3話ー赤森
俺たちは雨降る森に出た。
今まではロウソクに照らされて明るかった地下の道も、闇夜の中では暗くなる。
だから、たまに俺がランプをかざして相棒の視界を広げる。
「次は右。その次は左を照らしてくれ」
「ほい」
「返事は!?」
「はい……」
返事一つくらい目をつぶって欲しいものだ。
何故ここまで従順にならなければいけないのだろう。
まぁ、従わなければ何をされるか分かった物ではないため無理に反抗はしない。
「おい」
「はい?」
不意に聞こえたのは相棒とは別人の声。
しかし、発したのは相棒自身だった。
今までの声との違いに違和感をかき消せない。
「実は俺、この国の騎士なんだ」
「?」
突然の打ち明けに悪いが、この国には王族は居るが騎士はいない。
治安を維持しているのは衛兵と、王の側近の王宮兵ぐらいだろう。
故に思う。
突然何を言い出すのかと。
稀にいる様な変人ではないのかと疑惑の念を心の内で突きつけた。
どうやらまだ続くようだ。
「俺はこの国の闇を暴こうと思いながら日頃を暮らして、騎士にまで上がった。そんな俺は、日頃から平和な人々の話に聞き耳を立てていると、最近ちょうど人身売買の話を聞いた。そこで、俺は潜入を決め込んだってわけさ。本来ここにいた奴は今頃牢獄の中。俺はそいつと入れ替わってやってきた成り済ましなんだ。ここへの侵入は変装はしなくても、アブタルは目が見えないから簡単だったよ」
アブタルは目が見えていなかったのか。
知らなかった。
そう思えば相棒の変声術も目を見張るものだろう。
今まではなんの違和感もなくアブタルと接していた。
犯罪に敏感な体質を見るに、相棒が言う騎士とはおそらく衛兵の類だろう。
しかし、疑問に思う事は残る。
「なんでこんなガキにそんなことを言うの?」
「それは、これからさっきの場所とこの馬車目掛けてこの国の衛兵が来るって事を信じさせる為だよ」
これが本当なら笑い事じゃない。
今、俺の置かれている状況は最悪であると言う事だ。
相棒は衛兵と繋がっているのか?
「おじさんが呼んだのか?」
「いいや、アブタルの奥さんがアブタルに日頃の恨みを晴らすためにって通報したんだ。どうやらアブタルはたくさんの女の人と結婚して、その人達に毎日乱暴していたらしいんだ」
「へぇ、ザマァじゃん。でも、こんな事をしてる俺も一緒に捕まって、絞られて、乾いた紐みたいにされちゃう……」
何もかも終わりだ。
捕まれば後は何も残らない。
子どもだからって安心もできない。
未だ経験したことのない闇の先を見据え、途端に不安に駆られる。
すると、相棒は笑った。
「ハハ、流石に君みたいな子どもはそんなことにはならないと思うけど、俺も同じ立場に入るから安心はできないな」
「どうして?おじさんも衛兵の仲間なんだろ?」
とすれば、安全な筈。
しかし、相棒の顔は暗かった。
「実はね、その話を盗み聞きしていると、どうやら主犯格らしき人物に俺も挙げられていたんだ」
「え?」
どう言うことだ?
相棒は確かに言った。
衛兵が動いていると。
それは同業者繋がりの話では無いのか?
「最近、俺が最初の犯人に変わってアブタルと話していたら、アブタルの奥さんが丁度俺を見てね。勘違いした奥さんは『騎士のザザリアス』が犯人だって言ったんだよ。俺は勘付かれる隙を与えず悪い奴らを一網打尽にする為に最初は誰にもこのことを相談せず、1人で動いてしまった。でも、俺が言い出すより先にこんな事態になったから、疑いはもう晴らせないわけさ」
成る程、相棒は複雑な状況が重なってしまったのか。
これは、互いに安心できないな。
でも同時に少し安心できた。
同じ立場の仲間が1人出来たんだ。
「へぇ、おじさん有名人なんだ」
「まぁ、町の犯罪を常に探す“変人”としては有名だな。それでこの国の平和が守られ、人々が安全なら俺はそれでいいんだけど……」
相棒は儚げだ。
相棒は町の平和をこんなにも思っているのに、それは報われないのか。
「おじさんはもうあの町には戻れない……」
「そうだ…… だから、これが最後の仕事。俺がこの場にいる理由は後ろの人たちをあそこから引き離すためなんだ。さっきの場所には人攫いの仲間が奥で集まっているから、それを捕まえるためにたくさんの衛兵が集まる。きっとあいつらは久々の大きな相手に突撃を厭わない。そうなれば人攫い達も後ろの人達に何をするか分からないから、あそこが戦場になる前に早めに出られてよかったよ」
相棒は笑った。
なんの未練も無いのだろうか?
「相棒は衛兵に成り上がるまで頑張った。そんな、せっかく上手く行った人生が急にめちゃくちゃになって、悲しくねぇのか?辛くねぇのか?」
俺は辛かった。
働く気をなくし、稼ぐことをやめた俺は宿代を払えなくなったから追い出された。
その時、初めて喪失感って奴を感じた。
今までは確かに目の前にあった明日が、急に遠くなるあの感じ。
明日を生きていけるか、とても不安になる。
でも、相棒はまた笑った。
「俺の人生なんて安いもんさ。全てを投げ出して命一個救えればいいだろ?」
「ぁ………」
相棒は根本的に考え方が違った。
俺は自分のためにこの場にいる。
相棒は人の人生を助ける為に、全てを投げ打つ覚悟で最後まで仕事を完遂している。
別に1人で逃げ出すことも可能だっただろう。
俺なら実際逃げていた。
他人を気遣って動くと言う事は余程の強い信念が無ければ耐えられないだろう。
俺は薄っぺらい人間だが、相棒は立派な人間だ。
確かに少し変人めいた考え、衛兵を騎士とか言う言い方はあるが誰よりも善人をしていた。
俺はそんな善人の前でも未だに明日に怯える。
やはり、自分を顧みることしかできない。
「……俺も、もうあそこには戻れないよな?」
「そうさ。戻りたいって言うなら止めないけど」
「戻らねぇよ」
戻れば日々危険が付き纏う。
身バレの心配は無いが、慣れない犯罪に怯えることは目に見えていた。
犯罪に慣れを生むのは良くないことだと、無責任に自分が告げた。
そもそも、悪いのはこの仕事を選んだ自分だが、それならせめてお金ぐらい貰って怯えたかった。
今の俺は完全に無駄な行動だ。
「せめて金ぐらい貰いたかったな……」
結局はただ働き。
仕事を行っても投げ出しても見返りは無かった。
このままでは逃げた先でも追ってに怯え、お金のない貧乏暮らし。
今度は俺が後ろの奴らみたく奴隷にされるんだ。
「そんなに暗い顔をするな、相棒」
相棒の、今では騎士とわかった男は、運転横目に俺の方へ手を伸ばす。
「何?」
「手、出しな」
なんだろう?
まぁ、片手運転は危ないし、早く用を済ませてやるか。
「ほい」
手を広げて出すと、そこにお金が置かれた。
銀貨5枚。
今の俺には十分すぎる大金だ。
これでどんな宿も、大抵は1日借りられる。
「おお!」
「すまないな、持ち合わせが少なかったんだ。戻れば金貨がもっとあるが……」
「いいや!これでいい明日が迎えられる!サンキューな!」
よし!まずは明日の確保!
俺の未来はまだまだ暗いが、今は目先が明るくなった。
「これぐらいで喜ぶだなんて、お前も変わってる奴だ」
「俺が変わってる?」
「あぁ。俺と一緒さ」
相棒の一緒と言う言葉は、聞いていて耳心地が良かった。
相棒と一緒、即ち裏で平和を守った正義の味方って感じだからな。
後ろから馬が走ってくる音がした。
相棒は強い眼差しで前を見る。
覚悟の目をしていた。
「今から俺は、後ろから迫ってくるだろう衛兵を邪魔する。その隙に、お前は目的地の少し先、大きな孤児院があるとこに行け。『ザザリアスの友』と言えば、捕まってる後ろの人たちも含めて介抱してくれるだろう」
「はぁ?」
後ろから聞こえ迫る音は相当な数。
恐らく10人どころじゃ無いだろう。
「何言ってるんだ?それじゃ、相棒が死んじゃうだろ?一緒にこねぇのかよ」
「何、俺は“偉大な騎士”だ。3、40人仲間が来ようが、全てなぎ倒して戻るさ!それに、俺が例え弱くてもそうするしかないんだ。あの町の馬は速い。あの足から逃げるには、少しでも時間を稼ぐ必要があるんだ。分かってくれ」
………
どうしよう、言い返せない。
それではダメだって言う理由が見当たらない。
相棒は俺の顔を覗き込む。
少し不安そうな顔だ。
「この先、頼めるな?」
「………」
ふざけるのも大概にして欲しい。
こんなの卑怯だ。
何故なら俺は既に相棒のお金を受け取ってしまった訳で、あれが仕事代だと考えてしまった俺は今の相棒の言葉に従順であるしかなかったから。
恩は恩で返さねばならない。
今俺に返せる物はこれくらいだ。
「……分かった」
「そうか、助かる。捕まった人達は既に契約の印が押されていて、日常に戻るまでは大変だろうからな。あそこの孤児院なら人目を気にせずに働ける仕事が沢山ある。仕事には困らないからお前もあそこを拠点にするといい」
相棒は強い眼差しで再び進路を見た。
闇の裏で硬い決意を表していた。
その時、後ろから巨大な爆発音がした。
後ろには黒い煙が立ち込めている。
夜の森に灯りが灯った。
足音は少し遅れた気がするが、それでもまだまだ後ろに付いていた。
「派手だな。もしかしてアイツら、相当本気?」
「しらねぇよ。お前の仲間だろ?」
そうは言うものの、後ろの闇から迫る馬の足音に俺の心は追い詰められていく。
心臓はバクバクだ。
身体中からは変な汗が吹き出た。
気分も少し悪い。
あぁ、これは乗り物酔いだ。
我慢をせねば。
「それより、速くしよ。そうすれば、相棒は時間稼ぎに降りなくて済むーー」
その時、なぜか俺は別れを言えなかった。
気づいたら俺は両手に紐を持たされ、やったこともない馬車の操縦を行う。
馬は賢かった。
俺が何もしなくても、その目的地までただ走る。
「この馬は賢いな。それじゃ、後は任せた」
「ぇ……」
俺は最後、降りる相棒の目とあった。
相棒は爽快に笑った。
「お前が俺の最後の仲間でよかった!」
「ぁ………」
相棒は横に降り、闇の中に消えた。
俺は、横にランプをかけた状態で両手に手綱を握る。
その手には未だ変な汗が浮かび、握る感覚が殆どなかった。
もう、訳が分からない。
今はただ、賢い馬に連れられて走る。
闇には、後ろの鉄車が揺れた時に鳴らす音が響いた。
****
それから、一体何分経ったただろうか?
背後からは2度目の爆発を境に馬の足音が完全に聞こえなかった。
もう、相棒と当たってるのか?
だから、こっちに誰も来ないのか?
背後から再び巨大な爆発がした。
その距離は近い感覚だった。
今までが静かなだけで、確実に背後に迫っている。
「ヤッベ。もう来たのかよ」
俺は汗ばむ手に力を込めて綱を握る。
そして、心で言い聞かせた。
ーー大丈夫だ。
さっきの様子じゃ、相棒は相当強そうだった。
だって、仲間40人にも負けないって言ってたし。
あんなに馬鹿そうな大人が弱い訳ない。
俺みたいに変に生意気な奴より、ああいう変な奴の方が人生上手く行く。
だから。
その時、また後ろから爆発。
もう。直ぐ後ろだった。
気づけば、後方の鉄車に誰かが立つ音がした。
「やっと見つけた。おら、お仲間の首だ」
「ヒィ!」
聞き覚えのない声と共に何かが上から降ってきた。
嘘、だろ?
俺の左にはさっきのランプがかけられ、開いた右には上から相棒の首が降ってきた。
相棒は負けた。
1人の勇敢で、無謀な騎士は死んだのだ。
「たく、手こずらせやがって」
男は後ろから飛び込む様に俺の横に来ると、相棒の首を外に蹴りやり、そこに座る。
そして、後ろの鉄車を窓から覗く。
「これが今回の上玉達か。フン。アブタルのやろう。こんなのを売ろうだなんて馬鹿だぜ。まぁ、金も稼げて上玉も手に入れりゃ十分だろ。なぁ?」
俺は全身が震え、困惑していた。
金を求め、明日を生きるために腹ぺこな身体を動かしていたら、相棒が衛兵だった。
そんな相棒は俺たちのために戦って死ねると言った程のいい奴。
それないのに、今はは死んで首だけで帰ってきた。
その時、怒りより疑問が浮かんだ。
なんで?なんでだよ?
だって、あんないい奴が死んでいいわけねぇだろ?
その時、俺はなぜか無駄に混乱していた。
現状を理解しようと頭が働かなかった。
今の頭の中の時間はまるで時が止まったようにゆっくりと流れる。
その中で俺が見出した答えはーー
やっぱり、相棒は死んだんだ。
俺の隣には今、相棒の仇がいる。
俺は震え様に手綱を握りしめ、横目に奴を見た。
クソ、衛兵のくせに仲間を殺すだなんて残虐な奴め。
まるで、物語の悪役だ、
そう思っていたが、現実は違う。
そいつはどうやら衛兵の様な剣や槍は持たず、代わりに俺の見覚えのある服装と、無骨な剣を身に纏っていた。
「あ、あんた。さっきの地下にいた人攫いのリーダー?」
「正解!」
「じゃ、あそこにいる他の人攫いは?衛兵がみんなを捕まえに突撃したんじゃ……」
その時、奴は笑った。
その笑みは邪悪で、相棒のあの顔とは全くの別物だった。
「あ?仲間なんて最初からいねぇよ。あれはアブタルの野郎に媚び売る為、俺を使う様にするための嘘だ。あそこにいたのは、俺と、お前らと、それからアブタルの野郎だけだ。そこに、奴らは突っ込んできた。それも、20人だぞ?全く、気が狂いそうだぜ」
「20人……」
おいおい、相当大規模な作戦じゃないか!
あそこにそんな数の衛兵が………
あれ?
だったらなんでコイツは俺の目の前にいる?
疑問は絶えない。
「それで、衛兵のみんなは……」
「全部、俺がやった。ああ、ついでにアブタルもな。それと、森に来てまた15人程度とお前の仲間。計37人だ!全く、全員うざったらしい」
ふざけるなよ!最初の数なんて1対20人だぞ?相棒はその2倍をやれるんだぞ?
それなのに、それなのに……
「うわぁぁ!」
俺は、横のそいつを落とそうと突き飛ばす。
衝動的でとち狂った風に見えるかもしれないが、両手は手綱を握らずとも馬が行くからやることは簡単だった。
でも、そいつはびくともしなかった。
代わりにビクッとしたのは、俺の心臓の方。
一瞬、本当に死んだのかと思った。
なぜなら、奴の鋭い眼光が俺を睨んできたから。
その目は、完全に人殺しの目だった。
「あぁ?お前、今俺を殺そうとしたか?」
「う、うっせ!お、俺は、このままみんなを助けるって約束したんだ!」
そうだ、俺はこのまま直進し続ける必要があるんだ!
相棒との約束は絶対。
それまで、折れる事は絶対にない!
俺は震える身体を奮い起こし、強い目で見返した。
でも、帰ってきたのはすごい冷たい視線だった。
それはまるで、俺の命が握られている様に錯覚させられた。
「残念だったな。それじゃ、お前は約束を果たせない訳だ」
後ろからたくさんの馬の足音が聞こえ出す。
やった、助けが来たんだ!
ここを凌げば俺も助かる。
「ッチ。しつこい。まだ別のやつらが追ってきやがる」
奴はは俺を見てニヤリと笑った。
「なぁ、知ってるか?お前のお仲間が入れ替わる前にこの仕事をしていた奴。俺ははっきり覚えてるが、あいつが戻って来る時、いつも片方のやつがいねぇんだ」
「?」
何をいきなり言い出したんだ?
突然にやけるその顔は不安を最高潮にまで引き立てる。
「それはな、いつも何かに追われる時そいつを犠牲にしてるからだよ」
「ぁ………」
俺はそのまま同じことを仕返しされた。
大人の力には流石に抵抗できない。
外に突き飛ばされると、暗い闇に背中から落ちて転がる。
痛くて全てがわからなくなった。
上も下も、足先の感覚も、ご飯を食べる利き手の方さえ分からなくなる。
後は、勢いが収まるのを待つだけだった。
気づけば勢いは収まり、どこかで動きが止まる。
暫くは耳がピー音で満たされていたが、何やら音が聞こえてきた、
最初に聞こえたのは、周囲の地鳴り。
きっと、さっきまで聞こえていた後ろの衛兵が駆けつけたんだ。
俺は捕まるのかな………
そう思っていると、馬達は俺をスルーした。
砂埃が横たわる俺の前で凄い舞い上がっている。
誰か気づいてくれると思っていたが、どうやら小さな身体で闇に紛れたらしい。
馬達を見送って数秒後、森には今日5度目の爆発が響いた。
森は、大火災となる。
目の前の火の海をみて、俺は思う。
あぁ、クソったれ。
世界は、こんなにもひでぇ世の中じゃねぇか。
俺に都合が悪いこと全部が、こんな風に燃えちまわねぇーかな……
****
「ッチ。たく、今の奴らほぼダミーかよ」
奴らは土人形だった。
迫られた俺は、左右の闇から際限なく放たれる土の針に嫌気がさして闇の向こうに魔法を使った。
その結果、その土人形ごと爆発した。
どうやらその土には火薬が込められていたらしい。
成る程、俺ごと爆散させてでも倒そうって言う魂胆だったのか。
だが、結果は連鎖的な爆発を生み一帯を火の海にした。
俺が確認した内では追いかけてきた中で生身の人間はたった1人だけだったが、そいつはきっと火の中だろう。
そいつが執拗に俺を追い回してた張本人ならしてやったりだ。
その代償に、今は右目と左腕がやられた。
目はもうダメだろう。
腕は、まだ繋がっている。
くそ、リボンをつけたピンクのガキを拐わねば。
あいつがいれば、まだやり直せる。
鉄車に近づくと、人が辺りに転がっていた。
俺が他所から奪い、集めた奴隷達だ。
その数は軽く見積もって20人は下らない。
「この中から探せって?」
火で明るいとは言っても周囲は闇夜の森。
探すには、いちいち確認するしか方法はない。
俺は追手を気にしながら、しらみつぶしに探す。
すると、意外にも早く見つけた。
「お、いた」
そこには、リボンをしたピンクのガキがいた。
「よし、こいつさえ連れ去れば、後はこの傷もどうにでもなる」
ピンクの髪は後ろで結われていた。
俺はそれを片手で握り掴む。
「オラ、起きやがれ!自分で立て!」
「うぅ……」
「ッチ、気ぃ失ってやがる」
すると、背後から殺気立つ気配がした。
振り向くと、今にも飛び出す勢いで尖った木の枝を持つピンクのガキがいた。
そいつは、俺が手にしているガキより少し大きかった。
「そう言えば、顔が少しちげぇな。お前が姉か?」
「ティ、ティナに手を出さないで!」
ビビってやがる。
手に持つ枝は震える身体から先行し、腰は後ろに引いている。
完全に殺しの素人。
この身体でも、あいつに勝てるチャンスだ。
そう思い、前に歩み出る。
「近づかないで!」
ピンクのガキは俺に尖った枝を突きつける。
「っへ、気が立ってて話にならねぇな。うぅ……」
急に目眩がした。
俺は、歩みを止める。
周囲を見渡すと、そこには光る粉状の粒子が飛ぶ。
足元にはそれらが出されている噴出口があった。
「お前、俺にこれを踏ませようとわざと誘ったのか?」
「う、動かないで!」
「へっ、賢いな」
でも、俺は生きる。
生きなければならない。
俺は安全な右手で掴む対象を変えるべく、その手を離した。
桃髪の妹は、地面へ落ちる。
「ティナ!」
俺は苦しい身体を引きずりながら手を伸ばす。
「へへ、次はお前だ」
俺は痛みを抑えながら燃える森を歩く。
そういえば、周りの奴らはみんな焼け焦げてるのに、なんでこの2人だけ生きてんだ?
妹はまだ怪我してるが、目の前にいる姉の方は炭で黒ずんではいるものの焼け傷一つない。
それに気づいたとき、もう遅かった。
俺の目には閃光が入る。
「魔力暴走してやがる。へへ、これで俺も光のおこぼれを--」
「--死んで」
危険な香りは、その低い声とともにやって来た。
ドス、と言う鈍い音は耳に残る様な強さがあった。
森には俺の物とは思えない程の鮮やかな血が流れ出す。
****
俺は、地面に転がった痛みを引きずりながら赤い森を1人で歩く。
そこには誰も助けてくれる人が居なくて、鉄車から溢れ出た奴隷の人達も皆炎に飲まれ、死んでゆく。
相棒もこんな風に死んだのかな?
そう思った時、火の中心でただ燃える闇夜に蹲る少女がいた。
その少女は同じ桃髪の子を涙目に抱きながらこっちを見てきた。
その目は青色に透き通っていた。
「やっぱり綺麗だ」
俺は、決めた。
あの2人だけは守ろうと。
決して、もう逃げないと。
俺は、2人の元に近づく。
「大丈夫か?」
「近寄らないで!」
ビビられた。
ちょっとショック。
でもそうか。
俺は奴隷商人側で中をのぞいた。
あんな目で覗かれる気分は、さぞかし気持ち悪いだろうな。
優しめで聞くか?
「どこも怪我してないか?血とか出てないか?」
「近寄らないで!」
ダメだ。
俺の話を聴こうとしてない。
「分かった。近寄らないで。でも、お前のねぇちゃん。足首に怪我してるぞ?」
「え?」
俺が指差す方向を見ると、リボンをしている方の白い肌は切れた後があった。
その横に鋭い枝が地面から生えていた。
きっとそれに当たったのだろう。
そして右頬には、火傷の痣があった。
「どうしよう……」
「お前。無能だもんな。ねぇちゃんの方が凄いんだろ?確か、光の力がどうこうって」
「あ」
その少女は足の傷口に手を当てた。
すると、そこから光り、傷は塞がる。
顔の頬の火傷にも同じことをするが、すでに跡が出来上がり、傷は完全に塞がらない。
「治らない……」
「どれ、見してみ」
「!」
俺はさりげなく近寄り、その傷を見た。
完全に治った足との違いは、怪我の種類だろうか?
俺は少し痛々しい少女の頬の傷を見ると、少し遠くへ行って、ある植物を取ってきた。
「ほら、これを絞って出てくる水を濡れよ。これは、冒険者お馴染みの傷口塗りの薬草。焼け傷に効くかは知らねぇが、少しはマシになるんじゃ?」
「……ありがと。 でも…… それはダメ。効果は無いし、傷口に入ってしみるだけ」
随分物知りだな。
これは全部に怪我に効く万能な薬草って訳じゃねぇのか。
「それじゃ、何がいいんだ?」
「……あれ」
そいつは俺に、高い木に実った果実を指さした。
「あれ……」
たっか。
絶対落ちたら死ぬ。
まず、俺は木登り好きじゃ無いし。
でも、この2人は相棒との約束がある。
少しでも多くの人数がより長く生きてもらわないと困る。
「分かった」
って事で、いきなり実践。
前から思ってたやってみたい事、魔法の風飛ばしを実演する。
「っは!」
手のひらに魔力を込めて風を集めると、それを押し出すイメージで放った。
しかし、風はスカっと音を絞る様に出すだけ。
やはり、まだ出来ない。
「?」
「……取ってくる」
結果的に、俺はその木の実を取るために木に登った。
狙った果実を手に入れる事は成功したがやはり落下した。
頭は打たなかったが、また背を打った。
今日は背中が大悲劇だ。
「うぅ……」
老人みたいな歩き方で近寄る。
「………だ、大丈夫?」
「き、気にすんな」
俺は強がりを言って、取ってきた物を渡す。
本当は物凄く痛かった。
「あ、ありがと」
そいつは俺に手が触れる時、少しびくついて怯えてた。
でも、俺が取ってきたものはしっかり受け取った。
何に使うのか眺めていると、急にそれを口でかじった。
凄い硬そうだったけど、やがて皮を噛みちぎった。
は?俺はあいつが食うための木の実を取ってきたのか?と思ったが、それは違った。
かじった後、口からその汁を傷口に垂らしていた。
すると、それを広げる様に塗っている。
「うぅ……」
「ティナ、大丈夫。私がついてるわ」
そう言うと、リボンをした姉の方は安心した顔で再び落ち着く。
「お前、物知りなんだな」
「少し本を読んでただけ……」
「ふーん。妹なのに偉い奴だ」
「……私が姉。この子が妹」
「あれ?話と違うぞ?だって、そのリボン」
俺は眠るもう片方を指差した。
確か、リボンをしている方が姉の方だった筈だが……
「あぁ…… これは私があげた。この子を安心させる為に」
「成る程」
俺は晴れた夜の空を見上げる。
そこは綺麗に澄み渡り、月光に映る無数の雲が浮いていた。
「空っていいよな。ああやって雲がただ泳ぐだけで生きていけるから」
「だったら、私達も簡単。生きるか死ぬか、ただそれだけ…… この世界は、騙された人や、優しい人から順に死んじゃうの」
「そうなのか?」
「うん」
「そうなのか……」
コイツらはきっと、外からやってきたよその土地の奴ら。
ずっと奴隷として運ばれ続けたなら、俺の想像も及ばないような経験をしてきたんだろうな。
遠くから馬の足音が地響きで伝わってくる。
どうやら、助けが来たらしい。
俺も覚悟を決めなきゃならんのかな?
あれ?
そう言えばさっきここに向かってやってきたあの足音はなんだったんだ?
まぁいいや。
そんなの全てどうでもいい気がしてきた。
取り敢えず、現状を口に出してみる。
「助けが来たかもな」
「もう、誰も信じない…… 信じたくない……」
ピンクの奴は妹の手を握りしめて震えていた。
目を瞑って世界を見ようとしていない。
「確かに俺が信じても、相棒は戻ってこなかった。だから同じく、と言いたいが俺は少し違う」
「?」
「俺は、信じたいと思った奴だけを信じて生きる。行き当たりばったりが、一番楽で、楽しい生き方なんだ。そして、信じた相手に裏切られても、俺は一方的に信じ続ける。それが、相手に払える俺の賃金だからな」
相棒に渡された5枚の銀貨を眺める。
そこには、俺の最大級の給料が眠っていた。
「変なの」
「ああ知ってる。俺は、変なのの相棒だからな」
森は炎炎と燃え続けている。
今はせめて、この火の中に眠る相棒と、他の人達を弔ってやろう。