謳歌のすすめ
王国に戻れば、本当に大変でした。男爵領に戻ると、王国の偉い人たちが押し寄せてくるのですよ。
「どうして女帝をやめてしまったのですか!?」
「もっと、王国のために働いてください!!」
「そうですよ!! 王国がもっと有利なことをしてくださいよ」
こいつら、とんでもない不敬罪の嵐だな。ここが王国だからって、言いたい放題だ。
ちょっと狭いな、という小屋に入れるわけがない。私は小屋の外で、偉い人たちの苦情を立ったまま受けている。
「そうだ、今から文官になりましょう!!」
「そうですよ、大臣でもいい」
「外交関係の職につきましょう!!」
こいつら、私よりも年下のくせして、態度がデカすぎです。
「お前たち、やめなさい!!」
そこに、王族ポーが間に入ってくれました。助かった。
「この人に外交なんかやらせたら、無茶苦茶になっちゃうよ!!」
あっれー? 味方かと思ったけど、内容が貶されているように聞こえる。
「大丈夫です、彼女はただ、座って、頷いているだけで」
あー、そっか、お人形さんになって、とこの偉い人たち言ってるんだ。
「無理です!! 大人しく座っていられるのなら、女帝だってやってませんよ!!!」
ポー、お前、どっちの味方なの? どうしても、悪く言われているような気がする。
「エリカ様もはっきり言ってください!! やらないって!!!」
「えっと、言っているのですが、聞き入れてもらえないのです。私、もう、政治とかうんざりですから。やっぱり、私は田舎者なのですよ」
数年、女帝やって気づきました。私には向いてない。
毎日、書類仕事でしょ。外交で腹の探り合いでしょ。気に入らない貴族と茶会でしょ。そんなのばっかり。よくもまあ、エリシーズはあんな詰まらないこと、長年、続けていたわね。
男爵領に戻って数日ですが、もう、ここでいっか、と心底、思います。自給自足万歳です。エリカ様だから、税も免税されていますよ、私。
「お前たち、もう帰れ。エリカ様には近づかないように。彼女は、王国にとっても帝国にとっても、大恩人なんだ」
最初から、そう説得してくれればいいのに。だけど、偉い人たちは納得いかん!! みたいに私を見ています。
それでも、王族に言われたのです。面倒臭い勧誘者は、領地から出て行ってくれました。
肩の荷がちょっと下りたっぽいポーは、改めて私と向き合うと、深く、頭を下げた。
「お帰りなさい、エリカ様」
「わざわざ、そんなことをいうために来たのですか。そこまで暇ではないでしょう」
ポー一人なので、私は小屋に招き入れます。
ポーは随分と不在だったにもかかわらず、昔と変わらない小屋の中を見て、過去に戻ったような錯覚を受けています。ほら、私は姿形、これっぽっちも変わっていませんから。
「長年、女帝は大変でしたね」
「片手間ですよ。良い経験となりました。次は、王国の国王になってみたいです」
「やめてください!?」
「冗談ですよ。王族の血なんて、これっぽっちも流れていません」
「冗談に聞こえない」
そんな、疑わなくていいのに。本当に冗談なのに。
いつものようにお茶を出して、椅子に座ります。
「皇室御用達のお茶ですね」
「王国にも売られていると聞きました」
「ここで飲んでから、はまりました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
女帝となって、それなりの職権乱用はしました。王国で売り出すのは、大した話ではありませんけどね。
「それで、挨拶だけですか? 何かありましたか?」
「ただ、顔を見に来ただけですよ。エリカ様をよく知る人は、随分といなくなりました」
「それほど、私を知る人なんていませんよ」
実際、私自身をよく知る人は、数えるほどだ。だって、王国では孤児院にいて、それから聖女の代行者エリカ様になって、そこから帝国だ。帝国から瀕死になって連れて行かれたのは、男爵領。私は男爵領に入ってからずっと、王国のどこにも行っていない。
ポーがいうほど、実は私、有名ではないのだ。
「そんな寂しいことを言わないでください」
「私が覚えていればいいだけです。置いていかれてばかりですが、私には思い出があります。それを思い出して、この領地で生き続け、その内、死にます」
「もっと、外に行きましょう。もう、外は妖精憑きにとっても、安全ですよ」
ポーは私を領地の外に連れ出そうと、わざわざ、声をかけに来てくれたのだ。
王国も随分と変わった。王国に発現した妖精憑きたちは、契約を施され、妖精男爵領で教育を受け、成人すると、教会の聖職者となり、聖域を浄化し、神と妖精、聖域の教えを人々に伝える仕事をしている。そして、妖精憑きは王国によって保護され、特別な権利を与えられ、貴族にすら口出し出来ない立場でありながら、敬虔な生活を送っているという。
王国らしい妖精憑きの扱い方だ。王国は、あるがままだ。そうすることで、聖域の穢れを自然に浄化していったのだ。その延長線である。
もう、妖精憑きは異物ではない。生活の一部であり、隣人だ。ただの人は、妖精憑きを恐れていない。そんな世界だから、私も受け入れられるだろう。
「いいえ、私はここにいます」
「せっかく、長生きなんですから、もっと経験しましょう。楽しいことはいっぱいですよ」
「知っています」
「アランだって、それを望んでいます」
「私は死にぞこなったにすぎません。本来は、生きていないのです。私とアランは同じです。私は死にぞこなって、アランは死んだのです」
「そんなこと、言わないでください!!」
「あなたはアランの気持ちを代弁しているつもりでしょう。違います。アランはこれっぽっちも、そんなこと思っていません」
私とアランは同じだ。ただ、分岐点があって、そこで、生死が別れたにすぎない。
笑ってしまう。その笑いを見て、ポーは不気味なものでも見るような目をする。
「アランの転生体に会いましたか?」
「ええ、会いました」
「別物です。魂は同じでしょう。見た目もよく似ていました。だけど、別物でした。私のアランではありませんでした。いえ、あのアランも、作り物でしたね」
長く、アランの転生体であるライオットに接しすぎました。成長して、随分とアランに似てきました。ですが、性格とかは、別物でした。見た目はよく似ているけど、違う何かでした。それでも、リッセルは大喜びですよ。ほら、妖精憑きは、その魂だけ同じなら、性格とかそういうのはどうだっていいいのですよ。
「そ、そう、ですね。確かに、アランとは別でしたね」
「そう、育てました」
「………え?」
「アランとは別の方向に持っていきました。そうしたくなったのです。アランの別の可能性を見たかったのです。それがあれです」
そして、いつもの通りに笑います。アランとは別の道を歩くライオット。
「ライオットを見て、悟りました。もう十分、やりました。満足しました。これ以上は、蛇足の寿命です」
長い寿命を謳歌しよう、なんて欠片ほども思っていません。私にあるのは、残ったバカみたいに長い寿命をどう消費しよう、ということです。
「リッセルは気の毒ですよ。私の何倍もの寿命がまだ残っています。あの寿命で、どう楽しむのやら。確かに、千年に一人誕生する化け物妖精憑きは、気狂いで世を乱してしまいますね」
納得してしまう。だから、私はさっさと死ぬようにしたのだ。生き残っていても、世のためにはならない。
「エリカ様、公国に行きましょう」
とんでもない提案をするポー。お前、それは絶対に言ってはいけないことよ。
「公国は、王国よりも、帝国よりも、もっと大きい世界です。あなたの残りの寿命をかければ、公国全てを見られるでしょう」
「公国に行ったら、一生、王国には戻って来れませんよ。私はロベルトから離れたくありません」
「骨を持って行けばいいですよ。亡くなった祖父も祖母の遺骨を持って、王国と帝国を旅で回っていました」
なかなか、すごい説得をしてくれます。
ポーは公国との外交の窓口をしています。実際、公国にも行っています。窓口ですし、妖精憑きの特殊な力で、公国と王国を行き来出来るのですよ。それは、私にも言えることです。ポーが出来ることは、私にも出来ることです。
「公国は移動先によっては、お金と身分が必要です。そこのところも、王国が補助します。どうせ、王国では、公国のお金なんて使うことはありません。ずっと、詰め立てられていく一方です」
「だったら、ポーが行けばいいではないですか」
「僕は、ここで十分です。ここから外に出なくても、満足しています」
「あら、私は満足していないように見えましたか?」
「満足しているように見えます。実際、満足しているでしょう。ですが、僕としては、よくわからない役割から、あなたを解放したい」
ポーは誰かから、私とアランのことを聞いたのでしょう。つい最近、話したのは皇族ラキスですね。もう、ラキスったら、話したのですね。でも、内緒なんて言いませんでした。それでは、仕方がありません。
「帝国は、あなたを利用するだけ利用して、なにも与えませんでした。むしろ、奪う一方です。そんなの、可哀想です」
「っ!?」
今更、そんなことを言われるなんて。それが、末の息子アランの友達です。私は言葉に詰まりました。
「決して、ロベルトとの生活に不幸を感じていませんでした。ロベルトの一生を私は側でいられました。幸福です。私の子はアラン一人ではありません。他にもいます。アランだけに拘る余生を過ごすわけにはいきません」
「アランの代わりはいません。僕は今でも、アランのことは一番の友達と思っています」
ポーはだから、今も私の元にやってくるのだ。友達のアランの母親が心配なのだ。
「ありがとうございます。公国ですか」
リッセルは一生、帝国で筆頭魔法使いだ。帝国から離れられないような契約をされている。だけど、私は妖精憑きだけど、何もされていない。自由だ。
ものすごく魅力的な提案だ。私の余生って、百年以上残っています。私みたいな妖精憑きは二百年、三百年、生きるのですよね。
私ほどの力のある妖精憑きです。公国でも困ることなんてありません。常識が足りないとか、色々とありますが、そういうもの全て、気にしなければいいのです。ただ、好きなように生きていき、好きな場所に行けばいいだけです。そこで、不慮の事故で死ぬことがあるかもしれませんが、それはそれです。
「少し、考えさせてください」
「ぜひ、公国に行ってください。情報はいっぱいありますよ」
「わかりました。ほら、帰って。あなたには、立派な奥方がいます。帰りなさい」
私はポーを追い出した。もう、しつこい!!
久しぶりに、リリィが夢に出ました。
「出て行ってしまうのですか?」
「帝国には行っていましたね」
「帝国はいいの。でも、公国はいけない」
「どうして?」
リリィは周りを見回して、私にこっそりと耳うちします。
「溶けて、死んでしまいますよ」
驚きました。私、公国に生きていくことが出来ないのですね。
「あなたは、元々、死ぬ運命の人です。それをご褒美で生きているだけなんです。だけど、それは帝国や王国にいる間だけです。それより外に出たら、どろどろになっちゃいますよ」
「そうしたら、死ねますね」
「死にたいのですか!?」
「今は死にたくありません」
まだ、子や孫がいる。そこの成長は見ていたいのだ。
だけど、いつか、死にたくなる。子や孫がいなくなって、どんどんと、私を知る者がいなくなったら、寂しくなる。
「死にたくなったら、公国に行けばいいですね」
簡単な死に方が見つかりました。
「もう、そんなこと言わないでください。もっと生きて、男爵領を守ってください!!」
「もう、十分守りましたよ。もう、男爵領に悪事を働く者なんていません。若い妖精憑きたちが常にいます。妖精男爵を騙せば、王国が罰します。もう、大丈夫ですよ」
「そうなの!?」
「そうなの」
物凄く驚いているリリィ。ずっと心配していたのね。だけど、情報がとっても古いわ。
もう、リリィが心配するようなこと、男爵領では起こらない。だから、もう、私は用なしだ。
「そうなのね。じゃあ、この穢れ、あなたにお返ししなきゃ」
「もしかして、私が殺す穢れって、まだ、残っているの?」
「そうよ。あなたに男爵領を守ってもらうために、私が預かっていただけ。あれはまだ、存在しているの」
綺麗な顔で笑っていうリリィ。そうか、彼女もある意味、怖い人だ。男爵領のために、何でもするのだろう。だから、呪われた伯爵家をリリィは作ったのだ。
「じゃあ、貰っておきましょう。どうせ、私が長生きしたのは、蛇足ですもの」
「大変よ」
「よく燃えるでしょうね」
「?」
リリィは私が言いたいこと、わかっていなかった。
だけど、目を覚ましてみれば、あの恐ろしい穢れだったものは、大したものではなくなっていた。だって、預かっていたって言ったって、妖精たちは、時間をかけて、あの穢れを浄化していったのだ。残ったものなんて、今の私には、大した穢れではない。ちょっと念じれば、私の妖精がさっさと浄化してしまう。
「また、死にぞこないました」
リリィったら、脅かせただけです。リリィとしては、王国から私を出ないようにしたかっただけです。
公国に行けば、私は溶けなくなる、とリリィは言っていました。でも、それも嘘かもしれない。そうやって脅かして、私を男爵領に縛り付けようとしているのかもしれない。
「面倒くさい」
ポーが余計なことをいうので、私は迷ってしまいました。男爵領で無駄に長生きするか、公国に行って、溶けてしまうかどうか試すか、悩みます。
そうは言っても、やるべきことはあります。小屋を出て、一日の繰り返しですよ。
と外に出れば、今度は筆頭魔法使いリッセルですよ。
「もう、昨日と今日と、騒がしいですね。何か用ですか?」
リッセルは私の前で膝を折って深く頭を下げます。
「ありがとうございます」
「何が?」
「ラキスがライオットの結婚の申し込みを受けました」
「あら、ラキスもやっぱり、ライオットが良かったですか。見た目はアランにそっくりですものね。中身も、実は、アランに似たことがありますもの」
一見して、別物に見えるライオット。だけど、芯はアランと同じなのだ。
ラキスは迷ったのだ。転生体であるライオットを受け入れていいかどうか。アランを裏切った、と思ったのかもしれない。
ですが、きちんと見ればわかる。ライオットの芯はアランです。アランは確かに、神の導きによってラキスに一目惚れさせられました。ですが、それは時間をかけて本物にしたのです。
だから、アランは作られた存在でありながら、褒美として、ラキスの元に戻ることを神に願ったのでしょう。個ではありません。そこは、本能です。
「ほら、立ってください。筆頭魔法使いの服は、ここでも目立つのですよ。中に入ってください」
私はリッセルを狭い小屋の中に入れた。
リッセル、物凄く驚いていました。だって、ちょっと前まで、私は女帝ですよ。それが、こんな狭い小屋で一人暮らしているなんて、想像すらしていなかったのでしょう。
「エリカ様、帝国に帰りましょう!! こんな扱い、あんまりだ」
「これは、私が望んでしているだけですよ。私には、帝国の扱いは無駄が多すぎです」
私は皇室御用達の茶を出して、苦笑する。あんな無駄ばかりの扱い、平民出の私には、我慢ならないのだ。それでも、女帝の間は、頑張って我慢してやったのです。
「食事一つとっても、無駄ばっかり。あ、でも、私は食事とりませんでしたね」
「ここでも、とっていないのですか?」
「いえ、ここでは美味しくいただいていますよ」
帝国にいる間は、食事を必要とは感じなかった。力のありすぎる妖精憑きでは、そういうこと、よくあるのだ。それも、男爵領に戻ると、不思議と、ただの人のように食事をとるようになったのだ。男爵領は妖精の安息地だ。妖精憑きの力を弱められるからかもしれない。
「てっきり、毒を警戒してかと思っていました」
「毒、効かないのに?」
皆、そう思っていたのでしょう。私がわざと食事をとらないのは、暗殺を警戒してだ、と。
実際、暗殺いっぱいありました。消し炭にしてやりたかったのですが、後で煩いので、きちんと無傷の生け捕りですよ。ただ、これをやると、いつもリッセルやら騎士やら兵士やらに叱られます。仕事をとらないでください、と。私はただ、片手間で、暗殺の黒幕まで吐かせたってのに、ひどいわ。
杞憂なことばかり考えていたのでしょう。リッセルったら、脱力しています。私はずっと、帝国全てを警戒しているものと思い込んでいたのですね。
「人を憎む、恨む、というのは、とても力がいります。それも、時間をかければ、どんどんと失われていくものです。世の中は移り変わり、どんどんと世界は変わっていきます。昨日、暗くても、今日も暗い一日なわけではありません。そういう明るい一日を積み重ねていけば、たった数日の帝国の恨みなんて、どうでもよくなります」
「ライアンのことは、ずっと許さなかったじゃないか」
「ライアンは許してはいけないのです。彼は、本当に最低最悪なことをしました。彼を許さなかったのは、その所業がいかに非道か、周囲に知らしめるためです。これは、経験をした者しかわからない怒りです」
「また、女帝になりますか?」
「そこまで生きていられるかしら。王族ポーから、公国に行ったらどうか、とお勧めされています」
「それは、また、予想の斜め上の提案ですね」
「そうではないでしょう。ポーにとっては当然の提案ですよ。彼は、公国と繋がりがありますから。いくつかの良い未来として、公国行を思いつくのは、ポーならではです」
「では、行ってくるのですか?」
リッセルは止めません。ちょっと驚いていましたが、少し考えれば、私の公国行は、私にとっていいことだと感じたのでしょう。
「止められると思っていました」
「あなたは、どこに行ったって大丈夫です。王国、帝国最強の妖精憑きです。きっと、公国でもそれは変わらないでしょう」
溶けちゃうけど。
大昔のカスみたいな帝国の穢れは一瞬で消えましたが、領土越えは、そういうわけにはいかないのでしょうね。そこは、神様の判断ですから。
夢の中でのリリィの忠告は、本当かどうか、それは確かめないとわからないことです。
「迷いますね。公国から戻ってきたら、もう、私を知る人はいなくなっています。そうなると、戻る所がなくなります」
「私がいますよ」
「あら、知らん顔されると思っていました」
「そんなことしません!!」
「そうですね。私はアランの母ですものね」
「大恩人です」
「そうですね」
リッセルだけは、私のことをきちんと扱ってくれる。最初は、アランの取り合いで戦いましたけどね、それだけです。その後からは、リッセルは私をアランの母、皇族、女帝、帝国の恩人として、きちんと接してくれた。
「無理に戻らなくていいです。そのままいなくなっても、あるがままです。王国のことも、帝国のことも忘れて、新しい人生を歩いて行っても、誰も責めません。あなたは、十分、王国のためにも、帝国のためにも働きました。次は、あなた自身のために生きていいのですよ」
「いえ、生きていたら、戻ります。でないと、あなたの長い人生は詰まらなくなってしまうでしょう。待っていてください」
「期待しないで、待っています」
こうして、私は公国に行くことにした。生きていれば、また、リッセルに公国の話をしてあげよう。




