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心の無い人形

ジャラはニーナの言葉に耳を傾けると、閉そうとしていた口を再び開いた。

「―――我は愚かな王の末路は関与しておらぬ。全ては風の悪戯―――シーウェルの人形よ。そなたが喋り易いようにこれをやろう」

 ジャラがまた指を鳴らすと再び空中から現れたのは美しい女性だった。

「ハリエット姫!」

 ジーンが呼んだ名前に皆驚いてしまった。ハリエットとはオーデン国の王女の名前だが今目の前にいる女性はいつも見慣れた高慢な王女では無かったのだ。

「ハリエット姫?だと?」

 グレンが透かさず問いただした。無表情だったジーンはまるで人が変わったようだった。

「姫が何故ここに!」

 ジーンは宙に浮かぶハリエットと呼ばれる女性を受け止めるように両手を差し出した。その女性は気を失っている様子だった。

「我が助け出した。とは言ってもヴァーユに心を抜かれてしまっているがな」

「 ! そんな馬鹿な!それはしない約束!」

「父親はそうでは無かったらしい。この国と娘の心を天秤にかけたようだ。それに娘も承知したのだろう。同意がなければ心は抜き取れぬ。おそらく今度は逆にそなたの命を盾にとって脅したのだろう。あの父親ならそれぐらいしそうだ。まるでシーウェルの父親を見ているようだった」

「自分の娘を差し出すなんて!では姫は?姫はどうなる!」

「心が無くては何も感じない生きた人形というところだろう」

「そんな・・・私は何の為に・・・」

 ジーンは腕の中にその謎の女性を抱き唸るように言った。


「魔神、これはどういう事なのですか?私には意味が良く分かりません・・・」

 熟考しているグレンより先にニーナが問いかけた。

「穢れ無き心、純粋なる魂は我らが好むと言ったであろう?この娘もそうであったらしい。それにヴァーユは目を付けついでに我と戯れたかったらしいな。娘の心をただ取って行くよりも皆の絶望や怨嗟の中で手に入れたいとな。実にヴァーユらしい考えと言えよう。のう?シーウェルの人形よ」

「ジーン、どういう事か説明して貰おうか?」

 ジーンはグレンの問いに答える様子では無かった。肩を震わせ腕の中の女性を抱き締めるだけだった。

「ジーン!」

「シーウェル王、待って下さい」

 ニーナが詰め寄るグレンを制した。

「ジーン・・・その方は貴方の大切な人なのでしょう?その人の為に貴方は色々動いたのよね?違う?それなのに・・・こんな結果になってしまって・・・私達に相談してみない?」

「・・・・・・いいえ。もう・・・終りです。私には戻る道はありません。そして生きる意味も無い・・・この人がいたから私は生きる希望があった・・・この人の為に王を裏切り国に背き全てを捨てたのに・・・もう終りです」


 ジーンが自分は裏切り者だと初めて認めた。その裏に何があるのかは不鮮明だった。この女性が関わっているのだろうが・・・・

「ジーン、何があったの?教えてちょうだい」

 ニーナの再度の問いかけにジーンは黙ったままだった。しかし面白そうな顔をしていたジャラが口を出してきた。

「本当に人形でも本体と同じく素直では無いとはな・・・我が知りえた事だけ教えてやろう。ヴァーユの降りた国がオーデン国だったらしい。そこで野心に燃える王と意気投合したのだろう。我のいるシーウェルに干渉出来るのだからな。しかし奴が表立って動けば我が直ぐに気が付くのは必須。そこで・・・まあ何処で知り合ったのかは知らぬが王女ハリエットと密かな恋人でもあったこの者が利用された。そうであろう?シーウェルの人形よ」

「人形・・・人形・・・私は王の人形。それに疑問を持つことは無かった。もちろんそういう風に育てられた・・・それなのに王が私を解き放ってしまった。違う世界―――でもその世界も昔と同じく影の中。しかしそこで偶然に彼女と出逢ってしまった。自分が恥ずかしくなるくらい彼女の心は美しく清らかだった・・・そうニーナ姫、貴女のように・・・そして私達は恋におちてしまったのです。何度か貴女を彼女と重ねて見たこともありました。優しい日々の思い出を。しかし私は影の身―――相手は大国の王女で叶う筈の無い恋でした。しかし・・・彼女の父オーデン国王は私の存在に気が付き脅迫では無く懐柔してきたのです・・・私の素性まで知らない王はシーウェル王と酷似している私に目を付けただけでしたが、持ち掛けられた話は王と取って代わるものでした・・・私が王となればハリエット王女との結婚も出来る。簡単なことだろうと言われたのです・・・でも私は受けませんでした。しかし魔神が現れ王女の心を我が物にすると言ったのです。理由が退屈だからと・・・」

 ジーンは言葉をとぎらせた。

「酷い・・・そんな・・・では、ハリエット姫の為に?」

 ジーンは頷いた。

「彼女を人質に取られてどうすることも出来ませんでした。魔神が望むのはシーウェルの海神の裏をかき彼の大切にしているものを苦しませるというもの。そして海神の守護するシーウェル王国を欲深いオーデン国の王に支配させること・・・恐ろしい魔神にとって愉しい遊びのようなものでした・・・彼を退屈させない為に私は前国王ダドリーを奪い、バイミラー提督の家族を拉致して提督を脅しニーナ姫を誘拐しました。魔神は私の描いた筋書きが気に入ったようで手も貸してくれたのです・・・こんな私でも彼女と出逢い陽の当たる場所に憧れました。だからと言って私は王座などどうでも良かった・・・彼女さえ助かれば何もいらなかったのに・・・彼女さえ・・・」


 風の王ヴァーユの力を借りてダドリーを拉致し、ニーナの侍女になる前は彼女の監視役だったのを利用して蝶の死骸などの嫌がらせを仕込んでいたのも彼だった。そして王宮にいたハリエット姫は偽者で彼の監視役でもあり協力者だったらしい。

 ジーンが全てを白状した後、侮蔑したような嗤い声が響いた。嗤っていたのはグレンだった。

「バイミラーにしてもジーンお前も、つまらない事で全てを駄目にするとは愚かなことだな」

 バイミラーは険しい顔をして俯いたが、つまらない事と言い放ったグレンにニーナは腹が立った。

「提督、恥じる必要はありません!シーウェル王!つまらないとは何ですか!全然つまらなく無いでしょう?貴方は・・・貴方は大切な人がいないから分からないだけ・・・」

「それならいなくて良かった。愚かな真似をしなくて済むのだからな」

「シーウェル王!」

「ニーナ、止めとけ。今の奴に何を言っても無駄さ」

 無駄?デールは無駄と言ったが本当にもう彼の心は開かないのだろうか?

「シーウェル王・・・お願い・・・私を見て・・・私は貴方が好き・・・貴方を私だけは絶対に裏切らない・・・お願い・・・お願いです。私を見て下さい・・・信じて下さい・・・」

 自分を見下ろす冷めた隻眼を見つめながらニーナは訴えた。しかしグレンは眉ひとつ動かさない。

「煩い―――何を信じろと言うんだ?人は直ぐに裏切る。人形の方がましだ」

 絶望がニーナの胸に広がってきた。自分が死ぬかもしれないと悟った時でさえこんな気持ちにはならなかった。苦しくて息も出来ない―――

 グレンにどうすれば自分の気持ちが届くのか・・・ニーナは決意した。


「―――魔神。お願いがあります。今直ぐ私の心を差し上げますから私をあの方が望む人形にして頂けませんか?」


「ニーナ!馬鹿なこと言うんじゃない!」

 デールが慌てて止めに入ったがグレンは嗤っていた。

「ほら、そうやって逃げる。結局、私を裏切っているじゃないか?」

「グレン!貴様!」

「デール、止めて。いいえ、これは裏切りではありません。それに約束だった貴方を好きになるというのはもう果たしましたでしょう?だから貴方が心配する人の心は全部魔神に引き取ってもらいます。心が無ければ裏切ること出来ないのですから・・・だから私を貴方が好きなように使って下さい。それが私の出来る貴方を裏切らないという証です・・・」

「・・・・・・・・・」

 グレンは沈黙してしまった。

「以前の我との取引は無効だというのに本当に良いのか?」

「はい。その代わり彼をずっと見守ってあげて下さい」

「ふふふっ、我に条件を言うとは・・・気に入った。良かろう、望みを叶えてやろう」

「お待ち下さい!水の王!ニーナ!今すぐ取り消せ!ニーナ!」

 デールの叫び声は眩しいまでの光にかき消されたようだった。ニーナの身体から取り出される心がとても温かく光り輝いていたからだ。ジャラが褒め称えた彼女の心は期待通りに美しい宝玉となったのだ。そしてそれはジャラの手の上で浮かんでいた。

「ニーナ!」

 デールは彼女の本体を見た。ニーナはどこも変わった様子は無く、ただぼんやりと立っているだけだった。瞳に何も映していないようなそんな感じだ。

「おいっ、ニーナ!しっかりしろ」

 デールの呼びかけにニーナは反応することなく無表情だった。デールは怖いものでも見たかのように思わず後ろに一歩引いてしまった。彼女から全く生気を感じなかったのだ。ニーナは本当に只の抜け殻となってしまったのだろうか?

 ジャラは隻眼を見開いて硬直したように立ち尽くすグレンに、ちらりと視線を流した。

「どうだ?シーウェル。そなたの望み通りに動く人形だ。大事にしてやってくれ。我はこれを大事にするからな」

 ジャラは手に持つ宝玉に口づけした。そしてニーナの抜け殻の背中を軽く押したのだった。かくんと揺れた彼女は機会仕掛けのように喋り出した。

「グレン・・・大好き。私を信じて・・・」

 たぶんこう言え、と言えば言われた通りに喋るだろう。笑えと言えば笑うかもしれない。ニーナが残したグレンへの愛の証―――裏切らない人形。そのニーナがずっとグレンに向って愛を語りかけている。まるで最後の想いだけが残っているかのように繰り返された。


「や・・・やめ・・・止めろ・・・止めてくれ。海神!止めさせてくれ!」


 グレンはジャラを揺さぶった。

「どうして?そなたが望んだであろう?人形の方が良いと・・・」

 ジャラが、くいっと指を回すとニーナがグレンに触れてきた。本当に操り人形のようだった。

「や、止めてくれ・・・頼む・・・海神!こんなもの望んでいない!」

 グレンは叫びながらニーナを払いのけた。その弾みで彼女が転んでしまった。

「ニーナ!」

 デールが駆け寄り彼女を助け起こしたが、グレンは動くことが出来なかった。

「いい加減にしろよ、グレン!あんたのせいでニーナはこんな道を選んでしまった。全部あんたのせいだ!」

「私は・・・私は彼女に何ということを・・・してしまったんだ・・・」

 ニーナの死に等しい最後の訴えは、グレンの固く閉ざした心を開かせたようだった。一度開いてしまえば彼女に対する気持ちは無理やりに抑え込んでいた分、歯止めが効かなかった。後から後から後悔が押し寄せてくる。

「海神!彼女を、ニーナを返してくれ!」

「さて・・・それは出来ぬ相談だ。これは娘が望んで我がそなたの守護をするという契約を交わしたようなもの・・・反故には出来ぬ」

 ジャラはニーナの心を愉しげに浮かばせながら答えた。魔神は彼女を手放す気は無いようだった。

「ならば私と取引を!取引をしてくれ!彼女を返してくれるなら貴方が望むもの全て差し出す!だからニーナを、ニーナを元に戻してくれ!」

「何でも?」

「そうだ!何でもだ!また瞳が欲しいのならくり貫こう!両目でも構わない!何がいいのか言ってくれ!」

 グレンは眼帯を引き千切って叫んだ。どんなことをしても彼女を取り戻したかった。

「今のそなた・・・先程まで馬鹿にしておった彼らと同じではないか?自分のこと以外で必死になっている」


 グレンは、はっと我に返った。ジャラの指摘通りだった。あれ程嘲笑した彼らの気持ちが今になって分かったのだ。自分よりも大切だと思う人の為になら、どんな汚名でも屈辱でも受けられるだろうという気持ち―――

 グレンは家族の為に自分を裏切ったバイミラーと、愛する女の為に自分を裏切ったジーンを見た。彼らは甘いと罵ったが自分自身、今まさにニーナの為ならどんなことでもするだろうと思ったのだった。

「海神―――貴方の言われる通りです。私の方こそ愚かでした。何でも見透かして人を動かしているつもりで一番何も見えていなかった・・・彼女は空に舞う蝶が綺麗だと言い・・・道端に咲く名も無い小さな花を気に留めて・・・私が全く見ていないものに気付かせてくれたのはニーナだった・・・私は誰かを愛することが怖かった・・・裏切られるのが怖かった・・・初めて気になったエリカは私の想像を超えた運命を持っていた。でもそれを理由に諦めてしまったのは恐れていたから・・・私は怖かった。だが・・・ニーナ・・・ニーナは・・・」

「シーウェル、そなたは真に素直では無い。我は以前聞いたであろう?この娘が好きなのか?と」

「―――いいえ、と私は答えました。真っ白な彼女が大嫌いだとも言いました・・・全て・・・全て嘘です。私は自分に嘘を付いていました。彼女に傾く心を止めようと自分自身を虚構で覆い誤魔化したのです。私は彼女を―――」

 グレンの言葉をジャラが遮った。

「嘘でない告白は私にでは無く本人にしてやるといい」

 グレンは、はっとジャラを見た。魔神はいつもとは違う微笑みを浮かべていた。どことなく困ったようでいて優しい顔―――


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