには、理由がある。他の辺境の領地に、というより、帝国中、探しても、絶対に存在しないものが、領地内にあるのだ。
領地内に、禁則地があるのだ。
禁則地とは、別名、妖精の安息地と呼ばれる、人が踏み入れることが許されない、妖精たちの憩いの領地である。
帝国には、皇帝、皇族、貴族、平民、貧民が存在する。身分によって、貧富はある。それでも、ただの人だ。そんな人の中に、まれにだけど、神の使いである妖精を憑けて誕生する人が存在する。それを人々は畏敬をこめて、妖精憑き、と呼ぶ。妖精憑きは、生まれ持った妖精を使役して、魔法を使えるのだ。妖精は万能だ。何でも出来る。そんな妖精を使役する妖精憑きもまた、万能である。そんな、何者にも縛られない妖精憑きを帝国は、儀式により選別して、帝国に逆らえないように契約で縛り、魔法使いとして保持するのだ。それの頂点が皇帝である。皇帝は、魔法使いの絶対的な主だ。だから、皇帝には、誰も逆らえないのだ。
だけど、禁則地では、妖精憑きでさえ、礼儀を守らないと、生きて出ることが出来ないのだ。つまり、皇帝だって、禁則地には足を踏み入れられない、妖精たちの領地だ。そんな、人ですら支配出来ない領地が近いためか、私が暮らす領地では、実り豊かなのだ。
ただ、問題もある。この、禁則地周辺の領地では、大昔、妖精憑きが悪さをした。妖精憑きたちが、ただの人を奴隷のように扱っていて、その支配が最果ての辺境一帯まで影響を及ぼしていたという。その被害を一番に受けていたのが、我が領地だという。そのため、我が領地では、妖精憑きは嫌悪の対象とされている。
私の母マイアは、領地外から嫁いできた人だ。知識では知っていたのだが、実際に、その現場を目の前にして、マイアは呆れた。
「わたくしの目を盗んで、こんな放蕩をしているとは、どういうつもりですか、旦那様」
口元にだけ笑みを浮かべて、夫であり、私の父ネロを見下ろす母マイア。ネロは全身を晒し、綺麗な子どもの上に圧し掛かって、固まっていた。
「な、何故、こんなところにアーサーを連れて来たんだ!?」
自らの行為を棚上げして、私が現場にいることを責める父ネロ。
私は仕方なく、無言で動き、父の下で動けないでいる子どもを引っ張った。
「やめろ!! こいつは妖精憑きだぞ!!」
「服を着ることが先でしょう」
見たくもないものを見せられた私は、嫌悪をこめて父ネロを見た。ネロは慌てて、近くに落ちた服を掴むが、慌てているので、さらに、汚らわしいものを私の前に晒してくれた。
父ネロが離れたことで、私は無体なことをされていた子どもを母の後ろに連れて行く。その間に、どうにか、父ネロは見苦しいものを服で隠し、母の前に立った。
「そのガキは、悪さをしていたから、躾てやったんだ!!」
「素っ裸で?」
「そのガキに脱がされたんだ!! 妖精憑きだからな」
「妖精封じの手枷までされているのに?」
子どもの両手両足には、重そうな手枷が装着されていた。それは、妖精憑きの力を封じる魔道具だ。
「力が強いんだ!! そんなものでは、封じきれない!!!」
「もういいです。この子は、私がしっかりと教育します」
「なっ、そんな恐ろしいこと、俺の領地では許さんぞ!!!」
「帝国に告げ口してあげましょうか。妖精憑きを隠し持つことは、帝国の敵となることですよ。妖精憑きは全て、帝国のものです!!!」
「っ!? 男爵出のくせに」
「わたくしの生家に借金があることを忘れましたか?」
「っ!?」
もう、父ネロは母マイアに口答え出来ない。忌々しい、と母マイアと私を睨み上げた。
話が終わった、とばかりに、母マイアは、憐れな妖精憑きの子どもに持ってきた布を被せた。
「よりによって、こんな大きな妖精憑きを隠し持っていたなんて」
ぶつぶつと文句を口にして、マイアは深く溜息をついて、外に出た。私は、呆然となっている妖精憑きの子どもの手を引いて、父ネロをそのままに、外に出た。
外に出て、しばらく歩いて振り返ってみる。妖精憑きの子どもと父ネロがいたのは、物置のような小屋であった。外から見れば、物置にしか見えない。だけど、そこは、領地内に誕生した妖精憑きを閉じ込めるための小屋だという。
領地外からやってきた母マイアは、領地民が妖精憑きを毛嫌いしていることまでは知っていた。しかし、まさか、領地内に、誕生した妖精憑きを閉じ込め、虐待する場所があることまでは知らなかったのだ。その事をたまたま、私が領地民の子どもたちから聞いて、母マイアに報告した。そこでやっと、マイアは、領地民の大罪を暴いたのである。
領地民たちは、大人も子どもも、この妖精憑きの子どもを遠くから蔑むように見ているだけだ。大昔、妖精憑きがやったという罪のために、この妖精憑きの子どもは酷い扱いを受けて当然、と見られていた。
私は次期領主として教育を受けている。しかし、私の教育は領地外の常識を持つ母マイア寄りである。領地民と上手に付き合うことも大切だが、帝国の常識は、領主として大事なことなのだ。
妖精憑きは大事にしなければならないのだ。それは、帝国での常識である。そうしないと、妖精の復讐を受けることとなるのだ。
父が領主としている領地では、最果ての辺境の食糧庫と呼ばれているのに、私が誕生するよりもうんと昔から、実りがどんどんと減っていって、とても、最果ての辺境を支えられなくなってきた。そのため、とうとう、借金まで作ることとなったのだ。その借金は積み重なり、とうとう、爵位返上までしなければならないほどだったという。
先代領主であった子爵は、原因が不明のまま、爵位返上するかしないか、という所まで追い込まれていた。そこに、救いの手を差し伸べたのが、母の実家である男爵である。
母の実家は、男爵ではあるが、商売によって、伯爵並の資産を保持していた。子爵家と男爵家は、その商売の繋がりであった。
だからといって、男爵が子爵を救ったわけではない。
表向きは、商売の関係。しかし、裏では、さる伯爵家に仕える、同じ家門である。どこにでも派閥は存在する。子爵と男爵は、同じ伯爵家に仕える家門である。
上司である伯爵様は、仕える家門が減ることを危惧した。このままでは、子爵家がなくなってしまう。そこで、繋がりのある男爵に命じたのである。男爵は、伯爵様に従い、子爵家を助けるために、母マイアを嫁がせたのだ。その時、借金返済のために、多額の持参金を子爵家に、条件つきで渡したのである。
この婚姻には、いくつかの条件が契約によって結ばれた。
まず、母マイアの夫ネロは、婚姻と同時に子爵になること。とんでもない借金を作った先代は全ての事から手を引くこととなった。
領地運営は、母マイアが行うこと。残念ながら、ネロは学校の成績が悪かった。また、借金を作られることは目に見えていたので、男爵は子爵となったネロから、全ての権利を契約によって剥奪したのだ。
そして、マイアとネロの子を次期子爵にすること。借金返済のための婚姻である。跡継ぎを隠し子なんかにされたら、男爵家が損するだけだ。お家乗っ取りだ、と騒がれたが、この条件だけは、男爵は絶対に譲らなかった。その代わり、救済のための条件を加えたのだ。
借金返済のために支払われた持参金を返済した場合、以上の契約は破棄される。
借金を返済しないと、どうせ、爵位返上である。それならば、出来のいい遠縁に跡を継がせてもいいのだ。しかし、借金は残る。だから、誰も、子爵家を欲しがらない。
男爵だって、領地運営の失敗により、負債ばかりの子爵家、いらないのだ。命令だから、仕方なく、母マイアを差し出した上、多額の持参金で借金返済をさせたのである。うま味がない。だったら、最低限のうま味がないのは不公平と、お家乗っ取りのような条件を契約として結ばせたのである。
先代子爵はぐうの音も出なかったという。
だけど、母マイアが権利を奪って、領主代行をしても、根本的な問題解決が出来なかった。領地の収益である実りが年々、減り続けているのだ。貴族の学校を優秀な成績で卒業したマイアであっても、ないものから、何かを作り出すことは不可能である。
何か原因があるはずだ、と先代からの杜撰といっていい経理や領地の収入を見直して、マイアなりに予想は立てていた。
禁則地のお膝元といっていい領地である。妖精の加護が多い。だから、辺境の僻地なのに、実りが多いのだ。それが年々、緩やかに減っていることが、先代からの収益を見て明らかである。
領地民が、妖精憑きに何か悪さをしているに違いない。
そう、予想をつけたマイアだが、被害を受けているだろう妖精憑きを見つけ出すことが出来なかったのだ。
それが、今回、私の何気ない発見で、小屋に閉じ込められ、領地民だけでなく、我が父であり、子爵ネロによって、領地に誕生した妖精憑きが酷い虐待を受けていることが発覚したわけである。
その現場に乗り込むつもりなんて、母マイアにはなかった。ただ、私の案内で、憐れな妖精憑きを助け出そう、と小屋に行ったわけである。
なのに、よりによって、父ネロが、素っ裸で、やせ細った妖精憑きの子どもに圧し掛かっている現場を見ることになるとは。
「あれと同じ血が流れているなんて、なんて、不幸なんだ」
ついつい、声に出してしまった。そんな私に手を引かれて歩く妖精憑きの子ども。子どもだけど、私よりも年上のようで、私より大きい男の子だ。妖精憑きの男の子は、周囲の視線にこれでもか、と小さくなろうと、背中を曲げて、だけど、私から距離をとろうとする。
「ほら、もっと近くに寄ってください。引っ張るのは、大変なんですよ」
言葉は通じる。妖精憑きの男の子は、ちょっとだけ私に近寄った。だけど、遠い。仕方なく、私は力いっぱい、ひっぱって、私の横に妖精憑きの男の子を歩かせる。
「私の横を歩いてください」
「で、でも、俺、き、汚い、から」
「妖精憑きは綺麗ですよ。ただの人は、清潔にするために、体を拭いたり、服を洗濯したり、部屋を掃除したり、と色々とやらなければ、汚いままです。ですが、妖精憑きは、何もしなくても、妖精が綺麗にしてくれます。羨ましい限りです」
「で、でも、汚いって、みんな」
妖精憑きの男の子は、見た感じ、綺麗だ。だけど、妖精憑きを毛嫌いする領地民たちは、妖精憑きというだけで、汚らわしい、なんて罵っているのだろう。
私は、妖精憑きの男の子の手を持ち上げると、べろりと舐めてやる。
「っ!?」
何か感じたのか、妖精憑きの男の子はばっと私から手を離した。
「き、汚いよ!!」
「あんな小屋に転がされてたってのに、埃一つない手で、羨ましい。私の手を舐めてみなさい」
私が手を突き出してやる。妖精憑きの男の子は、恐る恐ると私の手を舐めた。その感触に、つい、私は手を引っ込めてしまう。
「うわ、気持ち悪っ!!」
「ご、ごめん!!」
「あなたは悪くない。許可なく、こんなことされたら、気持ち悪いですよね。ごめんなさい」
逆に、妖精憑きの男の子に手を舐められて、私は気持ち悪いことをしてしまった、と反省した。気をつけよう。
驚いたように、妖精憑きの男の子は私を凝視する。
「ほら、私の手は埃とか、色々とついてたでしょう。ただの人は、妖精が綺麗にしてくれないから、大変なんですよ」
「お、俺が、あんたを綺麗にするよ!!」
「うーん、それは、なんとも。あなたは、妖精憑きです。妖精憑きは皆、帝国の物です。魔法一つ行使するのも、帝国が決めることなんですよ」
「でも、もう、綺麗に、した!!」
そうなんだ。私は手を見てみる。見た目は変わらないなー。
「知らなかったことだから、きっと、帝国も許してくれるでしょう。これからは、きちんと勉強して、その力を正しく使うように」
「わかった、あんたのために使う!!」
「………」
わかってないな、こいつ。いつ頃から、この妖精憑きの男の子が小屋に隠され、虐待を受けていたのかは不明である。
前を歩く母マイアを見る。マイアは私と妖精憑きの男の子のやり取りを微笑ましいとでもいうように盗み見ていた。私が気づいたから、慌てて前を見る。
ちょっと平和そうに見えるが、実際は、そうではない。この事実は、大変なことなのだ。
領地民たちは、私の横を歩く妖精憑きの男の子を蔑むように見ている。お前ら、そんな呑気なことをしている場合じゃないんだぞ。これから、大変なんだから。
今後のことを考えると、私は憂鬱になる。なのに、妖精憑きの男の子は、こんなにガリガリにやせ細っているというのに、私を抱き上げて歩くのだ。
「こら、こんなことしたら、あなたが疲れるでしょう!!」
「全然!! あんた、軽いな!!!」
「骨が折れちゃうよ!!」
「軽い軽い!!」
見た目よりも力のある妖精憑きの男の子に、私はされるがままだった。
妖精憑きの男の子の存在は、すぐに、近くの神殿に報告された。内容が内容であるため、すぐさま、神殿から辺境の教皇フーリード様がやってきた。
「お久しぶりですね、アーサー」
翌日、出迎えのために屋敷の外で待っていた私に、フーリード様は優しい笑顔で話しかけてきた。
「俺のアーサーに近づくな!!」
そんな私の後ろに立っているのは、保護された妖精憑きの男の子である。フーリード様を睨み上げている。
「こら、やめなさい!! フーリード様に不敬ですよ!!!」
「こいつ、妖精憑きだ。アーサーを狙ってるんだ!!」
「そんなこというのは、お前だけだ!!」
私はおもいっきり、妖精憑きの男の子の足を踏みつけてやった。だけど、妖精憑きの男の子、平然としている。むしろ、踏まれて、嬉しそうだ。
そんな私と妖精憑きの男の子のやり取りをフーリード様は興味津々と見ていた。
「アーサーに匂い付けをしましたね。これは、大変なことだ」
「なんですか、その、匂い付けって!?」
「まさしく、それです」
妖精憑きの男の子が後ろから抱きしめて、ともかく、私に密着しようとする。それをフーリード様は指さした。
「妖精憑きは、お気に入りのものに、そうやって、匂いをつけるのですよ。アーサーは、その妖精憑きのお気に入りになったんです。良かったですね」
「良かったって」
「妖精憑きのお気に入りは、帝国では保護対象です。大概の我儘は、帝国が叶えてくれますよ」
「アーサーの願いは、全部、俺が叶えるんだ!!」
フーリード様が説明しただけなのに、内容が気に入らない妖精憑きの男の子は、私をさらに力をこめて抱きしめた。あんなガリガリなくせに、力はあるな!!
私は無駄に抵抗しない。この妖精憑きの男の子は、私の側にいる時だけ、安定しているからだ。
昨日、子爵家の屋敷で保護した妖精憑きの男の子は、早速、私から引きはがされることとなった。ほら、妖精憑きとはいえ、どこの誰かわからない男の子だ。一応、私は子爵家の跡取である。何かあっては、と母マイアに従う使用人たちが、気を利かせて、妖精憑きの男の子の体を無理矢理、引きはがしたのだ。
そして、妖精憑きの男の子の魔法で、罪のない使用人たちは吹っ飛ばされた。
ただの人では、妖精憑きには勝てない。妖精憑き男の子は、泣きながら私にしがみついてきた。結局、私が妖精憑きの男の子の世話をすることとなったのである。
お風呂から、着替えから、なんと、就寝まで、ずっとべったりだったのには、驚いたけど。
辺境の教皇フーリード様は、妖精憑きの男の子の反応に、手を出したりしない。きっと、妖精憑きなりに、悟ってるんだな。
私はべったりとくっついて離れない妖精憑きの男の子をそのままに、フーリード様を屋敷の中に案内した。
屋敷に入れば、二通りの視線が集中する。一つは、私と妖精憑きの男の子の様子見である。もう一つは、妖精憑きの男の子とフーリード様への敵意である。
子爵家の屋敷の使用人は二通りに分かれている。一つは、母マイアの生家である男爵家から派遣されている使用人である。もう一つは、領地から雇い入れた使用人である。
母マイアが子爵家に嫁いだばかりの頃は、子爵家が雇い入れた、領地民だけだったのだ。ところが、この領地民、マイアのことが気に入らないので、嫌がらせをしまくった。マイアは契約に縛られているため、離縁が出来ない。仕方なく、事情を生家である男爵家に相談すると、男爵家の使用人が派遣されたのである。そして、使用人間に、二つの派閥が出来上がったのだ。
半分は、男爵家から派遣された使用人たちだ。こちらは、母マイアに従う、優秀な者たちである。そして半分は、子爵家が領地から雇い入れた使用人たちだ。こちらは、子爵である父ネロに従っているのだ。
領地民は妖精憑きに対して強い忌避感を持っている。神殿にいる神官やシスターたちのほとんどは妖精憑きだ。教皇は、そんな彼らの頂点のような、強い妖精憑きである。フーリード様は、とても偉い人なんだけど、妖精憑きということで、領地民たちには嫌われているのだ。
結果、屋敷の中でも、フーリード様に対して、失礼な見方をする使用人たちがいるわけである。
こんな失礼、本来ならば、許されない。ど田舎といえども、これを許したら、帝国の威信が崩れるのだ。それなのに、フーリード様は、見逃してくれている。懐が大きい人だから、教皇になれるんだなー。
私は、無駄話一つせず、フーリード様を応接室に案内する。ノックして、ドアを開けようと手をかける前に、妖精憑きの男の子が動いて、ドアを開けてくれた。
「アーサーのためにやったんだからな!!」
「わかっています」
私がフーリード様のためにドアを開ける、という行為をさせたくなかっただけだと、わざわざ口にする妖精憑きの男の子。
「アーサーも入りなさい」
「はい」
てっきり、そのまま部屋で待機かと思っていた私。だけど、この場には、妖精憑きの男の子がいないといけないのだ。妖精憑きの男の子は、どうやっても、私から離れない。結局、私は話し合いの場にいなければならないのだ。
私は溜息をつきながら、妖精憑きの男の子と一緒に、応接室に入った。




