第一部 八
夜の帳が落ち始めた頃、自室のベッドで寝転んでいたバルタサールは、自分が巻いた葉巻に火をつけた。煙を吸い込み、少しずつ吐く。体に活力がみなぎってくるのを感じた。スコットランドはメキシコと比べて半端なく寒かったが、それももう慣れた。月の光が、窓から室内へ静かに差し込んでいる。
くゆっている葉巻の煙が、夜風に優しく運ばれていく。スコットランドのエルギンに移住を決めたのが二年前。家族の仇であるセブリアン・ロンゴリアを殺してから十年以上が経っていた。後継人を選び、彼は十数人の昔馴染みを連れてここにきた。
現地の小さな麻薬組織を壊滅させ、販売ルートをどう利用しようかと考えたとき、バルタサールは、もはや昔の自分には戻れないと悟った。そんな自分に驚くこともなかった。
家族の笑顔が懐かしい、みんなどうしているだろうか。
後ろに流した黒く長い髪をかきながら、鏡に映った自分を見た。加齢だけではない、麻薬を摂取していた中年男の哀れな姿があった。肉体は屈強だが、顔は骨ばり、目はどことなく虚ろだった。
ドアをノックする音が聞こえ、バルタサールは振り返った。
「俺だ」
「入っていいぞ」
ドアが開くと、バルタサールと同じ四十代の男が入ってきた。黒い髪は短く、戦闘服を大きなコートで覆っている。長旅だったせいか、顔には疲れが出ていた。
「コーベットは殺した」
「新聞で読んだ。よくやった」
頭と胸に一発ずつ。それがバルタサール・カルテルの暗殺の決まりである。彼を知る者だけがわかる脅しだった。ふだんは温厚なバルタサールだが、規律には厳しい。麻薬の金を何回も滞納し、それでもツケで買おうとする客には高い代償を支払わせる。二発の弾丸に撃ち抜かれた死体がメディアの電波や誌面にのって広がれば、それが抑止力となる。そういう意味では、イギリス警察も、広報担当としてよく働いてくれている。
バルタサールは椅子に座り、テーブルに置かれたスコッチウイスキーをふたつのグラスに注いだ。コートの男も対面の椅子に座り、バルタサールから差し出されたグラスを手に取る。
「今回もつつがなく終わったか」
カルロスは笑いながらグラスをあおった。テーブルにおきながら頷くと、
「あと何杯、スコッチウイスキーを飲めるかな」
バルタサールはグラスに入ったウィスキーを飲み干した。
「俺たち次第だな。別件はどうだった」
「仕留め損なった」
カルロスはばつが悪そうに言った。
「邪魔が入ったのか」
「おびき寄せて撃とうとした瞬間、人の声が訊こえたから、腹部に一発当ててずらかった。まあ、生きてるだろうな」
「想定外だが、それを最後の警告にしよう」
「想定外、ね」
「どうせ、誰にも真相は話せない。あいつも俺たちと同じだ」
カルロスはボトルをつかみ、バルタサールのグラスにウィスキーを注ぎなおした。