2.ただの手紙
花咲姫子は、宮原春の事が気になる、と友人の有希に相談した。
そして、手紙を書く事になったのだが、直接、宮原春に手紙を書くのを恥ずかしく思った花咲姫子は、彼の友人の水樹勉に手紙を出した。
しかし、なぜか、その手紙は宮原春が持っていた。
小学一年生。
それが、高校三年生になった私の目線の高さだ。
でも、小学生のように自由に走り回る力は私の脚にはない。小学生のように無邪気に笑ったり、素直に気持ちを表せたりできるほど子供でもない。それに、小学生のように周りから温かな視線を送られることもない。私に向けられる視線は、同情と哀れみ。
だけど、彼だけは違った。車いすに乗る私を他の女の子と同様に見てくれる。正直、ちょっと不器用な人だけど、私はそんな彼にいつの間にか心を惹かれていたんだと思う。
しかし、こんな私にも恋は許されるのだろうか。
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初めに相談した相手は、中学生の頃からの友人である有希だった。
有希は、私と違って、可憐で、頭が良くって、背も高い。まさに完璧なお嬢様だった。ただし、唯一の弱点を除いてだけど。
「手紙を書いたらどうかなぁ」
電話越しに有希の真冬のような透き通る声が聞こえてきた。
手紙——。
子供の頃、女の子同士で、やり取りをしたことはあるが、男子に手紙を書いたことなど、ただの一度もない。そのため、私はなんて書けばいいのか、分からず、その内容も有希に相談した。
「こういう時は、シンプルに伝えるのがいいのよ。放課後待っています、これで決まりね」
なるほど。シンプルに。
私は、有希の言葉を鵜呑みして、早速、手紙を書いた。
便箋もなるべくシンプルなものを選んだ。文字はゆっくり、丁寧に、かつ気持ちを込めて書き上げた。周りからは、私の性格には似合わない可愛い文字だと、からかわれるが、今は、そんなことも気にならなかった。
そして、明くる日に、私は母に「今日は大事な用事があるの」と、言って、朝早くに学校まで送ってもらった。
まだ誰も登校していない学校の玄関は、とても静かで清々しかった。
そして、私は手紙を忍ばせる目的の下駄箱を探した。
三年一組。
たぶん、この辺りのはずなんだけど・・・・・・。
下駄箱には、それぞれ名札がつけられているのだが、私の目線の高さでは、高いところが良く見えない。
飛び跳ねたり、背伸びをしたりできない私は、下駄箱の近くから覗いてみたり、離れたところから眺めてみたりと、周囲から見れば不審な動きを繰り返し、なんとか名札の一部が見えた所に、例の手紙を入れた。
幸いな事に、目的の下駄箱は一番上ではなかったので、なんとか手が届いた。
手紙を入れ終えた私は、高鳴る胸を抑えつつ、誰にも見られていないか、周囲をキョロキョロと見渡した。すると、校門の方から、一人の男子生徒が登校してくる姿が見えた。
誰?なんでこんなに早いの?
私は、異常なまでに早く登校してくる男子生徒を確認することなく、逃げるように、その場を立ち去った。
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その日は、全くと言っていいほど授業に集中できなかった。
会ったらまず、なんて言葉をかけようかな、とか、そもそもちゃんと来てくれるかな、とか色々な言葉が私の頭の中を駆け巡り、気付けば放課後になっていた。
しかし、その放課後に私の想像を上回る事件が起こった。
約束の三年一組の教室へ行くと、手紙を出した相手とは別の人物が待っていた。
黒髪の男子生徒。
私は、彼を知っている。
彼の名前は、「宮原春」。春と書いて、しゅんと読むらしい。
宮原は、校内ではちょっとした有名人だった。
それは、「春」という穏やかな名前に反して、目つきが鋭く、その顔貌は穏やかではないからだ。他クラスだけではなく、下級生の間でも「宮原さんはやばい人」という噂が流れており、好んで近づく者は、たった一人を除いて誰もいなかった。
その一人とは、私が手紙を出した相手でもある水樹君だ。
そう。この教室で、待っているのは、水樹君のはずだった。
私は、あまりの動揺に、つい不愛想な口調で、宮原の背中に声をかけた。
「なんで、あんたがいるの?」
宮原は窓を閉めようとしていた手を止め、私の方へと向き直った。しかし、きょとんと間抜けな顔をしている。おそらく、私の背丈が低いので、瞬時に認識できなかったのだろう。
そのとき、開けたままの窓から、ふわりと風が入り込み、私の髪を揺らめかせた。それで、ようやく私の存在に気付いた宮原は声を発するでもなく、しばらく私の顔をじっと見つめた。
そんなに見ないでよ。
私は照れ臭くなって、宮原の言葉を待たず、次の言葉を投げかけた。
「何、無視してんのよ。——まあ、いいけどさ。それより、水野君、知らない?」
別に不愛想に言おうと思った訳ではないのだが、緊張しているのか、つい口調がきつくなってしまった。
すると、宮原もあからさまに不機嫌そうに答えた。
「水樹?あいつならもう帰ったんじゃねぇの」
私は、「ふぅん」と興味なさそうに答えてやった。だけど、内心は、水樹君がいないと聞いて焦った。
今思えば、そのときに大人しく帰れば良かった。私は、何を思ったか、そのまま車いすを進めて、教室へと入っていった。そして、一応、水樹君を探すふりをして、教室内を見渡した。当然、水樹君がいるはずはなく、つい言葉が漏れてしまった。
「なんで、いないんだろう。手紙、入れたのに・・・・・・」
あっ、やばい。
不意に漏れた言葉に私は動揺した。そして、宮原に届いていない事を願った——が、私の願いは届かず、宮原が口を開いた。
「なあ、花咲。お前、なんで、水樹を探しているんだ?」
なんて言えば上手く誤魔化せるだろうか。
そんなことを冷静に考えさせてくれるほど、私の心は落ち着いていなかった。
動揺した私は、反射的に宮原の方へ向き直り、先程の言葉をかき消したい思いで、強く言い返した。
「うっさい!あんたには、関係ないでしょ!」
そんな風に言えば、逆に怪しまれ、自分は何か隠し事をしています、と言っているようなものだった。そして、宮原は、何を勘違いしたのか、とんでもないことを言い出した。
「なあ、花咲。お前さ、水樹の事、好きなんだろ?」
私はその言葉を聞いて、頭のなかが真っ白になった。
えっ、何?なんで、宮原がそんなことを言うの?
水樹君とは、ほとんどまともに話したこともないのに、なんでそうなるわけ?
そもそも、水樹君と私なんかじゃ、釣り合うわけないよ。
それに、私、あんたの事——。
そのあとの事は、あまり良く覚えていない。
どうやら私は、よりによって、宮原の下駄箱に誤って手紙を入れてしまったらしく、そのせいで、宮原は勘違いして、私が水樹君の事を好きだと思い込んでしまったようだった。
完全に思考が停止した私は、きっとまた怒ってしまったんだろうな。
私が、小学生のように気持ちに素直になれたらいいのに。もっと可愛くなれたらいいのに。
ううん。私の背丈が、小学生じゃなくて、ちゃんとした高校生だったら、手紙を入れ間違えることはなかったのに。
ホント、最悪だ。
教室を後にした私は、まず校舎から管理棟へと移動した。
車いすに乗っている私は、階段を下りられないので、校舎に併設されている管理棟のエレベーターを利用している。だけど、そのエレベーターは、物を運ぶためのエレベーターであって、人の移動を目的としていなかった。そのせいで、エレベーターのなかは、狭くて、昼間でも薄暗かった。
私はその薄暗い箱の中で、不健康に色白で痩せ細った自分の両脚を見て、少しだけ泣いた。
☆くるみのつぶやき☆
手紙のくだりを、今度は花咲の視点から書きました。
女子高生の気持ちって、きっと複雑なんでしょうね。
大人と、子供の間ですもん。。。