デールの訪れ
翌朝ニーナのところに思いがけない客人が現れた。
「よう!ニーナ!元気か?」
「デ、デール?デールでしょう?」
青年の姿をしたデールがいきなりニーナの目の前に現れたのだ。朝食の片付けをしていたマーシャは驚き持っていた皿を落としてしまった。少年の姿しか知らないニーナだったが話し方と雰囲気で彼がデールと直ぐに分かったようだった。
「あっ、マーシャ。彼は知人だから大丈夫よ。ちょっと席を外して貰える?」
ニーナはそう言って人払いをした。魔神に関するものは誰彼と容易に知られてはならないからだ。彼女が部屋から出て行ったのを確認したニーナはデールに微笑みかけた。
「デール、何故そんな姿なの?それにどうしてここに?」
「我が君に様子を見てくるように言われて来たんだよ。力を使って来たからこの姿さ!本当の姿はこれだからな。それよりもニーナ、お前、何か痩せてないか?」
デールはいつもよりずっと高い位置からニーナの頭をなでた。
「デ、デール・・・」
ニーナは懐かしさの余り胸がいっぱいになった。でも泣いたりしたら心配するだろう。だから、ぐっと我慢したがデールの胸の中に飛び込んだ。
「おいっ、ニーナ?どうした?あいつに苛められたか?」
デールは何時もと様子の違うニーナに腕を回しながらそう言った。
デールが現れた頃―――グレンはジャラに邪魔された昨日の件で今後の話をしようとニーナの部屋の前まで来ていた。丁度その時、怪訝な顔をした侍女のマーシャが出て来た所だった。
「ニーナ姫は在室か?」
マーシャは思わず声を上げそうになった。まさか王がこんな所にいるとは思わなかったからだ。
「は、はい。しかし今、来客が・・・」
「来客?こんな早朝に?」
「はい。それが・・・その・・・何処から入って来られたのか?いきなり現れて。でも知っているからって・・・あっ、王!」
グレンは最後まで聞かずに扉を開けた。小部屋の向こうに主部屋があるそこから話声が聞こえていた。扉を開け放つ前に耳に入って来た言葉―――
「もしかして〝あいつ〟とは私の事だろうか?魔神の従者殿」
誰が来ているのかと思えば部屋の中央で二人が抱き合う場面に遭遇してしまった。ジャラから何も連絡は無かった。魔神はシーウェルの海域から全てに結界を張っているのだからこの男が来たのも分かっていた筈だ。また面白がっているのだろう。魔神と同じ世界の住人で不思議な力を持つデールはグレンにとって目障りな男だった。エリカにも馴れ馴れしく二人の仲を疑った事もあったぐらいだ。今度はその妹ニーナまで手懐けている。グレンは自分がこれから思い通りに動かそうと思っている駒に近づくのは誰であっても許せるものではないと思った。
しかも今日は一度だけ見たことのある青年の姿だった。敵の魔神と戦っていたその姿を見たグレンは己の力の無さを悔しく思ったものだ。自分は簡単に弾かれてしまったのにデールは圧倒的な力の差があってもエリカを守り抜いた。だからその姿のデールにニーナが抱きついているのが気に入らなかった。彼女はグレンを好きになると約束した。それなのに再会を喜ぶ恋人同士のような二人に腹が立ってきのだ。約束が違うと今すぐ引き剥がしたい気分だった。思い通りに動かない駒に苛立ちを覚えるだけだと思いながら―――
反対にデールも前々からグレンが気に入らない。それにニーナがこの男の声を聞いて、びくりと震えたのを感じたのだ。内々にサイラスから彼女の守護を命じられてこの地を訪れたデールはそんな些細な事も見逃せなかった。だから不遜な態度でグレンを睨んだ。
「もちろん、あんたに決まっているだろう?他に誰がいる?」
「随分な言いようだな、従者殿」
「俺の名はデールだ!知らない訳無いだろう!名前も覚えられないのか!」
ニーナは二人の険悪な雰囲気に驚いてしまった。相手は怒らせてはならない大事なシーウェル王だ。
「デ、デール・・・どうしたの?喧嘩したら駄目じゃない」
「気に入らないんだよ!おいっ、お前!ニーナとの婚儀を申し込んだって?ついこないだはエリカとしたいって申し込んでいただろうが!何の魂胆だ!」
ニーナは驚いた。好きだけじゃなく既に国へ正式に申し込んでいたとは知らなかった。
「姉さまに・・・申し込んでいたのね・・・」
ニーナがぽつりと呟いた言葉をグレンは苦々しく聞いた。親書を送った矢先に本人から断られてしまった面目丸つぶれの苦い思い出だ。それよりも心の認めたくない部分でニーナに自分がエリカを好きだったという過去を知られたくなかった気持ちの方が強いだろう。だからグレンは開き直って嘘を言った。
「お前の主人とエリカを争っても無駄だろう?私は勝算の無い賭けはしない性質でね。それにエリカは政治的に有効だと思ったから申し込んだだけだ。しかし今、政策的にももちろんだが彼女をとても気に入ったから申し込んだ。君にとやかく言われる筋合いは無いと思うが?」
グレンはエリカへの求婚は政治的な思惑であり、ニーナはそれに加えて恋愛感情を持っていると匂わせた理由を堂々と言い放った。しかしニーナは自分に対する想いは嘘だと分かっているしエリカとの関係も誤魔化されなかった。昨日、魔神に言っていた彼のエリカに対する想いを聞いていたからそれが嘘だと直ぐに分かったのだ。平気な顔をして嘘を言うグレンが怖くて悲しかった。
「本当は私より姉さまが良かったのでしょうね・・・」
ニーナは瞳を合わせること無くぽつりと呟く様に言った。それを言葉にしただけで何故か悲しかった。グレンはそれを聞いて自分がエリカを好きだった事が誤魔化せていないと感じた。すると焦る気持ちが湧きあがってきてしまった。
「違う!私は・・・」
グレンは〝私は・・・〟の後の続きを何と言おうとしたのか分からなくなった。
(私は何を?)
グレンは彼女にこれ以上、自分自身をさらけ出すつもりは無い。しかし勘のいいデールは今の一言で何かを感じた。
(もしかして・・・こいつ?いや、まさかな・・・)
ふと浮かんだ考えを一応否定した。グレンの隻眼が冷め切っていたからだ。
「―――ニーナ姫、私の言葉が信じられませんか?貴女は私の大切な人だと言ったでしょう?」
ニーナは彼の言葉は全部嘘だと分かっている。どんな言葉を並べたとしてもニーナにはそれが分かっているのだ。でも彼がそう思わせたいと思っているのならそう思う事にした。
「分かりました・・・」
ニーナの気持ちはグレンにとって手に取るように分かる。素直な彼女は納得していないと言う顔をしていた。それでもグレンに気を遣って分かったと嘘を言ったのだ。グレンは嘘をつかせてしまう自分が堪らなく嫌になってしまった。真っ白な彼女に、ぽとりと一滴シミを付けた気分だった。
「で?あんたは何を企んでいるんだ?強固な同盟の確立という子供じみた理由だけじゃないのだろう?」
デールが嫌味たっぷりに鋭く突いてきた。
実際、このデールの登場は幾つか用意していた筋書きの中の一つだった。その場合の筋書きは当然出来ていた。しかし今は予想外の要素が幾つか生じて変更しなければならない状態だ。予想外だったというのはニーナの心の強さだろう。世間知らずで吹けば飛ぶような弱々しい気弱な姫と思っていたのに驚くほど純粋で我慢強かったのだ。それで大幅に修正し直したばかりだった。だから当然デールの利用方法を変更しなければならなかった。そして新たなる筋書きを組み立てたグレンはその全ての企みを微笑みに隠した。
「・・・誤魔化しても仕方が無いから正直に言うが、今の私には同盟を上手く運んでベイリアルを叩くという大望しかない。彼の帝国は大陸の半分を占めているのだからそれを滅ぼせば労せずしてその半分が手に入る。この私が頑張るのは分かるだろう?」
大陸の統一―――実にもっともらしい答えだった。まだ裏がありそうだとデールは思ったがそう思わせるのも手かもしれないとも思った。
「ふん、あんたらしいな!それで邪魔なオルセンは縁を結んで黙らせるって訳か?後はどうせあんたにとっては屑のような国ばかりだもんな」
「屑とは酷い。皆、大事な同盟国だろう?口の利き方は気をつけた方がいい」
「はん!オレに指図出来るのは我が君だけだ!あんたにとやかく言われる筋合いは無い!」
デールが喧嘩腰にくってかかった。
はらはらとしながら口も挟めず二人を見ていたニーナだったが、今朝から調子が悪かった身体の力が急に抜けてしまった。度重なる心労に身体の調子が狂っていたのだろう。ぱたりと倒れた彼女に険悪な雰囲気だった二人が、はっとした。
「ニーナ!」「姫!」
同時に二人が叫んだ。いち早く彼女を助け起こしたのは近くにいたグレンだった。しかしニーナは発作を起こしていて呼吸が止まりかけていた。
「姫!ニーナ!」
「どけ!」
意識を失くしているニーナの名を呼んで揺さぶっていたグレンから、デールは彼女を無理やり奪った。そして直ぐに唇を塞ぎ人工呼吸をし始めたのだった。その様子をグレンは恐ろしいものでも見るかのように呆然と見つめていた。白く真っ青になっていくニーナはまるで死んで逝くようだったのだ。しかし我に返った。
「お前が何をしている!早く医者に診せるんだ!」
「うるさい!いつもの発作だ!直ぐ治る!黙って見ていろ!」
デールは一瞬顔を上げて怒鳴ると再び唇を重ねた。呼吸を送り込む行為とは言っても端から見れば深い口づけのようだった。そしてヒューっと言う音がしてニーナが自分で呼吸し始めた。デールは水を含み口移しでそれをニーナに飲ませるとコクリと喉が鳴り、彼女の瞳が薄っすらと開き始めたのだ。
「ニーナ、大丈夫か?水、もっといるか?」
ニーナは彼の問いかけに小さく頷いたような感じだった。まだ意識が朦朧としているのだろう。デールは再度、口移しで水を飲ませた。発作は少なくなったとは言って小さなものは頻繁だったので、それこそニーナに引っ付いていたデールの対処は慣れたものだ。でも人口呼吸までしなければならないこんなに大きいのは久し振りだった。
グレンは持って行きようの無い憤りが胸に渦巻いていた。何も出来ない自分に代わってデールがエリカの時と同じようにニーナの窮地を救ったという男としての矜持が傷ついた。
(そう・・・矜持が傷付いただけだ・・・)
グレンは自分にそう言い聞かせた。決して彼らの恋人同士のような口づけに憤ったのでは無い。そんな子供じみた気持ちではないと―――
今回もやっぱりデールの活躍なのでしょうか?しかし今回の私のお気に入りは腹黒グレンなのです(笑)グレンの本領発揮なのでデールが主役奪うことは無いと思います。




