買い物
珍しく、サツキは眠っていた。今日は休みだからだろう。当主の仕事も、私が手伝うので、眠る時間を得られていた。
ずっと、サツキの寝顔を見ていた。私の仕事なんて、あってないようなものだ。私は賢者になってから、後進育成からは随分と手を離した。私は、次代の筆頭魔法使いの誕生を待っている立場だ。残りの寿命を数えたら、もうそろそろ、生まれるはずなのだ。そういうふうに、帝国は出来ている。
それでも、身に沁みついた習慣だ。どうしても目が覚めてしまう。
「きゃっ!」
「しー」
大きな声を出させないため、サツキの手を塞いだ。手を通して、サツキの柔らかい唇を感じる。すっかり、みずみずしさが戻ってきた。ずっと、触れていたい。
サツキはじっと私を見上げてくる。仕方なく、私はサツキの顔から手を離した。
「テラスの手って、大きいのね。驚いてしまいました」
無邪気に、私の手にサツキの小さな手をあわせてくる。これまで、背伸びしていたからか、その反動で、私の二人でいる時は、幼くなる。それが、可愛らしい。
「可愛らしいですね」
つい、声に出てしまった。
「わたくしの手、小さいですよね」
手のことを言われたのだと、サツキは思った。そうではないのだが、否定しない。確かに、サツキの手も可愛らしい。
「テラスのお陰で、ゆっくり出来ます。あ、でも、テラスはお仕事ありますよね」
基本、休息日なんて、あってないようなものだ。誰だって、無休で働いている。そうしてもらわないと困る人もいるからだ。
私の仕事は、皇帝の補佐も含めているので、ある意味、無休だ。だが、休みたいなら休んでいいのだ。
あの皇帝は、何を思ってから、女遊びには休みがない。最近では、「ハーレム作ろう」なんて迷惑極まりないことを言い出した。そんな女遊びばかりするから、子どもが作れない体になったんだろうが。
皇帝ラインハルト様は、血筋的には本当によいのだ。なのに、子どもが作れない、という最大級の欠点がある。お陰で、女遊びをしても、無駄に妊娠しました報告の偽装は簡単に見破れる。出来ないのだからな。
今日も皇帝ラインハルト様は女遊びに勤しんでいる。今日は皇帝も休息日だから、私も休息日でいいな。そうしよう。
「私も休息日ですよ。どうですか、どこかお出かけしますか?」
「部屋にはいたくないですね」
サツキはじっとドアに目を向ける。あのドアが開くのは、サツキにとっては恐怖なんだ。
「そういえば、勉強道具はもう、盗られないですね」
「もう、盗る必要がありませんからね。出所不明だけど、気にしないみたい」
「なくなった時は、同じものをまた持ってきますよ。安心して、使ってください」
「いつも、ありがとう。でも、いいのかしら。わたくし、皇族と名乗っていないのに、散財してしまって」
「必要経費です」
「誰の?」
「私のです。あなたにこうして贈り物することで、これからも仕事を頑張ろう、と思うわけです。やる気が違います」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
サツキはずっとベッドにいる。一緒にベッドに入りたい誘惑に狩られる。いやいや、そんな不謹慎なことはダメだ。サツキがこの家を追い出されるまで我慢だ。相手はまだまだ、子どものようなものだ。
「はやく起きましょう」
「そうですね、外にこっそり行きましょう」
買い物だ。それは、サツキとは初めてのことだ。
サツキの準備を手伝い、さっさと屋敷を出た。
「食事は外でしましょう」
せっかくなので、外の料理人が作ったものを食べさせてみたかった。
「そういうことは、初めてです」
嬉しいことを言ってくれる。私相手に、初めてづくしだ。今日は特別だ。
街に行ったら、さっさと偽装し、認識阻害もして、サツキの知り合いに会ってもわからないようにする。
街で歩くことは、サツキ、本当にないのだろう。私の手を握って、物珍しそうに眺めている。
「誰が書いたかわからないわたくしの名前のサインが入った請求書をいっぱい貰いますが、実物を見たことがありませんね。なるほど、こういうものなのですね」
店の中に入っては実物を見て、サツキは考えこむ。そういうことを繰り返していると、あっという間に昼食の時間だ。
「いい匂いがしますね」
「出店ですよ。食べてみますか?」
サツキはお腹をさすって考え込む。
「少しであれば。量は相変わらず、とれませんので」
「残したら、私が食べます。色々と、一口ずつでいいから、食べてみましょう」
「そんな、悪いです」
「経験を積みなさい。人生に彩が出ます」
「そうですね」
サツキはどこか、人生を諦めた感じがある。だから、少しでも、私はサツキに良い未来を見てもらいたかった。
サツキは無理をするので、二口目を食べようとすると、私は取り上げて、さっさと食べてしまう。そういうことを繰り返すと、一通り、サツキは味わうこととなった。
「いつもテラスが持ってきてくれる料理のほうが美味しいですね」
「そう言ってもらえると、作り甲斐があるというものです」
どんどんと嬉しいことを言ってくれる。もっと甘やかせて、私に依存させたい。
そんな気持ちよくなっていると、ふと、サツキはある方向を見て足を止める。
そこにいたのは、サツキの義妹クラリッサと婚約者エクルドだ。しかも、両家の両親もいる。家族そろって、仲良く話しながら歩いているのだ。
呆れたな。婚約者はサツキだ。なのに、サツキ抜きで、両家が縁を深めているのだ。
「サツキさんには困ったものだわ。また、寝ているのですってね」
「夜更かしばかりしているのですよ。また、男漁りでもしているのですよ」
「本当に、はしたない女ですね。それに比べて、クラリッサさんは、淑女ですね」
「そんな、わたくしなんて、まだまだです」
薄っぺらい話だ。サツキを悪くいい、クラリッサを持ち上げ、とおかしな光景だ。だいたい、サツキとあのエクルドが婚約関係なのも、エクルドの両親のせいだ。
短期間、見て、調べてみれば、殺したくなる。エクルドは、クラリッサには、誕生日から、茶会のエスコート、舞踏会のドレス、家の訪問での手土産など、甲斐甲斐しく贈り物をしている。それなのに、婚約者であるサツキには、なに一つ渡していない。それなのに、エクルドは贈り物を要求するのだ。サツキは贈り物を貰っていないのだから、渡すはずがない。なのに、エクルドは勝手にサツキの名で買い物をして、それを贈り物として受け取っているのだ。本当に最低最悪な男だ。
もの言いたげに家族と、婚約者家族を見ているサツキ。羨ましいのか、と思った。
「また、わたくしの名前で請求書出されたらどうしよう。我が家の分だけの支払いならどうにかするけど、エクルドの家の分まで請求されるなんて」
「そんなことをしているのか!?」
「苦情をいったら、いずれエクルドは入り婿なんだから、と訳の分からないことを言われたのですよ。爵位は上で、それなりの資産があるくせに、ケチ臭い」
サツキはエクルドの家族を嘲笑った。
エクルドの両親もどうにかしないといけないな。サツキは何もしないようだが、私は許さない。サツキを貶める存在は、全て、私の手で苦しめてやる。
「無駄な買い物もなくなったから、随分と出費も減りましたけどね」
少し前に、抜き打ち査察したから、買い物出来なくなったのだろう。
「どういうことですか!?」
さっさと離れようとしていたら、エクルドの家族がとんでもない声をあげた。
そこは、宝石店だ。そこで、門前払いを受けているのだ。
「これまでは、入れてくれたではないですか」
「最近、抜き打ち査察により、不正なサインが出てきたことを指摘され、帝国との取引をなくされた店が続出しました。すみませんが、これまでの宝石を返品してください。お金も請求先に返金いたします」
「請求先は、息子が婿養子に入る家ですのよ」
「帝国との取引がないということは、信用を失うことです。あなたがたは責任をとってくれますか? 宝石を返品してください。今後は、あなたがたとの取引は一切いたしません」
「だったら、返品しません」
「噂ですが、皇帝が動いていると言います。返品をされないのでしたら、そちらの家を通報します」
「返せばいいんでしょう!!」
えー、金払わないの?
これ、エクルドの家族が金を払えば解決である。しかし、金を払いたくないから返品とは、本当にケチ臭いな。
その一部始終を見ていたサツキは、呆れていた。
「他人の金だからと、好き勝手して。もう、あの両家はお似合いね」
「そうだな」
どちらも、サツキを食い物にしている。もう、サツキではなく、クラリッサと婚約関係になればいいのだ。
周囲だって、そう思っている。むしろ、婚約者が代わらないのが不思議がっている。
「そうそう、生徒会に入ることになりました」
サツキ、珍しく憂鬱な顔になる。心底、やりたくなかったのだろう。
「聞いた。私の可愛いサツキにあの下劣な婚約者は暴力をふるったって。学校内は、私では見られないから、助けに行けなかった」
「そうしたのは、わたくしです」
「外す気はない?」
「すぐに、テラスは来てしまうではないですか。お仕事の邪魔になってしまいます」
学校でも、何かしらされているのだろう。食事の席でしか見ないが、そんな短時間でも嫌味を言いに来るのだ。
それも、どんどんと出来なくなってくる。サツキは、義妹クラリッサと婚約者エクルドの信用をどんどんと貶めているのだ。
嘘をつき続けるには、無理がありすぎる。その場にサツキがいなければ、どうにかなっただろう。しかし、サツキ本人がいるのだ。しかも、サツキは人の目がある所では容赦なく正論をぶつけてくる。いつも、泣いて、不幸なふりをしていたクラリッサも、それが嘘だと周囲は気づき始めた。
それでも、クラリッサは次から次へとお友達を集めていく。本当に、見る目のない奴らばかりだな。
そして、とうとう、生徒会を除名されて、怒り狂ったエクルドはサツキに暴力をふるった。それを助けたのは、よりによって騎士アルロだ。なんで、お前なんだ!?
私は偽装等をしているのをいいことに、サツキを抱きしめた。
「こんな、人前で」
「誰も見えないようにしています」
こうしないと、アルロへの嫉妬心がおさまらない。サツキが婚約者から暴力を受けた日、サツキはアルロの馬に乗って帰ってきたのだ。それを見た私は、嫉妬で狂いそうだった。私だって、馬くらい乗れる!!
清楚華憐な少女の顔を見せるサツキ。幸い、アルロには見えていない。だけど、肝心なサツキの家がよくわかっていなかったようで、どこか遠くへと行こうとしていた。それをさすがにサツキが声を出して、アルロは送り先から随分と離れてしまったことに気づき、全身を真っ赤にしてた。羨ましい失態だな!!
魔法で周りには見えていないとわかると、サツキは素直に腕の中に入っていた。いっそ、このまま屋敷に連れて行きたい。我慢だが。サツキが本気になれば、皇族の命令で止められるのだ。
私がサツキの体を堪能している間、サツキの家族とエクルドの家族は、あらゆる店で出入りをお断りされ、大変なことになっていた。
そして、買い物を満喫したサツキは、家に戻れば、サツキの家族とエクルドの家族が待ち構えていたのだ。
偽装から、認識阻害しているので、私とサツキの姿を両家は見られない。ただ、サツキが部屋に戻ってくるのをイライラと待っていた。
「もう、面倒臭い人たちですね」
「サツキ、ほら、私の元に来なさい。全てを忘れさせてあげよう」
「しません」
サツキ、やはり落ちないか。
サツキは深呼吸を数度して、家に戻っていく。
私はどうなるのか気になって、認識阻害をして、部屋の中の様子を見る。
「あら、このような狭い場所に、何か御用ですか?」
「サツキ、どこをほっつき歩いてたんだ!?」
「ふしだらな女だそうですから、そういう所ではありませんか。どうでもいいですけど」
父ブロンに投げやりにいうサツキ。途端、ブロンはサツキの顔を引っぱたいた。
私の妖精が暴走しそうになった。ぐっとおさえた。
「痛いではありませんか。明日は学校ですよ。腫れたら、どうするのですか!? ルイ様がご心配しますね。どう言い訳しましょうか」
「誰よ、ルイって」
「皇族ですよ。とても仲良くさせていただいております」
男の名前だから、いやな想像していたエクルドの母親は、それが皇族と知って、迂闊なことが言えなくなった。サツキと皇族ルイ様が浮気関係か、なんて口走ろうものなら、皇族侮辱罪だ。
皇族を前面に出されると、ブロンも迂闊に暴力には出られない。サツキは、学校に通うことで、見えない盾をいくつか手に入れた。その中で最強なのは、皇族ルイ様だ。
サツキは椅子に座り、立ったままの家族とエクルドの家族を見上げる。
「それで、何か御用ですか?」
「サツキさん、こちらの宝石を贈り物として、もう一度、購入していただきたいのよ」
「これらの小物もだ」
「こちらも」
「ここにあるものもだ」
見下げ果てた奴らだ。返品はするが、それを本物のサインの持ち主であるサツキに買わせようとするのだ。
サツキは出された物を一瞥する。
「もう一度、というと、どういうことですか?」
「返品するのよ、これから。それをあなたが買って、私たちに贈り物として渡してほしいの」
「まず、返品する前に、やるべきことがあります」
サツキは本当に頭が痛い、みたいに額に手をあてた。
「真贋の確認です。返品先だけでなく、他店で鑑定してもらいましょう。そこからです」
「どうしてですか!?」
「偽物を返品したとなったら、大変なことになるからです。犯罪ですよ」
「本物です!!」
「証明出来ますか? ちょっとした文具や小物ならいいでしょう。ですが、これらは高額な上、価値が偽装しやすいものなのです。まず、返品自体、不可能に近いでしょう」
「そ、そんな」
「どうすればいいの!?」
「どうして、急に返品することとなったのですか? 説明してください」
聞いて、知っていることだが、サツキは知らん顔して、説明を求めた。
誰もが黙り込む。まさか、サツキのサインを偽造して買い物したことが発覚したので、返品を店側から要求された、なんて言えない。
「少し前、皇帝陛下が抜き打ち査察を行いました。そこで、義妹と婚約者が、わたくしの名前でサインして買い物をしていたことが発覚しました。ご存知ですか?」
「そんな、聞いていない!!」
「どういうことよ!!」
他人事ように聞いていたクラリッサとエクルドが責められた。二人は言い訳がうまく思いつかない。
「皇帝陛下のご厚意で、今回、返品し、返金いただきました。今後は、クラリッサとエクルドの入店だけでなく、我が家の取引を一切拒否すると通達が、わたくしのもとにありました」
最後のほうは聞いていない。サツキがわざわざ言ったのだから、店側は、嫌がらせのように、サツキに文章で伝えたのだろう。余計なことを!? 怒りがふつふつと湧きあがってきた。ただ、帝国との取引の拒否だけですましてやったのに、サツキに対して、随分なことをしてくれたな、店主ども。
「信用を失うのは一瞬です。これまで積み上げてきた我が家の信用をあなた方の無駄遣いで落としてくれたのです。もう、サインでの買い物は出来ません。全てお金のやり取りです。どうしてかわかりますか? 購入者が不正をしても、店側はわからないからです。帝国の査察をされても、わからない、と言えば、罪に問われません」
「それをどうにかするのが、サツキさんの役目ですよ」
「これくらいは役に立ってもらわないと」
「本当に」
「迷惑ばかりかけているんだからな」
「………」
自らが行った不正など忘れている。全てをサツキに押し付けているのだ。
「とりあえず、その購入したものは全て、こちらで預かります。店とは、わたくしが交渉します。もう、勝手に買い物はしないでください」
「これらの物は、もちろん、戻ってくるんだよな」
「まずは、本物だといいですね」
何故か、サツキは鑑定を強く求めていた。何かあるのだろう。
あの家族どもがいなくなると、私はサツキの元に行く。サツキはもう、大粒の涙を流して、私に縋りついた。
「これ、半分が偽物です!!」
「………は?」
「どちらかが嘘をついています。店側か、それとも、あのどうしようもない奴らか」
「わかるのか?」
「わかります。わたくしは道具作りの一族ですよ。一目見れば、真贋ははっきりします」
こんな時ばかりに、サツキの隠された能力が発揮した。
サツキは強がっていても、まだ学生だ。親の保護下で貴族のイロハを学ぶ立場だ。それなのに、次から次へと問題を押し付けられている。憐れでならない。
「サツキ、私の元に来なさい。全て、忘れて、私のもとにいれば、幸せだけ見させてやれる」
「イヤです!! わたくしは逃げません。あいつら全て、破滅させて、どん底に落として、生きたまま苦しませてやるのです」
「………まかせない。全て、私が手伝ってやろう。サツキが望むこと、全て、私が叶えてやる」
復讐に捕らわれた憐れな女だ。抱きしめれば、なんて細い体なんだ。折れてしまいそうだ。
見ていろ。私が本当の苦難をお前を蔑んだ者たち全てに与えてやる。




