4 サイドリウスの籠絡
夏休み明けの生徒会室では、いつの間にかメイドがあまり来なくなっていた。
「私は平民出身なのでお茶くらい淹れられます。今日もお菓子を作ってきたんですよ」
こうして、お茶の準備はすべてバニラがするようになっていた。
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ある日の放課後、サイドリウスは一人で生徒会室で執務を行っていた。もうすぐ下級生と世代交代だ。少しでもわかりやすいようにと、生徒会の動きについて気がついたことをまとめていた。長めの金髪を後ろで一つに括り真剣に取り組んでいた。
そこへバニラが一人で入ってきた。
「サイドリウス様、お一人で頑張っていらしたのですか?」
大きなヘーゼルの瞳をキラキラとさせて、小首を傾げると、チョコレート色の髪がふんわりと揺れた。ぷっくりとした桃色の唇はいつでも少しだけ口角を上げていて優しく笑っていた。
サイドリウスはそれを眩しそうに見た。サイドリウスはバニラを見ると胸に痛みを感じるようになっていた。
「ああ。君たちに残せるものはキチンとしたくてね」
サイドリウスはバニラを見ていられなくて、ノートに目を戻した。
「じゃあ、お茶、淹れますね」
バニラが弾むように歩いて簡易キッチンへ消えた。
「ああ、頼むよ」
キッチンへ向かうバニラの残り香がサイドリウスを包み込んだ。サイドリウスは気が付かぬ間に大きく息を吸っていた。
しばらくすると、サイドリウスの執務机に紅茶が淹れられ、バニラ特製のクッキーも添えられていた。
サイドリウスはクッキーに手を伸ばした。甘さを抑えたクッキーは、今やサイドリウスの好物といって間違いなかった。
「そんなに根を詰めて、何を書いているのですか?」
バニラが椅子に座るサイドリウスの左にピッタリとくっついた。夏服の二人の腕は直にくっついていた。
「あ、その……」
サイドリウスは少しだけ忠言をしようとした。しかし、バニラに下から顔を覗き込まれ戸惑った。
「サイドリウス様の瞳ってキレイ……」
サイドリウスは流れるような金髪に、長い睫毛に縁取られたアメジストの瞳凛々しく整った容姿は、本人も悪くないと自覚している。しかし、それを面と向かって言われるのは照れくさい。サイドリウスは頬を染めてバニラから視線を外した。
「あ、コホン! これは、俺が生徒会をやってみて気がついたことや注意点などを残しているんだ」
サイドリウスはノートを見たまま話題を変えることを言った。
「まあ! すごい!」
バニラの空いている左手をサイドリウスの左手に重ねた。サイドリウスの左腕とバニラの右腕はまだピッタリと触れており、しっとり汗を感じた。それでも離したくないとサイドリウスは思ってしまっていた。
サイドリウスはその触れている腕やバニラに握られた左手を少しの微笑みを持って見ていた。
ほんの少しの間の後、バニラが戸惑うように口を開いた。
「でも……でもね……そんなに完璧でなくてもいいんですよ」
バニラの言葉にサイドリウスは肩を揺らしてしまった。見開いた目はバニラを見ることもできず、握られた左手を凝視していた。凝視しているが頭には映ってはいない。
「完璧な人なんていないわ。サイラスも完璧である必要はないわ。もっと私を頼って」
サイドリウスは心の衝撃が強すぎて、愛称呼びされたことを自然に受け入れていた。
ゆっくりと左手からバニラへと視線を動かした。サイドリウスにはバニラの微笑みが女神の微笑みのように感じた。
サイドリウスはバニラの瞳に吸い込まれていた。だから、瞳が近づいてきたことも、その瞳が伏せられ長い睫毛を見つめていたことも、唇に柔らかい感触を感じたことも、全て受け入れてしまっていた。
「お願い……サイラス。無理……しないで。私、貴方が倒れるようなことになったら……生きていけないわ」
サイドリウスはバニラの頭を引き寄せ、今度は自分から唇を重ねた。
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それからというもの、毎朝花壇前のベンチには、手を繋いで座っているサイドリウスとバニラが見受けられるようになった。
マリン・ナタローナ公爵令嬢は、サイドリウスの婚約者だ。父親は金融大臣である。母親は2年前に亡くなっている。
マリンは母親譲りの薄水色の髪がまっすぐに腰まであり、遠くに王家の血を引く父親譲りの紫色の瞳は大きくつぶらで、お人形のように色白で、完璧な造形であった。
そして成績も完璧で、2学年では常に首席である。それでいていつも柔和な笑顔を絶やさないマリンは、いつでも友人たちに囲まれていた。3年生からも相談を受けることもあるほど、人気者であった。
今回バニラのことについて、苦情であるとか、マリンへの心配であるとか、とにかくいろいろなバニラにとって悪い意見がマリンの元へ寄せられた。
マリンは時間を作ってはサイドリウスに掛け合った。
「サイラス様。お一人のご令嬢を特別扱いなさることはお控えください」
「煩い! 俺の交友関係に口を出すな。
そこまで完璧でなければならないのか?!」
「?? 完璧かどうかではありませんわ。他の方にも目を向けるなり、特定の者の肩を持たないようにするなりの方法をとってくださいと申し上げているだけですわ」
「そうやって、お前の考える完璧な友人関係を押し付けるのかっ!」
噛み合わない会話にマリンは説得を諦めた。サイドリウスはマリンより1年早く卒業する。婚姻の儀はマリンが卒業してからだ。『1年かけて王家で矯正してもらえばいい』マリンはそう考えることにした。
マリンが離れたサイドリウスには、バニラが優しく呟いていた。
「貴方は貴方のままでいい」
「時代によって必要なものは変わるわ。貴方の時代には、貴方が必要になる」
バニラの言葉は、古きものを知った上で新しいものにしようとしていたサイドリウスの向上心を捨てさせ、俺様のやりたいようにやればいいと思わせていった。
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生徒会は前生徒会役員が指名することで決められる。2年生からはユーティスとバニラとバニラがオススメした子爵子息、1年生からはバニラがオススメしたビリードが指名された。
サイドリウスたちは生徒会役員でなくなったはずなのに、毎日のようにランチを生徒会室でとっていた。
「これ、私が作ったソースなんですよぉ。一週間も同じメニューだと飽きるでしょう?
ふふふ、毎日違う味のソースを作ってきますねぇ」
ランチもバニラの手作り風になっていった。
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ビリード・ナタローナはマリンの義弟だ。マリンがサイドリウス王子の婚約者と決定した時、ナタローナ公爵家の親戚筋にマリンと同世代の者がビリードだけだった。どうせなら、マリンと同世代の公爵であった方が公爵家としても繁栄するだろうということで、ビリードが選ばれた。
男爵家の4男だったビリードは、気持ちの弱い男の子だった。
しかし、容姿は優れている。ビリードは遠くても公爵家の血を受け継いでいるだけあってとても美形だ。流れるようなバターブロンドの髪は遠い昔ではあるが王族の血が入っていることを匂わせていた。水色の瞳はいつも柔和に微笑んでいる。
そんなビリードが籠絡されるのは、生徒会入りしてすぐのことだった。
マリンと同じ年のバニラは、ビリードに厳しいところは1つもなくいつも包んでくれるような笑顔だった。
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