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その人は常に、答えを求めていた。
自分が何者で、何のために生まれてきて、何をして生きていくのか──しかしどんなに探しても、答えはどこにも転がってない。
「ほらほら、手ぇ止まってるよ」
大きなマスクと衛生を考えた帽子とのわずかな隙間から覗く目、目尻に優しいシワをたたえて、永嶋さんが言った。
「どうしたの。悩み事でもあるのかい?」
悩み事ならずっと──
口を開きかけて、やめた。
このお弁当工場で働くおじさんたちは、他のバイトの人たちと比べて数百倍も優しい。これ以上嘘を重ねて、気のいい彼らをだますのは耐え難かった。
「いえ……ありがとうございます」
マスクで表情が見えなくてよかった。笑顔を作るのは苦手だ。
「若いモンは恋で悩むくらいがちょうどいいんだよ」
はっはっはっ、と高らかに笑って、愛情のある仕草で肩をこづいてきた。
このバイトはなるべく続いてほしいな──珍しくそう思った。
あまり経歴を気にされず余り物の賄いも出る、そのうえ高収入で優しい仕事仲間。これ以上の職場を求めたらバチが当たりそうだ。
「若いモンはいっぱい食べなさい」と笑う永嶋さんの厚意で、落としてしまったり形のくずれたおかずを思う存分もらい、腹を満たした。落としたといっても無菌加工された部屋の床だから、汚くはない。もっとも、それより汚い食べ物を食べなれてはいたが。
久しぶりにふくれた腹を抱えて、次のバイトへと出向く。お弁当工場とは比べ物にならないくらい劣悪な職場だが、収入が良いのだから仕方ない。こうして日々、バイトをはしごして1日を過ごすのだ。
土木工場のバイトが終わったとき、時刻は7時をまわっていた。まだ涼しい春の風が、夕方の色をのせて頬を撫でる。
はしのほつれた紅色のマフラーを口まで上げ、パーカーのフードをかぶる。帰路を急ぐ人々の間を縫って、静かに駆け抜けた。
門限までは1時間。すばしっこさと持久力には自信があるから、充分間に合う時間だ。
……なのだけど。
この時間、人々の不安定な心を狙う“悪意”たちがたくさん待ち伏せしている。そういうものに憑かれる者は結構いて。
「おい、ノロ太ぁ。早く買ってこいよー」
「言うとおりにしろよ」
「部活でも足引っ張ってんだからさぁ」
コンビニの前、たまる学生たち。ヤンキーというわけでもなく、むしろ部活動に励む真面目な好青年──そういう者こそ、取り込まれやすい。
「お、お金は……」
なるほど、見るからに“ノロ太”といった外見だ。小太りの学生が、うつむきながら言う。
彼らは口元に嫌な笑いをたたえて、
「自分で払えよ」
「それがせめてものお詫びってもんだろ?」
「いい加減わかれよなぁ」
──夢や目標のある青少年にこんな顔はさせたくない。
見たところ、彼らは高校生。あまり乗り気では無さそうな者も含めて9人、捲った腕に見える日焼けから、サッカー部といったハードな運動部のようだ。
ぎりぎり、かな──。
フードを下ろし、腰につけたポーチからカラフルなアメピンを用意した。小柄な背丈が悩みだけど、髪をかきあげサイドで留めれば、いくぶんかはチャラさが演出できるかもしれない。あくまでも想像だが。
大きく息を吸い込んだ。
「──ガキども、びーびーうっせぇんだよ。そこどけや!」
うわぁ……イタイ。
我ながらイタイ演技だ。案の定、
「はぁ?なに言っちゃってんの?チビが意気がってんじゃねーぞ」
どう考えても彼のほうが迫力があって強そうだ。イタイを通り越してむなしくなってきた。
「黙れ!ガキが」
「っんだとっ!?」
リーダー格の彼を、何人かがなだめた。
大事な試合でも控えているかもしれない、手加減をしつつ……と考える間もなく、胸ぐらを捕まれた。悲しいことに、足が少し宙に浮く。
「がたがた抜かしてんなよ」
くん──っ
袖に手を入れ掛けて、思い出した。
今、短刀はなかったんだった……!
「あのなぁ、年上に喧嘩売るとか礼儀なってねーのよ。わかるぅ?」
……年下に思われているし。
リーダー格の足を大きく踏んだ。音はたてたが、そんなにたいした痛さではないだろう。
しかし、部員たちは反応する。
「てめぇ!なめてんなよ!?」
転がったアルミ缶に目をつけ、それこそおもいっきり、力強く踏んだ。殴りかかる彼らを避けながら、それを力の限り引き裂く。
威力はないが、これが精一杯の今日の武器だ。
不便なことにあの少年とは違い“視えない”から、匂いが消えるまで何度も試さなくてはならない。運動部で鍛えられた彼らとは互角、息があがるのも時間の問題だった。息があがれば鼻も使えなくなってしまう。
大きな動きは避けて、リーダー格を4、5回切りつけた。相手に傷を負わせず何度も狙わなくてはならないのは、無駄に神経を使う。
それでもどうにか、匂いは薄くなってきた。
「絶──っ!!」
最後に、仕上げ一声で匂いは完全に消えた。
残るは、なぜ揉めていたのだろう……?とぽかんとしている学生たち。ノロ太はわなわなと震えていた。
素早くフードをかぶり、何事もなかったかのように走り去る。これで彼らの記憶に残ることもない──
ポケットの中で、今日の即席武器を握りつぶした。ありがとう。
夜風が冷たくて沁みる。
紅色のマフラーを引き上げて、走るスピードをあげた。
短刀を返してもらわなくちゃな、と思いながら。