母の友人の死
母はいつも言っていた。
「あなたは、貴族で一番になるのよ」
母アーネットは、私に、常に最高峰を与え、そして、求めた。
立ち居振る舞いを、頭脳を、社交を、全て、最高峰となるように教育され、経験も積まされた。何せ、公爵家だ。何もかもが整えられる。
公爵家は、皇族の儀式を失敗した者たちが貴族となる時のための受け皿だ。その血筋は尊い。皇族の儀式に失敗したといっても、血筋は確かなのだ。ただ、少し、皇族としての血の濃さが足りなかっただけだ。皇族だって、近親者での婚姻を続けるわけにはいかない。外から血を取り入れなければならない。そんな時にも、公爵家の血筋は使われるのだ。
すでに血筋から勝ち組だ。さらに、領地運営も商売も、勝者である。帝国には公爵は三つ存在する。一つだけでは心元がないので、三つ作られたのだ。しかし、我が家は、領地運営も商売も失敗続きで、帝国からの支援によって、その失敗も補填されているにすぎない。同じ、勝ち組の血筋のはずなのに、我が家と敵対している公爵はただ、皇族の血を色濃く持っているにすぎないのだ。
公爵であるから、負け組が群がってくる。侯爵、伯爵、子爵、男爵、さらにはただ商売が成功しただけの平民が、我が家にやってくるのだ。
その中には、これからの負け組に出会うこともある。
母アーネットの学生時代の友人が亡くなった。友人の名はカサンドラ。アーネットが学生時代、成績では雌雄を決したほどの実力の持ち主だ。アーネットも元は伯爵令嬢、カサンドラも伯爵令嬢だ。同じ伯爵令嬢でありながら、二人は成績でも、学校でも頂点であった。
常にカサンドラは首席、アーネットは次席。
生徒会では、カサンドラが生徒会長、アーネットは副生徒会長。
入学から卒業まで、母アーネットが唯一勝てなかったのが、友人カサンドラだ。そんな友人が、幼い子どもを残して亡くなったという連絡が届いた。
あまりの突然の死であったが、友人の最後の姿を見るため、母は幼い私を連れて、カサンドラの葬儀にやってきた。
その葬儀は、私から見ても、酷いものだった。
葬儀に集まるのは、カサンドラの血族から友人、伯爵の昔からの付き合いの貴族たちで溢れていた。その中で、喪主として立っているのは、一人娘のサツキ。
娘がいるのだ。父親がいる。子は一人では出来ない。父親知らずの子を産むと、貴族社会は色々と悪く言われる。カサンドラは過去の栄光が輝き、女伯爵としても、その手腕の素晴らしさは有名だった。
しかし、残念なことに、カサンドラの夫ブロンは侯爵家三男という上からの立場から、無理矢理の婚約結婚した男だ。愛なんてかけらほどもない。それは、学生時代でも有名だった。カサンドラは輝かしい実力と名声があったが、ブロンは親の爵位だけで、特にとりたてたものはない。両親に随分と甘やかされて育てられたようで、自らが一番、と思い込んでいたところもあったという。それも、カサンドラに鼻柱をへし折られ、さんざんな姿を学校で晒されたという。そんな中、ブロンはよくある真実の愛に目覚め、男爵令嬢カーサと恋に落ちた。その恋は、学校卒業後、カサンドラとの結婚後にまで続き、なんと、カーサとの間に、娘まで作ったのだ。
女としては屈辱的な話だ。しかし、何故かカサンドラは気にしなかった。カサンドラの唯一の汚点は、茶会でも面白おかしく語られたという。それも右に左に聞き流し、それどころか、カーサとその娘を離れに受け入れ、面倒までみた。
それがこの葬儀では、大きな汚点となった。
カサンドラの夫ブロンは、本来ならば喪主である。しかし、その喪主をカサンドラとの間に生まれた子どもサツキに押し付け、愛人カーサとその娘クラリッサと仲睦まじくしていたのだ。
ブロンも、カーサも、クラリッサも、笑っているのだ。
「詰まらない!!」
ブロンが腕に抱いている愛人の娘クラリッサが叫んだ。
「もうすぐ終わる」
「そうよ、もうすぐ終わるわ」
ブロンもカーサも笑って、娘クラリッサを宥めていた。
亡くなったカサンドラは棺におさめられていた。私は配られた花を受け取り、カサンドラを見た。生前、何度か会ったことがあった。
棺の中におさめられたカサンドラは、とんでもない姿だった。かっと目を見開き、苦悶に満ちた表情をしていたのだ。しかも、肌のあちこちが変色していた。
明らかな毒殺だ。それも、かなり強力なものだ。
私はばっと周囲を見た。こんなの、誰が見たって、誰かに毒が盛られたものだとわかる姿だ。血族であれば、その姿を見て、帝国に訴えるべきことだ。
ところが、血族たちはただ、カサンドラを静かに笑って見ていた。そして、虎視眈々と唯一残った娘サツキを見ていた。
伯爵家は相当な資産持ちだという。領地も肥沃で、そこに代々の当主は優秀だった。だから、伯爵でありながら、莫大な財があると噂されていた。
今、その財を受け継ぐはずの娘サツキは幼い。後見人が必要なのだ。その後見人の立場は誰がなるのか? 当然、実の父であるブロンだ。そのブロンは、愛人とその娘の元にいるのだ。サツキは明らかに孤立していた。
葬儀の間、動いている使用人たちは、すでにブロンについていた。葬儀に来ているブロンの両親であり、現侯爵が、何かしたのだろう。執事がむやみやたらと頭を下げて、愛想笑いをしている。それを見て、血族たちは、誰につくべきか、覚悟を決めた。
それは、カサンドラの友人知人たちもだ。どんどんと棺から離れて行き、葬儀が終わるのを待っていた。
棺の周りにいるのは、一人娘のサツキだけだ。サツキはただ、泣くことも笑うこともせず、無表情に棺で醜態となった母を見ていた。
とても綺麗な子だ。母カサンドラも美しい女性だった。生前、優しく笑いかけられたこともあった。その姿は、慈愛に満ちていた。正直、あの愛人のカーサのどこがいいのか、と言いたくなるほど、カサンドラは美しい女性だった。その姿をサツキは受け継いでいた。
「泣きもしないわね」
「冷たい子だな」
「さすが、我が子にも厳しい女だったが」
私の前では優しかったカサンドラだが、我が子には厳しい教育をしていたのだろうか。血族たちは、カサンドラのも一つの姿を知っているようで、悪くいう。
確かに、私の母だって、人前では優しい顔をしているが、家に帰れば、悪態だってつく。カサンドラにもそういうところがあるのだろう。そして、カサンドラは完璧な女性だったから、娘にもそれを求めたのかもしれない。
魔法使いがやってきて、サツキに何かささやく。
「燃やしてください」
「しかし」
魔法使いでも、このカサンドラの姿に、疑問を抱く。これは、調査の必要な遺体。
「大の大人がこれほど集まっていて、何も言わないのでしょう。そういうことです。燃やしてください」
ぞっとした。サツキは、葬儀に集まった者たちを嘲笑ったのだ。
サツキは、私よりも年下の子どもだ。厳しい教育を受けていたといえども、所詮は子どもなのだ。そう思われた。
その姿は、もう、ただの子どもではない。
それもすぐになくなる。無表情になり、魔法使いに促す。魔法使いは納得いかないが、仕方なく、魔法をふるった。
あっという間に、カサンドラは棺ごと炎に包まれた。
「どういうことだ!?」
「何故、燃やす!!」
燃やされるカサンドラに、血族たちだけではない。友人知人まで驚いた。
遺体を燃やすのは、移る病気だったり、罪人だったり、そういう時だ。
「病死だと届け出されていますので、通例により、燃やしました」
サツキは無表情にそう言った。そういう届け出をされたので、魔法使いがやってきたのだ。人を燃やすというのは、そう簡単なことではない。だから、わざわざ魔法を使って、短時間で燃やすのだ。
情の欠片もないことをいうサツキ。それを聞いた血族は、サツキに末恐ろしさを感じたのだろう。
そして、カサンドラは骨だけを残してなくなった。その骨にも、毒殺としての証拠が色濃く残っていた。それをサツキはただ一人で拾い集め、魔法使いが持つ骨壺におさめた。誰も手伝わない。
「本当に、いいのですか? 私が力になります」
「ありがとうございます。そう言ってくださって、きっと母も喜んでいるでしょう。名前を聞いてもいいですか? いつか、お礼に伺います」
「私はハサン。もし、万が一、何かありましたら、私の元に来なさい」
魔法使いハサンは、血族だけでなく、サツキの友人知人たちを睨んだ。それには、さすがに気まずいものを皆、感じた。魔法使いハサンは、とても正義感の強い男のようだ。魔法使いを敵に回すことは、帝国を敵に回すようなものだ。
「もう終わった?」
「終わったぞ」
「帰りましょう」
空気を読めないカサンドラの夫ブロン、愛人カーサ、その子クラリッサは笑っている。それを見て、ハサンは怒りに震える。
サツキはハサンの手を握る。見れば、サツキは寂しく笑っていた。
「神と妖精、聖域が全て、あるべきもとへと導いてくれます。天罰を与えるべき時は、天罰が当たります。そうでなければ、それが、神と妖精、聖域の判断です。あなたは妖精憑きです。神の導きに介入してはいけません」
「………素晴らしい」
厳かに言われ、感動するハサン。ただ一人、この命運を受け止めるサツキをハサンは抱きしめた。
そうして、カサンドラの葬儀は終わった。サツキは、わざわざ足を運んでくれた友人知人、血族たちに挨拶をしに来た。傍らには、もう帰ってもいい魔法使いがいた。
さっさと帰りたいが、魔法使いがいるのだ。喪主であるサツキが挨拶にやってくるのをじりじりと待つしかない。
サツキは、どういうつもりか、爵位も関係ない、でたらめな順番で挨拶をして見送る。血族から、とか、友人知人から、とかない。それぞれを挨拶をして、見送って、を繰り返していく。それは、とんでもない作業だろう。しかし、誰も文句は言えない。傍らに付き添う魔法使いがそれを許さないのだ。
そして、何故か、公爵家であるアーネットが一番最後にされた。
「お待たせして、申し訳ございません」
「まだ幼いのですもの。順位もわからないのですよね」
母アーネットはサツキの無礼を笑って許した。
こんな座るところもない場所で、最高位の公爵夫人を立った待たせたのだ。これほどの無礼はない。
それを聞いたサツキはきょとんとする。そして、寂しそうに笑う。
「母が亡くなってから、母の日記を読みました。アーネット様は、母にとって、かけがえのない友人だ、と書かれていました。あの母が日記で書くのですから、お互い、よい関係だったのでしょう。ですから、少しでも長く、母の死を悼んでもらいたかっただけですが」
そこで嫣然と笑って言葉を切る。
これは、母の完全な失態だった。
幸い、その場にはもう人はいない。知人友人血族たちは皆、帰っていた。残るのは、サツキと、魔法使い、母、そして私だ。使用人たちはいるが、皆、さっさと葬儀の片づけを終わらせるのに必死で、誰も聞いていなかった。
魔法使いはハサンは、蔑むように母アーネットを見た。ハサンはアーネットが何者なのか、知ってか知らずか、そこからは読み取れない。それは、アーネットもだ。ハサンが魔法使いとして、どこまでの立場なのかわからないのだ。魔法使いは迂闊に手を出すと、大変なことになる。
「そうですよね、公爵夫人とは、とても大変な立場ですものね。いつまでも友人の死を悼んでいる場合ではありませんものね。その双肩には、帝国の貴族の頂点である重圧がありますものね。母がいつも言っていました。アーネット様は、本当に素晴らしい方だと。公爵夫人となっても、その輝きは衰えず、貴族女性の頂点として、その威厳を保ち続けていて、素晴らしい友人だ、とわたくしに自慢していました」
それを聞いて、母アーネットは表情を歪める。
「他の方にも言いましたが、母が亡くなって一年後になりますが、わざわざご足労いただいた皆さまには、個別となりますが、茶会にご招待いたします。ご迷惑でなければいいのですが、もし、母のことを偲んでくださるのなら、どうか、母のお話を聞かせてください」
「その時は、出来るだけ、時間をあけるわ」
「公爵夫人ですもの。お忙しいですものね。無理はしなくても、いいのですよ。わたくしの、子どもの我儘です。きっと、その頃もまだ、わたくしは母を思い出して、泣いているでしょうね」
厳しい教育を受けているだろうに、サツキには、母への愛が見えた。
そうして、優雅な所作で礼をするサツキは、私と母アーネットを見送った。
屋敷に戻るなり、母アーネットは私を勉強部屋に押し込んだ。
「ただ突っ立ってるだけなんて、なんて姿を晒したのよ!!」
怒りに震えるアーネット。
まさか、葬儀の所作で激怒されるなど、私は思ってもいなかった。あんなこと、急に出来るようなものではない。
「カサンドラの子、なんて生意気なの。カサンドラ同様、完璧な所作に口上!! やっとカサンドラが死んだというのに、あの女の娘がカサンドラの全てを受け継いで残るなんて」
母の本音に、私は恐怖した。
私の前でも、誰の前でも、母は友人カサンドラとはいい関係だった。茶会でも、仕事を忘れ、他愛無い話をしていたのだ。それは、子どもの前でもだ。
それなのに、本当は、母アーネストは、友人カサンドラのことを嫌っていたのだ。
「いい、カサンドラの娘にだけは負けてはいけないわ。もっと、あなたは身に着けないといけない。貴族の学校の試験では、必ず一番をとるのよ。だからといって、社交も怠ってはいけません。あのカサンドラの娘にも負けない、完璧なものを身につけなさい。いいですね」
「は、はい」
恐怖に震えながらも、どうにか返事を返した。
気に入らない返事だが、アーネストの意識は違う方法へと向く。何か考えているのだろう。部屋を出て行った。
私は母からやっと解放されて、適当な椅子に座った。わざわざ葬儀のために、と着せられた服はきちっとしすぎていたので、ボタンを外したりした。それだけで、やっと新鮮な空気を吸えた感じとなった。
「泣きもしなかったな」
サツキは、とても綺麗な子だった。あの場で最も幼いながらも、たくさんの大人を相手にして、見事に葬儀を取り仕切った。
見ていてわかる。使用人たちは何事かあると、父ブロンではなく、サツキに指示をあおいだ。サツキは、その指示を的確に行っているようで、葬儀では何の問題も起こらなかった。それは、見えない功績だ。誰も誉めない。
泣いていないサツキを冷たい、という者は多かった。だけど、泣けるはずがない。泣いている場合ではないのだ。そこで踏ん張っていないといけないのだ。きっと、今頃、泣いているだろう。
いつ会えるかわからない。次、サツキに会えるのは、一年後、小さな茶会だ。そこに呼ばれるのはきっと私の母アーネストのみかもしれない。だけど、幼いサツキの相手として、私も連れて行ってもらえるかもしれない。
きっと、サツキは笑うと可愛らしいだろう。私はまだ子どもだから、力になってあげられない。せめて、母のように、私もサツキの友達になれるだろうか?
いや、母はサツキの母カサンドラのことを友達とは見ていないことが、今、わかった。
『もう、アーネストったら、本当に素晴らしい女性だわ。公爵夫人なんて、わたくしには無理。もう、女伯爵なんて、大変よ。それよりも大変なのよ。尊敬するわ』
カサンドラは、よく、そう言ってアーネストを持ち上げた。朗らかに笑い、口調もくだけて、礼儀作法もいい加減だった。カサンドラは、アーネストのことは友人と思っていたふしがある。だが、そうなのかどうか、今では疑わしい。
サツキは、日記で母アーネストのことを書いてあった、と話していた。日記なんて読まれる前提では書かないだろう。本音だ。サツキのような子どもが、忖度なんてするとは思えない。しかも、葬儀までそんなに時間はなかった。きっと、読んだまま、語ったのだろう。
胸が痛くなる。母は、きっと、私がサツキと仲良くなることを許さない。どうにか方法はないか、と考えるも、何も思い浮かばないのだ。
あるとすれば、サツキが見せたあの完璧だと言われる所作を私が身に着けて、サツキを越えればいい、と考えるくらいだ。サツキの上をいけば、母も気分をよくするはずだ。
サツキの母カサンドラの葬儀が終わってから一か月ほど経った。
「レイウス様、同じ年代の子どもでも、ここまで完璧な子どもはいませんよ」
「いえ、大人にも負けないものを身に着けなければなりません」
私は時間が許す限り、自らを磨いた。ともかく、今はたった一度だけ見たサツキの所作を越えることを目標にしたのだ。
家庭教師は私を誉めた。今ならわかる。そう言って、手を抜いていたのだ。探せば、私を越える子ども、そう、サツキがいるのだ。あの美しい所作を私は目指した。
そうして、勉学を勤しんでいるところに、母が上機嫌になってやってきた。
家庭教師は、空気を読んで、部屋を出ていく。
予定を中断させるほどの何かあったのだろう。満面の笑みで、母カアーネストは、私に椅子を座らせる。
「あの娘、サツキさんの婚約が決まりました」
「婚約って、まだ、葬儀が終わったばかりではないですか!?」
婚約者が決まったという事実に、私は内心、焦った。私はサツキと婚約するつもりで努力していたのだ。
「ブロンに、娘をとられると相談されましたので、侯爵家との婚約を取り計らいました」
「どうして!?」
「サツキさんの後見人で血族間で揉めていたそうです。ブロンは婿養子。後見人の資格はあっても、少し弱い所があったのでしょう。いくらブロンが元は侯爵家三男といっても、生家が後ろ盾になるわけではないわ。だから、強力な後ろ盾をつけてあげたのよ。侯爵家には子が二人いるの。そこの次男とサツキさんの婚約が決まったわ。これで、親子が離されるなんて、悲しいことはなくなったわ!!」
朗らかに笑う母アーネスト。世間的には、この母は、いいことをしたのだ。
ブロンはサツキの実の父親だ。実の娘を取り上げられてしまう、と憐れに泣けば、世間はブロンに傾くだろう。
だけど、私は葬儀でのサツキの父ブロンを思い出す。サツキにこれっぽっちも愛情なんて示していない。むしろ、邪魔だったはずだ。
私は真っ青になって母アーネストを見る。母は心底、喜んでいる。その笑顔は歪んでいた。




