貴族への呪い
私の大好物、と言われる赤ワインが目の前に置かれました。
「私、寝酒の習慣すらありませんよ」
「大好物でしょう」
本当に最低最悪な男ライアンは、帝国で最高級だと言われる赤ワインを持って、私を筆頭魔法使いの屋敷の応接室に呼び出しました。決して、皇族の生活区域に私を入れません。私だって、入りたくありませんよ、あんな所。
「ライアンは白ワインですのね」
「帝国では、赤ワインは罪の飲み物だからな」
「やめなさい」
私が飲もうとすると、側で見ていた筆頭魔法使いリッセルが止めました。飲んだって、別に問題ないというのに。
「ライアン、エリカ様に対して不敬です。エリカ様、こちらのお茶を」
「皇室御用達のお茶ですね。ありがとうございます」
リッセルったら、わかっていますね。私が本当に喜ぶのは、こちらですよ。
「赤ワインが好きだと大昔、言ってただろう」
「好きですよ。ですが、それよりも、こちらのお茶です。それで、これからどうしますか? エリシーズは倒れてしまいましたし」
「どうしてそれを!?」
私もリッセルも、呆れたようにライアンを見返してしまいます。お前、本当に無能ですね。
「父アランの暗部は、ライアンの元に行きましたが、元は暗部カシウスを中心に動いていたのですよ。カシウスは、私に絶対服従です」
「そんな、聞いてない!?」
「付き合いの長さですよ。私と父がそれなりに和解してから、カシウスが私の様子見をしてくれたのです。カシウスは妖精憑きの力が弱かったので、視力を失いましたが、それを私が取り戻してあげたのですよ」
父アランですら知らないことだ。私は、父アランよりも、筆頭魔法使いリッセルよりも上をいく妖精憑きです。カシウスの失われた視力と取り戻すことは簡単でした。
「ついでに、妖精の目で妖精憑きの力を強化しました。今のカシウスは、あなたの知らないカシウスです。そこまでやった私に、カシウスは絶対服従していますよ。帝国の情報は、今、私にだだ漏れです」
リッセルは筆頭魔法使いとして情報を持っていますが、まさか、私が暗部カシウスを通して、情報を握るとは、誰も思ってもいなかったことです。
「私も反省しました。もっとカシウスを使って、情報を集めるべきだったのです。そうすれば、アランを死なせることはありませんでした」
私のたった一つの失敗であり、後悔だ。
私は傍らで立ったまま控えるリッセルを無理矢理、座らせました。そして、その前に膝をつきます。
「もっと、私が情報を精査していれば、私が代わりに死んであげられました。そうすれば、ここにいたのは、アランでした。本当に、ごめんなさい」
「エリカ様!?」
私が頭を下げるのをリッセルは必死になって止めます。だけど、私は床に額をつけてまで謝罪しました。
「エリカ様は悪くありません。仕方がないことです」
「私は十分に生きました。子も、孫までいます。だったら、アランの代わりに、死んであげたかった。あの役割は、私でも出来たことです。本当に、ごめんなさい」
「十分に、やってくれました。アランは、両親のことをいつも自慢していました。素晴らしい両親だと。本来であれば、あなたは帝国を見捨てていい人なのです。それをこうやって来て、後始末を手伝ってくれます。わざわざ、悪者になってまで」
「好きでやっています。私は、本当は、人をいたぶるのが大好きな最低最悪な人です。妖精としての本能が強すぎるのです。それを抑えこんでいるのが、私の愛する家族と、そして、あの妖精男爵の領地です。あの領地にいると、色々と、満たされるのですよ」
本性は、とんでもない最低最悪だ。わざとではない。帝国に来て、もっと人をいたぶってやりたい、なんて考えている。
それも、アランの遺骨が入った骨壺を見ると、すっと消える。そうやって、私の妖精としての本能は、少しずつだけど、抑え込んでいるのだ。
いつまでも立たない私をリッセルは力づくで立たせ、椅子に座らせてくれた。
「明日も、やるのですか?」
「もちろん、やりますよ。粛清は絶対です。次は貴族です。明日は、趣向を変えますから、楽しみにしてくださいね。あ、ライアン、さっさと女帝代理の書類を作りなさい。今日中です」
私はさっさとライアンを応接室から追い出してやる。
「ちょっと待て、話がっ!?」
「お前の声を聞くだけで、耳が腐ります。さっさと出ていけ」
私は容赦なく、ライアンを蹴り出してやった。本当に、頭だけの男だ。私の蹴り一つで、無様に転がりましたよ。
筆頭魔法使いリッセルは、私の希望をよく理解しています。さっさとライアンを部屋に入れないようにして、諦めさせました。この屋敷の支配は、リッセルです。リッセルが願えば、ライアンの締め出しなんて、簡単ですよ。
リッセルは、机にあるコップや茶器を片づけつつ、苦笑しています。
「あなたを見ていると、死んだ祖父を思い出します」
「祖父というと、記録上の祖父ですか? それとも、本当の祖父ですか?」
リッセルは、記録上では、普通の人で、成人してしばらくして、子爵となっています。リッセルの父親は、リッセルが誕生すると亡くなったこととなっています。ですが、記録上のことです。
実際は、私が生まれるよりも前、父アランが誕生するよりも前にリッセルは存在しています。リッセルは皇帝ライオネルの子として記録され、皇族失格となって、子爵家に養子に出されてずっと、領地から出ていないこととなっています。本来であれば、貴族の学校に通わなければならないのですが、皇帝ライオネルの代から特例として、それを免除されているのです。それからずっと、リッセルは力のある妖精憑きであることを隠し、老いることなく、ずっと生き続けているのです。
意地悪な質問ですね。リッセルはしかし、微笑します。
「賢者ハガルのことですよ」
「いいのですか、そんなこと言ってしまって。あなたは皇帝ライオネルの子ということになっていますよ」
賢者ハガルを祖父に持つことはありえないのだ。皇帝ライオネルの子ということは、祖父もまた、皇族なのだ。記録にも、きちんと残されている。
「仕方ありません。実の父親を公表するということは、母が皇族とまた、子作りすることとなります。それは、真実を知る者たち全て、望んでいないことです」
「そうですね」
リッセルの父親は、賢者ハガルの隠し子だ。表向きは貧民から平民、そして貴族となった男だ。この男の出自は貧民ということで、謎のままだ。わざわざ、真実を暴くような者はいない。何せ、ただの一貴族なのだ。
話の上では、貴族の中に発現した皇族の女の教育係りであった男は、皇族の女を忘れられず、皇族失格となったリッセルを養子に迎えたこととなっている。実際は、実の息子を引き取ったにすぎない。
美談として語られるのは、いつものことだ。私だって、表向きは死んだこととなっており、夫ロベルトなんて、死んだ私を追って自殺したこととなっているのだ。どこにでもある話だ。
「賢者ハガルを思い出すとは、なかなかの評価ですね」
「私は賢者ハガルからある程度の教育を受けています。いい意味でも、悪い意味でも。魔法使いアランもなかなか、いい教育をしましたが、賢者ハガルには劣ります。私では、魔法使いアラン程度にはなれますが、賢者ハガルは不可能ですよ」
「そんな、謙遜しないでください。血筋なのですから、立派な筆頭魔法使いになれます」
「所詮は、百年に一人生まれるかどうかの妖精憑きです。私と魔法使いアランは、千年に一度、必ず誕生する化け物妖精憑きには劣ります」
じっと私を見るリッセル。私がどういう存在なのか、リッセルもわかっている。だから、あえて、賢者ハガルを出してきたのでしょう。
「あなたを見て、私も学びます」
「私から学ぶ必要はありませんよ。私という存在は、性質です。あなたは、あなたのままでいいのです。私や息子のアランを目指す必要はありませんよ」
「………あなたはもっと、評価されるべきです」
「昔は、認められたかったんだと思います」
初めて帝国に来た時、そういう気持ちはあったでしょう。ロベルトとの爛れた関係を表に出しましたが、それでも、短期間とはいえ、皇族として存在したのです。きっと、優しく受け入れられるだろう、なんて楽観視していました。
ですが、実際は、自尊心の塊のような皇族たちは、育ちの悪い私を蔑んで見下していました。
「もう、そんな気持ちもありませんよ」
「本当に最低最悪なのは、帝国側だ」
リッセルは私よりも長く生きているのだから、よくわかっています。そうです、最低最悪なのは、帝国なのですよ。私を使い捨てにして、帝国は蘇ろうとしたのですから。それを当然と皇族たちだけでなく、魔法使いたちも思っていました。
王国の、孤児院で育ち、聖女の代弁者として最果てのエリカ様となった私に、帝国にとって都合のよいものを押し付けたのです。
若い頃は、腸煮えくりかえるほどの怒りを持ちました。でも、それもたった一か月未満の出来事です。もう、どうだっていい。
「アランが望んだことです。死んだ息子の代わりに、私がやっているにすぎませんよ」
末の息子アランが生きていれば、同じようなことをしたでしょう。ですが、死んだアランは出来なくなりました。だったら、無様に生き残ってしまった私が代わりにやってあげるだけです。
「本能の赴くままにやっているだけですから、気にしないでください。賢者ハガルも言っていたでしょう。必要悪ですよ」
「私だけは、エリカ様の味方です」
リッセルはまた、私の横に膝をついて、深く頭を下げました。これをどうにかしないといけないですね。馴れません。
次の日は、何事かあると、筆頭魔法使いの儀式をしたり、帝国中の貴族を集めて舞踏会をしたり、という広間です。
皇帝の席は不在です。一応、私が女帝代理の承認の書類を持っています。これさえあれば、文句言う人はいないと思いたい。
皇族席は、昨日、逃げずに裏切者の皇族オシリスの死を最後まで見届けた皇族だけが座っています。逃げた皇族どもは、全て、牢に入れました。尋問は、皇族ライアン、皇族コモンにお任せしました。
一応、私は女帝代理ではありますが、貴族たち、騎士たちが立つ最下層で椅子に座って待っています。
しばらくすると、兵士によって、案内された、薄汚れた貴族がやってきました。クーデター実行犯たちは、リッセルによって殺されましたが、その身内は生き残っています。実行犯の身内は即、捕縛され、平民用の牢に入れられました。
クーデター鎮静化から、そんなに時間も経っていないというのに、随分とみすぼらしくなりましたね。そんなに、平民用の牢での扱いは辛かったのでしょうか。
目の前に、明らかに平民服を着ている私が椅子に座ってふんぞり返っています。ついでに、私の後ろには、筆頭魔法使いリッセルが立っています。これだけで、貴族は兵士に抵抗して、立とうとします。
「離せ!! 貴族の私を尋問するのが、この平民か!?」
「見た目は平民ですが、皇族なのですよ。ほら、女帝代理の承認書類もありますよ。今日は、一日女帝です」
「エリカ様、楽しそうですね」
「女帝だなんて、物語の中でしかありえない話ですよ。まさか、こんなふうに、一日でも女帝になるなんて、夢のようです」
「今日一日、しっかりとお仕えします」
筆頭魔法使いリッセルは、私の芝居に付き合ってくれます。バカみたいにはしゃぐ私を見て、貴族は思うわけですよ。
ちょろそうな女だな、と。
悪い顔をする貴族。それを私は笑顔で見下ろします。
「こちらは、新しい筆頭魔法使いリッセルです。これまでの筆頭魔法使いとは違いますよ。なんと、帝国中の妖精憑きの妖精を全て盗ることが出来る、本物です。もう、魔法使いが裏切っても、筆頭魔法使いが殺されることはありませんね」
「お任せください、裏切りった魔法使いの妖精は、全て、私の支配下に置いています」
「無茶しないでくださいよ。支配といったって、個人で出来る数は限られていますよ。だいたい、生まれ持つ妖精の半分くらいを盗って支配出来るといいます。あら、意外と出来るのですね」
リッセルや私の空き容量、言葉にしてみると、相当なものです。ですが、それを数値で知ることは、ただの人には出来ません。
言葉遊びはそこまでにして、私はリッセルに目くばせします。皇族たちですら、私が何をしようとしているのか、わかっていません。
リッセルは、貴族の前に剣をぽんと置きます。
「帝国は、弱肉強食です。もう、わかりやすく、力で、罪のあるなしを決めてしまいましょう」
私は男爵の義父からいただいた妖精殺しの短剣を抜き放ちます。
騎士の拘束を解かれた貴族は、勝利を確信したような顔をします。皇族たちだって、私は負けるものと見ています。
貴族が持つのは、普通の剣ですが、長さがあります。対する私は切れ味最高の妖精殺しの短剣ですが、間合いが短いです。明らかに、私が不利です。
始めとか、そんな合図もないです。貴族は私に斬りかかってきます。私はそれを短剣一本であしらって、さっさと貴族の手から普通の剣を飛ばしてしまいました。
遠くでカランカランカランと普通の剣が落ちる音が響きます。
「エリカ様、最高です!!」
呆然とする貴族に対して、リッセルは感動したとばかりに拍手してくれます。
しばらくして、貴族は我に返ります。
「魔法使いが手を出したんだな!?」
「出していませんよ。だいたい、お前、弱いし」
「思ったよりも弱くって、私も驚きました。こう、握りが甘いのですよね」
あまりにも弱くて、私も驚きました。私なんて、技術だけですから。力なんて、平民女の中では、まあまあの力持ちですよ。ほら、毎日、農作業していますから。
「わかりました。妖精を通した、きちんとした契約をしましょう。あなたと私の勝負で、妖精を介入させない、という契約ですよ。罰則もありますよ。万が一、この勝負で、私側に妖精の介入があった場合は、あなたの一族は無罪とします。これでどうですか?」
念のために作った念書ですよ。それを見せてやると、貴族は笑います。
「ですが、万が一、これでもあなたが負けた場合は、あなたの一族は、滅び去ることとなります」
「私が負けるはずがない。いいだろう」
簡単に貴族はサインをします。悩みもしない。
とても気遣いの出来るリッセルは、遠くに飛ばした剣とは別の普通の剣を貴族に手渡します。そして、貴族はまた、私に剣をふるってきます。
私は数撃、貴族の斬撃を短剣で受け流します。さすがに、今度はしっかり握っていますよ。ですが、技術がいけません。力任せなので、私は技術のみで、簡単に貴族のただの剣を遠くへと飛ばしてしまいました。
呆然となる貴族。二度に渡って、普通の剣は遠くに飛ばされてしまいました。
「よっわ」
私は心底、そう言ってやります。
これらを見ていた皇族たちは目を剥いて驚いています。二度に渡って、私が勝つなんて、皇族たちは思ってもいません。むしろ、負けろ、なんて思っていたでしょうね。
私は契約の書類を貴族に突きつけます。
「あなたは負けました。あなたの一族は、これで滅びます」
「嘘だ!?」
契約の書類を奪い、破ろうとしますが、破れません。それどころか、契約の書類から、真っ黒な妖精が飛び出し、貴族に襲い掛かりました。
しばらくして、真っ黒な妖精は消えます。貴族は傷一つありません。一体、何が起こったのか、貴族は体を見回して、だけど、傷一つない現実に笑います。
「何が、滅ぶだ。生きてるじゃないか」
「妖精の呪いの刑ですよ」
「なんだ、それ」
「随分と大昔、賢者ハガルが最後行った、最低最悪の刑罰です。妖精の呪いの刑を受けた者は、一族ごと、滅び去ります。まず、手にするもの全て腐ります。飲み水でさえ腐ります。そして、呪いを発動した者がいる土地は呪われるため、定住が許されません。そうして、飲まず食わず、定住すら許されず、苦しいなか、一族が滅び去るのです。というわけで、この男を城から出してください。二度と、城に入れないように」
「偉そうに。覚えていろよ!!」
強制的に、貴族は城から追い出されました。吠えていますが、それは、実際に、確かめてからですよ。
城から外に行けば、迎えの馬車が待っているでしょう。そのまま、領地に戻って、勝利の美酒なんて味わうのでしょうね。
リッセルは私の手をとって、椅子に座らせて、傍らに立ち、貴族が連れ出されるのを呆れたように見ています。
「いいのですか? 信じていませんよ」
「アランが一度、やったではないですか。知らないわけでもないでしょう」
末の息子アランは、一度、妖精の呪いの刑罰を元外務大臣だった男にやりました。結果、呪いは発動し、一族は滅び去りました。まだ、一年も経っていない出来事です。この刑罰、ものすごく久しぶりでしたので、きちんと帝国中に触れまで出したのですよ。
「私に命じてくれれば、やりましたのに」
「刑罰を決めて、不発だと、困るではないですか。だったら、契約により、強制的に発動させれば、皇族も、筆頭魔法使いも、恥をかかなくてすみますよ」
この刑罰の難しいところは、刑罰をかけられた本人が罪を犯していないといけないことである。今回、実行犯は全て、リッセルが殺してしまいました。いくら、実行犯の身内といえども、罪を犯しているとは限りません。
だから、確実な方法を私はとりました。契約で縛って、強制的に、一族を滅ぼすのです。そして、表向きでは、筆頭魔法使いによる妖精の呪いの刑が発動したことにして、筆頭魔法使いリッセルの華々しい偉業とするのです。妖精の呪いの刑は、筆頭魔法使いの力を帝国中に示すための手段として、よく使われます。
私は軽く背伸びをして、皇族席を見上げます。私が平然としているのを皇族たちは化け物でも見るように見下ろしています。私はそんな皇族たちに手を振ってやります。
「次、呼んでください」
こうして、私は一日かけて、実行犯の身内を一族ごと、滅ぼす呪いを発動させました。




