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碧い蝶

 ニーナが住むことになった場所は、独身の王にはまだ不要な後宮が解放されたものだ。豪華な宮殿が更に華麗で趣向を凝らしたその空間は、各国の美姫が行き来をするので本当の後宮のようだった。そして殆どが女達というこの状況で派閥さえも出来ていた。それは国力や各国の政治的関係に比例するかのような集団を作りあげているようだった。まるで今の同盟国の縮小版みたいだ。そしてその派閥は何かと張り合ってはいたが共通の敵はオルセンの王女ニーナだった。今日もその原因を悔しそうに彼女達は見ていた。

「ニーナ姫。今日は珍しいものが手に入ったから持ってきましたよ」

 シーウェル王が涼やかに微笑みながら虫カゴを差し出した。その中に海の碧のような色をした蝶がひらひらと飛んでいた。彼はこんな風にほぼ毎日のようにニーナを訪ねてくるのだ。

「あ、ありがとうございます」

 ニーナは戸惑いながらそのカゴを受け取った。

 王は優しい―――自分が特別扱いされているとニーナも段々分かってきた。こんな風に他の姫君達に何かを持って来たり、声をかけたりする事が無いのだ。高価な物ではなくて本当にささやかな物だった。珍しい貝殻だったり、花だったりだが見た事無い物ばかりでニーナは何よりも嬉しかった。初めはどう見てもつまらないものばかりのそれに姫達も嫉妬することは無かったがこうも頻繁だと気に入らないようだった。

 狭いカゴの中で四方にぶつかりながら飛んでいる美しい蝶をニーナは見つめた。

「あの・・これは頂いてもいいのですか?」

「もちろん。そのつもりで持って来ましたからどうぞ」

 グレンは笑顔を作ってそう言った。

「ありがとうございます」

 ニーナは丁寧にお礼を言うとカゴの扉を開け放った。

「ニーナ姫?」

 蝶はあっという間にカゴの外へ、ひらひらと出ると庭の花々を優雅に渡り始めた。碧い翅が海の煌きのように太陽の光を弾いている。

「蝶は花園にいる方が綺麗でしょう?」

 美しい蝶はこの国では貴婦人達の飾りものだった。生きたまま飛べなくして髪やドレスに飾るのだ。蝶はまるで花にでもとまっているかのように翅を優雅に閉じたり開いたりするだけの生きた宝石のようなものだった。ニーナは初めてそれを見た時、驚いたのはもちろんだが可哀想で見ていられなかった。他国から来た姫君達はそれが気に入った様子で早速自分達も飾っていたのだが・・・


(たぶん・・・シーウェル王は、私が持っていないからくれたのかもしれないけど・・・)


 誰も持っていないような珍しい蝶だった。今まで貰ったものとは違って高価なものだろうとニーナは思った。でも可哀想で自分ではとてもそんな真似は出来なかったのだ。ひらひら舞う蝶は嬉しそうだ。ニーナはその様子を微笑んで見守った。

「そうですね。貴女の言う通り蝶はご婦人を飾るより花園にいる方が似合っていますね」

 グレンがニーナの心の中で思っていた事を言ってくれたので嬉しくなった。

「はい・・蝶もとても嬉しそうです」

「ははは・・・姫は蝶の気持ちが分かるのかな?」

「わ、分かりませんけど・・・私もいつも部屋の中にいたので・・・広い外に出たときとても嬉しかったから・・・何となくそう思って・・・」

 人慣れてしていないし、どちらかと言うと言葉を探しながらゆっくりと喋るニーナの話を、シーウェル王は優しく最後まで聞いてくれる。ニーナは何よりもそれが嬉しいと思っていた。それから二人は暫くその蝶を眺めていたが、グレンが先に去って行った。ニーナも部屋に帰ろうとすると様子を窺っていた姫達が数人出て来た。最大派閥の頭目でもあるオーデン国の王女ハリエットとその取り巻きの姫達だ。

「流石オルセンの姫はわたくし達とは違いますわね?」

「本当ですわ」

「王が贈ってくれたのを要らないと言って捨てるのですものねぇ」

「ち、違います・・・私・・そういうつもりじゃなくって」

 ニーナはそんな風に思われたのかと思って驚いてしまった。

「どういうつもりなのかしら?しかも私達が蝶を飾るのを批判したでしょう?」

「私・・・そんなこと言っていません」

「してたじゃない?ねぇ~みなさん、聞きましたわよね?」

 ハリエットの問いかけに周りの姫は、自分達も聞いたと口々に言った。

「王が言われたじゃないの。ご婦人を飾るよりって!」

 ニーナはあっと思った。あの言い方だと自分は言っていないが、批判したと思われても仕方がない感じかもしれない―――


 姫達の攻撃の的となってしまったニーナを残し、立ち去ったグレンの前に気ままなジャラが現れた。

「シーウェル、良いのか?あの娘をあのまま残しても?」

「仰る意味が分かりませんね」

 グレンは立ち止まると、近くに誰もいないか視線をめぐらせて答えた。

「やはりわざとか?あのような言い方は他の者を刺激するだろうに・・・まして何時も目立つように振舞うであろう?もうそろそろあの娘も只では済まぬだろう」

「―――良く見ていらっしゃいますね。それ程あの姫に興味がありますか?」

 ジャラはグレンの顎をすくい上げ、にやりと笑んだ。

「我はそなたが何をしようとしているのか興味があるだけ」

「・・・・・・そうですか。ご期待には副えないでしょう。別に何も企んでなどおりませんから」

 グレンは顎にかかるジャラの手をやんわりと払いながら言った。

「まあいい。そなた自分で謀ったものに心を痛めぬようにな。あの娘相手ではそうなるのが目に見える。我はそなたの落ち込む顔も楽しみだがな」

「心を痛めて落ち込むですか?この私が?ありえませんね」

 グレンはこの時、本当にそう思っていた。ありえないと―――



 ドレスを泥だらけにして帰って来たニーナにマーシャは驚いた。

「姫様!どうしたのですか?何があったのです?」

「な、何でも無いの・・・転んだ・・転んだだけ」

 確かに土の上に転んだのだろうがドレスにはしっかりと靴の跡が付いていた。誰かに足蹴にされたのは明白だった。しかも形の違う跡があるのを見れば数人でされたのだろう。

「またあの方々でしょう?」

 マーシャは度々ニーナへの悪質な嫌がらせを目にしている。相手は身分の高い姫だから見ても自分は何も言えないが、ニーナ自身も言わないから段々とそれが酷くなっているようだった。今回は特に酷い。

「私が一緒に行けば良かったのに、すみません!」

 何も言えなくてもマーシャがいれば流石に彼女達も一応は手加減している感じだった。

「マーシャは悪くないわ・・・私は平気・・・大丈夫・・」

「姫様・・・」

 ニーナはどんなに意地悪されても泣いたりしなかった。マーシャの方が泣きたくなるくらいだ。何時も平気だと言って微笑んでさえいた。

「・・・・・傷の手当をしましょう。その感じだとドレスの下は痣だらけだと思いますよ」

 痛いと思うのにまたニーナは微笑んでいた。

「姫様はどうしてそんなに強いのです?」

「強い?私が?そんなこと言われたのは初めて・・・嬉しい・・」

 マーシャは何が嬉しいのだろうかと思ったが、彼女が嬉しそうなので何も聞かなかった。


 しかしニーナの平気と言う言葉を次の朝は聞く事が出来なかった。それは朝食の時の出来事だった。マーシャが厨房で用意された食事を運んで来てニーナの前に並べた。それはいつも通りの朝食だった。しかしスープを飲もうとスプーンですくって持ち上げた時、見慣れない形の具があった。ニーナは何だろうと見てみるとそれは蝶の死骸だった。

「きゃ――っ!」

 ニーナは驚いて立ち上がると、その拍子にパンが入っていたカゴがひっくり返った。その下にも翅をもがれた蝶の死骸が!しかもそれは昨日の碧い蝶だった。

 お茶の準備をしていたマーシャがニーナの悲鳴に驚いて振向いた。

「酷い・・・いつの間に、こんなこと・・・」

 厨房は厳重に管理されているから出される食事に間違いは無い筈だった。それにマーシャが直接運んで来たからこんな細工する隙も無い。そうなると間違いない筈の厨房がこんな事をするなら大問題だ。

「姫様、もうこうなったら黙っていられません!王様に言いましょう!」

 マーシャは堪らずそう言った。しかしニーナは首を振って自分のハンカチを広げると蝶の死骸をその上に置き始めたのだ。そしてそっと包むと部屋から出て行こうとした。

「姫様!」

「・・・お花がたくさん咲いている・・・ところに・・埋めてあげようと思うの・・この子達はお花が好きだから・・こんな・・姿になって可哀想でしょう」

 振向いたニーナは何時もの平気という顔をしていなかった。自分にされた仕打ちよりも蝶の死を悼んでいる感じだ。部屋を出て行く彼女にマーシャは慌てて付いて行った。ニーナが向った先は昨日の庭にある花園だった。その端に座り込むと花と花の間の土を素手で掘り出したのだ。その湿った土に涙がぽとぽと落ちた。

「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・ごめ・・・もっと飛びたかったでしょう・・・」

 まだ早朝で誰もいないその庭に、ニーナの謝りながらすすり泣く声だけが聞こえていた。そして掘った土の中に蝶の死骸をハンカチごと埋めた。

「姫様・・・」

 マーシャは彼女の行動を止める事も出来ず呆然と見ているだけだった。ニーナの様子が余りにも悲痛で動くことが出来なかったのだ。痣が出来るぐらい自分が危害を受けても平気と微笑んでいたニーナが、蝶の死骸に涙するのが信じられなかった。


 グレンはその二人の様子を物陰からじっと眉をひそめて窺っていた。ニーナの様子は逐一報告させている。早朝に彼女が部屋を飛び出したと聞きそれが何故か気になり急ぎ後を付けて来たのだ。昨日もグレンが投じた一石でニーナは集団で暴行を受けたと報告を受けていた。彼女が泣いている理由は昨日の一件に関わるだろうと予想出来た。しかしこの花園で何をしているのか分からなかった。彼女達が去った後、その場所を掘り返してみると白いレースの縁取りが付いたハンカチが現れ、その中から蝶の死骸が現れたのだ。予想外の事にグレンは目を見張った。しかも・・・

「スープ?パンくず?」

 グレンはハンカチに付いたそれらに気が付いた。

「まさか食事に混入?」

 グレンもマーシャと同じく食事に細工するような真似が出来る筈が無いと思った。それが事実なら大問題だからだ。それが出来るとなれば毒でも簡単に盛ることが出来るだろう。これがもし蝶では無く毒だったらニーナの生命は消えていた。グレンは自分の行動で彼女が生命の危険に晒されるかもしれないとは思っていた。だからそうならないように細心の注意は払っていたが・・・度重なる虐めに肝心のニーナは一度もグレンにその旨を洩らすことが無かった。彼女は本当に〝みんな仲良く〟を実践しようとしているらしい。直ぐに泣きついてくると思っていたものが外れて計画の修正をしなくてはならないところにきていた。

ふいにニーナが泣きながらここで土を掘っている姿がチラついてきた。そして彼女がしゃくり上げながら言っていた言葉も過ぎる―――もっと飛びたかったでしょう。

 昨日この場所で共に眺めた蝶を思い出した。あんな風にゆっくりと蝶を眺めた記憶は今まで無いし、これからも無いだろう。あの時間は何故か心休まる思いがしていたのだ。あの日ジャラが言っていた言葉も心を過ぎった―――


「自分で謀ったものに心を痛めぬようにと言ったであろう?」


 いきなり後ろから湧いてきた声にグレンは振向いた。したり顔のジャラが何処からともなく現れていたのだ。ジャラはいつも見られたく無いところに現れる。しかもこういう時の魔神は全てを見透かしている感じでグレンは苦手だった。

「企みは上手くいっているのか?」

 グレンは諦めたように溜息をついた。この魔神に色々隠しても無駄なようだ。

「いいえ―――オルセンの王女達とは相性が悪いようですね。今回も思うように事が運びません」

「相性?そういう言い方もあるのだな。くっくく・・・そなたの手の上で踊ってもらえぬとは愉快、愉快」

「いいえ、無理にでも踊ってもらいます」

 ジャラが、にやりと嗤った。

「無理に?そなたの方が無理している感じではないか?まあ何れにしても探しものが早く見つかると良いな」

 グレンは、はっとすると声を殺して聞いた。

「貴方はどこまでご存知なのですか?所在を知っているのなら教えて下さい」

「我はそなた達が信じて祀るような神では無いのだから何もかも分かるものでは無い」

「私は人々が祈る神を信じたことはありません・・・荒れ狂う海で貴方を見た時から貴方が私の唯一の神です―――全てを知っているのでしょう?」

「嬉しいことを言ってくれる」

 ジャラは薄っすらと微笑みながらそう言っただけだった。彼は知っているのかもしれないし、知らないかもしれない。魔神の心はグレンには量れなかった。

「・・・・失礼しました。貴方は興味があるものだけに動かれるというのを・・・つい失念しておりました。お許し下さい・・・」


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