side春雪
突然人気者になった。
……というわけではないのだけど、朝から春雪の周りには人が集まっていた。最初はなぜなのかわからなかったのだが、黒鶴沙希の言葉で謎が解けた。
「コンビニ強盗捕まえたのだってね!すごいわ、松戸くん」
「すごくなんかない。そんな大事じゃないし……」
それに、と言いかけて、
「──黒鶴さんに誉められるとか、どんなことしたんだよ?シュン〜」
遮られた。
春雪の肩に手をかけ、その明るい笑みを振り撒いているのは春雪の友人、水瀬彗。入学以来つるんでいるし、親友とでもいうべきか。
「三丁目のコンビニ、あそこに強盗が入ったらしくて。それ捕まえたのが松戸くんなの」
「やばいじゃんそれ。すげーな!」
彗は事の重大さを微塵も感じさせない軽い口調で春雪を誉めた。
「でもなんで、黒鶴さんがそれを知ってるの?」
「父が警官なの。わたしの学校の制服だって気づいたらしくて、結構触れ回ってるわ」
「……どうりで」
春雪の、人気者への道のりは長かった。
「ね、松戸くんはわたしの自己紹介を聞いてなかったのかしら?」
「えっ?」
「自己紹介でわたし、名字で呼ばれるのが嫌って言ったわよね?」
「あ、うん……」
暗いイメージの名字だからあまり好きではない、とか言っていたっけ。
「下の名前で呼んでね?」
声の明るさと反比例するような、圧。
どうやら、彼女にとってかなり重要なことらしい。
「……わかった」
「いいないいな!黒鶴さんじきじきの許可をもらうとか」
隣で彗が、春雪をつつきながら言った。本人は小声で言ったつもりだったのかもしれないけど、それはかなり大きな声で。
「水瀬くんもよっ!下の名前で呼んで?」
そう言われて、彗の顔がパアッと明るくなる。……わかりやすいバカだ。
「ありがとう!沙希ちゃん」
こうやってさらっと呼んでのける彗が実は羨ましかったりもするのだが、それは秘密だ。
そんな彗は一日中一昨日の出来事を聞いて、感心してくれていた。それを見ていると、だんだん春雪の心は後悔で苦しくなってくる。
でも、感心顔の彗に、今さら違うとも言えなくて。
結局、放課後に武道場へ足が向いていた。ちなみに、彗は野球部に所属しているため一緒に帰れない。
「休憩ーっ!」
昨日と変わらないハキハキした声が響き、黒……沙希が現れた。一昨日と違い、にっこりとした笑みを浮かべている。
「剣道部、柔道部が秘密にしてたスポット、気に入ったみたいね」
……そういうわけじゃないんだけど。
「本当に、剣道部に入部する気ないの?」
「ごめん、それはない」
「即答ね」
部室から持ってきたコップで水分を摂り、額に浮かぶ汗を拭く。やはり、結んだ髪が印象を変えている。
「まぁ、いいのよ。今日はわたしに用があるんでしょう?」
「ああ。一昨日のことなんだが、少し訂正させてほしい。俺が強盗犯捕まえたわけじゃないんだ、他に捕まえてくれた奴がいる」
「そんなこと……言いに?」
「ああ、悪い……」
「謝らなくていいのよ。捕まえたのが松戸くんじゃなくても、通報してつきだしたのは松戸くんでしょう?それならそれでいいと思うわ。真面目なのね」
「そんなことはないが……」
後を濁す春雪を見て、沙希はふふふっと笑った。
「父も誉めていたのよ。素直に受け止めたら?」
「……ありがとう」
頭を下げた。
それじゃあ、と言って帰ろうとする春雪を、パッとつかんで止める。その真剣な眼差しと腕をつかむ手の強さ。春雪は沙希を見た。
「なに?」
「気になることがあって。その、他に捕まえてくれた奴っていうのは、ピンクのマフラーをしたひと?」
「ピンクっていうか紅色って感じの色だったけど、そうだよ。それがどうかしたのか?」
「ううん、いいの。ありがとう」
今度こそ、と帰りかけて、今後は春雪が止めた。カバンの中に彼が投げた短刀があるのを思い出した。
「彼の名前、知ってる?」
「知ってるわよ、下の名前だけだけど。ユウユ……梅守神社に行けば、会えるかもしれないわ」
梅守神社は、ここらへんで一番大きな神社だ。その名のとおりたくさんの梅の木が植えてあり、満開の季節になると地元民はこぞって花見に集まる。
春雪だって、何回も梅守神社を訪れている。それでもあの黒づくめの暗い男を見たことはなかった。沙希の言葉は正しいのだろうか?
「──坊主、ここに何か用か?」
突然話しかけられて、春雪は思わず飛び上がってしまった。まさか人がいるとは思っていなかったのだ。
それくらい、梅守神社は静かなところだった。
「ひとを探してて。ここに来れば会えると聞いたもので」
「ふぅん、私を探しているようではないね。誰を探しているのかな?」
声の主は50代くらいのおじさんだった。ツルツルの頭に袴姿、手には竹箒。ここの神主なのだろうか。
「全身真っ黒の服装で紅色のマフラーをしているんです。これを預かっていて」
白い棒──と思っていた、短刀を差し出した。あのあとよく見て、映画などの切腹シーンで使われるようなものだと気がついた。刃は本物なのだが。
「ほぉ……じゃあ、ユスラたんに見込まれたのかね?」
「ユスラタン?見込まれ──?」
考え深げな表情で顎を撫でている。少し間があって、
「どうやら事情をわかってないようだね。その刀はどうやって手にいれたのかね?」
「一昨日コンビニ強盗に遭遇して、彼に助けられたんです。これを渡されたんですけど、返す時間がなくて」
神主は顎を撫でながら、考え込んだ。次の言葉までしばらく間があいた。
「つまり──君は“視える”のかね?」
そして問われた言葉に、パーカー男の“斬れ”と同じようなニュアンスが感じられた。
「それは……俺が見えている靄のことなんでしょうか?」
「もや。そう見えているのか……」
「誰にも言ったことはありませんが、俺は人の悪意じゃないかと考えています。それがなにか関係するんですか?」
「関係もなにも……」
また少し考えてから、今度はコホンとわざとらしい咳をして、神主はゆっくりと口を開いた。
「その刀は私が作った。梅守の土地神様の力をお借りした刀だ、この世界にまたとない特別な刀だ。あれは、人に憑く“魔”を斬る刀なのだ」
「“魔”……」
「ユスラと私は、その“魔”について研究していてな。ユスラは“魔”が視える人間を探していた」
「それが俺だと?」
「そういうことだ」
春雪は神や妖怪や霊、そういった類いを信じないタイプだ。だからあまり納得のいく説明ではなかったが、春雪の目的は短刀を返すこと。話の納得は必要項目に含まれていなかった。
「人に“魔”が憑くとどうなるんですか?」
「“魔が差す”──悪い考えが浮かび理性が働かなくなって、善くないことを起こすようになる」
「魔が差す……」
それは、春雪も感じたことのある考えだった。つまり春雪が見えている靄は、神主の言う“魔”なのだろうか。
もう一度質問をしかけて、思いとどまった。
俺はもう、面倒なことには関わりたくない──。
「そうなんですか、いろいろありがとうございました。これ、そのユスラさんに返しておいてもらえませんか?」
春雪は笑顔で言った。
しかし、返答は簡単なもので。
「嫌だ、めんどくさい。自分で返せ。ユスラたんはすぐそこの《おひさまのいえ》にいる」
さっき登ってきた長い階段の下を指差し、神主はめんどくさそうに言った。
「は、はぁ……」
苦笑いを浮かべて、その階段を下りるほかなかった。
下りてから、小さく言う。
「──なにがめんどくさいだ、あんのハゲ!」
ちょっとスッキリした。