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海神の自慢

「海神?」

「真に我の気に入りは手がかかる。守護魔神気取りも楽では無いな―――シーウェル、我の大切なものだ。心して大事にするがいい」

 ジャラの弾むような声と共に手に持っていたニーナの心が眩しく輝きだした。そしていつの間にか宙に浮いている彼女の本体へとそれが吸い込まれていったのだ。ニーナは宙に浮かびながら放電しているように全体が淡く光っていた。

「ニーナ!」

 いち早く駆けつけようとしたデールをジャラが引き止めた。

「そなたは後。大人しくしているがいい」

 デールは、むっとした顔をしたが大人しく後ろへ引いた。グレンの本音を聞いた今、自分は邪魔ものだと自覚したようだ。

「ニーナ?」

 グレンが両手を差し伸べると、宙に浮かぶニーナがその腕の中にふわりと降りて来た。

「ニーナ・・・ああ・・・ニーナ。瞳を開けて。ニーナ」

 グレンの優しい呼びかけにニーナは意識を戻した。身体から離れた心はジャラの手の中でずっとグレンを見ていた。今、やっと開くことが出来たグレンの心を感じている。そして自分を見つめるグレンの瞳が眩しかった。


「・・・あの・・・眼帯無いほうが優しそうですね?・・・あっ、私・・・何言っているの・・・あの・・・ごめんなさい・・・あの、そうじゃなくて・・・ご、ごめんなさい・・・こんな話し方お嫌いなのに」


 早く喋ろうとすればするだけ、自分が何を言いたかったのか分からなくなってしまう。するとグレンが曇った顔になった。

「話すのはゆっくりでいい。話している間に他に気をとられて途切れても、また思い出して話出しても・・・自分の速さで構わない。苛々すると言ったのは嘘だから・・・君に心惹かれる自分に苛々して酷いことを言ってしまった。本当にすまない。許してほしい―――」

「あ、あの・・・私、話すのが苦手だから・・・その・・・ごめんなさい」

 二人とも自分の方が悪いとゆずらない話になってきたようだ。

「なんだ?あれ?ニーナの奴この後に及んで呆けるなんて。目開けて最初に言う台詞があれって無いだろうに。思わずグレンの奴が哀れに思ってしまった。そう思いませんか?水の王?」

「そうよの・・・派手な告白場面が見られると思ったのに。つまらぬが・・・邪魔者は退散するとしようか?」

「退散しなくてももう既に二人は自分達の世界のようですけどね」

「我が面白く無いのだ」

 ジャラの気まぐれにデールはまた、げっ、という顔をした。そして床に転がるジャラの取り巻きに視線を落とした。


(どうせこれの事も無視するんだろうな。後始末はオレなわけ?)


 デールはうんざりした顔をしてその男の襟首を掴んだ。

「おいっ、おっさん!あんたも一応出て行きなよ」

「あ、ああ・・・」

 バイミラーは信じられないものでも見るかのようにグレンを呆然と見ていたのだ。彼にとって初めて見るような主君の笑顔を見ていたようだ。

 そして抜け殻となったハリエットを抱いたままのジーンの前にジャラが立っていた。

「シーウェルの人形よ・・・嫌、もうその呼び方は相応しく無いな。そなたは心の無い人形では無くなったのだからな・・・その娘がそんなに大切か?」

「・・・・・・感じる心など思い出さなければ良かった・・・昔のままだったらこれ程苦しまなくて良かったものを・・・」

 ジーンはもう流す涙さえ無いぐらい絶望していた。それは先程までのニーナを失ったグレンのようだった。

「誰も聞いてくれぬから此処で自慢するが我が罠から抜け出した後、オーデン国に乗り込んで鼻持ちならないヴァーユを叩き出した。二度と我の前に顔を見せられぬくらいに念入りにな。その時持ち帰ったのがその娘とシーウェルの探しものだったが・・・まあこれは後日でも良かろう。我は有能ゆえ抜かり無くオーデンの王も脅してきた」

 デールはそれを聞いてどんな脅しかと、ぞっとしてしまった。

「そなた興味無いようだな。我はこれを持っていると言うのに?」

 ジャラが自慢げに空中から出したのは、先程のニーナの心と同じような光る宝玉だった。その光りが瞬く度にジーンの瞳が大きく見開いていた。

「ま、まさか・・・ハリエット姫の・・・心?」

「そう、その通り。ヴァーユから譲ってもらった」

「げっ!〝奪った〟の間違いだろう?」

「何か言ったか?銀色のこわっぱ」

 ジャラから、ちらりと見られたデールは飛び上がって口に手を当てた。

「お、お願いです!海神!どうか、その心を彼女に返して下さい。お願いします!私はどうなってもいいから謀反人として火炙りでも鱶の贄でもいい!だからどうか、どうかお願いします。彼女を助けて下さい」


 デールはジャラがどうするのだろうか?と思った。脅されていたとは言ってもグレンを裏切った・・・そう彼のお気に入りのグレンを苦しめたのだ。ジャラの気性なら八つ裂きにされても文句は言えないだろう。二人の緊迫した状況にグレン達も気が付いた。

「ジーン・・・」

 ニーナが心配そうな声を出したのでグレンが彼女の肩を抱き寄せた。

「お願い、シーウェル王、お願いします。ジーンを許してあげて下さい」

 グレンは泣きそうな顔になっているニーナを見つめると、小さく溜息をついた。

「君ならそう言うと思ったよ・・・海神、私からも頼みます。ジーンの大切な人を助けてやって下さい」

「そなたはそれでいいのか?これを懲らしめるのはこれが一番だと言うのに?」

「私も悪かったのです。窮地に陥っている彼らに気付かないうえに、それらを相談してもらえるような器を持ち合わせていなかった・・・愚かな王でしたから・・・海神、貴方にも苦労をかけました。ありがとうございます」

 バイミラーは肩を震わせて涙し、ジーンは、がっくりとうな垂れてしまった。

「ふふふっ、我がいて良かったであろう?シーウェル?」

「はい。真に」

 上機嫌のジャラは手に持っていたハリエットの心を彼女に戻したのだった。

「長く心と身体が離れておったから直ぐには目覚めぬが・・・一つ言っておく。この娘はもうハリエット姫では無いらしい。向こうの王が言ったのだから確かだろうて」

「どういう意味ですか?」

 ジャラが、ニッと嗤った。

「王女を生贄にし、遊学に出した姫が偽者だったなど、あってはならぬ醜聞だということであろう。だからその娘はどこの誰だか知らない者となったらしい」


 ジャラがオーデンの王を脅したというのはこの事だったようだ。これらが公になれば同盟国からの批難どころでは無く敵とみなされるのは必至だろう。

 デールはまた嫌な顔をしてブツブツ呟いた。

「水の王がそんな常識的な言い方で脅すかぁ?どうせ川の一つでも干上がらせて見せて国中の水を枯らすとか言って脅したんだろうさ」

「そこ、聞こえておるぞ。くくくっ、面白い奴。やはり我に仕える気は無いか?」

 デールは、ぞっとしてもっと嫌な顔をすると首を大きく振った。ニーナは魔神の話しの意味を良く考えてみた。

「彼女が王女じゃないとなると・・・あっ、じゃあ、ジーンと一緒にいられるのね。良かったわね、ジーン」

「・・・私は・・・彼女が助かっただけで十分です。海神、そして王よ、ありがとうございました。もう何も思い残すことはございません。どうぞ私をご存分に裁いてください」

 ジーンのまだ目覚めない恋人を見つめるその瞳には覚悟が見えた。どんな理由があるにしても国家に対する反逆の罪は重いだろう。ジーンもそれは承知しているようだった。

「あ・・・そんな・・・シーウェル王、お願い・・・ジーンを、ジーンを許して下さい!罪は・・・罪だと言うのは分かっています。分かっていますけど・・・だけど・・・」

 グレンが黙って、とニーナの唇にそっと指を当てた。


「ニーナ、ジーンという人物はこの国には存在していない。生まれた記憶さえない・・・そうだっただろう、バイミラー?」

「はい。さようでございます」

 問われたバイミラーは王の意図に気が付き少し微笑んでいるようだった。ジーンはグレンの影となるように作られた存在で個人として認められていないのは事実だ。それが?

「存在しない人物は裁けないだろう?全ては新たに現れた魔神の仕業・・・」

「あ・・・じゃあ・・・」

 ニーナもグレンの言わんとすることが見えてきた。

「存在しない男と女が何処に行こうと私は知らない」

 ジーンが信じられないと言うような顔をしてグレンを見た。

「王・・・お許し頂けるのですか?」

「許しを請わなければならないのは私の方だろう・・・長い間すまなかった。そなたを一番分かってやらなければならない立場だったのに何も分かっていなかった。許して欲しい・・・」

 ジーンは頭を下げるもう一人の自分・・・光りの中にいた自分を見つめ涙した。

「いいえ・・・いいえ、王よ。私は貴方がいたから今有るのです。ありがとうございました」

 二人はどちらからとも無く抱き合った。

 その後、ジーンと元王女は仲良く寄り添ってシーウェル王国を旅立つこととなったのだった。



「行ってしまいましたね・・・」

 ニーナが彼らの乗った帆船が出航する時間の鐘が鳴るとぽつりと呟いた。寂しそうなその呟きに執務中のグレンが署名する手を止めて彼女を見た。

「ジーンが居なくなって寂しいのか?」

「そうですね・・・別れは誰でも寂しいですから・・・」

「・・・誰でもならいい」

「え?」

 ニーナはグレンを見ると少し不愉快そうな感じだった。


(誰でもならいい?あっ、もしかして嫉妬?)


 最近のグレンはニーナの前だと表情がよく出る。眼帯も取り人が変わったような感じさえするのだ。まだまだ臣下達には見せない顔も彼女の前では大判振る舞いのようだ。

 それにジャラからのもう一つの土産。オーデン国から取り戻された先王ダドリーの件でもニーナの存在は大きかった。先王ダドリーは今後の憂いを無くす為に今度こそ殺すつもりだったグレンを止めたのは彼女だった。幽閉した以来会ったことの無かったグレンはその変わり果てた父親を見た。

「いい気なものだ。正気を失い自分だけ楽園にいるような顔をして!」

 傍にいたジャラは何も言わず、薄く微笑んでいるだけだ。目の前のダドリーは贅沢に肥太っていた面影は無く痩せこけて時折ヘラヘラと笑いながら自分の世界に閉じこもっているようだった。天と地ほど違う長い幽閉生活に気が狂ったのだろう。グレンはあっさりと殺して楽にするよりも生かして死ぬよりつらい生を味あわせていたつもりだ。正気を失ってしまえばそれは無駄に過ぎない。


「この男のせいで今までどれだけの者が苦しみ命を奪われたか!私は決して忘れはしないし、許しもしない!正気で無いのなら今こそ息の根を止めてやる!」

 グレンは憤ったがジャラはクッと嗤った。

「シーウェル、やはりそなたは面白い。これを殺さなかったのは親子の情ではなくそういう訳だったのだな。ふふふっ、甘いどころか恐ろしい男よ」

「いいえ、違います!」

 ニーナは堪らず話の中に割り込んで来た。そして床に座り込んでいるダドリーに近付き始めた。

「ニーナ、近寄るんじゃない!」

「・・・魔神、シーウェル王はお優しいのです。非情な振りをなさっているだけ・・・どんなに酷い親でも私はこの方に感謝します。あなたが今ここに存在するのはこの方が居たからだから・・・それはどうしようにも無い親子の縁。心の奥でそれが分かっていたから殺せなかった・・・そうでしょう?シーウェル王?」

「・・・・・・・・・」

 グレンは答えなかった。


ジャラの大活躍の話でした。本当にお気に入りなんですね。デールもビックリな状況ですがこの二人の会話は大好きです。

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