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名も無い小さな花

「陛下、只今戻りました」

 大陸最強を誇る海軍の最高司令官バイミラー提督が極秘任務より帰って来た。人払いをした室内には玉座に座るグレンとその前に跪くバイミラーだけだった。

「それで首尾は?」

「はい。やはりこの国・・・もしくは海域から出ていないと思われます。外洋に出られるような船の出入りはございませんでした」

「・・・そうか。海神の結界を越えるには不審な船は目立つ。嘘か誠か分からないがそんな船は無かったと海神は言っていた。となれば我が国の船で連れ出すしか無いと思ったが・・・まだ国外へ出ていないというのも厄介だな」

 連れ出された前国王ダドリーの逃亡経路を探らせていたものだった。四方を海で囲まれたシーウェル王国は当然ながら船を使うしか行き来は出来ない。外洋に出られる大きな船を使っていないとしたら本島を取りまくように点在する小さな島々にでも隠しているのかもしれないのだ。無人島を含めば島の数は多く表立って探せない分時間がかかるだろう。

「今、配下の者には密輸関係の摘発だと言って不審な者が出入りしていないか島々を調べさせております」

「それで尻尾を出すような間抜けなら苦労は無いが・・・無理だろう。頭の良い誘拐犯だからそれも計算に入れている筈だ。恐らく黒幕の動きが本格化するまで奴をしっかり隠し通すだろう。となれば・・・やはり裏切り者を突き止めるべきだな」

 黒幕に手を貸した裏切り者―――それが誰なのか?

「・・・そういえば陛下。あの影をオルセンの姫の傍に付けたと聞きましたが・・・あれを信用しているのですか?」

 恐縮しながら言うバイミラーにグレンは冷めた視線を送った。

「信用などしていない。もしあれが裏切り者なら都合がいいだろう?直ぐ手が届く所に餌があるのだから・・・」

「まさか・・・それを承知でオルセンの姫を囮にしていると?」

 バイミラーは、ぞっとしながら主君を見上げた。

 ジーンが裏切り者という可能性も捨てきれなかった。だからバイミラーに言ったように布石を置いた。それが当りならニーナに危険が及ぶと分かっているものだ。大胆といえばそれまでだがオルセンとの関係を思えば常識を逸しているとしか思えないものだった。

 グレンはもちろん目の前にいるバイミラーも信用していない。彼は王子時代からの腹心の部下で共に前国王を排斥した同士だ。父とは名ばかりのダドリーに代わって父親のような存在のようなものだった。それでもグレンは誰一人として信じている者はいない。もちろん彼らに本心は悟らせてはいなかった。皆は自分こそがグレンの信頼を一番受けていると思っていた。そして彼はこのダドリーの脱獄で自分の考えが正しかったと再確認しただけだった。裏切り者が出ても驚くこともなかったのだ。


(信じるのは自分だけだ・・・誰も信じない・・・)




「・・・・・・シーウェル王?王?」

 グレンは、はっと我に返った。ニーナが心配そうに呼びかけていた。日課となりつつある朝の散歩の途中にグレンはバイミラーとの会話を思い出していたのだ。しかもニーナの歩調に合わせて歩いていたグレンが立ち止まっていたらしい。

「何か気になることでもあるのですか?」

 朝の爽やかな風がそよぐ中で自然に話しかけるニーナに思わず全部話したくなってしまう。馬鹿な考えだとグレンは自分を叱咤した。

「別に何も・・・それよりもシーウェル王と呼ぶのは止めて欲しい。グレンでいい。エリ・・・嫌、何でも無い。とにかくグレンでいい」

 ニーナはエリカがシーウェル王のことを話す時〝グレン〟と呼び捨てにしていたのを思い出した。彼が言いかかった言葉は〝エリカもそう呼んでいた〟と言いたかったのだろう。ニーナは少しだけエリカに嫉妬してしまった。今までこんな感情を覚えた事は無かった。姉エリカが元気良く庭を走り回っても羨ましいとか感じたことは無い。それなのに今は何故かそんな気分なのだ。


 ニーナは返事をする代わりに持っていた日傘をクルクル回した。朝とは言っても日差しの強いシーウェルでは日傘が必需品だった。でも普通は侍女がかざしてくれるので自分で持つ事は無いがニーナは自分で持つのが好きらしい。自分の好きな場所で勝手に立ち止まれるし、好きな方向に直ぐ移動出来るからだ。

 しかしグレンは気に入らなかった。その傘が邪魔で彼女に近づけないからだ。近づこうとすれば傘の先が突き刺さり行く手を阻むのだ。それにニーナはよくクルクル傘を回す癖があってそうなるともう凶器のようだった。グレンは堪りかねて彼女から日傘を取り上げた。

「あっ!」

 雲のように真っ白な日傘が宙に浮かんだのを見上げたニーナは、不機嫌な顔をしたグレンと目が合ってしまった。

「あの・・・返して下さい」

 手を差し伸べたニーナだったがグレンは返すつもりは無いらしく更に上にあげてしまった。そして空いた手でニーナの肩を軽く抱き寄せるとゆっくりと歩き出したのだ。日傘はグレンの手の中で二人を包むように日影を作っていた。

 後ろからはデールの呆れたような溜息が聞こえた。グレンがただ意地悪をしているのなら飛び出して止めるが、そういう感じでは無いから黙っているのだろう。デール自身、グレンのニーナに対する態度が演技なのか本心なのか測りかねているようだ。これがグレンで無ければ彼女の気を惹きたい只の男にしか見えないだろう。しかし相手は考えが読めないグレンだ。デールは首をひねるばかりだった。

 返してくれそうにないグレンを恨めしく見上げたニーナだったが、彼がいつも浮かべている上辺だけの笑みが無いのが少しだけ嬉しかった。不機嫌なのに変な話だ。それにまるでニーナの心を読んでいるかのように立ち止まりたいと思えば言う前に立ち止まってくれる。今も足元で見つけた小さな花を見たいと思ったところでグレンの足が止まった。だからニーナはしゃがみ込んでその花を見ている。

 グレンにしたら彼女の視線を見れば何に心を動かされているのか手に取るように分かるのだ。それが渡る風だったり、梢でさえずる小鳥だったりと忙しい。生きるもの全てを愛しているかのように優しく注ぐ眼差しは見ていて眩しいくらいだった。その瞳が輝く時は必ず立ち止まるのだ。今も誰もが気にも留めない雑草に近い花を愛でている。


「ニーナ?」

 彼女が素手でその花を掘り出し始めた。以前も蝶の死骸を埋めるのに美しく整えられた爪が痛むのも構わず掘っていたが・・・今もいきなり構うことなく土を掻いていた。

「このお花・・・こんなところにあったら踏まれてしまうから・・・もっと端に埋め直そうと思って・・・」

 こんな名も無い花に心を砕く彼女に少し呆れたグレンだったが、その場に膝をついて座るとニーナの汚れた手を掴んだ。

「ここは地面が固いから爪が剥げてしまう・・・」

 グレンはそう言ってニーナを止めると、自分の剣を抜き地面に突き刺してその花を掘り出した。そして道の端に埋め直し始めたのだ。ニーナは驚いてグレンのその作業を見つめた。多分デールも呆れ顔だろう。シーウェル王が自ら芸術品のような見事な剣で花の植え替えをしているのだ。信じられない光景に違い無い。

「これでいいか?」

 植え終わったグレンはそう言って手足に付いた土を払って立ち上がった。

「あっ・・・はい。ありがとうございます」

 道の端に植え替えられた小さな花が風にそよいだ。

「あっ、お水!」

 植え替えた後は水をやらないと枯れると聞いていたのを思い出した。慌てて周りを見ると、ちょろちょろと流れる小川が目に入った。ニーナはその水を手ですくおうと流れに指を入れた途端、痛みが走った。顔をしかめて弾かれたように手を上げて見ると人さし指の爪が割れていた。


「ほら、言った通りになっただろう?」

 頭の上の方から声が降りかかったと思ったら身体が浮いていた。ニーナはグレンからふわりと抱き上げられていたのだ。

「あ、あの・・・おろして下さい」

「駄目だ!」

「おいっ!どうしたんだ!」

 デールが駆け寄って来たが、グレンはニーナを抱き上げたまま歩き出していた。

「彼女が怪我をしたから帰る」

「怪我だって?どこを?」

 デールは彼女が歩けない程の怪我を負っているとは思えず聞いた。

「つ、爪が割れただけ・・・」

 ニーナは真っ赤になって答えた。

「はぁ~爪?おいっ、ちょっと待て!それくらいで・・・おいっ!」

 その場からニーナを連れ去ろうとするグレンを止めようとしたが、彼は止まろうとしなかった。

「デール、そこの花にお水やってちょうだい。お願い」

 ニーナは諦めてデールに頼んだ。

「おいっ、水って!」

「後は宜しく、デール殿。彼女が怪我してまで守った花だ。枯らさぬようにしてくれ」

 グレンが愉快そうに一瞬振向いて言った。

「何でオレが花に水をやんないといけないんだよ!」

 デールは悪態を散々ついたが結局、花に水をたっぷりとやって後を追いかけたのだった。


 指の怪我なのに抱きかかえられたまま宮殿の中を通ったニーナは恥ずかしくて堪らなかった。皆が何事かと小声で話しながらジロジロと見ていたからだ。また姫君達の風当たりが強くなるだろう。でも花を植え替えてくれたグレンの優しさが計算では無いと信じたかった。そう思うと抱かれて緊張していた手足から力が抜けて、グレンの腕に身体をすっかり預けてしまった。

 心地良い重みが急に腕にかかったグレンは、はっとしてニーナを見た。彼女は安心したように小さな頭を胸に預けていた。色素の薄い髪と瞳は儚く今にも消えてなくなりそうな風情だ。小さな怪我さえも耐えられない感じがして思わず抱き上げた。しかし今はそれを利用して目立つ場所を歩いている自分に嫌気がさしているところだ。敵の反応が鈍く思ったような効果を得られていない現状に苛立ちを感じていた。ニーナを狙わせないといけないのに・・・

 部屋に戻るとジーンがニーナの手当てをした。そして大丈夫だと言うのに無理やり寝かされてしまったのだった。


 ジーンが寝室から出て来るまでグレンは主部屋で待っていた。その隣の小部屋ではデールが警護で在中し宮殿の中では王の居室と同じぐらい安全な場所だった。

「それでジーン。彼女の周りはどうだ?」

「今のところ幼稚な嫌がらせぐらいで危険なものはございません」

「幼稚?」

「はい。湯殿の湯にかゆみが出る草の汁が混ぜられていたり、届けられた荷の中に鼠の死骸が入っていたりと誰でも出来そうなものばかりです」

「・・・・・・彼女には知られていないだろうな?」

「はい」

「そうか・・・良くやった。知れば心を痛めるに違い無いから細心の注意は怠るな」

 心労が発作を起こすと知ったグレンはそれを恐れていた。

「はい、分かっています。とてもお優しい方ですから・・・」

「ジーン?」

 ジーンの今まで見た事が無い柔らかな表情にグレンは目を見張った。しかも一瞬だが侍女の顔では無く男の顔をしたような気がした。


(・・・・・・まさか?)


「ジーン・・・お前・・・」

「はい、陛下。何でございますか?」

「嫌、何でもない・・・それよりもこのままでは進展が無いから敵が彼女を狙い易いように隙を作れ」

 グレンは声を落として言った。隣の部屋にデールがいるからだ。ジーンが震えたように感じたのは気のせいだろうか?

「隙・・・姫をわざと危険に晒せと・・・」

 言葉にして言われるとグレンは胸が痛む感じがした。初めからそのつもりなのに今更胸を痛めるなど可笑しな話だ。


(彼女は駒にしか過ぎない・・・そう駒だ・・・)


 グレンは何度も心に言い聞かせて何とも想ってなどいないと自分を偽った。

「そうだ・・・デールをどうにかして隙を作り狙わせろ」

「・・・・・・本当に宜しいのですか?それで本当に?陛下?」

 いつも諾の言葉しか言わないジーンが何度も確認するのは初めてだった。心の無い人形の心でさえもニーナは動かすことが出来るのだろうか?男として無害と思っていたジーンにグレンは嫉妬を感じた。

「私がそうしろと言っているんだ。お前は何も考える必要は無い。言われた通りしろ」

 グレンは静かに言い捨てると部屋を後にした。続き部屋ではデールと目が合ったが無視して通り過ぎた。今はとにかく一人になりたかった。もしくはジャラに会って八つ当たりしたい気分だった。


このお散歩のシーン大好きです!ニーナは可愛いし、グレンの心の動きにニマニマしてしまいます(笑)

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