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されこうべと女

 長年人通りがなかったという、村の西にある山の麓とやらまでの道のりは、確かに平坦なものではなかった。

 朝日が昇ってから村を出、そこから直結している森をひたすら西へと歩いてきたわけだが、夏の近い季節だけに木々は鬱蒼と生い茂り、腰ほどまで伸びた草が行く手を阻む。旅慣れている身とは言え、体力を削られる道のりではある。

 日の光もろくに差さない薄暗い森。

 ところどころで感じる獣の気配。

 時折姿を見せる蛇。

「野生、って感じだな」

 これだけ見事な自然を残しているとは、いっそ感動する。

 時の混在する国。

 この国がそう呼ばれる理由は、各(くに)ごとに時代差があるからだ。

 村や町が複数集まって邑。

 邑が複数集まって地方。

 そして四季に関係なく、常に実が生っているという『護り木』の生えた皇帝の居城周辺を帝都と呼ぶ。

 複数の地方と帝都から成るこの国には、時代の流れを留め置いたような地が幾つもある。

 タギが昨日宿泊した村などはその良い例だ。

 帝都周辺や幾らかの邑は異国の影響を受けて革新的な進歩を遂げているにも関わらず、この辺りの村は未だ昔から変わらない。だがそんな邑は、帝都から離れれば幾らでもある。

 それどころか、もっともっと旧い時代を留め置いている邑もあるという。

 様々な時代を内包した国。それが時の混在する国の由来なのだから。 随分長いこと歩き通し、ずっと遠くの木々の合間に光が見えて森の終着が近いのだと悟るとタギは錫杖(しゃくじょう)を握り直し、一歩一歩確実に前へと歩み出した。

 旅籠の主人の話では、森を抜ければすぐにその大きな岩はあるらしい。主人も随分昔に人から聞いた話だと言っていたから、現在もその通りかどうかは怪しいが。

「ここまで来て、鬼女どころか岩すらなかったら泣けてくるよなぁ」

 そう呟きながらも、正直期待はしていない。

 ああいった村に伝わる昔話の類は大概脚色されている。

 古いものであればある程、話も変わってきている。世間話程度の出来事が、人を介して伝わる内、お涙頂戴長編大作になっていることとてあるだろう。

 真実である可能性など、塵ほどしかないと言うのに。それでも足を運んでしまう。塵ほどの可能性でも求めてしまう。

「……こうなると癖、だな」

 溜め息混じりに呟き、タギは先へ進んだ。

 邪魔な草を薙ぎ倒す勢いで歩を進めて行くと、一気に視界が開けた。

「山だ」

 少し行った先に広がる、傾斜の険しい山。

 森が開けてしばらく歩けばすぐ山か。

「本当に野生だなぁ」

 呑気にひとりごちながら、タギは辺りを見回した。

「っと。それより岩、岩、岩と」

 大きな岩というと人の背丈ほどだろうか。それとも家屋ほどだろうか。

 想像を巡らせながら左へ首を回したタギの視界に、赤紅(あかべに)色が留まった。

 緑が濃い季節、場所で異端の色。

 風に弄られる、ぼろぼろの薄汚れた赤紅の衣と傷んだ黒髪。

「……本当にいたのか」

 口から零れおちた言葉は、風に攫われていく。

 苔むした大岩の上にうずくまるようにして座る、赤紅色の小袖の女。

 その両手に抱えられた、白いモノ……髑髏(されこうべ)

 タギの声に反応するかのように、赤紅色の小袖の女の顔が小さく動いた。

「こんにちは」

 岩へと近づきながら、タギは笑顔と共に挨拶をした。

 近づくにつれ、岩の上の彼女は衣だけでなく髪や顔まで汚れ、長くそこにいた事を窺わせた。「お姉さんが噂の鬼女?」

 岩の上を見上げながら、タギは明るく声をかけた。

「……誰ぞ」

 低い、敵意の籠もった声にタギは敢えて明るく答える。

「タギ」

「立ち去れ」

 会話は不成立。

 だがそんなことを気にするほどタギの神経は繊細ではなく、見知らぬ他人より自分を大事にする性格であることも自覚していた。

「聞きたいことがあるんだけどさ」

「立ち去れと言っておる」

「ここはあんたの私有地じゃないんだし、別にいいじゃん」

 タギの言葉に女の険しい視線が降ってくる。

 だが、赤い小さな唇と口元のほくろが印象的な艶っぽい妙齢の美女だ。肌も髪も衣も傷みきってしまっているが、元は何処ぞの貴族の姫だと言われても納得できる雰囲気がある。

「お姉さんさ、鬼女って本当?」

「……だとすれば何ぞ」

 一向に話を聞かない相手に諦めたのか、鬼女は不満げに返してきた。

 その返答に、タギの口元が笑みの形に引かれる。

「聞きたい事があるんだ」

「坊主が鬼に?」

 女は不審げに聞き返してきた。

「坊主だろうと百姓だろう貴族だろうと、用がある時はあるもんだ」

 訳の分からない理屈を述べて、タギは身軽に岩を登り出した。

「来るな」

「ずっと上向いて話すのも首が疲れるんだよ」

 いつの間にか女の背後までやってきたタギに、女は振り向いて今まで以上の敵意に満ちた目を向ける。

「そなた、坊主ならば(わらわ)を討伐にでも来たか」

「だから聞きたい事があるだけだって。人の話を聞かないお姉さんだな」

 タギは女から少し離れた位置に腰を下ろした。

 そして横に置いた錫杖が鳴り、女は不快げに柳眉を顰めた。

「別に俺はお姉さんを退治しに来たわけじゃねぇよ? それに俺、坊主ったって国の認可受けた坊主じゃないし。そんなことより、お姉さんは生粋の鬼?」

「何?」

 女は右目を(すが)めた。

「生まれた時から鬼だったのか、それとも元人間の鬼ですかーって聞いたんだよ」

 タギは人の好さそうな笑顔で女を見ている。

 女はふいと顔を背け、髑髏(されこうべ)を強く抱きかかえた。

「……違う。妾も元は人」

「そっか」

 その声音からは、女の返答に満足したのかそうでないのか推し量れない。

「じゃあ生まれながらの鬼の話とか、何か知らない?」

「知らぬ。そもそも生まれながらの鬼が居るなどということすら知らなんだ」

「まぁ珍しいかもな。生まれつきの鬼って」

「本当におるのか? そのような者」

 女は髑髏を抱いたまま、タギを見た。

「いるよ。俺も一人しか見たことないけど」

 タギは頷き、空を見上げた。

「鬼なら何か情報持ってるかなって思ったけど、その調子じゃ知らなそうだな」

「……そなた、何故鬼のことなど知りたい?」

 女の問いに、タギは空を見上げたまま答えた。

「鬼ごっこをしてるんだ」

「鬼事を?」

「そう。鬼と鬼ごっこをしてる。長い長い鬼ごっこを」

 そして軽い笑みを女に向けたと同時、その話を終わらせた。

「鬼って外観は普通の人間と変わらないから、言われなければ普通わからないあたり、お姉さんみたいな元人間の鬼と一緒なんだけど」

「……そなたは何故人が鬼に変じるのか知っておるのか」

「強い恨み、悋気(りんき)、絶望……そんな感じのあんまり前向きじゃない感情が過ぎた時に鬼になることがあるらしいってくらいは昔話で聞いたことがある。最近じゃとんと聞かなくなったけど」

 タギはさしたる興味もないように、淡々と言葉を紡ぐ。

「何世代か前の旧帝都がこの国の中心だった頃にはそういうのが多かったって聞いたな。千年近く前くらい。嫉妬に狂ったお姫さんが鬼になって男を殺したとかね」

 手遊びに錫杖を鳴らす様は、本当に興味も関心もないのだと嫌と言う程わかる。

 だからこそ、女には腹立たしい。

「……何も知らぬ者が、知ったように語るな!」

 女は髑髏を抱え、初めて立ち上がった。その目は爛々と不気味に輝いている。

「そなたに分かるか。身を焼くような気が狂うような思いがどのようなものか!」

 空気を震わすような叫びに、タギは目を見開いた。

「誰が好んで他人を憎むか? 誰が好んで人を恨み、世を恨むっ? 誰が……」

 女の目に赤い涙が滲む。

「誰が、鬼になどなりたかったものか……」

 赤い血の涙が、女の白い頬を伝った。

 まさに紅涙か。

「……鬼は血の涙を流すのか」

 タギの慰めるでもない、揶揄するでもない、ただ在るがままに発した言葉は空に溶けた。


「どーぞ」

 しばしの後、タギは持っていた布を女に差し出した。

 女はまだ目に血涙を溜めたままその手を睨みつけた。

「同情なぞいらぬ」

「別に同情のつもりはないけど」

 気にする様子もなくタギは布を懐に戻し、再び女から少し離れた場所に腰を下ろした

「とりあえず知った風な口を聞いたことは謝罪する。俺は鬼になったことはないし、人から聞いた話をそのまましてあんたの気に障ったのなら」

「白々しい……」

 女は袖で顔を拭いながら、タギから顔を背けた。

 その間も髑髏は大事に抱きかかえていた。

「その仏さんさ、供養してやらないの?」

 女はタギに背を向けたまま何も言わない。

 頑なな背を見て、タギは軽く息を吐いた。

「ま、あんたの自由だけど。何も(きょう)を上げるのがだけが供養でもないし。大事な奴の側に置いてもらうってのも、一つの供養になるんじゃないかとも思うし」

「……供養になぞ、なるものか」

「なると思えば何だってなるんじゃん? 多分」

「こやつは妾のせいで死した者。供養になぞ、なるわけがない……っ」

 血を吐くような言葉。

 震える肩。

「……でも連れてるんだ? その頭だけの人」

「坊主」

「何?」

「そなた、妾を殺せるか?」

 女は静かな表情を浮かべ、まっすぐにタギを見た。

「鬼は死なない。殺されない限り、死なない。そして妾は殺されることなく今まで生きてきた」

「死にたいの?」

 細い指先でそっと髑髏を撫で、女は言った。

「鬼は生者とは違う。死んして尚、生きる者」

「言葉、変じゃん?」

「黙って聞け。小僧」

 女に迫力ある睨みを効かされ、タギはその口を閉じた。

「これを死と言ってもよいものか……叶うのなら鬼としての妾を、終わりにしたいとは思うが」

「明確に死かどうかは別ってことか」

「ひと昔前までは陰陽師やら坊主やらがわらわを討伐に来た。だが誰も妾を殺せなかった」

「殺させてやらなかったんじゃなくて?」

「妾は何もしておらぬ。あ奴らに妾を討つ程の力量がなかっただけのこと。そして皆勝手に逃げ帰って行きおった」

 驕りでも自賛でもなく、ただの事実として女は語る。

「それで人食い鬼女の話が広まったってわけか」

 タギの言葉に女は答えない。

「ま、それはいいとして。お姉さんは強い鬼?」

「恐らくは」

「そっか」

 さっぱりとした声でタギは頷き、白い雲の流れる鮮やかな青空に手を伸ばした。

 女はその様子を見ながら、新雪よりも白い髑髏に視線を落とした。

「小僧」

「タギ」

「……ではタギ。先程の質問に答えよ。そなたは妾を殺せるか?」

 タギは女を見て表情なく、だがはっきりとした声音で言った。

「多分」

「……そうか。では妾を殺してほしい。そしてその後、こやつを供養してやってほしい」

 そう言って女は両手に抱えた髑髏を差し出した。

「それはお姉さんの大事な奴?」

「ああ……とても。長い間、妾の勝手でこのような姿で在るが」

 古ぼけた髑髏はもう随分長い間、女と共にあった。

 いつ土に還ってもおかしくない程に長い間。

「さっきも言ったけど、経を読んで格式ばった儀式をすることだけが供養じゃないと思うけど」

「妾はこの世に留まる限り、こやつを手放せない。妾が居なくなるまで、こやつに安寧などない」

「……聞いてもいい?」

「何ぞ」

「俺も一応坊主の端くれとして、出来るならそいつの望む供養をしてやりたいと思う。だから、話してくれないか? あんたとそいつに何があったのか。せめてそれを聞いてから判断したい」

 初めて真剣みを帯びたタギの声に、女は目を伏せた。

「話せば妾を葬り、こやつを供養してやってくれるか?」

「ああ。約束する」

 女は一度顔を上げてから、また軽く目を伏せた。

「何から……話せば良いか」

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