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何よりも大切なもの

「提督、何か理由があるのでしょう?貴方はとてもつらそうなお顔をして私に謝っていたではありませんか。私には貴方が簡単に王を裏切るような方には見えません。こうしなければならなかった事情があったのでは無いのですか?理由を聞かせて下さい」

 ニーナは床に座り込みバイミラーの目を見ながら思ったことを一生懸命言葉にして訴えた。彼女の純粋な心はバイミラーに通じたのか彼は肩を震わせ涙を落とした。

 しかしグレンの冷たい声が上から降ってきた。

「裏切るような者に見えない?バイミラーのことをよく知りもしない貴女に何が分かる?」

 ニーナは今まで聞いた事の無いような無機質で淡々とした冷たいグレンの口調が恐ろしかった。柔らかな口調で平気で嘘を言う彼に怯えたこともあったが今日は違った意味で恐ろしい。嘘で固めたグレンでもその隙間から見えるものがあった。しかし今はその隙間を塗り潰したかのようにぴったりと心を閉めている感じなのだ。ニーナは、コクリと唾を呑み込み言葉を探した。トロトロと喋るニーナの声を聞くと気分が悪いと怒鳴ったグレンだったが・・・今はそんな感情さえぶつけるような感じがしない。

「・・・シーウェル王・・・私よりもちろん貴方のほうが提督をよくご存知でしょう?だったら―――」

 ニーナはグレンの再度注がれる冷たい視線に言葉を呑み込んでしまった。しかし勇気をかき集めて続けた。

「だ、だったらどうしてなのか聞くべきだと思います・・・」

 グレンの瞳は必要無いと言っているようだった。

「提督・・・どうしてですか?貴方は王を裏切りたくなかった筈です。でも・・・どうしてもこうするしか方法が無かったのでは無いですか?私達は貴方のその悩みを解決することは出来ないのでしょうか?」

 一仕事終えて戻って来たデールは彼女のお人好しぶりに呆れ返ってしまった。

「ニーナ、止めとけよ。理由は何にしろ裏切ったのには事実なんだからさ」

 ニーナは首を振った。

「バイミラー提督・・・シーウェル王を悲しませないで下さい・・・」

 デールはもちろんだが平然としていたジーンも驚いたように瞳を見開いた。


「・・・・・王を悲しませる・・・」


 バイミラーも意外な言葉に驚き呟いた。そして数々の思い出が思い浮かんでは消えていった―――幼い頃より手取り足取り剣や航海術を教え、唯一の主君として崇めていたグレン。彼は何度も死の危険に晒されながらも立派に成長しそれが我が子のように嬉しかった。その彼を裏切るなど我が身がどうなってもしなかっただろう。しかし―――

「・・・・私がどうなっても王を裏切ることはありませんでした・・・例え殺すと言われたとしても微笑んで死んでいったでしょう・・・しかし妻と娘が・・・」

「奥様とお嬢様が人質にとられたのですか?」

 バイミラーは肩を落として頷いた。彼にとって苦渋の選択だったのだろう。

「甘い。甘過ぎる――国家に命を捧げた軍人がたかが家族を人質にとられたぐらいで国を裏切るなど驚き過ぎて嗤いが出る」

 そう言うグレンは全く嗤ってはいなかった。確かにグレンが言うようにバイミラーは甘いかもしれない。しかしそれが彼の良いところでもあった。お人好しなぐらいに人が良く人情味があった彼を皆が慕っていたのだ。以前のグレンもそのうちの一人だっただろう。


「その二人の為にダドリーの逃亡に加担し、オルセンとの関係を邪魔して同盟を破綻に導き・・・国を転覆させる。その二人の命の価値は素晴らしいものだな」

 その時、バイミラーが目を剥いた。

「違います!私は先王の逃亡には無関係でございます!私はただ、オルセンの姫との婚礼を邪魔するように言われただけです!国家の転覆など大それたものなどに加担しておりません!」

「お前は今回の姫の誘拐にだけ関わったと言いたいのか?」

「さようでございます!もちろん姫君に危害を与えるつもりはございませんでした。少しばかりお姿を隠して頂いて破談に持ち込む時間を作っただけでございます。ただそれだけのつもりで・・・」

「どこの国の誰の指示だ?」

「そ、それは・・・も、申し上げられません・・・」

 バイミラーは人質の安否を気遣って黒幕の名を告げようとはしなかった。

「お前が黙っていても計画が失敗した今、女達の命があると思うのか?それこそ甘い。主君を裏切るような者が失敗して自分達を又裏切ってしまうと思うのは当然だ。私なら腹いせに人質の首を塩付けにして屋敷に届けるだろう。全く愚かなことだ。お前程の男が何を血迷ったのか・・・理解に苦しむ」

 バイミラーはグレンの冷めた言葉を浴びて真っ青になってしまった。

「シ、シーウェル王、それは言い過ぎだと思います・・・誰でも自分にとって何よりも大切なものがあるでしょう?それが究極の選択だっただけ・・・」

「何よりも大切なもの?姫が言われるとその為なら何でもしていいと言うのか?それこそ自己中心的で傲慢な考え方だ」


「そ、そういう意味では・・・」

 ニーナは上手に言えなくて悔しかった。

「姫は知らないだろうがバイミラーの娘は私の正妃にと推す声も大きかった。貴女との婚礼を心の底で一番望まなかったのはバイミラーだっただろう。可愛い娘の為にと思う気持ちが動いた・・・只の醜い野心だろう」

「ち、違います!もちろんそのようなお話があって光栄には思っておりましたが、私はそのようなこと考えたことはございません!」

 バイミラーは心にも無い指摘を受けて激しく反論した。しかしグレンの頭の中では愛娘の為に自分を裏切った愚かな父親としか思っていないようだった。ニーナは聞く耳を持たないグレンに堪らなく腹を立ててしまった。

「貴方は・・・貴方はご自分が大切だと思うものが無いから分からないのよ!」

 珍しく大きな声を出したニーナにデールが、ぎょっとした。

「おいっ、ニーナ。あんまり興奮するなよ。発作が起きる。こんな奴は放っておきな」

「貴方は分からない!どんな事をしても守りたいと思う者がいないから・・・そんな冷たい事が言えるのよ!」

 デールの制止を振り解いてニーナは食って掛かった。それでもグレンは眉一つ動かさなかったのだ。閉ざされた扉が、ぴくりとも動かないようだった。

「落ち着けって!ニーナ!おいっ、あんた。オレらは極秘で動いていたんだ。まだ誰もこの事を知っちゃいない。だから敵さんも当然知らないだろう。さっさと白状して人質を助けに行った方が良いんじゃないか?」

「そ、そんなことが・・・」

 バイミラーの死んだような瞳に希望が灯り、ニーナは瞳を輝かせた。


「デール!本当?それが本当ならデールが助けに行ってくれるの?」

「えっ?オレ?」

「そうよ、デール。提督、彼が行くならもう大丈夫。きっと救い出してくれると思います。だからシーウェル王の所に戻って来て下さい」

 また皆がニーナの言葉に驚いた。〝シーウェル王の所に戻る〟とても妙な言い方だったがバイミラーは彼女の言いたい事を理解して肩を震わせた。誰も信じようとしないグレンの生い立ちは端から見ても孤独だった。その孤独な王の支えに少しでもなりたいと望んでいたのにその傍から離れてしまっていたのだ。ニーナの想いを受けたバイミラーが顔を上げた時、グレンの冷笑が目に入った。

「敵が気付いていない?海神が首を突っ込んでいるのなら全て知られているだろう。こうもすんなり成功するのも裏がありそうだがな」

「海神?どういうことでしょうか?」

 バイミラーはグレンの言っている意味が分からなかった。

「海神も仲間だろう?」

「え?まさか!私はそんな話、聞いておりません!」

「・・・・・・・・・」

「今のところは余計な力を感じないから大丈夫だと思うぜ」

 この周辺には異界の力の関与が無いとデールが断言した。


 バイミラーが一連の事件に関わっていると思ったがダドリーの件は無関係を主張し、ジャラの存在も知らないようだった。根は同じなのか?違うのか?それを探るのはバイミラーが告げるニーナ誘拐の黒幕の名を聞いてからの話となるだろう。

「バイミラー、お前の後ろにいるのは誰だ?」

「はい。それは―――」

 バイミラーが告げた名はオーデン国のハリエット王女だった。姫君達の最大派閥の筆頭でもあるハリエットは、その地位を裏付けるように同盟国の中でもシーウェルに次ぐ大国だ。もちろんグレンが一番疑っていた国だった。しかしバイミラーが言うようにダドリーに関係無いとしたら、より強固な関係を築く為に必要なグレンとの結婚を画策しただけかもしれない。バイミラーはそうだと思っているようだった。根が一緒ならグレンの考えたようにシーウェルを乗っ取る計画だろう。だが今は表立って糾弾出きる時期では無い微妙な情勢であり、慎重に進めなければならなかった。それでもバイミラーの妻と娘はデールが瞬く間に救出して来た。犯人が分かれば探索も容易く懸念していたジャラの邪魔も入らず気味が悪いほどあっさりと出来てしまったのだ。

 そして大事件となっていたニーナ誘拐は表向き只の身代金目的のものとして処理された。オルセンへもそれで通したようだった。だからニーナも無事だという簡単な手紙だけを送った。バイミラーはというと家族と共に多分シーウェルで一番安全だろうと思われる王宮の一室に軟禁されることとなった。そして提督は日中、グレンと行動を共にし、妻と娘はニーナの話し相手をする。監視と安全を考えたものだった。

 そしてまるで何ごとも無かったかのような何時もの日常に戻っていた。ただひとつを除けばだが―――


 再び手詰まりとなった今、ニーナとの関係で犯人を炙り出す計画を一応中断した。そうなるとグレンは手のひらを返したように彼女に対して無関心になってしまったのだった。何かと手土産を持って現れたり、用も無いのに顔を出したりと、会わない日は無かった彼の姿を見なくなったのだ。だから二人の破局説は瞬く間に噂となってしまった。そして誘拐の主犯だったハリエット王女は最初、流石に部屋から出て来なかった。しかしシーウェル王から何の咎めも詮索も無いのをいいことに厚かましくも平気な顔をして普段どおりに振る舞いだしたのだった。

「あの女、自分が女王様きどりだぜ。恐ろしいやつ」

 デールが遠くに見えるそのハリエットを指差して悪態をついた。

「デール、誰が聞いているか分からないのよ。言葉には気をつけて・・・」

「はん?誰に聞かれようが関係ないさ!あんな女を野放しにするなんて!グレンの奴、何考えているんだか!奴の頭の中をかち割って覗いて見たいもんだ!だいたい前から気に入らなかったが最近はもっと嫌な奴になりやがったしな!」

 デールの言い放題な様子にバイミラー母娘は驚き、傍に控えていたジーンは伏せていた視線を少し上げた。

「デール、王の悪口はもっと駄目よ。あっ、もうこんな時間ね。じゃあ私は出かけるわ。デールお留守番宜しくね。ジーン行きましょう」

「また、ジーンかよ。オレが一緒に行くからジーンにこいつらの警護をさせろよ」

「駄目、デールは直ぐ喧嘩するでしょう?しないって約束出来る?」

「うっ・・・」

「ふふふっ、ほら、返事出来ないでしょう。じゃあお願いね」

 ニーナは今は侍女から護衛官に身をやつしているジーンを伴ってある場所へと向った。そこは毎日通っている。姿を見せなくなったグレンに今度はニーナが会いに行っているのだ。王の居る空間は何時来ても緊迫した感じで重い空気が漂っている。オルセンの父親とは正反対だろう。母国では王のいる場所は朗らかで明るく皆が笑っている感じだった。だから城の中で王がいる場所は直ぐに分かったぐらいだ。王の居る場所が分かるというのはこのシーウェルでも同じだ。オルセンの王とは逆にグレンが居そうな場所は静まり返っているからだ。


 その場所に向ってニーナは迷わず真っ直ぐに進んだ。今日は執務室にいる様子で、その扉の外には警備兵が物々しく立って警護していた。ニーナはその兵達を見上げて微笑むと強面の兵達はその笑みにつられたのか口元をほころばせた。グレンを警護する者達の間ではニーナが王を尋ねてくるのは見慣れたものだからだろう。だから彼女が扉に手をかけても止められる事は無かった。内側に入っても取り次ぎの者もニーナを止めることは無い。彼女は何処でも自由に出入りすることが出来るようにとグレンが以前許可を出してくれているからだった。

「お邪魔します」

 ニーナは扉を開けると同時に小さな声をかけながら中へと入った。続いてジーンが入室して扉を閉める。グレンは大きな執務机に向って書類に署名をしている様子だったが顔さえ上げなかった。傍に立っていたバイミラーが振向いただけだった。何時もの事だったのでニーナは気にせず、グレンの近くの椅子を見つけてそこに座った。そして話しかけることも無くただグレンを見つめていた。これがニーナの日課だった。

 それから暫くして無視をしていたグレンも流石に顔を上げてニーナを見た。冷たい海底のような隻眼で刺すように見られてニーナは、どきりとした。怖いのでは無く久し振りに目があったからだ。自然と頬が熱くなるような気がした。


「毎日、毎日、用があるわけでも無く来る理由は?」

「あの・・・お会いしたいからで・・・理由は・・・」

 ニーナは理由を口に出すのが恥ずかしかった。でも頬を染めながら俯いて言った。

「あ、貴方が・・・す、好きだから・・・私・・・一緒にいたくて・・・」

 一生懸命想いを言葉にしたニーナがグレンを見た。彼は最近よく見る冷笑を浮かべていたのだった。ぞっとするような冷たい微笑。

「最近聞いた中でも最高の戯言だ。私を好きだろうが愛していようが私には関係無い。しかしオルセンの王が出した条件はこれで充たしたとなる訳だ。直ぐにでもオルセンへ使いを出して婚礼の準備をしよう。それで姫、ご用はそれだけですか?」

「・・・私は貴方が好きです。何よりも・・・」

 ニーナは今日久し振りに話しを聞いてくれるグレンにこの想いが少しでも届いて欲しいと思って重ねて言ってみた。すると〝何よりも〟という言葉にグレンが珍しく反応した。

「何よりも?また貴女の言う大切なものの話か?馬鹿らしい。ではどうだ?私の命と引き換えにオルセンの王の首を取って来いと言われたら行くのか?」

 グレンが極端なことを言った。バイミラーの裏切りは許されないものだったが、グレンを暗殺しろと言われたらどちらを選んだか分からない。指図されたものは簡単なもので命に関わるものでは無かったからだろう。その選択を今、ニーナに問いかけていた。

「とても悲しくて・・・怖くつらいと思いますけれど・・・貴方が本当にそれで助かるのなら私は言われる通りにします」

 ニーナは澄んだ瞳で迷い無くそう答えた。

「―――口先だけの答えだな」

「私は本気です・・・嘘は言いません・・・」

 彼女が嘘を言わないのをグレンは十分知っている。しかしそれが何だと思いそれ以上追及しなかった。まだダドリーを見つけていないうえにオーデン国の意図がはっきりしていない今、ニーナの戯言に構っている暇など無かったのだ。先日ふと過ぎった〝何の為に?〟と言う疑問もその忙しさで紛れている状態だ。しかしグレンはニーナが居ると気分が落ち着かず目を通していた書類をそのままにバイミラーを伴って執務室を出て行ったのだった。


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