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虹色の未来

作者: 奈々菜

「ギリシア神話!?」

 ゆっちとみんなから呼ばれているクラスメイトの七島結奈ななしまゆいなちゃんがわたしの読んでいる本を覗き込んで大きく口を開けて大袈裟に言った。きっとこういう本を読むのは大人っぽいって思ったんだろうな。

「面白いよ。昔の人って神様の物語をつくっていろんな出来事を説明していたんだから」

 わたしは歴史が好きだ。生まれるずーっと昔のことがわかるってなんだかとってもドキドキする。


 それに、ゲーテという偉大な詩人も言っている。


 三千年を解くすべをもたない者は

 闇のなか、未熟なままに

 その日その日を生きる


 その通りだと思う。せっかく古代の人が想像もできなかったような時代に生まれたんだからいろんなことを知りたいよね。まだ見ぬ物語やこの世界の知らない謎を知りたい。だからわたしは読書や勉強が好きだ。わからないことがわかるようになるってすごく楽しい。きっとスポーツの得意な子が新しい技を覚えることが楽しいように、わたしも新しいことを知ることが楽しいんだ。あんまり周囲から理解されないし地味な女の子って思われちゃうけどね。


未来みらいは頭が良いからいいわよね。あたしなんて、ふあぁぁっ、最近受験勉強ばっかりで寝不足でさ」

「受験って、わたしたちまだ5年生だよ?」

 ゆっちはわかってないな、というように両手をあげて呆れているかのようなポーズをつくる。

「塾の先生がさ、将来役に立つ人間になりたかったら今のうちから勉強しないとダメだって言うんだよ。あたし、受験のために部活も辞めたんだから。今時の受験はすごいよ、学校の宿題も時間の無駄だって先生がかわりにやるところもあるくらいなんだから」

 なんだかそれと似たような話を聞いたことがある。夏休みの宿題の代行サービスってやつだ。でも宿題って必用だから出されているんだよね。わたしも宿題は好きではないけれどさ、なかったらなかったでつまらなそう。例えば宿題があるから夏休みって充実しているような気がするんだよね。宿題のない夏休みってわさびの入っていないお寿司みたいなものじゃない? そういえば、5年生になってわさび入りのお寿司の美味しさがわかるようになってきたんだよね。流石にブラックのコーヒーはまだ飲めないけれど。

「あたしはさ、厳しい先生だけど、言うことはそんなに間違ってはいないと思うんだ。だから部活を辞めたけど、なんていうか……まだ、よくわからないんだよね。将来のこととかさ。自分なりにネットで調べたりもするんだけど、子供の時にもっと勉強しておけば良かったって言う人もいるし、遊べば良かったって言う人もいるじゃない。あたしはやっぱり、恋に部活に勉強にって充実した青春に憧れる。贅沢だって思われちゃうだろうけどね。それに女の子なんだしもっとオシャレを楽しみたい。あーあ、女子高生なんて毎日が楽しいだろうな。やっぱり将来は都会大学に行けるようになるまで今は我慢かな」

 そういえばゆっちが最近軟式野球を辞めたって噂があった。あれ、本当だったんだ。


 カギのかかった児童館の窓から茜色の夕暮れがやってくるのが見えた。深い海の底みたいな青色をした空には飛行機雲が細く長い線を描いている。ゆっちは背が高くて運動が得意。冗談が好きで男の子っぽいやんちゃなところもあるけれど、オシャレの知識も豊富で、一人っ子のわたしには歳の近いお姉さんみたいな存在だ。とっても大人に見える。でも、ゆっちの話を聞いていると世の中が目まぐるしく動く精密な時計で、わたしたちはその部品になったみたいな気がする。運動神経ゼロのわたしからみると野球クラブの女子エースが受験を理由に辞めちゃうなんて想像ができない。あんなにかっこよくてキラキラしていたのにもったいないなと思う。でも、なにが正しいかなんてわからないよね。将来のためには仕方のないことなのかもしれない。わたしにはゆっちみたいな大人な決断なんてできないから、せめてゆっちが第一希望の学校に合格できるように応援することしかできない。

「なんだかあっという間に時間が過ぎちゃった! 塾に行かなきゃ。それじゃあ未来、また明日学校でね!」

「うん、ゆっち、夢に向かってがんばって!」

 わたしの言葉に苦笑いをするゆっち。照れ隠しなのかな?

 塾の鞄を背負ったゆっちがここからそう遠くない駅前の進学塾へと花柄の自転車でこぎだしていくのを見送った。わたしが手を振るとゆっちも手を振ってくれる。自転車の黒い影が時計の長針みたいに長く伸びていた。なんでゆっちといると時間がすぐに過ぎてしまうのだろう。そういうものなのかもしれないけれど、わたしの一時間はみんなの一時間とは少し違う気がする。わたしの時間は亀みたいにとっても遅いのに、わたしの周りではなんともせわしなく時間が流れている。そのペースにわたしは追いつけない。自分だけが一人だけ取り残されてしまった気分。みんな夢を見つけてそれを叶えるためにお稽古や塾を頑張っている……なのに、わたしは本を読んで過去の世界に想いを馳せているだけ。

「わたしってとろいのかな」

 ギリシア神話の本を棚に戻す時、何気なくぽつりとつぶやいた。運動会の徒競走ではいっつもビリだし、テストは解けるんだけど時間が足りない。

 わたしもなにかやりたいことを見つけないといけないのかもしれない。あと2年で中学生。遠くて近い大人の世界。だけど、わたしにはまだやりたいことなんてなんにも見つかっていなかった。


「時間はあるさ」

 ふいに、よく透き通る声が背後からして、思わず振り向いてしまった。

「あなたは……誰ですか?」

 見たことのない少年。わたしより一つか二つ年上かな。青色がかった黒髪の少年は深い闇を思わせる大きな瞳でじっとわたしの顏を見据えている。

「そうだな、俺はサンタクロースかな」

 そう言って4月のサンタさんはわたしの首に金の懐中時計をかけてくれた。男の子にプレゼントをもらったことなんてなかったし、アジア人らしいイケメンを塩顔っていうらしいけれど、そんな感じ。ギリシャ彫刻のような彫の深い顏立ちではないけれど、整ったキレイな顏立ちの男の子でどこか女の子っぽい感じもする。こんなイケメンを見たことがなかったので思わず心臓の鼓動が速くなる。なんというか、わたしのような冴えない女の子でもイケメンを前にすると人並みに緊張するのだなとなんだか感慨深いわ。ただ、わたしなんかが傍にいると申し訳ない気がする。

わたしには男の子っていう存在そのものが恥ずかしくって、苦手なんだ。妙に意識しちゃう。だから、女の子とばっかり遊んでいる。正確には自分の身体の変化にだってとまどっているくらいなんだから。今のわたしはとてもじゃないけれど男の子とデートなんかできないな。でもでも、心の奥底では男の子と遊びたいってすごく思うんだけどね。言えないよ。

 そんなわけでパパ以外の男性にバレンタインチョコをあげたりしたことだって一度もない。

「世界中に人間はいっぱいいる。だけどこれは他の誰のものでもないお前だけの時間だ。大切にしろよ」

 そう言って知らない男の子は頭を撫でてくれた。初めて出会ったのに不思議と嫌な気はしない。というか、なんでこの人はこんなに馴れ馴れしいんだろう。ここは触るな変態、とかって言った方がいいのかな。ゆっちならそうするかも。でも、知り合いという可能性もあるか。お母さんの友達の子供かもしれない。遠い親戚とか。

「あ、ああっ……あ、あの、どこかであったことがありましたっけ?」

 少年はきょとんとした顏をしている。これだけ親し気なんだからどこかで会ったことがあるんだろう。もしかして、幼稚園の頃『将来結婚しようぜ』なんて砂場で約束した仲だったりして。流石にそれは乙女チックすぎるか。でも、なんにも思い当たるところがないな。こんなに綺麗な男の子なら忘れるとは思えないんだけど。

「なんだよ、二人っきりの時はお前のほうから攻めて来るくせによ」

(ふわぁぁぁっ!? そんな記憶ございませんが!!!!)

 はにかんで笑う少年を見ていると不思議と止まっていた心の時計の針が動き出したような気がした。やっぱり過去に会ったことがあるのかな。

「この時計はお前のためのものさ……ほら、さっそく針が動き始めてる……」

 少年が何を言っているのかわたしにはさっぱりわからなかった。ただ、このおまもりがとっても大切であることは真剣な少年の眼差しから伝わってきた。わたしをからかって、冗談をいって笑わせようってわけじゃないみたい。


 時計に目をやると長針と短針が目まぐるしい速さで反時計回りに回転しをはじめた。


――お前はこれからどうするか考えなければいけないだぜ。その『時』が来たんだ。


「え? どういう意味?」

 ふと顏をあげて、わたしは驚いた。少年の姿がない。なのに声だけが聞こえてくるんだ。おまけに世界中からありとあらゆる色が消えて、どこもかしこも灰色になってしまった。先ほどまでの涼やかな風も吹かない灰色の曇り空。木々のざわめきも消えて、ただ自動車が道路を走る音だけが規則正しく響いている。暗くて不気味な世界。わたしはこの時になってさすがに怖くなり、この金の懐中時計を首から外そうかと考えた。もしかしたらさっきの男の子ってお化けとか悪魔なんじゃないのかしらってね。


――外したらダメだ。その時計はお前の時間をあいつらから守ってくれる。


 あいつらから守ってくれる? どういう意味なのかしら。でも、外さない方がよさそうね。わたしがぎゅっと金の懐中時計を握りしめたその時、女の子の悲鳴がはっきりと聞こえた。自動車の音しかしない機械の中みたいな世界で確かにゆっちが助けを呼ぶ声がしたのだ。幼馴染の声を聞き間違えるはずがない。


「わたしはどうしたらいいの?」


 男の子からの返事はない。もう! あんなにわたしのことをドキドキさせておいて無責任なやつだわ。そもそもイケメンって信用ならないかもしれない。モテすぎて女の子からちやほやされているから自分勝手な人になってしまうんじゃないかしら。こんなにわたしが困っているっていうのに! わたしはどうしたらいいの? 守ってくれるってどういう意味なのかしら? それにこの世界はなんなのよ!?


 事態が飲み込めないまま、わたしはゆっちの声がする方向へと走り出した。こんな不気味な世界にゆっちも迷い込んでいるのなら助けないといけないもの。でも、どうやって助けたらいいのかしら。うーん、それにしてもなんだか足が軽い。動画を早送りをしているみたいにすいすいっと足が前に出てはアスファルトを蹴った。

「あれ! なんだか変身していないっ!?」

 走り出してから自分が黒いマントをなびかせていることに気が付いた。靴も安っぽいスニーカーから黒くて光沢のあるヒールへ変わっていた。

「怪盗ごっこじゃあるまいし、なによこれ!」

 顏にマスクをつけて羽のついたつばの広い黒い帽子までついている。服はちょっぴりセクシーなミニスカートになっていて恥ずかしい。でも、フリルがいっぱいついていてかわいいかも。服装一つでなんだか自分が自分でなくなってしまった感じだ。オシャレってすごい、いや、これはオシャレというよりコスプレかもしれないけれど。

「ここか……」

 自転車より速く走れていたのに息はきれていなかった。そんな自分に自分で驚く。この姿のまま運動会に出たらきっとヒーローになれるだろうな。

『〇×進学塾―どんな落ちこぼれでも進学校に合格させます―』

 外観は3階建ての小さなビル。どこにでもあるようなごく普通の塾だ。手がかりを求めているとゆっちの花柄の自転車は灰色に染まって並んでいたのが目に止まった。色が違うからすぐにはわからなかったけれど、ついさっき見たばかりなのだ、見間違えるはずがない。この世界ではなんでも灰色になっているらしい。

「ゆっちはこの中にいるのかな?」

 そっと飛び跳ねると、なんと軽々二階まで届いてしまった。まるでアメコミのヒーローだ。そのまま落ちないように窓のふちに手をかけて、そっと中を覗いてみた。

「っ!!!?」

 思わず声を出してしまいそうになった。だって、中にいる生徒も先生もみんな灰色で顏のないのっぺらぼうになっているんだもの。だけれど、だれも気にすることがないまま授業が進んでいるの。

「いいか! 部活はもちろん友達と遊ぶ時間も受験の無駄だ!! 無駄な時間は全部削って進学校に合格することだけを考えるんだ。みんなそうしているぞ。怠けたら受験は負けだ。勝ちたかったら全てを犠牲にして勉強しろ。そうすれば大きな会社に入って幸せになれるぞ!!!」

 なんというか、昭和の香りのする塾ね。鉢巻をまいて合格するぞーって叫んでいる感じ。っていうか、口がないのにあの先生どうやってしゃべっているんだろう。わたしがじっと様子を見ていると、そんな疑問を持つことすら愚かであるかのように、小さな灰色の人形たちはもくもくと問題集を解いている。

「にーにー」

 下から猫の鳴き声がした。

「あれ、ボスネコ? なんでここにいるんだろう」

 もふもふとした毛の長い黒猫はうちの近所に最近居座っている猫ちゃんだ。他のどの猫よりもケンカが強くてボスみたいに君臨しているからボスネコっていう安易なあだ名で呼ばれている。


――やっぱりこっちの姿の方が楽だな。


 猫がしゃべった! しかもこの声はさっきの男の子の声じゃない!! どこから声がするのかと思っていたら猫になっていたんだ。道理で見つからないはずだわ! でも……。

「ネコちゃん! 見ないでぇ!」

 慌ててミニスカートに手をあてた。あの角度、絶対に見えてた。恥ずかしくて顏から湯気が出そう。だけど、ボスネコは女の子に興味ないようで、ひょいっと肉球に吸盤でもついてるかのように猫の姿のまま二階まで登ってきた。

「あの教師はかなりの時間を貯め込んでるな。子供から沢山の時間を奪ってる。許せないな」

「それって悪いことなの? 行きたい学校に行けるならべつにそんな悪いことだと思わないけれど」

「もちろん勉強は大事だ。頑張っていきたい学校に合格したいってのは向上心。大切なことだ。でもな、そういう風に本当にやりたいことがある人間はあんな姿になってねぇ」

「そういえばわたしやあなたは元の姿なのに、なんであの人たちは灰色ののっぺらぼうなわけ?」

「それは、俺やお前には時間があるからさ。時間を失うとシステムに組み込まれて、この世界をつくる部品になっちまう。あの先生でさえも、部品のひとつなんだぜ」

 時間があるとか、システムとか、なんだかよくわからない。

「人はみんな自由だったんだ。でもよ、自由の使い方を忘れちまってるんだ。あいつらのボスは人間の支配の仕方を熟知してる。俺たちはもうほとんどがあいつらに支配されているんだよ」

 忌々しそうにボスネコが言う。人を部品みたいに使えるあいつらって誰なんだろう。こんな世界をつくれちゃうってすごいつらだってことだよね? 悪い魔法使い? 宇宙人? それとも妖怪?


「あんなに勉強したのに全然成績が上がらない。あたし、どうしたら、どうしたらいいの……」

 教室の隅でゆっちが目を真っ赤にして泣いている。こんなゆっちを見たのは初めてだ。だけど、誰も助けようとはしない。子供たちは黙々と試験勉強をしている。先生がつかつかとゆっちの近づいていく。

「七島結奈! お前はまだ無駄にしている時間があるはずだ! だから成績が悪いんだ! 睡眠時間を減らしなさい! 食事の時間も減らしなさい! 休憩時間は公式の暗記に使いなさい!」

「酷すぎるぜ。あの先生はそんなに時間が欲しいのかね」

 わたしは窓を開けようとしたが開かなかった。すぐにでもゆっちのそばに行って声をかけてあげたいのに。

「ひ、ひら~け~っ!」

 バチンっと金属が弾ける音と共に窓が開いて勢いよくわたしは教室の中に転がり込んだ。くるりとでんぐり返しをしてそのままぴたっと止まった。この世界ではわたしってオリンピック選手もびっくりの身体能力になっているみたい。

「時間怪盗惨状!」

 ボスネコまでついてきて、灰色の先生に啖呵を切る。時間怪盗って……なんかそのまんまの名前でダサいなと思ったけれど今は黙っておこう。わたしとしては時の神様の名前をつけて怪盗クロノス! とかの方がかっこいいと思うんだけどな。

「勉強熱心なのはわかるけれど! ゆっちから大切な時間をこれ以上奪うことは許せない! 時間残高0なんだから! って、あれ、なんか普段のわたしと言ってることが違うぅぅっ!?」

「ふふっ、どっちが本当のお前なんだかな」

 すました顔でもふもふのボスネコが音もなくゆっちの前に立つ。ぬいぐるみみたいな外見に似合わず俊敏な猫ちゃん。

「なんだ? 変てこな恰好をして、お前はこの落ちこぼれの友達か?」

「ゆっちは落ちこぼれなんかじゃない! なによ! あなたがどんな立派な経歴か知らないけれどこんなにがんばっているゆっちを追い詰めるロボットみたいな人じゃない! ねぇ、ゆっち! 行こう! わたしについて来て!!」

 だけどゆっちの反応は想像とは違う。わたしを見るなり逃げ出してしまった。そりゃそうか、こんな格好でいきなり窓から現れたらびっくりするよね。

「なんでゆっちはこっちへ来てくれないの?」

 ゆっちは曲がり角からひょっこり顔を出す。

「あたしは……ここしか居場所がないもの……塾をやめてどうするの? あたし、一流の学校に行ってみんなに認めてもらいたい……あたし、もっと時間を削る……」

 それだけ言うとまたどこかへ駆け出してしまう。明るくて積極的で運動神経抜群のゆっちがこんなに悩んでいるなんて全く知らなかった。

「世界中がこんな調子さ。あの女の子が特別ってわけじゃない。子供から大人までみーんな時間を削って生きている。その結果できた世界がここってわけさ。だんだんわかってきただろ? それにあの子はもうすぐ灰色のロボットみたいになっちまうぜ」

「どうしたらゆっちを助けられるの?」

「それは難しいな。本人が時間を捨てるのをどうこうできない。実力行使なんてことをすれば現実のその子にも影響が出る。下手すりゃ時間の使い方がわからなくなって勉強も学校も全部やーめたなんて言い出しかねない」

 でも、このままじゃ、ゆっちは好きなことを我慢してロボットみたいに生きていくってことじゃない。それが立派な大人ってことなんだったら、わたし立派な大人になんてなりたくない。

「本人が変わる手伝いはしてやれる。何故ならきみには時間を奪う力があるから」

「奪うって、それ泥棒じゃない! それって悪いことじゃないの?」

「悪くはないさ。お前はそれをあの子に返してやるんだ。本来あるべき場所へ。自由な時間が返ってくるだけ。その時間をどう使うかはその女の子次第だ。心から勉強が好きなら勉強をするし、そうじゃなければ他のことをする。言われたことをするんじゃなくて自分の頭で考えて時間を使うってことなのさ」

「自由な時間って、よくわからない」

「そのまんまの意味さ。自由に使っていい時間。寝てもいいし、空想を広げてもいい。遊んでもいいし、勉強をしてもいい。ただ強制された時間とは違う。うーん、分かりやすく言えば自由な時間ってのは休みの日みたいなものさ。反対に強制された時間っていうのは会社の仕事や学校の授業がある日だな。大丈夫、未来の友達ならきっと大事なことに時間を使ってくれるよ」

 自由な時間ってものがゆっちの負担を軽くしてくれるなら、それがいいんじゃないかなとは思う。

「わかった、ゆっちの自由な時間を取り戻してみせる。だけど、一体どうしたら時間なんて盗めるの? 時間に形なんてないじゃない」

「それは簡単さ、お前があの女の子に触れて『つかまえた』とかなんとか言えばいい」

「鬼ごっこみたい」

「怪盗は警察との鬼ごっこみたいなもんだからな。だがな、相手もお前から時間を奪うことが出来るんだ。つまり、お前もあいつから逃げないといけない」

 ちょっと待って! それってチャンスであると同時にピンチなんじゃ!?

「そこのお前! 私の塾に入れば名門校合格間違いなしだ! わたしの塾に入りなさい!」

 えええっ!?

「逃げないと生徒にされちまうぞ」

 いや、別に生徒になるだけならいいけれどさ、きっとただ生徒になるだけじゃなくてゆっちみたいに自分が変わっちゃうってことだよね。それは嫌だな。

 わたしはすばやく灰色の手からするりと紙一重のところを逃れるとゆっちを探すために駆けだした。この脚力ならすぐに追いつけるはずだ。

「ゆっちはどこ!?」

「俺は一階を探してくる。だけど、捕まるようなヘマはすなよ」

「OK! 上に行ってみる!」

 だけど、屋上の扉にはゆっちの心みたいに頑丈な鍵がかかっていた。でもさ、道がないならつくればいいよね。今のわたしなら出来るはずだ!

「ゆっち! 今行くわ!!」

 わたしの蹴りがコンクリートの壁をぶち破る。超人的な力にわたしはびっくりした。まさか本当にコンクリートの壁を突き破れるとは思っていなかった。

「あなたは誰? なんでこんなところまで来たの?」

 体育座りをしたゆっちは瞳を潤ませてわたしの顏を見上げている。

「わたしはあなたの友達で、あなたの失った時間を取り戻しに来たのよ」

「もういいよ……あたしなんてなんの価値もないんだから……」

「そんなことないよ」

「あたしはバカだし、部活も途中でやめちゃうし、全部中途半端、自分自身が嫌になっちゃう。なのにね、目立ちたがり屋でちやほやされたくて、合格できっこない進学校なんて目指して……本当にバカ……受かるわけないのに……でも、そうしないと誰もあたしのことなんてかまってくれないの! 軟式野球だって、勉強が忙しいから辞めたんじゃない。男の子に勝てなくなったからだもん……見栄っ張りで才能がない、本当にダメなヤツなんだ……」

 こんなことをゆっちが考えていたなんて初めて知った。

「苦しくて辛いの……毎日が地獄……誰にもこんな情けないこと相談できないよ……」

「大丈夫、わたしがゆっちのこと『つかまえた』よ」

 わたしはマスクを外すと、両腕をゆっちの首にまわした。ゆっちの体はあったかい。

「未来?」

 わたしの正体に気が付いて驚いている。

「わたしはね、いつも明るくてみんなの中心にいるゆっちに憧れていたんだよ。それはわたしには絶対に真似の出来ない才能だもの。本当にやりたいことなんてわたしもわからない、ゆっちもまだないんだよね。だったら、一緒に探そうよ『時間』ならあるんだから!」

「……うん、ありがとう。少し考えてみる、自分の将来のことを」

「焦らないでいいからね。それに、こんな言葉があるんだよ『人間は努力をする限り迷うものだ』ってね。きっとゆっちは努力しているからたくさん悩んで、成長しているんだよ。かっこいいと思うよ」

「それもゲーテの言葉?」

「よくわかるね! なんで?」

「そりゃあ、未来って本とか昔のことばっかり話しているんだもん。ファッションとかあんまり興味ないじゃない?」

「そんなことないよ! わたしだってオシャレなお洋服は好きだよ。でもさ、難しいんだ……なにからやればいいのかよくわからないし」

「じゃあ、今度一緒に買い物いこうか!」

「うん!」

 その時、金の懐中時計が光りだした。これってなに? 眩しい光が辺りを包むとわたしたちは塾の屋上に元の姿のまま座っていた。わたしがあけたはずのコンクリートの穴もちゃんとふさがっている。

「元の世界に帰って来たんだ……不思議……」

「あれ、なんであたし屋上にいるんだろう。それに、なんで未来が塾にいるの?」

 ゆっちには記憶がないみたい。なんでだろう。この不思議な金の懐中時計がないからだろうか。

「ああっ!」

 急にゆっちは大声をあげた。

「塾さぼっちゃった! パパに怒られるよ~」

「疲れていたんでしょ、こんなところで寝ちゃうくらいにさ。わかってくれるよ。ゆっちは目の下にくまが出来るくらい勉強がんばっていたんだからさ」

「あははっ! あたしってそんな酷い顏になってたんだ!」

「あのね、睡眠時間は大切なんだよ。特に子供の時の睡眠時間は貴重なんだから。睡眠時間を削って無理に勉強するよりも、勉強するときは集中して勉強した方が成績って上がるんだから」

「未来が言うと説得力があるなぁ」

「時間は子供の宝物なんだから」

 ゆっちも少し心に余裕が出来ているような気がするし、やっぱりあっちの世界のことはこっちの世界にも影響があるんだ。

 そして誰かがあんなにたくさんの人間を支配している。でも、わたしには支配された人を救う力がある……ってことなのかな。もしそうなら、すごいことだよね。


 胸元に目をやると金の懐中時計が月の光を受けて輝いている。それは虹色にも見えた。

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