閑話~水の王ジャラ<前編>
以前、これも人気投票をして数表の差でゲレンを抑えてジャラが一位でした。ちなみに本編主人公のサイラスは三位という結果でした。一位になった人物の短編を書くという企画でしたのでこれはその時に書いたものです。
ジャラは最近おもしろく無かった。お気に入りのグレンとニーナが上手くいってやれやれと言うよりも自分だけ仲間はずれになってしまった気分だったのだ。これはまるでアーカーシャがローザと恋人同士になったあの頃のようだった。その昔、それが面白くなくて二人と離れていた間にあんな悲劇が起きてしまった。彼らの近くにいれば自分がどうにか出来たのでは?とジャラは今でも後悔している。
「まぁ・・・我がいたとしてもどうなったわけでも無いかも知れぬが・・・」
それでもジャラは珍しく落ち込んだものだ。だから今回は温かく見守ってやろうとは思っていた。いたのだが・・・
「シーウェル、ニーナにばかり構って!我を無視とは気に入らぬ!」
グレンは呆れたように溜息をついた。
「海神、無視などしていませんでしょう?ニーナは今、大事な時期なのですから」
「婚礼の儀を執り行ったかと思ったら直ぐに懐妊とは・・・シーウェル、日にちが合わないではないか?」
グレンは平然としていたが傍で座っていたニーナは真っ赤になっている。
「婚礼は公の儀式なだけでしょう?順番がどうとか日数がどうとか貴方が気にされるとは思いませんでした。言ったでしょう?私は今でも神は信じない。目の前に貴方がいるのですから私の神は貴方だけです。その貴方にニーナと生涯連れ添うと誓った時点で私達の婚礼は終わっています」
「ふん、相変わらず口は上手い・・・」
ジャラはそう言いながらも悪い気はしていなかった。もちろん少し拗ねていただけで本当に怒っている訳では無いからだ。異界ではそこの地を統べる五人の王の一人。水の王ジャラは殆ど他人に関心を示さない。いつも飄々として本心を垣間見ることさえ出来なかった。そのジャラがこの人間の地に長く留まっているのは珍しいことだ。長くとは言っても彼らの時間の流れに換算すれば瞬きする間のようなものだろう。それでもジャラは退屈だった自分の世界より時を長く感じていた。
「あの・・・魔神、お気を悪くされていたのならすみません・・・私の身体が弱いからグレンが心配して・・・私が・・・」
私が悪いと言おうとしたニーナは美麗なジャラのうっとりとしてしまう微笑みを受けて言葉を忘れてしまった。
「大丈夫だと言ったであろう?我がそなたを丈夫にしてやると・・・」
「あ・・・は、はい」
ニーナは頬を染めてジャラを見つめると魔神も慈しむように彼女を見つめた。面白くないのはグレンだ。そのむっとした顔をジャラが、ちらっと見る。
「くくくっ・・・シーウェル、そんな怖い顔をするな。そなたの愛しいものに我は手を出さぬ。安心するがいい」
「そうして頂けると助かります。貴方と争っても勝ち目が無いような気がしますからね」
ジャラは返答が気に入ったのか愉快そうな顔をした。
「此処に居ては邪魔者扱いされるから退散しよう」
「そんな!邪魔者なんかではありません!」
「ふふふっ、そう言ってくれるのはそなただけ。シーウェルは出て行けとばかりに睨んでおる」
ニーナはグレンの顔を見た。彼女の心配そうな顔を見たグレンはまた溜息をついた。
「海神・・・お戯れはもうそれくらいでいいでしょう?本当にニーナが心配してしまいます」
「ふふふっ、まあ、暫くは二人で仲睦ましく過ごすがよかろう・・・」
「どちらに行かれるのですか?」
グレンが眉をひそめて訊ねた。気まぐれなジャラがふいと姿を消すのは何時ものことだが、今はニーナの体調が心配なグレンは魔神が傍にいないと不安なのだ。
「そなた、以前よりずいぶん分かり易い性格になったようだ。ふふふっ、それも一興だ。心配しなくてもいい。近場を散策するだけ」
グレンは諦めたように小さく溜息をついた。魔神の近場とはどの範囲を言っているのか検討がつかない。彼らにとってこの世界は狭いものだろうからだ。それでも本当に彼の力が必要な時は帰って来てくれるだろうとグレンは信じている。
「さてと・・・アーカーシャのところにでも行って戯れるのも良いが・・・」
ジャラはそう言って行きかけたが何となく気乗りがしなかった。向うに行っても仲間はずれの気分を味わうだけだろうと思った。ジャラ自身、好むものは色々あってもその中で一番と思うものは無い。しかし彼らにはあるのだ。そこが疎外感を感じるものだろう。それを羨ましくもあり、負け惜しみでどうでも良いと思ったりもする。これを考えだしたら気分が悪い。だから気晴らしに最近気に入っている人間のふりをして城下町を散策することにした。顔形は変えないが色を変えるだけで随分違って見える。一般的な褐色の肌に金色の髪・・・どこから見てもシーウェル人だ。気ままにふらふらと歩くその姿のジャラに声をかけるものがいるとは思わなかった。
「海神?海神様ではございませんか?」
後ろから聞こえた声にジャラが振向いた。
「あっ、やっぱり!こんな所でどうされたのです?」
「そなた・・・」
駆け寄ってジャラを嬉しそうに見上げるのはニーナの侍女マーシャだった。
「何故、我だと分かった?」
マーシャは数回ニーナの側で見たことはあるが言葉を交わしたことは無い。しかもこの姿を見せたことは無いのだ。まして普通の人間に見破られるような術は使っていない。だから不思議なことだった。
「お姿は全く違いますけれど貴方様の周りに綺麗な光りが見えますから」
「光り?そのようなことを言われたのは初めてだ。そなた面白いことを申すな」
ジャラは、にっと笑った。少しマーシャに関心を持ったようだ。
「面白いですか?私は不思議なんですけど・・・海神様の周囲は輝いて見えるのに他の人は全然見えないと言うから・・・」
本当に不思議な話しだった。マーシャは普通の人間で実際他に不思議な能力は無い。しかし王宮で見かけるジャラだけいつも光り輝いているのが見えた。時折、光りが弾けて綺麗な音色も聞こえることもあった。その美しさに心奪われたマーシャはいつもジャラの姿を探していた。気まぐれな彼はお気に入りのニーナの所には良く現れる。この時ほど彼女の侍女で良かったと思っていたが、それが今日こんな場所で会えるとは思わずマーシャの顔は喜びに溢れていた。
しかしそれが不味かった。ジャラの関心は、すっと消えてしまった。ジャラにとってうんざりするぐらい自分を崇拝するそんな瞳をした者達を見て来た。それらは面倒で退屈なだけだった。興味を無くしたジャラは彼女を無視して歩き出した。ところがマーシャが後ろから付いて来るのだ。こうなったら余計に鬱陶しく嫌なものだった。無視をしているというのにマーシャは構わず海神様、海神様と後ろから話しかけてくる。いつものジャラならそれでも無視をして姿を消すのだが珍しく苛々が募って来た。ぴたりと歩みを止め振向きざまに怒鳴った。
「海神、海神とこのように人通りが多い中で呼ぶな!目立つであろう!」
デールなら飛び上がってしまうところだがマーシャは、にっこりと微笑むと弾むような返事をした。
「はい!分かりました!」
「・・・・・・・・・」
(阿呆か?この娘は?)
相手をしては自分が馬鹿をみると思ったジャラはまた、さっさと歩き出した。しかし今度は話しかけないがずっと付いて来るのだ。ジャラの我慢が限界に達し、今度こそ徹底的に追い払おうと振向いた。しかしその目の前に何か差し出されてしまった。
「はい、どうぞ!美味しいですよ」
鬱陶しい者が手にしていたのは甘酸っぱい果実を乗せて焼いたシーウェル名物の菓子だ。
「ここのお店が一番美味しいのですよ。さっき通りかかったから買いましたのでどうぞ」
少し離れたと思ったらそれを買い求めていたようだ。
「我はそのようなもの食さぬ!」
「そうですか?美味しいのに・・・食べず嫌いは損ですよ」
ジャラに向って普通に話しかけるどころか説教するものなどそんなにいない。しかも普通の人間だ。むかむかしてマーシャを睨んでいると、彼女はじゃれてきた犬にその菓子を与えていた。
「そなた!我にすすめたものを犬に与えるとはどういう了見だ!馬鹿にするな!」
マーシャは少し、びっくりした顔をしたが直ぐに返答した。
「やっぱり欲しかったのですか?素直にそう言われればいいのに」
見当外れな答えにジャラは頭にきてしまった。しかも素直に言えとまで言われ気分は最悪だ。激昂したジャラはそのまま姿を消しオルセンへと飛んで行った。
エリカ達がゆっくりとした午後を庭で楽しんでいた所にジャラが突然来た。不機嫌なまま現れた水の王にデールは恐れサイラスの後ろに隠れた。エリカとサイラスは顔を見合わせた。
「ジャラ、どうしたの?ご機嫌ななめね」
「我の機嫌が悪いと言うのか?」
「悪いも何も思いっ切り眉間にシワが寄っているし、目なんかつり上がっているわよ。それで機嫌が悪く無いと言うほうが可笑しいわ。ねぇ、サイラス」
サイラスはそうだと言うように頷いた。
「そうであろう?そなたらもそう見えるであろう?それなのにあの人間・・・余程の鈍感か阿呆か!」
デールが恐る恐る声をかけた。
「人間って?」
ジャラをこんなに怒らせる人間が誰なのか気になった。
「怒鳴っても嬉しそうに笑い、我にと差し出した食べ物を平気で犬に与え、その上、我が素直では無いと言った!生意気な口を利く女!ああ、腹が立つ!」
エリカとサイラスはまた顔を見合わせた。
「それで・・・まさか殺してきたとか?」
ジャラのこの様子ならありえると思ったようだ。しかしジャラは、はっとした。そんなこと思ってもいなかったのだ。
「・・・殺してなどいない・・・そう、あれはニーナのお気に入りの侍女・・・」
「ニーナの?それで思いとどまったのね。ニーナが悲しまなくて良かったわ」
エリカは、ほっとしたが長い付き合いのサイラスの意見は違っていた。
「珍しいことだ。そなたが何かに激昂するなど無いだろう?それこそそのようなどうでもいい話しでなど有り得ない。その相手を特別に感じているのではないか?」
「ば、馬鹿な!我があの娘を?有り得ない!」
エリカが、ぽんと手を叩いた。
「あっ、なるほどね!私も昔、散々アーカーシャから素気無くされたものね」
「あれは・・・」
サイラスが困ったように言いよどんだ。
「あれは何?私が気になっていた裏返しでしょう?」
「我は違う!今日初めて言葉を交わしたような者にそのような気持ちは持たぬ!」
「あら?そう?男女の出会いなんて時間じゃないもの。一瞬で恋するものじゃない?私はこ~んな小さな時、アーカーシャに一瞬で恋したわよ」
エリカ身振り手振りを加えながらそう言うと甘えたようにサイラスに寄りかかった。
「もうよい!そなた達と話しをしてもつまらぬ!」
ジャラは怒ったまま消えてしまった。そしてそのまま何処かへ彷徨うつもりが何故かシーウェルに戻って来てしまった。
「お帰りなさい。今日はもう来られないかと思いました」
夕暮れの窓辺でニーナが嬉しそうに出迎えたが、ジャラは返事せず部屋中視線を彷徨わせていた。まるで何かを探している感じだ。
「あの・・・何か?」
「何でもない」
何でも無いと言いながら部屋から続く庭も確認している様子だ。その時、部屋の扉が開く音がしたのでジャラが振向いた。
「違う・・・」
ジャラはそう小さく呟いた。入って来たのはマーシャと同じくニーナ付きの侍女だった。その侍女はもちろんジャラを見るのは初めてでは無い。しかし見慣れていても白銀の魔神の視線をまともに受けて恐怖に顔が青ざめた。
「我が恐ろしいか?人間?」
ガタガタ震える侍女にジャラが近付く。普通はこういう反応だ。
「ひっ、お、お許しを!」
ジャラは興味が失せたようにその侍女の横を通り過ぎるとテーブルの上に腰掛けた。
「魔神?どうされたのですか?魔神?」
様子のおかしいジャラをニーナは心配した。しかも呼びかけても返事もせず、じっとテーブルの上の菓子を見つめている。
(お菓子??)
「宜しかったらどうぞ。とても美味しいですよ」
一応そう声をかけたニーナだったが、ジャラが、むっとして顔を上げた。
「これは城下で売っているものであろう?」
「よくご存知ですね。そうです。マーシャがよく買って来てくれます」
ジャラの顔がもっと不機嫌になった。ニーナは何で気分を損ねているのか見当がつかなかった。
「・・・・・・で、その者は?」
「え?」
「・・・・・・・・・」
「その者って・・・マーシャのことですか?」
そうだとも、違うともジャラは言わなかった。ニーナも訊ねられている意味さえ分からずにいた。
「何でも無い・・・また来る・・・」
ジャラは瞬く間に消えてしまった。ジャラは今一度、マーシャに会って彼女とは何でもないと言うのを証明したかった。ただそれだけで彼女を探していたのだ。しかしそれは明日に持ち越しとなってしまった。
そして夜明け前、流石に早いと思う時刻だったがジャラは王夫妻の寝室の庭先に立っていた。グレンが部屋を出て行くのは見えたが、身重のニーナはまだ眠っているだろう。侍女達が仕事を始める時間までもう暫くある。そう思っていたところにやはり前触れもなくマーシャが現れた。彼女の気配を感じられないのが不思議だ。
「おはようございます!今日はお早いですね」
マーシャは色とりどりの花を両手に抱えていた。
「朝一番に咲いた花をお部屋に飾るのですよ。ニーナ様はお花が大好きですからね」
マーシャは聞いてもいないことをベラベラと話していた。そして花瓶にそれらを生けだしたのだ。相手が勝手に喋るから何と無く会話の糸口も掴めず、それらをジャラが見ているとマーシャの顔が輝いた。
「きれい!」
ジャラは何が?と思っていると、どうも自分を見ているようだった。
「我か?」
マーシャは大きく何度も頷いた。夜明けと共に顔を出した陽の光が白銀の魔神を輝かせていたのだ。
「本当にきれい!触ってもいいですか?」
駄目だと言っても聞かないような勢いで言われたジャラだったが、何となく悪い気分では無かった。しかし良いと言う前にマーシャは遠慮なく髪を触り出した。
「すごい!きれい!こんなに綺麗なのは見た事無いわ!」
すくい上げた髪を陽光に照らして無邪気に喜ぶ彼女を見ていると昨日までの苛々が消えてきた。
「海神様、オルセンの魔神様もお綺麗なんでしょう?婚礼に来られていた時は人のお姿でしたから見る機会が無くて・・・それも十分素敵でしたが本当のお姿は海神様のようにとても綺麗なのでしょうね」
確かに空の王アーカーシャは彼女が言う基準で言えば美しいだろう。しかしジャラはまた気分が悪くなった。マーシャが自分以外を褒めるのが気にいらないのだ。
「アーカーシャなど普通だ!」
「普通?じゃあ、海神様が一番?」
「そう、我が一番」
ジャラは馬鹿馬鹿しい自慢をしていると思いながらマーシャが嬉しそうにしているのが楽しかった。しかしふと頭に浮んだのは、子犬のようだと思った。幾ら邪険に扱っても嬉しそうに尻尾を振ってじゃれて来る。怖さをまだ知らない、遊びたがりの小さな生き物・・・
(なるほど・・・そうか。その類であったか)
ジャラはアーカーシャが言ったようなものでは無いと結論づけた。そう思えば適当な玩具が増えたと思えば気分も軽くなる。
「そなた可愛いの・・・」
まるで子犬のようだと続けたかったジャラだったが、マーシャの顔がまるで夕焼けを映したかのように真っ赤に染まってしまった。
「い、急いで戻らないと!」
マーシャは慌てふためいて花瓶を抱えると部屋の中へ走り去って行った。不思議に思ったジャラだったが、それから予想に反して彼女の態度がよそよそしくなってしまった。ジャラが姿を現すと何処かに用事を作って去って行くし、声をかけてやっても俯いて、〝はい〟か〝いいえ〟しか言わない。きらきら輝く瞳で自分を見上げていたマーシャを見ることがなくなったジャラも段々と腹が立ってきた。
「我を崇拝する者の態度とは思われぬ!」
大きな声を出すジャラにエリカとサイラスは顔を見合わせた。ジャラはまたオルセンに愚痴を言いに来ているのだ。
「でも、ジャラ。崇拝者は鬱陶しいって昔から何時も言っていたじゃない?だったら別に良いでしょう?」
サイラスは小さく溜息をついた。
「ジャラ、そなた・・・本当に自覚が無いのか?」
「何の話だ?」
「前も言ったであろう。彼女を特別に気にしているからだと」
「違う!」
「違うのならば只の子供っぽい我が儘だ」
「我を愚弄するつもりか!」
サイラスは溜息をついた。この皮肉れた友人を素直にするには骨が折れる。
「好き嫌い関係無く何時も注目して貰ってないと気が済まない子供と同じであろう?結局、崇拝者は鬱陶しいと言いながら構って貰いたい」
「なるほど!寂しがり屋さんね」
立て続けにサイラスとエリカから散々なことを言われたジャラは、何も言い返すことが出来ずに、わなわなと震えた。
「も・・・もう、そなた達とは口を利かぬ!」
ジャラは捨て台詞を残しまたもや消え去った。
「ジャラって意外と子供っぽかったのね」
エリカは呆れたようにサイラスに言うとジャラが消えた方角を見つめたのだった。
一方、マーシャはジャラを見た時から心惹かれていた。それは最初異性だとか言うものでは無かったと思う。美しい景色や、綺麗なものを見た時に覚えるような感動だった。だから何故皆がジャラを恐れるのか分からなかったぐらいだ。しかしあの朝、ジャラから可愛いと言われた時、シーウェル王の守護魔神を異性として意識してしまったのだ。それから何となく恥ずかしくて避けている状態だった。しかし恋と呼ぶにはまだ程遠い感じだ。
そんな二人がすれ違っている間に事件が起きた―――




