妖精の安息地
最初、皇族としての血筋の濃さを感じた。続いて感じたのは、神のとんでもない加護だ。それには身に覚えがあった。
妻ステラの血筋にも、同じ神の加護があった。
男爵家族は、私の様子など気にせず、綺麗な礼をとった。
「お待ちしておりました、帝国の魔法使い殿」
「待っていた? どういうことですか」
「まずは、中へ」
男爵は人の良い笑顔で邸宅の中へと導いてくれる。しかし、そこは、さすがの私のためらった。
「その家は、私が入っていいものではないだろう」
「ハガル?」
「大丈夫ですよ。あなたは、我が一族が待ちに待ったお客様です」
「もう、入ろう」
私がためらうも、皇族ランテが私を押して入れてしまう。
入った途端、敵地に入ったようなぞわぞわした悪寒がする。これは、かなりまずい。
ランテにはわからない恐怖だ。この邸宅は、ただの邸宅ではない。邸宅型魔法具だ。しかも、これらは特殊な血族に従うように作られている。一応、男爵の血筋に従うようにはなっているが、別の何かに対して、妖精のような物凄い執着を邸宅自体が持っている。
つまり、この邸宅には意思があるのだ。
本来は、こんなことは起きない。邸宅はきちんとした法則を持って作られるものだ。しかし、建てられた場所が良くない。ここは、禁則地だ。別名、妖精の安息地と呼ばれるそこは、妖精が支配する領地である。そんな所で共存する生き方をする男爵の邸宅である。ただの邸宅型魔法具で終わるはずがないのだ。
さらに、ここには妖精の子孫があちこちで使用人として働いている。この妖精の子孫も、邸宅型魔法具の一部となっている。
そんな所に、千年に一人必ず生まれる化け物妖精憑きがやってきたのだ。何も起きないはずがないのだ。
私はもう逃げたいのに、皇族ランテが容赦なく背中を押すのだ。
「戦地でも、全然、怯えたりしなかったのに」
「禁則地って、妖精憑きにとっても恐ろしい場所なのですよ。もう、押さないでくださいよ。歩きますから」
覚悟を決めて、私は歩きだした。だけど、すぐそこの部屋でお茶することとなった。
部屋には、男爵だけである。男爵の家族は挨拶だけで、すぐにそれぞれの部屋とかに引っ込んでしまったようだ。
私は妖精の子孫が淹れた茶をありがたくいただく。王国に来てから、ここまで美味しいお茶を飲んでないな。もうそろそろ、自分の淹れたお茶が飲みたい。
「お約束もないのに、お出迎えいただき、ありがとうございます」
「いえ、我が一族は、帝国の魔法使いをずっとお待ちしておりました」
「私は、解放された禁則地に来ただけです。ここは、男爵の領地だと聞いていましたので、ご挨拶に来ました。どうか、禁則地の奥へ足を踏み入れることを許可ください」
「これは丁寧に。お好きに行ってかまいませんよ。妖精は悪戯しますが、きちんと、暗くなる前には、帰してくれますから」
「ありがとうございます。あと、手ぶらなのも失礼となりますので、お土産を受け取ってください。甘くはありませんが、賢帝ラインハルト様の好物の菓子です」
「ありがたく頂戴いたします」
私はラインハルト様仕様の菓子を男爵に手渡した。
これで、挨拶は終わった。私は適当な話をして、さっさと邸宅から出るつもりだった。ここは、長居するような場所ではない。
「それで、男爵は、どうして、帝国の魔法使いを待っていたんだ?」
「えっと、あなたは」
「僕は、帝国の皇族ランテです」
「それは、大変失礼しました!!」
いきなり膝をついて頭を下げようとするので、私とランテで慌てて止めた。
「お忍びで来たので、そんなことしないでぇ!!」
「本当に、やめてください、それ」
「しかし、皇族ですよ」
「無礼講です、無礼講!!」
「そうそう!!」
どうにか男爵を椅子に座らせた。無駄に疲れた。
「それで、どうして、魔法使いを待っていたのか、気になるんだけど」
私は気にしない。こういう話は、碌な事がないのだ。だから、あえて、私は口にしなかったというのに、ランテ、余計なこと言いやがって。
私は軽くランテを睨んでやる。ランテは気づいていながら、無視だよ。やっぱり、王国の城に置いてこれば良かった。
「嘘か本当か、そこは証明出来ませんが、我が家は、元は皇族アリエッティの子孫と言われています」
「私はそうだと思っています。皇族アリエッティは騙されやすい、人の良い貴族と結婚しました、と帝国では語り継がれています。ここを見て、確信しました。あなたは、皇族アリエッティの子孫です」
妖精の子孫に囲まれ、力の強い妖精憑きによって作られただろう邸宅型魔法具、そして解放された禁則地を領地としている。
「皇族アリエッティは力の強い妖精憑きだと言われています。また、妖精の子を助けた話もあります。ここには、妖精の恩恵が溢れています」
「我々にはよくわからないことですが。ただ、あるがままに生きているだけです」
「あなたは、とても妖精に愛されています」
禁則地の妖精は本当に危険だ。なのに、男爵の周囲にいる妖精たちは、男爵を世話しているのだ。
屋敷の中だけではない。ちょっと窓の外を向ければ、至ると所に友好的な妖精たちで溢れていた。私がやってきて、最初、警戒をしていたが、私が男爵と話している間に、妖精たちの警戒はすっかりなくなった。むしろ、私の妖精と話したりしている。
「我が家の先祖アリエッティは、帝国が乱れ、貴重な本を焚書される所を妖精の力を使って偽物とすり替え、全てを男爵領で保管しました」
「………え?」
「はぁ!?」
私だけではない。皇族ランテまで驚いて、声をあげてしまう。
とんでもない話だ。だが、真実だろう。本の焚書は、アリエッティが出奔した後で起こったことだ。
アリエッティはそれはそれは立派な皇族だったという。次の皇帝はアリエッティだろう、と言われていた。しかし、愛する貴族が陥れられたため、アリエッティは帝国を捨てたのだ。そして、次に皇帝となったのは、愚鈍な男だったという。貴族の言いなりとなり、教会が権威をあげるために道具や魔法を貶め、それに関する本を焚書まで従ったという。
優秀な皇族であれば、妖精憑きの力を使って、帝国の悪政を知っただろう。帝国を捨てはしたが、皇族としての心得があったため、貴重な本を守るために、その力を使ったのだ。
「ついてきてください」
男爵は先に立ち、部屋を出る。
私は半信半疑なため、男爵についていく。男爵は、地下に続く扉の鍵をあけて入っていく。しかし、灯りがないので、足元が暗い。私は仕方なく、魔法で地下に続く階段の灯りを灯した。
男爵の後ろを私、皇族ランテと進んでいく。随分と深い地下だ。これは、確実に妖精憑きの力で作られた空間だ。
地下に降り立てば、空間の歪みを感じた。魔法によって、無理矢理、空間を広げられていた。それを違和感なく、永遠に維持させるのだから、相当な実力の魔法使いだろう。私は少し、悔しく思う。知識があれば、私だって同じことが出来るだろうに、と考えてしまうほど、すごいことだ。
最初は魔道具だ。見たこともない道具まである。
「触るな」
ランテが触ろうとするのを止める。
「どうして?」
「妖精憑きでないと危ない道具もある」
神が介在する契約系まである。これはなかなか、使い方を間違えると危険なものだ。
道具に触れないように、さらに奥に進めば、とんでもない数の書棚が奥の奥まで続いている。それはもう、ありえない空間の歪みだ。
それらを前にして、男爵は深く頭を下げた。
「どうか、我が家にある帝国の蔵書をお持ち帰りください」
私はしかし、すぐには頷かない。蔵書の全てを持ち帰ることは簡単だ。しかし、そういう問題ではないのだ。
「ご存知ではないようですが、私はこの通り、最低最悪な魔法使いです。この悪名は気に入っています。こんな物を持って帰ってしまったら、私の悪名が霞んでしまいます」
「ですが、我々一族は、帝国から来た魔法使いに譲るために、ずっと引き継いできました」
「とても素晴らしいですね。あなたがたですから、それが可能だったのでしょう」
「ただ、そうしただけです」
「ですが、この蔵書は、まだ、帝国に必要ではありません」
「ハガル!?」
私が拒絶すると、皇族ランテがつかみかかってきた。
「ここの本があれば、謎だったこと、道具のことだって、魔法だって、全て解決出来るんだぞ!!」
「お前は、王国を見て、何も感じなかったのか?」
「帝国は間違わない!!」
「帝国の歴史を紐解けば、同じことの繰り返しだ」
私は知っている。王国のような内輪もめ、帝国だって何度も起こしているのだ。
私の目の前に広がる蔵書があれば、様々な問題は解決出来るだろう。
「ランテ、私の寿命が足りない」
これらの蔵書を使って、問題解決するには、私の寿命が足りないのだ。
「むしろ、今、帝国に持って行っても、悪知恵を授けるだけです。少し、早く来過ぎてしまいましたね。もう少し、待ちましょう。もっと立派な魔法使いが、きっと、この地にやってきます」
「ハガル!!」
「諦めろ。そして、ここのことは、忘れろ」
「そんなぁ!?」
皇族ランテはわかっていない。知識とは、決して、全ていいものなわけではないのだ。
私があと百年生きればいい。きちんと、正しく導いていけるだろう。しかし、私の寿命は残り少ない。
「だいたい、今回の王国派遣の魔法使いの入れ替わりだって、私がもう少し若かった頃であれば、起こることはなかった。つまり、そういうことだ」
私は見た目は若いが、実際は随分な年齢だ。隙が出てきたのだ。
私は嫌がるランテを無理矢理、引っ張った。
「せめて、一冊でも!!」
「ランテ、やめておけ。邸宅が今、怒っている」
物凄く危険なものを感じた。そう言った途端、私とランテは邸宅の外にぽいっと追い出されたのだ。
「え、どうして?」
「邸宅を怒らせたんだ。もう、入れないだろう」
「どういうこと!?」
「ここは、禁則地だ。私たちの常識は通じない。もう、本のことは諦めろ。そして、男爵のことも忘れなさい」
「絶対に忘れない」
「どうなっても知らないぞ」
私とランテが邸宅の魔法で強制的に追い出されたので、男爵が慌てて外にやってきた。
「こんなこと、初めてですよ!!」
「お騒がせしました。禁則地を見てから帰ります」
「それでは、ご一緒に」
「いえ、ここまでにしましょう。私たちは大丈夫ですよ。きちんと、礼儀を知っています」
禁則地の約束を私はよく知っている。間違いは起こらない。
心配そうに見ている男爵だが、私は固辞した。
「あ、でも、ランテのことを見ていてもらっていいですか? 私一人で行きたいので」
「一緒に行く!!」
「禁則地は、本当に危険なんだ。万が一の時は、ランテ一人で帝国に帰るんだぞ」
「そんな危ない所に一人で行くなよ!?」
「約束したんだ」
妻ステラと、いつか王国の禁則地に行くと、約束した。
ステラはもう死んでいない。だからといって、王国の禁則地に行かなくていいわけではない。
王国の禁則地に行きたがっていたのは、ステラだけではない。息子ラインハルトも行きたがっていた。二人とも、王国の禁則地に足を踏み入れる前に亡くなってしまった。だったら、私だけでも行ってあげないといけない。
「心配いりませんよ。妖精たちは、ちょっと悪戯するだけですから。あなたは、私たちよりも、よく、妖精のことをわかっています」
「長い付き合いですからね。ほら、待ってて。いいものを持って帰ってこれるかもしれない」
「戻ってこいよ!! 一人で帝国には戻らないからな」
「わかったわかった」
やっと、ランテが私から離れた。
夢を見た。それは、絶対にありえない光景だ。
王国の禁則地を妻ステラ、大きくなった息子ラインハルトと歩いていた。
「父上、ほら、木の実ですよ」
「食べられるのか、それ」
「生では無理ですね。後で料理しましょう」
そう言いながら、二人は私の手を引いて、奥へ奥へと歩いていく。
「あまり奥に行くと、戻れなくなると聞いています。もうそろそろ、帰りましょう」
「けど、ここでしか実らないという木の実を見つけていません!!」
「見つけても、持ち帰られるとは限りませんよ。あれは、心のあり方に左右される木の実ですから」
大昔、一度だけ食べたことがあるという、禁則地にしか実らない木の実の話をしたら、ラインハルトが食べたい、と言い出したのだ。そんな簡単に手に入るものではないというのに。
そうして、ラインハルトは、その珍しい木の実を探しているのだ。
「ラスティにも食べさせてあげいたい」
やはり、そこか。いい年頃だから、ラインハルトだって、好きな女に色々と贈り物したいのである。しかし、あの木の実はなかなか扱いが難しいぞ。
「父上だったら、持って帰れるのですよね」
「えー、そうか? ハガルはあれだぞ、最低最悪だって」
「父上は、そういうもの全て、悪事に数えられない存在なんですよ」
「そうか、私を利用するわけですね」
なるほど、私だったら、持ち帰られる。しかも、あの木の実は、持ち帰った者から切り分けることで、誰でも食べられるようになるのだ。
「ラインハルトが出来なかった時は、私が手伝ってあげましょう」
「まずは、私で試しますよ!」
どんどんと奥へと進んでいくラインハルト。その後ろを私はステラと手を繋いで歩いた。
貧民街の支配者としていた時は、随分としかめっ面ばかりだったが、今は穏やかに笑っている。
「知ってるか? 俺の先祖の兄弟で、皇族と王国に駆け落ちしたのがいるんだって」
「あれ、アリエッティに似ていますね」
「本当かどうか知らないけど、その皇族がアリエッティだ、とか書いた本があるんだよ」
「っ!?」
知らない話だ。そういえば、ステラの一族は、日記のような本もたくさん保持していた。それは、貧民になって落ちぶれても、きちんと保管されていたのだ。さすがに日記なので、読むのはどうだろう、と私は読まず、今は孫のリッセルがいる邸宅型魔法具の地下に保管させている。
「父上、見つけました!!」
私がステラに聞き出そうとするところに、ラインハルトが例の木の実を持って戻ってきた。
「おや、心持は良かったようですね」
「そうですね。最低最悪な生き方をしてきたのですが」
木の実に変化はない。ラインハルトは大丈夫だった。
「そういうのは、実は意味がありませんよ。心がけです。あなたは必要悪なことをしただけです。それもまた、善行ですよ」
「そうですか。これで、ラスティに食べさせてあげられます」
「良かったですね」
そういうと、ラインハルトはすっと消えていなくなった。夢だから、そういうものだ。
そして、隣りを見ると、ステラが例の木の実を持っていた。ステラが持っても、木の実に変化はない。
「ハガル、ほら、一緒に食べよう」
「半分にしましょう」
私が受け取って、魔法で真っ二つした。
何やらとんでもない重みで私は目を覚ました。
私は妖精の悪戯で、道を迷わされていた。夜は危険なため、適当な場所で寝ていたのだが、起きてみれば、私の体の上に、様々な木の実が乗せられていたのだ。
「あははは、とんだ悪戯だ」
その中には、半分に割れた例の木の実もあった。私はそれを手にして、一口かじった。
「これが、ステラの味か」
この木の実、収穫者によって、味が変わるのだ。
私が初めて食べた時は、それは甘美な味だった。
ステラが収穫した木の実は、少しすっぱくて固かった。




