待ち人
私が出来ることは三日で終わりです。私は女帝代理の書類を体調不良のエリシーズに返しました。
「出来ることは終わらせました。後は、エリシーズのお仕事ですよ」
「至らないわたくしで、申し訳ございません」
ベッドに座っているエリシーズは、心底、申し訳ないと頭を下げます。それを私は頭をあげさせます。
「ロベルトに言われました。こういう時は、お礼をいうのが正しいそうです。謝罪は間違っています」
「………あり、がとう、ござい、ますぅ」
ボロボロと泣き出すエリシーズ。私はエリシーズを抱きしめて、背中を撫でてやります。
「身重になったから、心が弱くなっているのですね。しばらくは、休んで、ライアンに皇帝業をやらせればいいのですよ。ここまで綺麗にしてやれば、ライアンだって最低最悪なことは出来ないでしょう」
「う、ううう、うううう」
頷き、泣き続けるエリシーズ。身重の女の情緒を男は本当に理解できません。だから、心無いことをやってしまうのですよね。
ただ、私が身重だった時は、情緒不安定にはなりませんでしたが。
私は一般論として知っているだけです。長く生きていれば、そういう妊婦をいっぱい見ますし、そういう話を普通にされます。私が身重だった時、領民たちも、男爵家族からも、随分と優しくされました。それが当然のことを思っていました。
しかし、エリシーズに対する皇族たちの態度を見て、考えを改めました。男爵領の皆さんが素晴らしいのですね。皇族たちは、やっぱり最低最悪です。
私の付き添いで来てくれた筆頭魔法使いリッセルは無表情です。リッセル、エリシーズのことを女帝として認めていないのでしょうね。それどころか、訴えるようにリッセルは私を見てきます。
「リッセル、ライアンとともに、エリシーズのことを支えてあげてください」
「………」
「アランだって、それを望んでいます」
「アランは、私の皇帝となってくれると約束した」
「聞いています。生きていたら、という話ですね。ですが、アランは死にました」
「あなたが女帝となれば、帝国は安泰です」
リッセルは私を通して、アランを見ているのでしょう。血筋もそうですが、私もアランも役目持ちですからね。同じといえば同じです。
「いいですか、私のように力の強すぎる妖精憑きは、決して、皇帝になってはいけません。皇帝とは、筆頭魔法使いを契約紋で支配する存在でなければいけません。私はむしろ、皇帝に支配されなければならない存在です。矛盾しています」
「しかし」
「帝国でも王国でも、妖精憑きは畏敬の存在です。力が強すぎる妖精憑きは、本来、敵として認識されてしまいます。帝国でそれが起こらないのは、筆頭魔法使いとして契約紋で縛り、皇帝が支配しているからです。皇帝が、最強の妖精憑きであることは、人が支配する帝国では、許されないことです。だからといって、私に契約紋を施すわけにはいきません。私は皇族としての血も強すぎますから。制御出来ないような私は………本来なら、あの帝国の穢れ全てを受けて、死ぬべきでした」
「そんなっ!?」
「実際、そういう定めなのですよ」
私は笑うしかありません。私は帝国を滅ぼすほどの聖域の穢れを受けて死ぬことが神から与えられた役割でした。
エリシーズは私の話を聞いて、驚いたように、私から離れました。泣き腫らした顔は、もう、私と双子とは思われないほど、年上の顔です。
「私は運が良かったにすぎませんよ。私は運よく生き残り、アランは運悪く死んだのです。私ほどの力を持つ妖精憑きを野放しにすることは、神だってわかっていました。だけど、私は運よく、妖精の安息地を解放した男爵領にたどり着きました。それからずっと、私が生きる場所は、男爵領です。帝国ではありません。だから、帰ります」
「………」
「私が生きていたから、アランがあなたに出会えました」
「わかり、まし、た」
納得できない。だけど、リッセルはアランの出会いを間違いにしたくなくて、承諾してくれた。
「ほら、エリシーズ、今日でお別れですよ。何か話すことはありますか?」
「ど、どうして、お父様の遺骨、残り半分を、持ってきたのですか!?」
「いらないからです」
私は一度は父アランの遺骨を受け取りました。ですが、必要ないため、今回、エリシーズに押し付けました。
「お父さんの遺骨なんて、持っていても仕方がありません。あの人は、私に死の役割を押し付けました。そんな男の遺骨なんていりません」
「そう、だけど、お父様だって、少しは、あなたの側にいたいと」
「考えてもいません。お父さんは、親であることを帝国のために捨てたのです」
「それは、あなたの意見で」
「私は力がありすぎる妖精憑きですから、色々とずれています。それでも、人並の常識は持っています。父の妖精は、私が物心つく前から、帝国のために命を捧げることを言い聞かせてきました。そんなことを妖精にさせる父に好意を持てるはずがありません」
「………」
エリシーズは、皇族として、温かい人たちに囲まれていたのでしょう。私が知っているだけで、魔法使いロンガールとヘインズが、皇族であれば、テリウスとコモン、ついでにライアンが、他にも正しい心を持つ貴族、騎士、兵士、文官たちに接したでしょう。彼らからは、父アランがいかに素晴らしい人か、と語られたでしょう。そして、人の正しさをそれぞれの視点で語られたはずです。
ですが、私に語るのは、父の妖精ですよ。孤児院は、ただ身よりのない子どもを保護しているだけです。平民にとっては、蔑むような存在だったりします。その孤児の間でも力の上下があります。力の弱い孤児は、生傷が絶えませんし、満足に食事がとれないので、運が悪いと死ぬことがあります。そういう不条理を私はたくさん見てきました。
「あなたは、平和な時に必要な為政者です。私は、今のように世が乱れた時に必要とされる為政者です。そういうふうに、父は分けたのですよ」
「そんな、悲しいことを言わないでください」
「私と初めて会った時は、平民と蔑んでいたではないですか」
「ごめん、なさい」
情緒不安定だから、また、エリシーズは泣いてしまいます。
「もう、この話はやめましょう。平行線で無駄です。私はもう帰ります」
「あっ」
私はさっさとエリシーズから離れ、部屋を出ていきました。リッセルは、軽く一礼して、私の後をついてきます。
私は、部屋を出るも、そのまま動けません。ほら、皇族の生活区域、どこに何があるか、知らないのですよ。今回、初めて入りました。だから、リッセルが後からついてきてくれて、助かりました。
「リッセル、どうやってここから出ればいいですか?」
「………はははは、あなたは、本当に読めない方だ」
吹き出すリッセル。そんな、笑わなくてもいいのに。ちょっと考えれば、私が道に不案内だとわかるでしょう。
「このまま、ここに置き去りにすれば、あなたはしばらく、女帝代理をするしかないですね」
「意地悪言わないでください!! 私はもうロベルトの元に帰りたいのです。ロベルトが不足しています。あなただったら、わかるでしょう」
「あなたのロベルトは、私にとってのアランですか」
「最初はそうです。ですが、ロベルトは世界一の夫です」
一目惚れから始まったロベルトへの想い。今、思い返せば、それは妖精憑きとしての本能でしょう。たった一人の人を私は見つけたにすぎません。だけど、日々を積み重ね、ロベルトのことを知って、ロベルトへの想いをそれ以上にしたのです。本能以上の存在なのです。
「リッセル、いい女性と出会えるといいですね」
「興味ない」
「いつか、また、出会いますよ。あなたの寿命は、果てしなく長いのですから」
リッセルは、過去、妖精に盗られた一族の寿命の受け皿となっている。物凄い長い年月、リッセルの一族は寿命を盗られ続けました。その寿命は、千年を越えるでしょう。
すでに、私よりも年上なリッセル。リッセルと同じ時代を生きた者たちは存在していません。それほどの時間をかけて、特別と思った人は私の末の息子アランです。
「きっと、神と妖精、聖域が、あなたにもう一度、よい出会いを作ってくれますよ」
「そこのところは、期待しないことにしている。世の中には、予想外のことばかりだ。たった一人の妹が、遥かに年上の皇族と子をなした時は、本当に驚いた。その妹を殺したのは、その皇族の娘だ」
「………」
身内の死をも防ぐことが出来ず、ただ、見ているしかなかったリッセル。そこには、強い後悔が見えました。
「私はいつも、肝心な時に役立たずだ」
「肝心な時なんて、人それぞれですよ。あなたにとって肝心な時でも、その人にとってはそうではありません。責めないでください。あなたは何も悪くない」
リッセルは私の肩に顔を埋めて、声を殺して泣きました。私は仕方なく、リッセルの頭を撫でてやります。
「男はね、いつまでたっても子どもなんですって。リッセルも、子どもですね」
「うう、はい」
私よりもうんと長生きしていますが、リッセルもまた、男ですね。私はリッセルが落ち着くまで、待つしかありませんでした。私一人では、城から出られませんし。
王国の男爵領に戻ってしばらくしては、平和でした。皇族ラキスは、アランを失ったことで、すっかり引きこもっていましたが、夏の長期休暇が終わると、貴族の学校に戻っていきました。まだまだアランを引きずっていますが、ラキスなりに、違う生き方を目指すようですね。将来が楽しみです。
そうして、ラキスがいなくなって、もう、男爵の邸宅にいる理由もなくなったので、出る準備をしていました。男爵領に封印されていた呪われた伯爵一族は解放されていましたし、もう、邸宅の魔法も必要なくなりました。まだ伯爵一族は生き残っていますが、男爵領から出ることはないでしょう。出てしまっても、そこは、あるがままです。
だけど、もう、ロベルトの体は限界でした。役割からは解放され、アランを失い、ロベルトは張り詰めていたものを失い、すっかり弱っていました。
「ロベルト、もうすぐ、小屋に戻れますね」
私は明るい声を出して、ロベルトを抱きしめます。私が直接触れるだけで、少しは持ち直してくれます。それも、ほんの少しです。誤差ですよね。
「ごめん、寝てた」
私の時魔法で、ロベルトの体を巻き戻してやります。だけど、寿命は決まっています。若返っても、ロベルトはもうすぐ、寿命が尽きます。
「エリカ、帝国はどうだった?」
若返ったので、ロベルトは私を抱きしめてくれます。もう、やるべきこともなくなったので、ロベルトは今更、帝国のことを聞いてきます。
「相変わらずですよ。もっと、教えに恭順するよう生きていれば、クーデターなんて起きなかったでしょうに」
「辛い役割をさせたね」
「………好きでやっていることです」
帝国での悪行をロベルトは知りません。だけど、ロベルトは何となく、気づいています。
決して、誉められた事ではありません。ロベルトには話せません。それを察して、ロベルトは私に帝国のことを詳しく聞きません。ただ、労ってくれます。
帝国では、人を壊したい、とあれほど思ったのに、男爵領ではこれっぽっちも思いません。それどころか、こうして、静かにロベルトと暮らしていたい、と思います。もう、このままロベルトと死んでしまいたい。
「夢を見たんだ。アランが、笑っていた」
「まあ、そうですか」
「また、会いに来ると言っていた」
「………」
「エリカ、頼む」
私はロベルトの胸から顔をあげます。穏やかに笑うロベルト。その笑顔は、出会った頃からちっとも変わりません。
「ご一緒します」
「君は残れ」
「置いていかないでください」
「アランのこと、頼む」
「………はい」
仕方ない。私の寿命は、まだまだたくさんだ。ロベルトの願いは、絶対だ。
そのまま、ロベルトは私を抱きしめ、ベッドで横になり、眠るように死にました。
男爵の邸宅を出て、昔暮らしていた小屋に戻ってしばらくして、王族ポーがやってきました。私の暮らしぶりを見て、呆然となります。
「エリカ様、僕の屋敷に行きましょう!! 王国の恩人をこんな小さい家で暮らさせるなんて、許されないことです!!!」
「好きでやっていることですよ。だいたい、元聖女の代行者への支払いはきちんとされていますよ。全て寄付しましたが」
「意味ないじゃないですか!?」
「他の方たちだって、寄付していますよ。善行です、善行」
私を含む元聖女の代行者は、一応、生活の保障がされている。それぞれ、それなりの金額を毎月、受け取っているのだ。ただ、私を含む、全ての元聖女の代行者は、そのお金を全て寄付してしまっていた。皆、必要としていないのだ。
「それは、他の方々は、それなりの立場を持っているからですよ。王国から支払われる金なんて必要ないくらいの収入や立場なんです。ですが、あなたは、平民と変わらない生活をしているではないですか!?」
「私はただ、代行者時代の生活をそのまま続けているだけですよ。ロベルトが呪われた伯爵問題で邸宅から離れられなくなってからは、お世話になるしかありませんでしたが、皆さん、恵んでくださいました」
「当然です。あなたのお陰で、今の王国の平和です。むしろ、もっといい暮らしをするべきです」
「あるがままですよ。どうせ、私はポーよりも長生きなんです。こういう苦労も暇つぶしですよ。私のような存在は、暇にさせてはいけません。世界の災いとなってしまいます」
「聞きましたよ、帝国のこと。わざわざ、悪者になって、粛清をしましたね」
「もう、皆、私のことを綺麗に見過ぎです。帝国での行いこそ、私の本性だというのに」
もう、ロベルトもいませんから、私は暴露してやります。私、そんな綺麗な存在じゃないというのに。
「私の本性は、最低最悪ですよ。人を壊すことが大好きなんです。そんな私ですから、アランを失ってしまったのでしょうね。だから、私は反省して、ここであるがままに暮らしていきます」
「そんなこと言っても、結果を見れば、良いことばかりですよ」
「結果はそうでも、経過は最低最悪ですから。でも、そういうことをするのが大好きなんです。もう、気を付けないと、またやりたくなります。だから、私は領地で大人しくしています。もう、出してはいけません。いいですね」
「エリカ様!?」
しつこい王族ポーを力づくで領地から出してしまう。もうしばらく、入れないようにしてやろう。それくらいの権利を私は持っています。
私が小屋から離れると、いつもの風景です。領民たちは、私に普通に頭を下げてくれます。そこに、恐怖なんてありません。私は私なのですよね。
そのまま、私は領地の奥へと足を進めていきます。男爵領のほとんどは未開の土地です。恵まれた領地ではありますが、男爵はあえて、一角だけを開拓するだけでとどめました。妖精の安息地は解放された、と言われますが、実際は、ただ、一部を人に解放されたにすぎません。ほとんどは、妖精の支配地です。だから、あまり奥に行くと、妖精の悪戯で、大変なこととなります。領民たちは、領地の奥に行かないように、小さい子どもたちにも厳しく言い聞かせます。
私だって、本来は危険なのです。だけど、私は気にせず、奥へと足を進めていきます。そして、大昔からある墓地へと到着します。
墓地といっても、簡単なものです。歴史が古い領地です。一人一人、残していくと、大変なこととなってしまいます。だから、適当に石だけ並べて、適当に遺骨を埋めるだけです。
私は末の息子アランの遺骨を埋めた辺りに行きます。
「アラン、もうしばらく、一人で我慢してください」
私はまだ、ロベルトの遺骨を手放せないままです。アランのことはさっさと埋めたというのにだ。アラン一人で墓にいるのだから、きっと、寂しい思いをさせている。
アランの遺骨が埋められた辺りには、いっぱい、花束が置かれていた。私の子どもたちが、アランのことを思って、日参しているのでしょう。同じく男爵領に残った子もいます。
だけど、手の届かない所に行ってしまった子は、アランだけです。他の子どもたちは、簡単に会いに行けますし、会いに来てくれます。
「ロベルトが言っていましたよ。アランがまた来る、と。そんな嘘ついて、私を自殺させないようにするなんて、酷いですね」
アランは死んだのだから、もう、この世に戻ってくるわけがないというのに。だけど、私はロベルトのその言葉を信じて、自殺を思いとどまった。
「ロベルトの嘘だったら、許しません。だから、アラン、ロベルトの嘘にしないでください」
ロベルトを嘘つきにしたくなかった。
信じて、もう一度、アランに会いたかった。
「アランにもう一度、会えるなら、きっと、ロベルトにも、もう一度、会えるかもしれませんね」
同じようなことをリッセルにも話した。あれは、私自身に言い聞かせたことだ。
しばらくお祈りして、私は領民たちが暮らす人の生活区域へと向かった。だけど、やっぱり妖精の安息地だけあって、簡単には出してくれませんでした。




