第三部 二十六
報道機関のヘリの騒々しい音が一帯に響いていた。
クライヴは協力隊と銃火を交えた。撃ったら隠れ、反撃が止んだら撃ってのくり返しだが、これほど恐怖を覚えるものもないと思った。一発でも当たろうものなら、大抵は死ぬ。生き残っても、鉛玉が身体を抉る激痛に耐えなくてはならない。なにより、こんな空間に身を置くことの厳しさを感じた。
右で戦っていた隊員が撃たれた。急いで彼のタクティカルベストをめくったが、胸部には赤黒い穴が穿たれていた。安全な場所へ運ぼうとしたクライヴを、鋭い声が引き戻した。
「そいつの銃を使え!」
銃撃の合間を縫い、ハワードがクライヴに言った。
「彼を助けないと」
「即死だ」
撃たれた男の目は、焦点が合っていなかった。
「……アサルトライフルの撃ち方なんて知らない」
「映画で見たことあるだろう、拳銃がでかくなっただけだ」
ハワードはマガジンを交換する仕草を彼に見せた。専用のコッキングレバーがあるくらいで、ほかは拳銃と大差ないようだった。クライヴは慣れない手つきで小銃を構え、二十メートルほど前にいる敵に発砲した。拳銃よりも遥かに強烈な反動が上半身を揺らした。放たれた弾丸は、敵の真下に火花を散らせた。
「そのまま続けろ」
背後からノーマンが走って来た。ハワードの側まで来ると、
「倉庫から西へ向かう車を見た。隊長だ」
それを訊いたハワードは、
「よし」
東から三輌のバンが走って来た。その姿には見覚えがある。
「味方だ!」
クライヴは思わず叫んでいた。
停車すると同時に後方のドアが開かれ、武装した隊員たちが出てきた。十五人はいる。辺りは起伏のない田園地帯であるため、ライオットシールドを展開していた。
北からの増援に勢いづく協力隊だが、ここで均衡を保ちつつあった。敵味方が入り乱れ、クライヴの全方位で銃声がひっきりなしに吠えている。
逃げたいという思考を押しのけ、クライヴはひたすら撃ち続けた。最初は痛く感じた反動だが、段々と慣れてきた。薬莢が光を反射しながら飛び出し、道路に散っていく。
クライヴは、一瞬だけ見えた男の姿を見逃さなかった。
レアンドロ・アドモだった。拳銃をこちらに向けている。クライヴは車体に身を隠すと、さきほどまで彼が顔を出していた場所を弾丸が貫いた。
三百人を擁する協力隊とは言え、イギリス警察の数には遠く及ばない。クライヴは思った。戦いを長引かせるほど彼らにとって不利に働くのは明らかだ。なぜ死に急ぐような真似をするのか。
攻勢を緩めない協力隊の真意がわからなかった。
続々と集結するイギリス警察の増援は、猛々しく戦う協力隊を飲み込み始める。反撃が次第になりを潜め、クライヴは戦いの終わりを悟った。
その時であった。
レアンドロは両手を上げたかと思うと、バンの影から出てきた。背後にはSCO19の隊員がいた。レアンドロの後頭部に小銃を突きつけている。
クライヴとレアンドロのあいだには多くの死体が横たわっていた。風が吹いた。それは、死者を弔っているようにも思えた。
「終わった」
レアンドロは呟いた。
クライヴは車体に隠れたまま、
「なにを言ってる」
「二代目が落とし前をつけたんだよ」
クライヴはカーティスとの会話を反芻し、納得した。
「なら、もう戦う必要はないはずだ」
「どうかな」
彼はにやりと笑った。
「なに」
「俺たちは命令をやり遂げる。なにを犠牲にしても」
言葉の真意を問い質そうと詰め寄ったとき、クライヴのスマートフォンが鳴った。画面には、見たことのない数字が表示されていた。
◆◆
古びたレンジローバーで、カーティスとアレクシアは西へ向かう。道中に何輌かのパトカーとすれ違ったが、昼下がりのオールド・ミリタリー通りは空いていた。
「腹減ったな」
カーティスは後部座席に手を伸ばし、バッグからパンを取り出した。アボインのガソリンスタンドで、ノーマンが購入したものの残りだった。カーティスは助手席に座っているアレクシアを見ると、
「食べるか」
「ううん」
センターコンソールに残りを置き、カーティスは小さな菓子パンを頬張った。暮れゆく太陽を眺めながら、これからのことを考えた。
アレンのスマートフォンは、車がひっくり返った際に潰れてしまった。盗聴の可能性が拭えない以上は、自分の物も使えない。協力隊の動向は、ラジオかテレビ、インターネットでつかむしかないだろう。
「前!」
ティリーフーリーを走っていたとき、アレクシアが叫んだ。
前からは例の黒いバンが二輌、接近してくる。カーティスたちが走っている道は直線距離が長く、いまから引き返しても間に合いそうになかった。
カーティスはトランクから持てる分だけの武器と食料を取り出し、アレクシアを連れて林へ逃げた。背の高い木々が光を遮っているおかげで辺りは暗く、ふたりは影に溶け込んだ。
道路を走っていたバンが停車し、いくつかの足跡が訊こえた。なにやら口々に話しているが、スペイン語なのでわからなかった。
「この辺りをくまなく探せ、だって」
アレクシアの通訳で協力隊の動向を見極め、追手を振り切った。林を抜けると強烈な西日が差し込み、カーティスは思わず目を細めた。少しでも協力隊と距離を取るため、ふたりは西へ進み続けた。
一キロほど歩くと、カーティスは公衆電話を見つけた。なかへ駆け込むと五十ペンス(約50円)を放り込み、クライヴのスマートフォンの番号を押した。
『もしもし』
『カーティスだ』
『良かった、お前か。携帯がつながらなくて焦ってたんだ。良いニュースと悪いニュースがひとつずつある。まず、良いニュースから言うぞ』
クライヴの口調は焦っていた。良いニュースなんて本当にあるのか、とカーティスは怪しんだ。
『アレクシア暗殺の中止命令が出された』
『本当か』
カーティスは心の底から安堵した。
『ベネディクトから連絡があった。お前に言われた通りの番号に電話してもつながらなかったと。だから俺に掛けてきたらしい。どうやって知ったのはわからないが』
クライヴは咳払いすると、露骨に声の調子を落とした。
嫌な予感がした。
『それと、悪いニュースだ』
『なんだ』
『各地に展開している部隊には、中止命令が伝わってない』
拾ったタクシーに揺られ、ふたりはアバディーンに到着した。最初はクライヴたちのもとへ戻るはずだったが、協力隊の生き残りが近辺に展開していることを考慮して諦めた。そこで、当初の目的地であるアバディーンに進路を決めた。ひとまずこの地に身を潜め、早ければ、今日の深夜にはクライヴたちと合流する手はずとなっている。腕時計は十八時を指していた。
盗聴はもうされていないと訊き、彼はクライヴとの通話を終えてから、久しぶりにスマートフォンの電源をつけていた。長方形の画面から発せられる光が暖かく感じた。
「アバディーンはいい街です。どこに泊まられるおつもりで」
運転手がバックミラーを見ながら言った。
「ローズマウントパレスだ」
「なるほど。あそこなら、お手軽な値段で泊まれますね」
「スマートフォン様々だよ」
「違いない」
「現地まで向かいますか」
「いや、ここでいい。あまり手持ちがない」
タクシーの運転手は、傷だらけのカーティスを見て顔を最初こそひきつらせたが、彼が警察関係者を示す手帳を見せ、状況を説明すると態度を幾分か和らげた。恰幅のいい男は人懐っこい笑顔を見せ、ディスカウントストアの前で私服警官のふたり組を見送ると、街中へ消えていった。
スコットランドのなかでも有数の港湾都市であるアバディーンは、太陽が水平線へ消えてもなお明るかった。人々の営みを示すあらゆる光が輝いている。文明の凄みを改めて感じた。
だが、カーティスは一瞬で現実に引き戻された。
ウェストバーン通り東の果て、黒づくめの男と車輛がわずかながらに見える。カーティスはG36のストックを折りたたむと、スリングで吊るした。ジャケットの内側に隠すと、アレクシアを連れて、ホテル・ローズマウントパレスへと向かった。
◆◆
詰めかける報道陣に目撃されないよう民家の裏側に移動すると、クライヴはノーマンとハワードの制止を振り切り、レアンドロの胸倉をつかみ上げた。
「ほかの部隊に命令中止を伝えろ」
「無理だ」
クライヴはレアンドロをつかんだまま、壁に思い切り叩きつけた。レアンドロは笑ったまま表情を崩さない。余裕の態度が、クライヴを余計に苛立たせた。
「なぜだ!」
「俺たちに戻る場所はない」
「使い捨てだとでも」
「そうさ。イギリスに来ることが決まったときから。俺たちは決死隊だ」
「クライヴ、もうやめておけ」
ノーマンに言われ、クライヴは渋々胸倉を離した。
「最初からアレクシアを殺すのが目的か」
「俺たちが先代を捕まえるはずないだろう。理由がない」
「……アバディーンにも部隊はいるのか」
「ざっと五十人は。アレクシアが見つかったとなれば各地の仲間もすっ飛んでくるだろうよ」
レアンドロを睨みつけたクライヴは、
「本当だろうな」
「遺言で嘘はつかん」
「遺言?」
レアンドロは自身のベルトのバックルをつかんで自分に向けた。眩い閃光が夜を貫いた。
止める間もなく、弾丸がレアンドロの胸部を貫いた。四つの赤い染みが瞬く間に広がっていく。その突発的な行動に、クライヴたちは呆然としていた。我に返ったクライヴは、レアンドロの両肩をつかんだ。
「おい!」
クライヴは彼のバックルを見た。四つの銃口を持つそれは硝煙を流し、天を仰いでいる。いつからこのベルトをつけていたのだろうか。最初からか、カーティスたちを捕まえるために動く前なのか。
虚ろなレアンドロの目は、暮れゆく空を見ていた。クライヴがペンライトで彼の目を照らしても、茶色の瞳は広がることも、縮むこともなかった。
「麻薬中毒者め」
ハワードが言い捨てた。
クライヴの選択肢はひとつしかなかった。緊急の記者会見でマスコミに話すはずだった内容は、頭からすべて吹き飛んでいた。
気絶から目覚めたアレンとブレンドンを始め、クライヴは現場にいるすべての仲間を招集した。
◆◆
ローズマウントパレスへ入ろうとした瞬間、さきほどまで乗っていたタクシーが、カーティスたちとすれ違った。後部座席は空であった。
代わりに運転手は、三輌の武装車輛を引き連れてきた。まだ米粒ほどのサイズだが、これまで見たタイプとは違う。尾根は開けており、軽機関銃を持った者が体を出していた。
「あの野郎」
こんなことならあの運転手にもっとポンド札を渡しておくべきだったと、カーティスは激しく後悔した。こちらの思いなど知るはずもなく、武装車輛は勇ましい排気音をあげて迫る。
カーティスたちはハッチオン通りに引き返すと、西へ走り始めた。カーティスの手元にあるG36を見た通行人の数人が険しい顔を浮かべ、スマートフォンに手をかけ、眼前に持ち上げた。
命の危機に晒されてもなお消えない顕示欲にただ関心するだけで、カーティスは彼らを無視し、アレクシアを先導した。自分の存在が明るみに出るかどうかなど、もはやどうでもよかった。
銃声が南東から夜空を貫くと、程なくして周囲から悲鳴と怒号が響き渡った。武装車輛は逃げ惑う男女など構いなしに接近してくる。右に折れ、アン通りに入ると、カーティスは停車してあった車の陰にアレクシアを隠れさせた。その車の尾根を伝って店の屋根に上がる。伏せた状態でじっと息を潜めた。
さきほどと同じく列を成した武装車輛が、徐行しつつアン通りへと進入した。濃い影のおかげで、アレクシアには気付いていない。一輌、また一輌と、カーティスの側を通過していく。
最後尾の車輛が通り過ぎようとした瞬間、カーティスは立ち上がり、オープントップの尾根に向かって飛び掛かった。射手が振り向くより前に、靴底で顔面を押し潰した。体勢を崩した敵に、ホルスターから取り出したコルトガバメントの引き金を引いた。崩れ落ちる男を投げ捨て、カーティスは前方を走る二輌の武装車輛に向かって軽機関銃の引き金を引いた。
長い弾帯に括り付けられた弾丸は、すべて目の前の武装車輛に使われた。弾が切れたころには、銃身がわずかに右へ曲がっていた。カーティスは飛び降り、窓から反撃しようとした運転手を撃った。G36の代わりに、男が持っていたM16小銃を拝借し、ジャケットのポケットに予備のマガジンを突っ込んだ。タクティカルギアにぶら下がっていた手榴弾も三つ奪った。
銃声が空気を震わせた。続いて耳にしたのは、幾重にも重なるサイレンと、荒々しいエンジン音。大小さまざまな人の悲鳴だった。カーティスはアレクシアとともに、アン通りを抜けてシャーロット通りを走った。
※
カーティスは体を懸命に動かした。ときどき小さな出っ張りに足を取られたが、転ぶのだけは防いだ。
体が鉛のように重い。現役時代なら、一日三、四十キロの行軍など朝飯前だった。日々汗を流そうと、一線から身を退けば衰えるのは当たり前なのだが、この緊迫した状況で、思った通りに動かないのが情けなかった。
西に響く銃声から逃れ、カーティスたちはビーチ・ブールバードをさらに東へ走る。リンクス通りを左に曲がると、ふたりは背の高い灌木に隠れた。二輌のパトカーが、全速力で協力隊のいる方面へ走っていった。
カーティスが荒げていた息を整えている合間に、入れ違うようにして反対側から協力隊が来た。確認できるだけでも八名いた。
先頭を歩く隊員がこちらを向いた。頭をしきりに左右へ動かしている。
不審に思ったカーティスの目は、やがて自身の左手首に向けられた。
街灯が腕時計を反射していたのだ。ハンドシグナルを出すと、隊長は後続を連れて近づいてきた。M16を正面に構えた男たちは、少しずつ距離を詰めてくる。コンクリートの地面にブーツの靴音が響く。
カーティスの全身から冷や汗が吹き出た。
「合図したら、後ろのホテルに向かって走れ」
持っていたM16のコッキングレバーを引く。手榴弾のピンを抜き、安全レバーを固定して時を待った。互いの距離が十メートルにまで迫ったとき、カーティスは灌木のなかから手榴弾を投げた。緩やかな弧を描き、夜空を飛んでいった。
「行け!」
アレクシアは炸裂する手榴弾を背に走り出した。スペイン語の絶叫は爆音にかき消され、カーティスはM16の掃射を浴びせた。撃ち切ると体を翻して全速力で走り、前で転びそうになっていたアレクシアを支えた。右手を取って先導した。銃火に怯え家に籠もり、閑散としたアバディーンの沿岸を駆けた。緩やかな丘陵を越え、トリニティ墓地を抜ける。サッカークラブがあるゴルフ通りを北へ走った。
肩で息をしながらカーティスは愕然とした。直線に伸びる道路の彼方から、前方から協力隊の車輛が来ていたのだ。
彼は少しばかり考え込むと、来た道を戻り始めた。
「スケートリンクに行くの?」
アレクシアが息継ぎの合間を縫って言った。
「ああ、奴らを迎え撃つ」




