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悪党に鉄槌を 殺人犯に花束を 作者:菊郎

第一部 悪党に鉄槌を

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第一部 八



 夜の帳が落ち始めた頃、自室のベッドで寝転んでいたバルタサールは、自分が巻いた葉巻に火をつけた。煙を吸い込み、少しずつ吐く。体に活力がみなぎってくるのを感じた。スコットランドはメキシコと比べて半端なく寒かったが、それももう慣れた。月の光が、窓から室内へ静かに差し込んでいる。

 メキシコの首都・メキシコシティの隣にあるトルカが、バルタサールの故郷だった。父と母、ふたりの兄とひとりの弟、ふたりの妹を持つ彼の家族は、メキシコ有数の都市の下で繫栄を享受し、ふつうながら幸せな日々を送っていた。鉱山企業・ペニョーレスに勤めている父、アルセリオ・ベネディクトのおかげで生活は安定していて、学校に通い、友達と遊び、時間があれば遠出もする。父のような力持ちになりたいと考え、家にある重い物を手当たり次第に持ち上げてはトレーニングもしていた。
 ずっと続けばいいのに――そんな叶いもしない理想を抱いていた。
 バルタサールが現実の残酷ぶりを目の当たりにしたのは、中学生のときだった。
 深夜に銃声が訊こえ、家族はベッドから跳び起きた。父の背後で怯えていると、家の玄関が勢いよく叩かれた。何回叩かれたか覚えていない。すさまじい音だった。
 ノックする音が消えると、父は様子を見に行くと言って玄関へ歩いていった。直後、ドアがぶち破られた。
 父の名を叫びながらバルタサールは玄関へ向かった。廊下に出て、玄関の手前まで差し掛かった瞬間、来るな、と大声で怒られた。ふだんから温厚で優しい親父の、最初で最後の怒声だった。言い終えた瞬間に響く一発の銃声。バルタサールは心の底から震えあがった。右に曲がったところでなにが起こっているのか、中学生である自分にも想像がつく。それでも認めたくなかった。
 息を殺してじっとしていると、角から急に太い腕が伸びてきた。バルタサールは胸倉をつかまれ、玄関に引き倒された。目線を向けると、銃を持ったふたりの男がにやけながらこちらを見ている。ひとりは短髪で、もうひとりは長髪だった。玄関には白いカーペットが敷かれているはずなのに、周囲は真っ赤だった。
 唐突に死を突きつけられたバルタサールは、悲鳴を上げる余裕すらなかった。横たわる父の死体。どうすればいいかわからない。けど、叫んだらきっと殺される。嗚咽を必死で抑えながら、息を殺して泣き続けた。
 短髪の男はバルタサールの首をつかみ、血に染まった彼を投げ飛ばした。壁に激突して激しくむせる彼を無視して家の奥へと入っていく。長髪の男は拳銃をバルタサールの頭に向けたまま立っていた。
 銃声が二回響く。叫び声が少し静かになった。
 バルタサールのなかにあった枷のようなものが外れた。日常を奪った奴らに対する憎悪が全身を駆け巡った。彼は力の限り吼えた。断末魔ではない。いままでの自分に向けた、別れの言葉だった。
 バルタサールは、長髪の男が持っていた銃を両手でつかんだ。恐るべき速さだった。男は振り払おうとしたが、バルタサールは全体重をかけて押さえ込んで離さない。一歩後ろへ下がると、体勢が崩れてふたりとも倒れた。父の死体に脚が引っかかったのだ。銃を握る手がゆるんだ隙を突いて、バルタサールは銃を奪い取り、彼の頭に発砲した。一発ではない。何発も何発も何発も。潰れた卵のようになった男の頭部へトリガーを引き続けた。
 背後から足音が訊こえる。バルタサールは死体をまさぐりマガジンを見つけると、慣れない手つきで再装填した。ガンアクションものの映画を見ていたおかげだった。
 振り返ろうとしたとき、彼の右のふくらはぎに激痛が走った。焼けるように熱い。廊下に出てきた奴に撃たれたのだ。想像を絶する痛みだった。死が前にいた。
 それでもバルタサールは泣かなかった。復讐心が痛みと恐怖を塗りつぶした。倒れ込んだまま銃口を短髪の男に向けると、迷わず引き金を引いた。驚きに目を見開きながら、男は廊下に倒れた。右脚を引きずりながら、バルタサールは彼に近づいていった。
 かすれ声で命乞いをする相手の顎を撃ち抜いた。自分の家を襲うために動かした脚を撃ち抜いた。銃を持っていた腕を撃ち抜いた。男をこの世に生かしている心臓を撃ち抜いた。残った弾を男の腹にぶち込んだ。
 家にあった傘を杖にして立ち上がると、バルタサールは母たちのもとへ向かった。安全であることを告げ、玄関に戻る。
 眠る父の胸を、一発の弾丸が貫いていた。肌は蒼白で、体は冷たい。よく抱っこしてもらったたくましい腕にすがりつくと、思い出したかのように泣きじゃくった。涙はいくら拭っても溢れ、なんど目を擦っても現実は変わらなかった。
 あとから来た母や姉、妹たちもともに涙を流した。まっとうに生きていた父が、獣に殺された。
 右脚を引きずりながら外に出た。周囲からは激しい銃声が聞こえる。暗がりの道路に、トラックが一台止まっていた。彼は荷台を見た。交差した小銃の上に描かれたドクロの紋章。セブリアン・カルテルの象徴だった。近年メキシコで勢力を拡大していた、麻薬組織のことは、バルタサールもテレビを通して知っていた。
 十四歳の少年は、運転席に置かれていたコカインの袋を見つけると、後日それを路地裏にいた見知らぬ男に売った。セブリアン・カルテルを名を出すと、父の給料半年分の値段で売れた。手に入れた金でコカインを購入し、より高額で売る。一家の大黒柱、ふたりの兄弟を失ったベネディクト家を支えるため、セブリアン・カルテルに復讐するため、バルタサールは密かに麻薬に手を染めた。
 二ヶ月が経った。近所の荒くれどもがバルタサールの下に集まり、小さなコミュニティができた。彼らにコカインを渡し、求める者たちに捌く。
 命懸けの生活を一年も続けるうちに、バルタサールの周りには六百人の仲間ができた。仲間から銃の扱い方や裏社会のルールを学び、彼は勢力を拡大し続けた。二十歳になった彼は、家族が巻き込まれるのを防ぐため、母の口座に四百万ドルの金を振り込んだ後、警察と司法に手を回し、自身の経歴を抹消した。その日を境に、二度と家に帰ることはなかった。
 二千人の仲間とともに、セブリアン・カルテルの幹部を片っ端から探しては殺した。末端の部下はなるべく仲間として取り込んでいたが、それでも死傷者は増える一方であった。五年後、本拠地でセブリアン・ロンゴリアと対面した時点で、仲間は九百人以下だった。くすぶらせてきた復讐心を再び燃やしながら、バルタサールはロンゴリアに二枚の書類と一枚の写真を机に叩きつけた。書類の内容は、セブリアン・カルテルの海外資産の全面凍結と、連邦警察から発行された、ロンゴリアの逮捕状。
 写真には、本人の自宅の壁に磔にして殺した彼の息子が映っていた。
 ろくに会話もせず、バルタサールはロンゴリアの家を出た。
 一ヵ月後、彼はアジトで葉巻を吸いながら、刑務所内で首を吊って死んだロンゴリアの記事を目にした。

 バルタサールはステンレス製の杖を右手に持って起き上がり、窓を開けた。くゆっている葉巻の煙が、夜風に優しく運ばれていく。スコットランドのエルギンに移住を決めたのが二年前。ロンゴリアを殺してから十年以上経っていた。後継人を選び、彼は十数人の昔馴染みを連れてここにきた。
 現地の小さな麻薬組織を壊滅させ、販売ルートをどう利用しようかと考えたとき、バルタサールは、もはや昔の自分には戻れないと悟った。そんな自分に驚くこともなかった。
 家族の笑顔が懐かしい。みんなどうしているだろうか。
 後ろに流した黒色の長い髪をかきながら、鏡に映った自分を見た。加齢だけではない、麻薬を摂取していた中年男の哀れな姿があった。トレーニングのおかげで肉体は丈夫だが、顔は骨ばり、目はどことなく虚ろで、よく見れば異常だとわかる。
 ドアをノックする音が聞こえ、バルタサールは振り返った。

「俺だ」

「入っていいぞ」

 ドアが開くと、バルタサールと同じ四十代の男が入ってきた。黒い髪は短く、戦闘服を大きなコートで覆っている。長旅だったせいか、顔には疲れが出ていた。

「コーベットは殺した」

「新聞で読んだ。よくやった」

 頭と胸に一発ずつ。それがバルタサール・カルテルの暗殺の決まりである。彼を知る者だけがわかる脅しだった。ふだん温厚なバルタサールだが、規律には厳しい。麻薬の金を何回も滞納し、それでもツケで買おうとする客には高い代償を支払ってもらう。二発の弾丸に撃ち抜かれた死体がメディアの電波や誌面にのって広がれば、それが抑止力となるのだ。そういう意味では、イギリス警察も広報担当としてよく働いている。
 バルタサールは椅子に座り、テーブルに置かれたスコッチウイスキーをふたつのグラスに注いだ。コートの男も対面の椅子に座り、バルタサールから差し出されたグラスを手に取る。

「今回もつつがなく終わったか」

 カルロスは笑いながらグラスをあおった。テーブルにおきながら頷くと、

「あと何杯、スコッチウイスキーを飲めるかな」

 バルタサールはグラスに入ったウィスキーを飲み干した。

「それは俺たちが決めることだ……ロンドンはどうだった」

「いいところだったが、人が多いのは残念だ。裏切り者を仕留めそこなった」

 カルロスはばつが悪そうに言った。

「珍しい。邪魔が入ったのか」

「ああ。おびき寄せて撃とうとした瞬間、人の声が聞こえた。近かった。腹部に一発当ててずらかった」

「想定外だが、それを最後の警告にしよう。どうせ、誰にも真相は話せない。あいつも俺たちと同じだ」

 カルロスはボトルをつかみ、バルタサールのグラスにウィスキーを注ぎなおした。
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