1話ー鬼神
すいません。連載をストップします
少年はある日突然、住む場所を失う。
住んでいたのは特に特徴もない木造の宿屋。
そこは払う代金に応じて宿泊日数をいくらでも延長できるのだが、その料金を払えぬ故の末路か、雨降る町の通りに突き飛ばされたのだ。
それを成した宿屋の店主は扉前に顔を出す。
「たく、ガキだから少しは多めに見てやったが、もう1週間だぞ?払える金がねぇなら出てけ!!!」
少年は罵声を浴びせられた。
宿屋の主人は怒る目が迸り、この場にまで届きそうな剣幕の熱。
俺はまだ子どもなのに、何故こんな目に合っているのだろうか?
もっと多目に見てくれてもいい気がするが、それじゃ向こうが赤字まっしぐらか。
と、未だ余裕を見せる考えで絶望の淵に立った。
扉は勢いよく閉められると、早朝の町の通りには少年1人が残った。
共に残るのは沈黙。
この静けさは早朝故なのか、雨のせいなのか。
だが、間違いなく言えることは、今日のスタートは最悪であると言うこと。
それは扉が閉まる音と共にやってきた静寂が知らせる。
視線を下に落とすと歪な形の、しかし均一な高さに調節された石は綺麗に敷き詰められ、この町の足元を支える。
その上に突き飛ばされた身体を起こすべく膝と腕を立てると、跪くような姿勢になる。
無様だ。
なんとも無様だ。
首は下に垂れるように下がり、上から降って頭に染み込む。
頭髪から滴る雫達はやがて目に入り込み、そして、やがて石床に落ちる。
まるで、泣いているみたいだった。
だが、実際は泣いていない。
悔しさが微塵も無いのだ。
あるのはただ、己の怠惰が呼んだ悲痛の現実と、これからどうするかと言う素朴な疑問。
「動かねぇと……」
動かなければ死ぬと言う本能的な予感はあった。
今までサボっていた仕事も早々に復帰しなければお金がなくなるわけで、あとは死が待つのみと言う嫌な現実。
仕事をサボった理由は良くあるような『なんとなく』と言う理由では無い。
ただ、己の理想と現代の冒険者という仕事があまりにもかけ離れていた事に気づき、全霊を持って仕事放棄を行ったのだ。
そう。
言ってしまえば、自業自得。
やる気をなくしてのは自分。
働こうとしなかったのも自分。
問題を先に見送り、危惧すべき将来はその時に考えるという方針を決めたのも自分だった。
過去の己曰く、『実際、どうにかなるだろ』と。
だが、実際に直面すれば動かざるを得なくなった。
これが明日を生きるのに苦しむという事か。
成程、今更に感じるがこれは余裕がない。
惨めな体制が起き上がると、育ち盛りの身体もあいまって、朝食を求める空腹は枯れる声を鳴らす。
「腹ぁ、減ったな」
ふとそう思う。
今思えば、理想を求めた冒険者の仕事ですら、最初は明日を生きるために始めた気がする。
いつの間に理想を追い求めるようになったのか、思い出せないきっかけをつい考えてしまうのか。
でも、今はそんなのどうでもいいか。
今考えるのはどこでお金を儲けるか。
前を見れば、早朝の町を武装して歩くとある一行を視界に捉えた。
ある者は使い古したであろう剣を、ある者は振りなれた魔石付きの杖を。
また、ある物は巨大な盾を持つ。
彼らに共通するのは行動目的。
仲間を互いに欲した物同士がクエストをこなし、稼ぐため築き上げられたパーティはその先にあるナグラムの森に向かっていた。
冒険者はクエストをこなすと報酬が出る。
その依頼が魔物の討伐ともなれば、ギルド内では日常茶飯時。
時として、依頼を受けずともただ魔物を狩り、それを提出するだけで報酬がもらえる。
これは一般人にも該当する程で、魔物はそれほど多いのだ。
だが、そのシステムの広がりは未だ浅い。
そもそも、命の危機に直面しにくい一般人が魔力をうまく扱う領域は、自身の生活圏にのみ限定されるだろう。
誰だって普段から戦わなければ剣を振るえないし、戦闘で魔法を咄嗟に活用出来ない。
出来たのは精々水を作り出したり、風を生んだり、火を起こす程度。
故に、魔物の討伐は未だ多くが冒険者に頼られる。
少年、ギルフェルトが行うは2週間ぶりの魔物狩り。
討伐対象に選んだのは、勿論小鬼だ。
****
ここで、今一度表的の前情報を確認しておこう。
敵は全身緑一色が特徴的で、魔物の中では文明を築くとまで危惧されている知能種の上位に君臨した、鬼の最弱種だ。
だが、知能種と言えど、戦い方は木製の棍棒のみと以外にもお粗末。
そもそも、奴らは異様に樹木を崇拝している。
それは生活圏が森中心に展開されているからと言う一説もあるが、それ故木製の武器を好むと言うのだろうか?
未だ謎大きいその正体は流石魔物と言うべきか、神秘のベールに包まれている。
前述の通り小鬼は不思議な魔物には変わりないが、結局にところは鬼の最弱種に帰結する。
子どもでも倒せるくらい丁度いい敵を聞かれたら、誰だって小鬼を最初にあげる。
強いのは知恵がたくさん集まる小鬼の集団のみ。
だから、まだ力に自信のないギルフェルトは小鬼が1人でいる時を狙う。
息を潜めながら茂みを探れば、目前に何か生物の呼吸を感じる。
静かにその奥を覗くと、森に生えた巨大な葉の下で1匹の小鬼は雨宿りしているようだ。
好都合。
腰の後ろに位置する短刀を抜くと、腕沿いに持って構えた。
今から始まるのは、明日を獲得するための生命の本質。
命のやり取りを行う戦闘だ。
「待ってろよ、明日の糧。俺はまだ死にたくねぇ」
小鬼は向こう側を向いた。
完全に後ろを取った形になる。
行くなら今だ。
そう思うと同時に駆け出していた。
しかし、潜んだ茂みが悪かったのか、動き出すと同時に大きな音が鳴ってしまう。
小鬼は寸前に気づくと踵を返して森の奥に逃げ帰った。
よって、振りかざした一撃は虚空を切る。
虚しい斬撃だ。
己の無力さを痛感し、奥歯を噛み締めながらその苦味を味わう。
「クソったれ。待ちやがれ!明日の糧!」
気せずして、小鬼との逆鬼ごっこの開幕だ。
****
それにしても、一向に差が縮まらない。
『流石に小鬼が相手だ。気のせいだろうか?』と最初は思っていたものの、それはどうやら現実だった。
その理由はだんだんと分かった。
どうやら小鬼は予め逃走ルートを考えていたらしい。
流石、人語の次に生み出された言葉を扱う生命と言われるだけある。
周囲に霧が立ち込めているのも重なって、見失ういそうなくらい離れてしまった距離間を追い詰めるのが余計厄介だった。
ここで、短刀を一本投げるか?
答えは否だ。
狙いが逸れて回収に専念し、ふとした時に見失えばそれでお終い。
それ程、この霧は濃い。
気づけばそこらじゅうが湿地帯と化していた。
「はぁ、はぁ」
遂に泉まで来てしまった。
距離にして、町から30分程走ったところ。
そこまでの複雑な地形を右往左往して走り去った後の疲労は決して楽観視できない。
今大きな魔物に襲われれば、それこそ自分が死亡。
そろそろ、1匹を捕まえたいところだが、ここに来てきて見失ってしまった。
「はぁ、はぁ…… クソ!あの野郎、逃げ切りやがった!せっかく見つけた明日の糧だってのに」
何故ここまで執着するのか?
力だけで言えば、他にも弱い魔物はたくさんいる。
ただ、それらは探すところから大変な上、すばしっこくて捉えにくい。
弱い魔物が共通して持つ特徴は小型である事が多いのだ。
勿論小鬼も小型ではあるが、その中では大きな方。
小鬼は行動範囲が大きく索敵も意外と簡単な上、死体の骨は物作りの骨組みに利用、革は小道具やカバン、牙は矢尻とその用途の幅が広いの。
ここが報酬の優劣に差を生む。
要は弱い上にリソースが多く、疲労を抑えて稼ぐことができる。
まだ弱い冒険者なんかにはカモにも等しい。
まぁ、それでも危険性がないわけじゃ無い。
前述した通り、集団で攻められれば撲殺されるし、稀に現れるという鬼の神祖、樹鬼に見つかり、死体すら残らないという都市伝説並みの怪しさも持ち合わせた。
人類は都市伝説を生み出す程には小鬼に御浸水だ。
逃げられたことに腹を立てると、さっきの小鬼は諦め、泉の周りを駆け回りながら新たな標的を探る。
それにしても中々見つけ出せない。
今日は魔物が少ない気がする。
雨の日は魔物の活動が停滞するという話は聞いたことがないが、この現象は何なのだろうか?
ふと、異変を感じた。
座標にして泉の向こう側、視覚にして濃い霧の奥から黒い影が迫ってきた。
その動きに合わせてズシン、ズシンと鳴る足音は大地を揺らすまでに驚異的だ。
ーー何かが来る
そう思わずにはいられなかった。
音は次第に迫る。
その進路は一本線を為す。
どうやら、真っ直ぐこちらに来ているらしい。
俺が戦える相手ではない。
本能的にそう悟ると即座に下がり、茂みに隠れた。
その影が姿を現す間、降り止まぬ雨の音を聞いていた。
足元の泥に水が落ちる音を聞いていた。
やがて、目前に迫る影を見て知る。
この影はどうやら人型で、とてつもない巨体。
その高さは木一本分以上にも相当するのでは無かろうか?
偶然晴れた霧の狭間に目を凝らすと、泉の中に立つその姿を見た。
それは人型をしながら全身を樹木で形成していた。
絡む木々は捩れるように集合し、全長8メートルはあろう巨体を天にそびえ立てた。
恐怖の極め付けは顔面。
目は白目を向いて周囲を見透かす様子。
口からは鬼の特徴、はみ出す両刀の牙を口の両端に伸ばしていた。
やっと生き物らしい特徴を見た気がする。
それ程までに存在が異質。
まだ経験の浅い己の脳ですら判別できるほど、本能が危険だと訴えかけてくる。
悪魔的なそれは神秘を象徴する静寂の泉から、遂に陸上へ足を踏み出した。
そう、その名はーー
「樹鬼……」
小鬼が崇拝し、日々祈りを捧げる御神体はその日、ギルフェルトの前に姿を現したのだ。
これが鬼の神祖と言われる実態だった。
まさか今ここで対面するなど、最悪の状況だ。
都市伝説は存在した。
少年は今、稼がなければならない。
しかし、森にこんなのが居てはひとたまりも無い。
果たしてどうするのが最善か。
「少し待つか」
出した答えは見過ごしだ。
樹鬼が通り過ぎれば周辺も安全には近い状態となるだろう。
勿論安全とは言え、周囲には魔物がいることを警戒しなければいけない。
今の実力では少しの危険でも、見過ごせば死に直結する。
握りしめるは使い慣れた短刀。
鋭い刃を外に向け、腕に添えた。
足音は大地を揺らす。
恐怖で足が震え出した。
こんな時にどうしてしまったんだ、俺の身体。
ここで耐えれば、また簡単な相手に戻れる。
そうだろ?
足の震えは少し収まった気がする。
ここで、一つ深呼吸。
霧は薄らと泉の全様を現す。
泉は中央に孤島を生み、そこにはかつて巨大な神樹、ナグラムがあった。
しかし、今は更地だ。
全身が震えた。
神樹があったそこは大地を歪ませ、ポッカリと穴が空いているようだった。
「まさか、コイツが……」
木が動くなどあり得ない。
大体、樹鬼すら都市伝説程度の噂話だったのに、本当にどうして。
その時、小鬼が笑う音がした。
どうやら樹鬼が渡った地面の先には小鬼が立っていた。
そして、こちらを指差している。
しまった。
泉の孤島に注意を寄せ過ぎて身体が茂みから前に現れている。
今は全身を隠す障害物が無い。
巨体な影は人外語を小鬼から聞き取ると俺を目指して歩いてきた。
樹鬼の足元に立つ小鬼は、どうやらさっき追っていた奴。
俺を見てゲラゲラと嘲笑っている。
再び奥歯を噛み締める。
イラつく。
どうしてあんな雑魚的に手間取らなければならないのか?
今日に限っては神話レベルの脅威が迫っている。
こんな最低な日にする仕打ちかよ……
今までは上手く行っていたのに、今日は俺の何がそんなに気に食わない?
それとも今までか?
もういい、考えても無駄なんだ。
今はひたすら走るのみ。
雨が染み込み増量された服は今までの2倍は重く感じた。
身体も全身が気怠い。
疲労がここに来て響く。
ダメだ。
もっと早く走らないと。
後ろからはアイツが、樹鬼が来てるんだ。
追いつかれれば、死ぬことは確定していた。
後ろを振り返る間もなく、霧の濃い帰路を辿る。
背後からは空気を震撼させる轟きの呼吸が周囲一体に伝播していた。