生臭破戒似非坊主
「村の西の山の麓の岩……そこには昔から鬼女が座ってるそうだ。どれくらい昔からかは知らねぇ。俺のじいさんも自分のじいさんから聞いたって言ってたから、それくらい昔からなんだろう。そんな噂があるから俺らは西の山へ行ったことがないから見たことねぇが、偉い別嬪の鬼女だそうだ」
注がれた酒に視線を落とし、主人は続ける。
「通りすがりの旅人なんかはそれを見て、この辺りの村人だろうと声をかけようとするらしいが、女に近づくにつれすぐ様考え直す。そして同時に慌てて来た道を引き返す。何故かわかるか?」
「いや」
僧侶が首を横に振ると、主人は淡々とした口調で言った。
「その女の手には、いつだって髑髏……人間の頭蓋骨が抱えられてるんだそうだ。ボロボロの、いつのものともしれねぇ古い仏さんが」
「されこうべ……」
僧侶は声を低くして繰り返した。
流石の生臭坊主も怖気づいたのかと思いきや、僧侶は真剣そのものの顔と声で呟いた。
「ありきたり過ぎる」
「…………は?」
主人がつい間の抜けた声を出すと、僧侶はもう一度言った。
「ありきたり過ぎだろ? されこうべ抱えた鬼女なんて。そんなどっかで聞いたような話、絶対そこらの年寄りの作り話だ」
僧侶は失礼な言葉を並べながら、ひとりで勝手に項垂れた。
「実際にされこうべ抱えた鬼女なんて俺、あちこち回ってもまだお目にかかったことねぇもん」
「……坊さんはされこうべを『抱えてない』鬼なら会ったことあるのかい?」
主人の冗談半分に口を衝いて出た言葉に、僧侶は顔を上げて小さく頷いた。
そして再び項垂れてしまった僧侶を見て、主人は大仰なまでに息を吐いた。
「はー……鬼なんて本当にいるのか。流石坊さんだなぁ」
「別に鬼がいるのは、俺が坊主って事とは関係ねぇよ」
僧侶は疲れた風に肩を落とした。その様は鬼のようにすら感じられた生臭坊主とは随分印象が違う。色々な顔を持つ人間がいたものだ、と主人は内心で感嘆の息を吐いた。
しかしこうも意気消沈されると、なぐさめてやらねばならない気がしてくるのが主人の生まれついての気性だった。
「まぁもしかすると本物かもしれないじゃねぇか。ありがちな鬼の話の本家本元が、西の山の麓の鬼女かもしれねぇぞ?」
主人が明るく声を張り上げ力いっぱい僧侶の背を叩くと、彼はむくりと冴えない表情を浮かべる顔を上げた。
「本家本元、なぁ」
「そうだ! それに何だかんだでその話のせいで西の山の麓を通る奴はこの村にはいやしねえ。だからその話が嘘か本当か知る奴はいねぇんだよ」
「運が良ければ真実、か」
「ああ。生臭坊さん、博打は?」
主人の人の悪い笑みに、僧侶は軽く笑った。
「嫌いじゃねぇな。ナマグサ坊主だから」
「じゃあ鬼女がいるかいないか、賭けてみたらいい。いたらあんたの勝ち。いなけりゃ俺の勝ちだ」
「なーんかそれって断然俺が不利な気がするんだけど?」
僧侶の顔には人の悪い、薄い笑み。
「気のせいだ。もし本当にいたら、今日の酒代を全額返金してやろう」
「ふぅん。俺が負けたら?」
「そうだな……」
主人は少し考えてから手を打った。
「ああ、村の墓地で供養の経でも上げてってくれ。この村には坊主がいなくてな。最近じゃ一年に二度、隣の隣村から出張してきてもらってんだ。だからご先祖さん達にもすっかり申し訳ない事になっちまっててな」
「経?」
僧侶は意外な言葉に大きく目を見開いた。
不利な勝負かと思いきやこの主人はとんだお人好しだ。もう少し自分の利を考えてもいいだろうにと思いながらも、僧侶はにっと歯を見せて笑った。
「俺、博打強ぇよ?」
「上等だ。小僧」
主人と僧侶は拳を打ちつけあって笑った。
「しかし親仁。その性分じゃ商売人は向いてねぇんじゃねぇの?」
「大きなお世話だ。こんなボロ宿でも先祖代々受け継いできた大事な身代よ」
そう豪語する姿は僧侶より長い時間を生き、経験し、この旅籠と共に過ごしてきた者の重みがあった。彼が商売人として向いているかはともかくこの旅籠に居心地の良さは感じる。
「……けど損する性分だなぁ」
「あ?」
「いや、何でも?」
笑顔で受け流し、僧侶は話を切り替えた。
「それじゃあ明日の朝一番にでも行ってくるか。そこまでは遠い?」
「道はもうないも同然だからな、往復で半日程度かかると思うぞ」
「半日か……」
僧侶は明後日の方を向いて少し首をひねった。
「じゃあその間にもし俺を訪ねてくる奴がいたら、「俺は別嬪べっぴんな鬼女のところへ行っているから大人しく待っていろ」と伝えてもらえるか?」
「坊さんの連れか? 特徴は?」
僧侶は少し考えた後、一息で告げた。
「「生臭破戒似非坊主はいるか」と聞いてきたら間違いなくそいつだ」
「生臭破戒『エセ』?」
本人にしてみれば不名誉な修飾語がまたひとつ増えているではないか。
主人の不審な目に、僧侶は苦笑して言った。
「そいつ曰く、俺なんか坊主じゃないそうだ」
「……あんたもそれを受け入れちゃっていいのかい? 一応本気で坊主なんだろう?」
主人は口をへし曲げて僧侶を見たが、彼は胡散臭いまでの笑顔で応えるだけだ。その笑顔に根負けというわけではないが、主人は大きく息を吐いてから頷いた。
それを確認し、僧侶は胡散臭い笑顔を崩し幼子のような笑い顔を向けてきた。
「まぁせいぜいぼったくってやってくれよ。常に小金持ち歩いてる奴だから。俺よりずっとむしり取り甲斐がある」
「ほう」
主人の目が、初めて商人らしさに輝く。
それから思い出したように声を上げた。
「そういや坊さん、あんた名前は? 宿帳に書いてもらった名前、読み方わからなかったんだが」
「ああ、この辺じゃあまり馴染みのない読み方だもんな、俺の名前。多儀はタギって読む」
「タギ?」
耳馴染みのない響きの名前を反芻すると若い僧侶、タギはにっと笑った。
「そ。俺の名前はタギ。よろしくな、親仁」