6.ロクでもない奴
図書館を出て、ファミレスへと場所を変えた花咲姫子と宮原春。
宮原春は、彼女のために手紙の内容を考えようと、頭をひねっていた。
全然、いい言葉が思いつかない。
そのせいか、向かいにいる車いすに乗った制服の少女は、とても機嫌が悪い。
さっきの図書館では、彼女を怒らせ、大声を出させてしまい、居たたまれなくなった僕たちは、駅に隣接するファミレスへと場所を変えた。
移動の途中、地面の凹凸や点字ブロックなんかに車いすのキャスターが引っ掛かって、花咲は苦戦していたようだが、手伝おうとすれば、また彼女を怒らせてしまうのではないかと思い、僕はそっと見守った。だが、それでも抜けられず、結局親切なおじさんが助けてくれた。
そのおかげか、ファミレスに着いた時には既に十一時を回っていた。
客足はそれなりに増えてきており、周囲は賑やかになっている。これならば、多少の話し声は気を遣わなくても良いのだが、あれから花咲は小さな口を固く結んだまま、口を利こうとしない。
この良くない状況をなんとかしなくてはと、気持ちは焦るが、この僕に、今の状況を打破できるほどの良い案が思いつくはずもなく、重たいため息を吐いた。
頭の良い水樹ならなんとかできるんだろうな、と不意にそんな事を考えてしまう。
だが、「手伝ってやるよ」と威勢の良い事を言った手前、とにかく手紙を書き進めない事にはどうにもならない。僕は意を決して、不機嫌な顔で外を眺めている花咲に、恐る恐る声をかけてみた。
「あのー、花咲さん?」
「何?」
ギロリとこちらを見る花咲の視線に、僕は怖気づきそうだったが、なんとか次の言葉を続けた。
「何を怒っていらっしゃるのでしょうか?」
「別に怒ってないし」
いや、明らかに怒っているだろう。
と、言いたいところだったが、僕も彼女の扱いには少々慣れてきた。ここで反論しては、怒りを助長させてしまうだけだ。今は、いったん引く方が賢明である。
「そうですか」
だが、引いているだけでは、話は進まない。
僕はコホン、と咳払いをして、話を改めた。
「ところでさ。花咲は、水樹のどこが好きなんだ?ラブレ・・・・・じゃなくて、手紙の参考にしたいなぁって思って」
すると、花咲は「はあー」と、重たいため息をつき、綺麗ではあるが、不機嫌そうな目で僕を見た。
「あのさー。前も言ったけど、私、水樹君の事、別に好きとかじゃないから」
言ってねぇし、という言葉を僕は飲み込み、苦笑いで答えた。
「あ、ああ。そうだったな」
だが、そうなれば、とある疑問が浮かぶ。
この手紙は、誰に宛て書くんだ?
僕はその疑問の答えを探るため、ドリンクバーで僕に入れてこさせたオレンジジュースを飲んでいる花咲の目を見てみた。
大きめの漆黒の瞳は、黒真珠のように落ち着いた輝きを放っているが、まだ幼さも残っていて愛らしい。
黙っていれば、可愛いのだけど。
不意にもそんな事を思ってしまう。
僕はなんて事を思ってしまったのだと、慌ててかぶりを振って、その淡い思いを振り払うと、花咲の瞳の奥にある彼女の想いを読み取ろうと、再び視線を戻した。
しかし、僕の視線に気付いた花咲は、強い目つきで睨み返してきた。慌てて視線を逸らす僕に、彼女が言葉を投げかけた。
「何よ」
「あ、いや。手紙の宛先って、水樹じゃないのか?もし違うんだったら、どんな人なのかなぁっと思ってさ」
僕は、なるべく花咲を刺激しないように慎重に言葉を選んだ。そのおかげで、彼女は声を荒げる事はなかったが、なぜか、僕に悪意を向けるように答えた。
「そうね。無神経で、鈍感で、バカな人」
不思議と、その言葉が僕の胸に刺さった。
だけど、僕はその言葉も、悪意も、自分に向けられているはずはないと思いを改めた。
「ロクな奴じゃねぇな」
「まったくよ」
呆れ顔の花咲を見ると、疑問が晴れるどころか、更に膨れ上がった。
そんなロクでなしに、花咲はどんな想いを伝えたいのだろうか。
僕は、再び花咲の想いを探ろうと、視線を向けたのだが、すでに彼女が睨みを利かせており、目が合ってしまった。僕は苦笑いをしてから、視線を白紙の手紙に落として誤魔化すと、ペンを手に取った。
「さてさて、手紙にはなんて書こうか。ロクでもねぇな、この野郎、とか?」
僕の渾身のジョークに、花咲はクスリとも笑わず、冷ややかな視線を送っていただけだった。
「なんて、な・・・」
どうやら状況はさっきよりも悪くなってしまったようだ。
僕は柔らかな椅子に沈み込むようにもたれ掛かり、思考を巡らせた。
僕としては、先日のお詫びとして、花咲の手紙を手伝おうと思っていたのだが、どうやら逆効果だったらしい。僕のやる事成す事が、裏目に出てしまい、結局花咲を怒らせてしまう。これでは全くお詫びになっていない。
せめて、ここのファミレス分だけでも奢ってやるか。
しかし、彼女はそれで許してくれるだろうか。
僕は一抹の不安を抱きつつ、正面の花咲を見た。
花咲は、ちょうどオレンジジュースを飲み干したところで、ストローを弄んでいる。その表情は相変わらず強張っていて、話しかけ辛い雰囲気だ。
どうしよう。
やはり、今日はこのまま解散するべきだろうか。一緒に居ても彼女を怒らせてしまうだけだし。
僕は今日のところは解散にして、後日———いや、恐らくもう一緒に手紙を書く事はないだろう。また彼女を不機嫌にさせてしまうだけなので、この件はなかった事にしよう。その方がお互いのためだ。
そう結論付け、僕は帰宅の準備をするために、ペンを筆箱にしまうと、花咲に家の人に迎えを頼むよう、声をかけようとした。
「あのさ、花咲」「ねえ、宮原」
二人同時だった。
目が合い、なぜか恥ずかしそうにする花咲を見て、僕もなんだか照れ臭くなって、慌てて視線を反らせた。
数秒間の沈黙が続き、花咲が僕の言葉を待っているのではないかと思い、再び顔を上げると、花咲も同じタイミングで顔を上げた。
「今日さ———」「あんたなら———」
またしても二人同時だった。
僕と再び目が合った花咲は、頬を薄紅色に染め、目を伏せた。僕も自分の顔が熱くなるのを感じた。だけど、彼女から目を離すことが出来なかった。
潤んだ瞳のその奥に、彼女の想いが感じられたからだ。
———そんなつもりじゃなかったの。
艶やかな明るい色の髪を撫で、頬をほんのりと赤らめた花咲からそんな想いが伝わってきた。
そうか。彼女も今の気まずい状況を望んでいたわけではないんだ。
花咲は、僕の言葉を受け、つい怒ってしまった自分を悔いているのだ。そして、こんな状況になったのは、自分のせいだと思っているに違いない。
だったら、それは君のせいじゃない。僕が無神経な質問をしたからだ。
いつもは刺々しい態度の花咲にだって、聞かれたくない事や知られたくない事はある。そんな思いを無視して、僕はずけずけと立ち入ろうとした。そりゃあ、怒られて当然だ。
花咲から目を離さなかった僕は、今度はタイミングをみて口を開いた。
「なあ、花咲」
「何よ」
相変わらずの不愛想な態度。でも、腹は立たない。
なぜなら、彼女が不愛想な態度をとるのは、僕のせいだからだ。そして、彼女自身もそんな自分を悔いているから。
「まだ時間大丈夫か。もし良かったら、このままメシでも食べて行かないか」
帰るつもりだったが、彼女の心情が感じられると、もっと一緒に居たいと思った。
それは、彼女に対して詫びるとか、償うとか、そういう気持ちからではない。僕がそうしたいと思ったからだ。
「えっ?」
花咲は驚いた様子で僕を見た。そして、その僕を見る目は、大きな窓から差し込む春の柔らかな光のせいか、輝いて見えた。
花咲は、僕から視線を外すと、しばらく考えて、スカートの裾を整えながら答えた。
「あんたが、食べていきたいって言うんなら、別にいいけど。どうせ暇だし」
素直じゃないな。
僕は心の中でそう呟きつつも、いつもの花咲らしさを感じて安心した。
すると、花咲は、最後に小さな声で言葉を付け加えた。
「・・・・ありがと」
「えっ?」
今度は僕が驚いた顔をして、花咲を見た。まさか、彼女からお礼の言葉を言われるなんて思いもしなかった。
だけど、嫌じゃない。むしろ、嬉しい。
感謝を伝えてくれた花咲の顔は、やはり柔らかな春の光のせいだろうか。いつもとは違って優しく見える。
いや、光が当たっているからではない。
彼女自身、本当は優しさのある人だったんだ。僕は、それを以前から知っていたはずだったのに、いつの間にか忘れていた。
僕の方こそ、ありがとう。
僕はそう思いながら、穏やかな視線で花咲を見つめていると、照れ臭かったのか、彼女は不用意にスカートの裾を触りながら、いつもの不機嫌な口調で言い放った。
「手紙!」
だけど、刺はなく、なんとなく柔らかい感じがした。
「手紙?」
僕が聞き返すと、花咲は勝手に僕の筆箱を手に取り、仕舞われていたペンを出して、僕に渡した。
「ありがとうって、書いておいてって事よ」
ありがとう、の部分は少し小さめの声だったが、僕にはしっかりと聞き取れた。
「ああ、なるほど」
僕はペンを受け取ると、花咲の言う通り「ありがとう」と、手紙に書いた。
そのとき僕は、きっと花咲が想っているロクでもない奴にも、感謝されるようないい所があるんだろうなと、思った。
☆くるみのつぶやき☆
ロクでもない奴・・・・それ、あなたのことですから。宮原君。
と、突っ込みたくなりました。