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消えたニーナ

 ニーナは真っ赤になって俯いた。静かにゆっくりと芽生えていた初めての気持ちにジャラから言われて気が付いてしまった。並べられる言葉も微笑も嘘ばかりでその一つ一つが自分に向けられた時は悲しくて怖かった。こんな人に会ったのは初めてで怖くて、怖くて怯えてしまった。でもその作られた彼の奥底で怯える子供のようなものを感じた時があった。それは決して他人に触れさせないものだろう。ニーナはそれが気になって仕方がなかった。誰も信じ無いと言っていたグレンが痛ましくて自分のことのようにつらく感じていた。そしてどうしたら本当に心から微笑んでくれるのだろうか?と思うこともあった。

「ふふっ、あれは本当に興味深い。濁流のような感情があるのにそれを完璧に抑え込む精神力には我も驚くばかりだ」

 しかし今はこのニーナのせいでその感情が時折揺れているからジャラには愉快で堪らなかった。

「しかし我は少々飽きてきた・・・」

 ニーナは、はっとして魔神を見た。麗しき水の王は興味なさそうな顔をしていたのだ。シーウェルに住む魔神は気まぐれだと聞いていた。自分の興味のあるものしか手を貸さない困った魔神だ。契約で結ばれていたオルセンの魔神とは根本的に違っている。

「シーウェル王が気に入っていらっしゃるのでしょう?」

 魔神はいつもそう言っていた。

「気に入った遊び道具も時間が経てば色褪せて見えるもの・・・」

 ニーナは、ぞっとしてしまった。この情勢の中で魔神が手を引けば国の力関係の均衡が崩れるのは必死だろう。しかしニーナはそんな状況を恐れたのでは無かった。

「ま、待って下さい!どうかあの方の傍にいて下さい!貴方まで去られると・・・」

「あれが我から裏切られたと思う?」

「そうです。多分・・・貴方だけを・・・貴方だけを信じていると思うのです」

「ふふっ、そのような戯言を聞いたこともあったな―――」

「お願いです!どうか・・・どうか何処にも行かないで下さい」

 ニーナは必死に頼み込んだ。それは同盟の為でもシーウェル王国の為でも無く、ただグレンの為だけに願ったのだった。

 ジャラはその様子を面倒な様子で見ていたのだが・・・・

「―――ではもう暫くこの地に留まってやってもいい」

「では・・・あの方の傍に居て下さるのですね?」

 魔神は頷く代わりに、ニッと笑んだ。それが何時までなのか分からないがそれでもニーナは少し安堵した。

「それでそなたは何を我に差し出す?」


「え?」


「シーウェルは我に願った時、片目を差し出した」

 ニーナはコクリと唾を呑み込んだ。グレンはその昔、命の代価としてジャラが欲した空色の瞳を命の代償に自らくり貫いたという・・・魔神は今度ニーナに何を要求するのか?

「我はそなたのその穢れ無き心が欲しい・・・」

「私の心?それはどういう意味でしょうか?」

 それはどういうことなのかニーナは分からなかった。瞳と違って目に見えないものだからだ。

「我らは心を宝玉のように好み、形にして取り出す事が出来る。そなたの心は素晴らしく美しい宝玉になるだろう。まぁ・・・人は心を抜けば何も感じることが無くなってしまう訳だが・・・それこそシーウェルの人形かシーウェル本人のように感じたふりをするだけの者となる。シーウェル自身は感情が無いように偽っているだけと言ってもあれでは無いに等しい。返ってその方が幸せであろう。あやつを愛しても報われぬであろうからな。二人で愛し合ったふりをした恋人同士になればいい」

 ニーナはその意味が恐ろしかったが、愛は報われないという言葉の方がつらく胸に突き刺さるようだった。でもそんなつらい想いも何もかも魔神は持って行ってくれるのか?と思うと甘美な誘惑にも聞こえてきた。

「私の・・・私の心が貴方にとって本当に価値があるものなのですか?」

「そなたのその真っ白な心を感じれば我が界のものなら誰もが寄り添いたくなるものだ。良い例がアーカーシャに心酔している筈の銀色の小僧であろう。そなたといれば居心地が良いから主そっちのけで引っ付いている。可愛らしいものよ―――返答はいかに?」

 ニーナの返事は決まっている―――ニーナは愉快そうに笑むジャラを真っ直ぐ見返して答えたのだった。



 ニーナから答えを受け取ったジャラはグレンの前に現れていた。いきなり現れるジャラにグレンは驚きもしないが今は会いたく無かった。海神がニーナに贈ったという指輪に腹を立てていたからだ。純真な彼女に嘘をつかせる為の道具―――グレンの筋書きには役立つものだったのだが・・・

「機嫌が悪そうだな?シーウェル?」

「・・・・・・確かに気分的に良くはございません。貴方が今回、こんなに興味を持たれて関わって来られると思っていませんでしたので・・・」

 グレンはそう言いながら例の指輪をかざして見せた。

「おや?そなたにそれが渡ってしまったのか?我はあの娘に与えたばかりなのに・・・その様子だと聞いてしまったのだろう?あの娘の心を・・・」

 グレンは無言だった。自分でこの話題をふったのにこれ以上関わって欲しくなかったのだ。自分でも呆れるぐらい支離滅裂状態だ。

「ふふふっ・・・あの娘の真の気持ちを聞いてそこまで不機嫌とは我の勘も狂ったかな?」

「え?今、何と?真の気持ち?」

「そう・・・それは真実を映す水鏡のようなもので心に秘める想いを押し出してくれる。まあ・・・それは素直では無いそなたが持った方が良いかも知れぬな」

「彼女は嘘を言う魔具だと・・・」

「ああ、あの娘にはそう言って渡した。その方が面白いと思ったからな。で?あの娘の気持ちを知ってそなたはどう動く?」

「信じられない・・・ニーナが私をだなんて・・・私が彼女から好きになって貰えるような理由など一つも無い!怖がらせて怯えさせているだけで嫌われることしかしていない!そんな馬鹿なこと絶対に信じない―――」

 一気に燃え上がる炎のように言葉を吐き出したグレンだったが口を閉じた瞬間、その感情は抑え込んでいた。まるで何も無かったかのように何時もの冷め切った顔をした。

「・・・・・・見飽きたものだが・・・本当に素直ではないな・・・」

「その話しは今後の参考にさせて頂きます。いずれにしてもこの指輪はお返し致します。どうせなら真実を言わせるとかいう戯言のようなものでは無く、恋の虜にするような魔具を出して欲しいですね。その方が大いに役に立ちます」

 グレンは嫌味たっぷりに言った。しかしその指輪を受け取ったジャラはしたり顔だった。この指輪の効力を信じていないがニーナを恋の虜にしたい道具が欲しいと本心をグレンは言っているのだ。指にはめていなくてもこの指輪の効き目はあるようだ。

「まあいい。我が関わるのも此処までとしよう・・・いずれにしても身辺には気をつけることだ。命どころか大事なもの全てがその手の指から抜け落ちてしまうだろう・・・」

 妙な言い方をしたジャラはまた何処かへ消えてしまった。今回はやけに絡んでいたがまた気まぐれな魔神に戻ったようだ。それどころかそれからジャラは本当に消えたかのように姿を現さなくなったのだった。


 そしてニーナも消えてしまった―――


「グレン!ニーナが消えちまった!」

 ジャラが消えたのと入れ替わりのようにデールが焦った様子で現れた。

 海神が去り際に妙なことを言っていたのをグレン思い出した。


『―――身辺には気をつけることだ。命どころか大事なもの全てがその手の指から抜け落ちてしまうだろう』


(あの言葉の意味は?大事なもの?ニーナ?)

 咄嗟に浮かんだニーナの姿に違うとグレンは首をふった。

(彼女が私の大事なものではない筈だ・・・謀の駒として大事なだけでその駒が失われたのなら新たな手を考えれば済む事だ・・・大事なものでは無いから大丈夫だ・・・)


 グレンは理由もなく安心している自分がいた。いつもこれで終りだと思っていてもジャラが面白半分に助けてくれていたのだ。彼の力を借りることが出来たなら時間をかけてやっている今の案件も簡単に済むだろうが気まぐれな魔神は人間の都合など興味は無い。どちらかと言えばグレン達の動向を楽しんでいる感じだった。しかも今回は特にニーナを気に入っている様子で彼の結界内で何かが起こるなど有り得ないだろう。

「おいっ!聞いているのか!」

「聞いている。そっちこそ寝ていたのか?何の為に護衛しているんだ?」

 落ち着き過ぎているグレンにデールは銀色の瞳を大きく見開いた。

「まさかあんたもグルか?水の王があんな目くらましをかけるなんて思いもしなかったさ!それにジーンも一緒に消えている!何処に隠した!答えろ!」

「何?海神が目くらまし?それにジーンもいない?」

 グレンの時が止まった。今、目の前の異界の者は何と言ったのか?

「あんた・・・本当に知らないのか?オレはさっきまで水で作られたニーナの幻を見ていたんだ。オレを騙すなんて何の為に水の王がそんな事をする?それが消えて彼女が何処に行ったのか探した!そしたらあんたと庭に出て行ったというじゃないか!しかしその後、あんたと別れてからの足取りがつかめない!そしてこれが庭に落ちていた!」

 デールが握りしめ突き出した手には鮮やかな血の付いた日よけの薄絹だった。それはグレンが贈りニーナが今日肩に羽織っていたものだ。


「・・・・・海神・・・海神――っ!何処にいる!海神!ジャラ!何処だ――っ!」


 グレンは宙を仰いで叫んだ。叫びながら全身の血が一気に心の臓へと流れ込むのを感じた。先王ダドリーの鮮やかな脱獄といい宮殿内から消えたニーナ―――あの何でもお見通しの海神が知らぬ訳が無いのだ。一番怪しいのにその考えがチラリとも浮かばなかった。全てジャラが手を貸せば難なく出来るのに・・・・グレンは驚いたことに信じきっていたのだ。

 気まぐれな魔神は呼んでも姿を現すことは稀だ。だから今もグレンを裏切ったのでは無くただ気まぐれで出て来ないのだと信じたかった。信じたいと思うからグレンはジャラを呼び続けた。

 デールが止めるまで―――

「いい加減にしろ!こんなことしている場合じゃないだろう!あんたが言ったじゃないか!ニーナは命を狙われているんだろう?早く助けないと!」

 グレンはその言葉を聞き一瞬で冷静になった。

「ニーナはまだ大丈夫だ。殺すならもう殺していただろう・・・これだけ隙だらけだったのだから・・・」

 確かにジーンに狙い易いように隙を作れと言ったが、こんなお粗末な結果になるとは思ってもいなかった。狙われてもデールが阻止するか、ジャラが首を突っ込んでくると予測していたのだ。だからあくまでも未然に防いで犯人を炙り出すつもりだった。それがこうも見事に攫われるとは想定外もいいところだ。しかもジャラが関与して?更に未だに姿を現さないジーンもこの件に関わっているだろう。バイミラーには信用していないと言ったがニーナが言い当てたように心の何処かではジーンを信じていたらしい。

 エリカやニーナと出逢いいつの間にか融け始めていた心が再び冷たく凍っていく―――


(誰も信じ無い・・・誰も私の心に触れさせはしない・・・もう二度と・・・)


 オルセンの王女ニーナの誘拐事件によってシーウェル全土、及びその周りの島々まで大々的に捜索の手が伸びた。もちろんそれはグレンの描いた筋書きでは無かったが好都合だったとも言える。ダドリーを内々に探すのに時間がかかり過ぎていたがこれならば大義名分で堂々と方々を探し回れるからだ。人を隠そうとすれば何かと怪しい所が出てくるだろう。例えダドリーを探していなくてもそれらしいものにぶつかる筈だ。

 しかしその手がかりらしきものが全くでなかったのだった―――

 

 

 ニーナは窓の無い殺風景な部屋で目覚めた時、自分が今何処にいるのか・・・それよりもどうしてしまったのか分からなかった。

「魔神が消えて・・・ジーン?そうだ、ジーンが怖い顔をして立っていて・・・急に目の前が真っ暗になって・・・」

 ニーナは改めて周りを見回した。扉が目に入り駆け寄ってみたが鍵がかかっていて開けることが出来なかった。しかも頑丈な鉄製の扉だ。

「私・・・攫われたの?」

 何かの術か薬で意識を奪われ、鍵のかかった部屋に閉じ込められたとすればそう考えるしかなかった。命さえ狙われるだろうと言われていたのだから自分の身が今、危険な状態だというのは分かる。しかし誰に?とニーナは思った。目の前にいたのはジーンだけで周りには誰もいなかったが、ニーナは全くと言って良いほど彼を疑っていなかった。

 その時、ガチャリという音と共に扉が開き、そこから現れた数人の人物の中に見知った者を見てニーナは驚愕してしまった。そして悲鳴になりそうな声を呑み込み、信じられないというように大きく瞳を見開いたのだった。


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