第三部 二十
「だから、あなたたちに話すことはないと言ってるでしょう」
クライヴの目に映るレアンドロは、募る苛立ちをもはや隠そうとしていなかった。
<アーサーの玉座>にいる姿なき狙撃手と睨み合いは、四時間に渡った。太陽が昇り始めた頃、車列の影で反撃の機を窺っていると、なにやら話し声が訊こえた。クライヴが向けた視線のさきには、一向を観察している数人の観光客がいた。午前五時頃だった。怪しんだレアンドロは手鏡を出して様子を見たが、攻撃はこない。
<アーサーの玉座>がもぬけの殻と知ったのは、それから十分ほど後のことだ。雑草が人の形に倒れており、誰かが伏せていたことは判明したが、その正体を突き止められる証拠はなかった。
緊張状態が丸一夜続いたうえ、相手を取り逃がした事実は、隊員たちの肩に重くのしかかっていた。
そんななか、キャスターやカメラマンを乗せたBBCのバンが突然現れた。疲れ切った協力隊の面々は、シャワーを浴び、朝食も食べて元気であろう女性キャスターを相手にしなくてはならなくなった。
レアンドロは警察手帳を見せて退去を求めたが、キャスターたちは一向に引かない。レアンドロとBBCの不毛なやり取りは二十分以上続いている。車外でストレッチをしていたキャロルは、そんな光景を見て、たびたび笑いを堪えていた。周囲には、騒ぎを訊きつけた野次馬がちらほら集まっている。これ以上大衆の目に晒されると都合が悪い。
「この状況に対して、なにも述べることがないと?」
キャスターが語気を強め、レアンドロに言い寄った。
レアンドロは耐えかねたかのように、アストンマーティンの車内で休んでいたクライヴを見た。
交代してほしいのだろうと察したクライヴは一度伸びをすると、運転席のドアを開け、髪や身だしなみを整えながらキャスターに近づいた。
「どなたでしょうか」
クライヴは警察手帳を見せながら、
「重大組織犯罪局のクライヴ・エインズワース警部です」
女性キャスターは食いついた。
「じつは、本日の深夜〇時三十分頃、匿名の情報提供者より情報が届きました。バルタサール・ベネディクト一味を捕えるためにメキシコからきた協力隊が、エディンバラのホリルード公園でなにかを行うと。協力隊の隊長だというアドモ氏にお話を伺おうとしたのですが、なにも教えてくれないんです」
こいつらが来たのはアレクシアの仕業か。クライヴは心の中で、思い当たる人物の名を呟いた。同時に、頭を働かせ、ここを切り抜けるにふさわしい言い訳を探した。
「我々イギリス警察は、この機会に、協力隊と合同で実地訓練を行っていたんです」
「観光地で、ですか」
「だからこそですよ。最近、観光地を狙ったテロも多い。整備された場所で行う訓練は、あくまで形式に沿った内容でしかありません」
「訓練は通常、事前通知がくるものだと存じています。エディンバラ側は、今回の訓練を把握しているのでしょうか」
「上司のエドワード・レッドフィールドが責任者ですので、そのことに関しましては彼に問い合わせてください。我々は、詳細を話すことができないのです」
クライヴはジャケットのポケットから一枚のメモ用紙を取り出すと、エドワードの電話番号を書いてキャスターに渡した。
「そろそろ撤収ですので、失礼します」
※
エディンバラで訊き込みをしていたクライヴに電話があった。エドワードからだった。でっち上げの訓練の責任者であるとあらぬ嘘を被せられて、局長がなにも言わないはずがない。クライヴはスマートフォンを耳に押し当て、無意識に身構えた。
『よう』
『局長、どうしましたか』
『どうしようもないホラ吹きやがって。あの女の追求をかわすのに苦労したぞ』
『どうやったんですか』
『アーサーに振ってやった』
クライヴは思わず吹き出しそうになった笑い声を堪えた。内務大臣に面倒を押し付けるという芸当ができるのは、ブリテン中の警察関係者でもエドワードくらいだろう。
息を整えたクライヴは、
『……申し訳ありません。あの場を迅速に切り抜けるには必要な言い訳でした』
ノッティングヒルでレアンドロと話して以来、エドワードはイギリス内務省に戻り、連絡役に徹している。後方で助けてくれるのは心強い。が、現場主義の彼がこの場にいないのは、少しばかり寂しかった。
『なぜ、本部に戻ったんですか』
『若者の足手まといにはなりたくない。今回みたいなきつい仕事は、お前たちに任せようと思ってな』
エドワードの愚痴を訊き終えると、今度はレアンドロが走ってきた。逼迫した表情を浮かべており、いい報告ではなさそうだった。肩で大きく息をしながら、途切れ途切れに口を開いた。
「どうした」
「フォース・ロード橋、だ」
と言うと、彼は水筒の中身を飲み干した。
「フォース・ロード橋で、検問を強行突破した車がいると連絡があった。五人のうちひとりは、女性だったらしい。標的の可能性が高い」
アレクシア以外の人物として最初に思い浮かんだのはカーティスだった。ほかの三人は誰だろう。バルタサールの一味がじつは残っていて、彼女に手を貸しているのか。
「追うぞ!」
レアンドロが後方に待機していた部隊に叫んだ。
◆◆
全長二.五キロメートルに及ぶ橋を、五人を乗せたアウディが全速力で駆け抜ける。半分を過ぎる頃、カーティスたちはバッグのなかに隠していた銃を取り出した。マガジン内はすべて実弾が込められている。
カーティスはノーマンの運転技術に感心していた。検問を突破する直前、彼はタイヤを空転させて煙を出し、後ろのナンバープレートを隠した。車の情報が伝わるまで、少しは時間を稼げるだろう。
「悪いな、隊長」
ノーマンが言った。
「どうせいつかはバレたんだ。それより、戦闘準備だ」
ハワードとアレンはすでにアサルトライフルを両手に持っていた。後方から追手の気配はない。
カーティスは双眼鏡で前方を見た。黒い車輛が橋の終わりに待ち構えている。
「交戦規定はとくにない。ただし、相手の攻撃を待つ」
一連の騒ぎの原因は、協力隊とリカルド・サンティジャンにある。少しでも、奴らにとって不利な証拠が必要だ。ほとぼりが冷め、役人どもからあれこれ訊かれたとき、自分たちが正しいことを証明しなくてはならない。
「ノーマン、危険を感じたら顔だけでも伏せろ」
「かった、と言うと、車はにわかに速度を上げた。
協力隊は肉眼でもその姿を捉えることができた。七人の戦闘員はみな銃を構えている。カーティスは車窓をすべて開けるよう指示した。猛烈な風が顔に吹き付ける。目を細めながら、ときを待った。
「止まれ!」
スペイン訛りの英語が拡声器を通して響いた。続いて銃声が鳴り、車体に衝撃が走った。
カーティスは深呼吸し、G36を構え直した。
「反撃しろ!」
開かれた車窓から身を乗り出し、G36を構えたカーティスは躊躇なく右端にいた隊員の胴体を撃った。続けざまに隣にいたふたりにも引き金を引く。三人は一発も撃たずに崩れ落ちた。こちらの出方を窺っていたのだろう。
反対側はハワードとアレンが応戦した。確認できなかったが、車に着弾音は訊こえない。
一同は敵の守りを突破し、A90を降りてホープストリートを道なりに進んでいく。バックミラーを見たノーマンが叫んだ。
「追手だ!」
リアガラス越しに、二輌のバンが見えた。カーティスは小銃に備え付けてあった低倍率のスコープを覗き込み、運転手の額を狙った。フロントガラスにひびが入ったかと思うと、先頭のバンは、近くの中古車販売店に突っ込んだ。後続は、大破した車を避けてカーティスたちに食らいつく。助手席の敵から銃撃が加えられ、アウディのトランクリッドに当たった。
銃撃を交えながら高速で走る二輌を、周囲の歩行者は呆気にとられながら見ていた。若者の集団はスマートフォンを取り出し、マラソン中だったであろうジャージ姿の中年男性は立ちつくしていた。
ハワードは車窓から身を乗り出すと、G36の下部に備え付けられたM203グレネードランチャーを放った。四十ミリの擲弾が「ぽん」と気の抜ける音とともに飛翔したかと思うと、右下の着弾点からバンを持ち上げた。右前輪を吹き飛ばされ、バランス感覚を失ったバンは蛇行を続けた後、車道の中央で止まった。
※
高速道路のM90に入るため、ノーマンはB981を抜けてクロスゲーツに着いた。ラウンドアバウトを左折し、M90を走る車の流れに乗った。雲ひとつない空からは、昇り始めたばかりの太陽が顔を出し、周囲をあまねく照らしている。早朝六時の道路は空いていた。
「そういえば、仮病は大丈夫か」
カーティスはG36の残段数を確かめると、助手席から外を眺めているアレクシアに訊ねた。
「おかげさまで。今度は車酔いになりそうだけど」
「頼むから耐えてくれ。エチケット袋はない」
ノーマンが笑いながら言った。
「隊長」と言われカーティスはアレンを見た。
「後方から敵車輛です」
リアガラスを通して、アレンの言うバンが見えた。三輌。対向車線を走っていた。
バンは速度を上げていた。アウディと横並びになるつもりなのだろう。カーティスは車窓から上半身を取り出し、縁に座ると、猛烈な風に耐えながら照準をバンに合わせる。百キロを越える速度で走る車外から体を出すというのは、カーティスにとって前例のないものであった。少しでも体勢を崩せば道路に落ちて、目も当てられない姿になるだろう。
「私も戦う!」
アレクシアが言った。カーティスは敵のバンを撃ちながら、
「ダメだ、隠れていろ!」
カーティスたちの銃火に加え、対向車線を走る車からクラクションの嵐を浴びても、敵は走り続けていた。バンは観光バスを避け、ガードレール越しにアウディの真横につけた。
黒いドアが右へスライドしたかと思うと、仰々しい銃が一同の目に飛び込んだ。
「減速!」
カーティスの命令に対するノーマンの反応はすばやかった。高速で走っていたアウディは、みるみるその速度を落とす。
バンの車内から覗かせたが、ほんの数秒前までカーティスたちがいた場所を襲った。訊く者を恐怖させるM2重機関銃の重低音が怒涛の如く響き渡り、脇に生えていた木々を薙ぎ倒した。側を走っていた二輌の一般車が急停止した。
全員の無事を確かめたカーティスは、ノーマンに再加速を指示した。
「ハワード、グレネードランチャーはあと何発残っている」
「あと二発。残りはトランクのバッグのなかだ」
G36と床に置いていたL110A1を取り替えたカーティスは、もう一度車外へ体を乗り出した。バイポッドを尾根に設置し、200発のボックスマガジンからベルトリンクを取り出すと、薬室へ装填していく。射角を取れなかった先頭のバンは、アウディに近づけようと速度を落とした。ほかの二輌も続く。最後尾を走っていた三輌目とは、まだ七十メートルほど間隔があった。
「俺が弾幕で援護する。そのあいだに、グレネードランチャーでM2を積んだバンをやれ」
「了解」
最後尾を走るバンの後方のドアが開き、敵が姿を現した。カーティスが放つ制圧射撃が敵車輛を横断し、車内にいた数人の敵が倒れた。
左の車窓から上半身を乗り出したハワードがグレネードランチャーを撃った。ほんの一瞬の間を置き、擲弾は先頭車輛の運転席を直撃した。ガードレールへ突っ込んだバンは、前につんのめって直立状態になったかと思うと、シャーシを晒し、ひっくり返った。
カーティスは全員に訊こえるよう、大声で言い放った。
「よし、あと二輌だ。気を抜くな!」




