ニーナの悲痛な願い
「お父様の罪は重いでしょう。でもどんな理由にしても子が親を殺してはいけないと思います」
「・・・ニーナ、お前がそれを言うのか?私はお前に聞いた。私の為に自分の父を殺せるか?と――出来ると言っただろう?」
グレンはわだかまっていた一番暗い心の部分をニーナに暴かれて憤っていた。それは以前グレンがニーナの心を測って問いかけたものだ。
「そうです。私には貴方が一番・・・だから貴方の命を助ける為ならそうすると言いました。でも本当にそうした後は自分も生きてはいません・・・」
ニーナの澄んだ瞳で答えられたものは本当の気持ちだろう。オルセンの王は家族を大切にしている。自分の父と大違いのそんな父親を殺せるか?と言った自分にグレンは腹が立った。彼女の答えは当然だろう。
「・・・ニーナ、君を失ってまで私は生きたくは無い・・・つまらないことを言った。すまない・・・」
ニーナは頷き、そして祈るように胸に手を組むと訴えた。
「お父様を許して下さいとは申し上げません。もうこのようになったのなら生きていないようなものでしょう?それなら親殺しの罪を負うことはお止め下さい」
「・・・・・・・・・」
答えることなく踵を返したグレンにジャラが愉快そうに声をかけた。
「してどうする?シーウェルよ。鱶の餌にでもするか?それとも海原に捨てるか?」
グレンは振向いた。
「―――元の場所に戻して頂ければ助かります」
「それで良いのか?誠に?」
グレンは頷くことなく去って行った。ニーナは慌てて彼を追う。ジャラは愉快そうに指を鳴らすとダドリーは何事も無かったかのように幽閉されたのだった―――
「ところでニーナ、私達の婚礼の事だがオルセンのアルフ王子が両国の仲立ちにやって来るそうだ」
「アルフ兄さまが?そうですか・・・」
嬉しがるだろうと思っていたグレンはニーナのその沈んだ様子が腑に落ちなかった。
「どうした?何か心配事でもあるのか?」
「あの・・・いいえ・・・何でもありません・・・」
「ニーナ、最近何を考えている?私が気付かないと思うのか?」
この頃、ニーナの様子が可笑しいとグレンは思っていた。特に婚礼の話しになるとふさぎ込むような感じなのだ。今更彼女が結婚を嫌がっているとは思えずどうしてなのかグレンは心配だった。
「ニーナ?話して・・・」
自分を優しく気遣ってくれるグレンにニーナは申し訳なく思った。これ以上、黙っていても何れはその時がきてしまうのだ。ニーナは覚悟を決めて重い口を開いたのだった。
「・・・・・あの・・・私との婚礼の後は他の誰かを娶られるのですよね?」
グレンは彼女のおずおずと言った言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、そんなことで塞ぎこんでいたのか?他の者のように私が何人も妻を娶ると思ったのか?確かに我が国は一夫多妻制だが私はお前以外娶るつもりは無い。一生涯、ニーナ、お前だけだ」
安心しろと言うようにグレンが微笑んだが、ニーナは首を振っていた。
「いいえ!どうぞ、誰かを娶って下さい!お願いします!」
「何?あっ、ニーナ!」
グレンが聞き返している間にニーナは走り去ってしまった。
「ニーナ・・・何を考えている?私に他の女と結婚しろだなんて・・・」
グレンは意味が分からなかった。彼女の愛は疑っていない。だから尚更彼女が何を思ってそう言ったのか分からなかった。
力いっぱい走ったニーナは息が上がってしまったと言うよりも変な呼吸になっていた。笛が調子外れで鳴るかのような音がニーナの口から漏れる。
(いけない・・・今はデールもいないのに・・・)
デールは彼女の身が安全になるとオルセンへ帰ってしまったのだ。今頼りになるのは呼び戻された侍女のマーシャだけだ。それでも無我夢中で走ったから彼女のいる場所までは遠い。通りかかる人々は彼女に冷たかった。
魔神を擁するオルセンの王女と言う立場は彼女を強くするものでは無く敵対するものだった。シーウェル王国の者達は特に自分達の立場を危うくする存在と位置つけていた。だからグレンがニーナとの結婚を考えた要因の一つだとも言える。そうすることによって国民感情を宥め両国の関係を安定させようとしたのだ。しかし賛成するものと反対するものは半々だった。だから今でもニーナへの風当たりは良い方ではない。
よろめきながら歩くニーナに誰もが声をかけないうえに何時もの嘲りが聞こえてきた。
「ほら見てみろ。お姫様が今にも倒れそうだ」
「本当ね。あれではお世継ぎを生むなんて無理ね」
「世継ぎ?はははっ、オルセンでは何時も死にかけるので有名だったらしいから、無理、無理」
「でも、王はあの子に夢中よ。どこが良いのだか」
「はははっ、あの最中に発作でも起こされたら男としては堪んないだろうさ。最後までいけるかどうか・・・はははっ、夢中でもそんな具合なら夢は覚めるだろうさ」
みだらな話題に女は、きゃっ、きゃと笑った。そして話題の人物を見てもっと笑おうとした二人が見たそこには誰もいなかった。
ニーナはまた何時ものように急に現れたジャラに、ふわりと攫われたのだ。瞬く間にジャラのお気に入りの入り江に運ばれていた。その入り江は強烈な太陽を遮る洞窟がありその奥には碧色の海水が静かに広がっている。その淵の岩肌に座らされたニーナは小さな粒を口に含まされた。
「歯で割ってごらん」
言われた通りに口の中で転がる粒を歯で割るととても爽快な味がした。すると胸がすっとして呼吸が楽になってきたのだ。少しずつ呼吸を整えるのをジャラは頬杖をついて見ている。魔神の身体は碧の水の中―――白銀の長い髪がその水面に浮き煌いていた。相変わらず、ぞくりとするぐらい妖しく麗しい姿だ。
「白き娘よ。そなたはどうせあの痴れ者達をシーウェルには言わぬのだろう?我が言ってシーウェルに罰して貰おうか?それとも我が直接手にかけようか?」
デールが聞いたら驚くだろう。ジャラが誰かの為に手を下してやろうと言うのは稀だからだ。ニーナは本当にお気に入りの一人になったようだ。
「いいえ。魔神、私は大丈夫です」
「・・・・大丈夫と言う顔では無いな。何が悲しい?奴に言えぬとも我に話して楽になるといい。それとも我にも言えぬか?」
「・・・・・・魔神にお願いがあります」
「我に願い?」
「はい・・・あの方に・・・私の次にまた妻を娶る事を勧めて下さい・・・」
ニーナはそう言って涙を落とした。グレンに言った時もそうだったがこの言葉を口にするのがとてもつらかった。唇が震えるのを噛み締めて言った言葉―――
「二人目?奴は承知せぬと思うが?何ゆえ?」
「私は・・・私は役立たずなんです・・・私はたぶんあの人達が言ったように子供を産めないかもしれません。走っただけでこんなになってしまうぐらい私の身体は弱いのです。王の子供・・・世継ぎが産めない王妃なんて最低でしょう?」
「そのようなこと、シーウェルは関係無いと言うだろう」
「私もそう言われるだろうと思います。だから言えない・・・周りは許さないでしょうし、王としてそれを無視も出来ないと思います。苦しめたく無いのです。それでも私はあの方の傍にはずっといたい・・・私は我が儘なんです!うっっ・・・」
ニーナは顔を両手で覆って泣き出した。
「我が儘か・・・それはあやつには嬉しいだけだろう。きっと阿呆のように嬉しがるはず。それにシーウェルの頑固さは我とて閉口もの。そなたの願いでもそれは聞き入れぬであろう」
魔神の意見にニーナは嬉しくもあったがつらかった。自分が責められるだけなら構わない・・・しかし自分のせいでグレンが責められるのは耐えられないのだ。声を殺して涙だけを落とすニーナの頬にジャラは優しく触れた。
「向こうではそのように泣かないのであろう?今日は此処で気の済むまで泣くがいい・・・」
「魔神・・・くっ・・・うっっ・・・」
ニーナはいつの間にか水中から出たジャラの腕の中で声を上げて泣いた。魔神は今まで海水に浸かっていたというのに腕の中はカラリと渇いていて温かかった。ニーナは胸にたまっていたもの吐き出すように泣いたのだった。
その頃、グレンの机の上にあった杯が突然こけると中の水がこぼれ字を描き出した。
「?・・・きょう、しろきむすめは、われがあずかる・・・何!ニーナを海神が?どういうことだ!」
グレンは気まぐれな海神の行動に憤りを感じながらもニーナの不可解な言動が気になっていた。彼女を取り巻く風評は知っている。病弱なニーナは世継ぎを望めないというような根も葉もない噂。それらを一々処罰しても切りが無いというのも分かっているから無視をしていた。噂も取り合わなければ消えるものだ。しかしそれで重臣達が水面下で動いていたとはグレンは知らなかった。
その日の陽が暮れかかった頃、グレンの私室に重臣数人が揃ってやって来た。そしてその中の一人が進み出た。
「陛下、我ら一同の願いお聞き届けて頂きたい」
「・・・物々しい面々だな?何だ?」
「娘達、これへ」
手を叩く合図と共に娘が三人入って来た。身分は低そうだがいずれもそこそこに美人で若く健康そうな娘達だった。
「この者達は?」
「はい。この者達の家系は何れも健やかで欠陥者が無い多産系の家系でして・・・親も承知しておりますから・・・」
「何が言いたい?」
「いや・・・その・・・」
グレンに睨まれた男は冷や汗をかきながらどもってしまった。隻眼では無くなった分、その眼力は倍増しているようだ。
「こ、これはオルセンの姫も気持ち良く承諾さ、されております。この者達の腹を借りるだけで子が生まれればそれなりの金子を与え去ってもらいます。お子様は陛下とオルセンの姫の間の子としてお育てされればよろしいかと・・・」
その時、やはり戻ると言って帰って来たニーナはこの場面に出くわしてしまった。着飾った健康そうな娘達がすぐに目に入った。
「ニーナ・・・承知しているのか?私に相談も無く・・・ニーナ!」
ジャラと急に現れた彼女に重臣達は驚いたがグレンはギラつく瞳でニーナを問い詰めた。彼女の不可解な言動・・・重臣達に詰め寄られ仕方なく承知したのかもしれない。それでも裏切りに等しい行為にグレンは憤った。
しかしニーナは知らなかった。知らなかったのだが・・・
オルセンの姫の他に他国の姫を妃に迎えても国際的にどうかという意見が多かった。しかし問題はニーナの病弱さだったようだ。事情をしらない者からは政略結婚だから姫をエリカと換えてもらったらいいと言う意見さえあった。そして苦肉の策がこれだったのだ。妃を娶るより良いかもしれないとニーナは、ちらりと思った。その表情をグレンは見逃さなかった。
「ニーナ、君は賛成だと言うんだな?」
「わ、私は・・・」
「もちろんご賛成でしょう?姫?陛下も姫を大事に思われるならご承諾下さい。ご病弱な姫君がご懐妊されても母体がもちませんでしょう?運が悪ければ・・・申し上げ難いことですが・・・」
グレンはそんなことまで考えていなかった。子供がどうとか言うよりもそれがニーナの命に関わるとは思ってもいなかった。それなら子供など入らない。しかしニーナの本当の気持ちが知りたかった。愛する女性から他の女を薦められるなど行き場の無い怒りが込み上げる。
「・・・分かった」




